アテルイ終焉の地 首塚
坂上田村麻呂が『アテルイ』を処刑した場所。東北地方から連れて来た『アテルイ』を都で見せ物にしたあげく処刑するなんて・・何故枚方で処刑したかは謎。
場所については古文書や言い伝えなどから三つの候補地があります。杜山、植山、椙山。このうち枚方市観光文化課が採用?しているのが植山です。植山→上山→宇山と変換?して現在の宇山地区という事になります。
京阪電車牧野駅下車。牧野公民館の横に看板があります。霊感の強い人には憎しみの光が?見えるそうですので・・・鈍いけど小心者の私は怖くて近寄れません。
※杉本苑子先生の「檀林皇后私譜」では河内の国、杜山という地名になっています。
★田村麻呂と阿弖流為(アテルイ) ※枚方民話より
1200年程前、桓武天皇が京に都をおかれた頃の話です。朝廷は日本を一つにまとめようと東北の陸奥へ最後の手を伸ばしました。しかし、蝦夷(エミシ)の住む陸奥の国はとても豊かで自分達だけでも十分暮らす事が出来るので、一緒になろうと言う朝廷と考えが合わず、両軍は北上川で戦って勝ったり負けたりしました。3度目の戦いの後朝廷が胆沢に城(今の役所)を立てていると蝦夷の大将アテルイと豪族母礼(モレ)が「降参します」と申し出て来ました。朝廷側の坂上田村麻呂はアテルイらを都に連れて行く道中に「自分の命は捨ててもかまわない。それより蝦夷のみんなを幸せにしてやりたい。」とのアテルイの立派な言葉を聞き、その真心に感動し、熱い友情が沸きました。田村麻呂は朝廷に「2度と戦わないと言っているので、陸奥へ返してあげてください。」と必死にアテルイの命乞いをしましたが、勝った喜びで誰も聞き入れてはくれません。ついにアテルイは都に近い胆沢の景色とよく似た交野郡、宇山で処刑されました。
※杉本先生の「檀林皇后私譜」ではモレは盤具公母礼等(ばぐのきみもれと)アテルイは大墓公亜流為(たものきみあるい)と書かれています。
今年2002年はアテルイ没後1200年です。岩手県水沢市で9月16日に開かれた「アテルイ没後1200記念大会」には枚方市長が出席。古代に想いを馳せながら交流を深めました。
また、枚方市の片埜神社でも慰霊祭が毎年8月に行われています。
★2004年3月2日 アテルイに触れた1日
午前11時より片埜神社にてミュージカル「アテルイ」奉納上演。わらび座によるミュージカル「アテルイ」の最初の公演は坂上田村麻呂縁の清水寺で行われたらしい。そして関西最後の上演はアテルイ終焉の地である枚方の市民会館。首塚のある公園の横の片埜神社では踊りの無い、歌とセリフだけのダイジェスト版のような感じで奉納上演が行われた。最初に数人の人が舞台に上がり、その中には清水寺の住職様や石清水八幡宮の禰宜様で田村麻呂の後裔に当たる人の姿もありました。市長さんの登場にもチョット驚きです。今まで枚方市はアテルイに冷たいと聞いていたので。現在清水寺にあるアテルイ&モレの慰霊碑も最初は終焉の地である枚方に建立を希望されたんですが、市が管理する公園であり、市の許可が下りなかったので清水寺に建立したというエピソードがあると聞いていました。
奉納上演は素晴らしく、こんな少人数で観るのが勿体無いと心から思いました。しかし、それでも関係者の方々の予想より多かったのか若奥様が追加の折り畳み椅子を一所懸命運んでいらっしゃいました。上演後には、わらび座ファンのオバサマ方と一緒に並んで田村麻呂役の方と握手をして頂きました。感激です。
夕方6時からは市民会館にていよいよミュージカル「アテルイ」上演。実は当日までミュージカルに行くかどうするか迷っていたので(何しろ小さい子供を持つ女)チケットを購入していなかったのです。上の娘の「行って来ていいよ。」の言葉と昼の片埜神社の奉納上演に背中を押された感じで行く事を決心して5時からの当日券発売に並びました。入り口には既に前売り券を持っている人が大勢並んでいらっしゃって、先頭の方には片埜神社でお見かけしたオバサマ方もいらっしゃいました。
最初の20分は関西外国語大学教授、瀬川芳則先生によるミニ講演「蝦夷王アテルイ」。百済王一族の敬福が東北で金山を発見し東大寺大仏の為に寄贈した事が蝦夷征伐の遠因である事を聞き、アテルイと百済一族と枚方の不思議な縁に複雑な想いです。
ミュージカル「アテルイ」は休憩無しの100分間。私は2階の最前列で観ましたが、激しい踊りや和太鼓の大音声に片埜神社以上に感激です。アテルイの首塚があるという事は斬首されたんだろうとは思っていましたが、実は3日3晩首だけを出し生き埋めにされたあげくに鋸引きにされたのです。そのシーンは圧巻でしたしショックでもありました。片埜神社の神域を血で汚す行為が行われた事に多少の疑問も残ります。
上演後は出口でアテルイ役の方に握手をしていただきました。これまた感激です。しかし面食いの私は主役のアテルイさんより田村麻呂さんの凛々しいお姿が眼に焼き付いて離れません。
今年は絶対9月のアテルイ慰霊祭にも参加するわ!固い決心をさせてくれた1日でした。
こうして私のアテルイデビューの1日は終わったのです。
★アテルイ北の耀星 後記 ※枚方公報より
枚方にもゆかりがあるとされる東北の蝦夷(えみし)の首長・アテルイと征夷大将軍・坂上田村麻呂の伝説をミュージカルにした「アテルイ・北の耀星」枚方公演のプレイベントが、牧野阪の片埜神社境内で開催されました。
アテルイが討たれた場所として、宇山が候補地の一つとなっていることから、市では宇山東公園(宇山東町)に「蝦夷の首長アテルイの説明板」を設置しています。このイベントは、これら地元の伝承文化を広く市民に知ってもらうため、牧野歴史懇話会が中心となって結成した「アテルイミュージカル開催実行委員会」が企画したものです。「アテルイ」を上演する劇団わらび座出演者によるミニコンサートや、和太鼓演奏などが行われ、ミュージカル開催を盛り上げました。
また同日夜に市民会館大ホールで開催されたミュージカルには1000人以上の市民が訪れ、1200年前の伝説に酔いしれました。
★2004年9月12日アテルイ慰霊祭
杜かじか様主催のアテルイ慰霊祭に出席。片埜神社の若神主様も若奥様も相変わらずアテルイファンを温かく迎えてくださって嬉かったです。若奥様は神職の資格をお取りになったそうです。「おめでとうございます。また楽しい本の続編が出ますか?」とお聞きしたら「外から見てる頃は色々書けたけど、神職になってしまったら、もう書けません。」とおっしゃいました。チョット残念ですね。今月から発売のアテルイのお札を見て感激です。「友情良縁」のお札。友情というのは勿論アテルイと田村麻呂の友情の事でしょう。首塚と片埜神社を遠くから訪れてくださる方々に素晴らしいお土産が出来て良かったと心から思います。祭事の後で宇山公園の看板を見て、その後喫茶店でお喋りタイム。初めての参加で皆さん初めてお会いした方ばかりですが、アテルイ談義で時間を忘れるほど楽しかったです。8月に行われる慰霊祭と違って、ささやかな慰霊祭ですが末永く続く事を祈っています・・・でも主催者って大変ですねぇ。もうホントに頭が下がります。良い思い出を頂きました。
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