枚方名所

 7      渚の院跡
惟喬親王の別邸跡。
嵯峨天皇の皇子の別邸と聞いていたんだけど・・・歴史読本「天皇 宮家 人物総覧」で嵯峨天皇の皇子の中にこの名前が無い!・・・宿題です。いつか確認出来たら報告します。
チョット不良?の皇子達と在原業平のような平安屈指ののプレイボーイ達?がたむろして遊んでいたんでしょう。別邸跡の廃観音寺に梵鐘だけが残っている。最近歌碑が建てられた。「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」今度行って見て来ます。
京阪電車御殿山駅徒歩10分。近くに渚の湯というお風呂屋があるよ!
 
惟喬親王、確認しました。文徳天皇の皇子です。嵯峨天皇の曾孫さんですね。どーして嵯峨天皇の皇子だと思い込んでいたんでしょうか。失礼いたしました。
 
※悲運の親王の話
渚元町に「渚院跡」の石柱と在原業平 朝臣の和歌の記念碑があります。渚院は850年頃、文徳天皇の離宮(別荘)でしたが、惟喬親王に譲られました。親王は第一皇子で天皇になる筈でしたが、弟の第四皇子が天皇(清和天皇)になったので、その悲しみや苦しみを和らげる為、親しい在原業平と共に景色の良い渚院で若い日々を過ごしました。渚院へは、大宮人や都人(都で和歌や文を書く人)が訪れ、梅・桜・紅葉等の見物や鷹狩などをして楽しみながら「古今和歌集」「伊勢物語」等、後々の手本になる和歌や文章を多く残しました。業平は渚院や川向の水無瀬離宮へ親王を誘って優れた和歌作りもしました。天皇になれなかった辛い思いの親王を桜の花に例えて歌にしたのでしょうか。
親王にまつわる話では、鷹を労わった話や河内乙女との出会いの話等が今日にも伝えられています。親王は、常陸・上野太守の役目を終えた後、木地師の祖(木材で食器作りを始めた人)となり、出家して素覚と名乗りましたが、業平との渚院での温かな結びつきは、いつまでも続いたという事です。
 
 8      鍵屋資料館
天正年間に創業の三十石船の船宿。
近年まで料亭として営業していたが倒産。
枚方市が買い上げて去年「鍵屋資料館」としてオープンした。旧東海道(京街道)に面して通り庭、起こり屋根、擦り揚げ戸など江戸時代の町屋の構造を残す貴重な建物。当時の町並みの模型や三十石船の復元等を展示。
枚方公園駅下車。徒歩5分。駐車場はありません。
開館時間9:30〜17:00(入管は6:30まで)火曜日休館(祝日の場合は翌日)
入館料 大人200円 小中学生100円
 
 9      枚方宿
東海道を京都から大阪へ向かう道。
京都の次が淀、その次が枚方、枚方の次が天満橋。
淀川を船で下る人が多かった。枚方あたりでお昼になるので三十石船で飲み物や食べ物を売りに出た。元祖ドライブスルー?
「くらわんか」という、あまり上品ではない売り声だったそうです。安物の容器は飲み食いした後淀川に捨ててしまう人が多くて、今でも川底から江戸時代の陶器が出るらしい。勿論たいした価値は無いらしい。去年の枚方祭りの際、「出張なんでも鑑定団」で中島先生が鑑定されました。「鍵屋資料館」にも欠片の展示がある。街道の方は現在の枚方駅から枚方公園駅の間に名残をとどめている。菊人形味噌の店などがある。
 
 10      天野川とかささぎ橋
枚方の隣、交野市は天の川伝説の町です。織物神社があり、織女を祭っています。生駒山系を源流として天野川は交野市、枚方市を流れ、やがて淀川に合流します。合流地点の手前に天の川の地名があり、そこに架かる橋が「かささぎ橋」。織女が7月7日に愛しい人に会うため渡る橋の名前です。交野市辺りの天野川は水も綺麗で蛍も飛んでいますが、枚方の流れはあまり綺麗とはいえません。かささぎ橋も旧国道1号線が通る橋ですから・・・よく渋滞しています。歩道の街灯だけが妙にアンティックです。
因みに枚方では天の川七夕星祭りは旧暦に合わせ8月上旬に行われる。(市役所周辺)
観音寺山公園には七夕伝説の牛石?が残る。
平安時代、まだ川砂が白く光って見えた頃、在原業平が「狩り暮らし たなばたつめに宿借らむ 天の河原に我は来にけり(狩をしていたら日が暮れてしまった。今夜は織姫様に宿を借りよう。天の川の辺に来たのだから。)」と詠みました。この歌は「古今和歌集」や「伊勢物語」に収録され、平安貴族に広く知られました。
 
※織姫と牽牛の伝説
天の川の東の宮殿に美しい姫がいました。天を司る神の娘で、父に命じられて明けても暮れても機織をしているので名を織女といいます。織女が織る布は雲錦という雲のように薄い、紫色の絹で、それを縫った物をまとうと、冬は暖かく夏は涼しく雨や雪にも濡れなかったとか。毎日雲錦を織るだけの織女を厳しい父も可哀想に想い、天の川の西に住む牽牛という若者と結婚させました。すると織女は機を織る事を忘れて、もっぱら身を飾る事に夢中になってしまいました。それが父の怒りに触れ、宮殿に連れ戻され、7月7日の夜だけ天の川を渡って牽牛に会う事を許されたのです。この時に天の川に鳥のカササギが羽を並べて織女を牽牛の元へ橋渡しをしたとされ、それが「カササギ橋」と言われています。
 11      万年寺山
境内には銅鏡8面を副葬していた万年寺古墳、見晴らしのいい高台の北側には御茶屋御殿跡、南側には江戸時代の田中家鋳物工場跡。近くには樹齢600年異常のむくの木(府天然記念物)がある。「むくの木が見える部屋」近くの超高級マンションのチラシの宣伝文句だった。
京阪枚方市駅から西へ徒歩10分
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