浦和市

浦和市からさいたま市へ

 2001年5月1日浦和市は近隣の大宮市、与野市合併さいたま市となり、その歴史の幕を閉じました。合併により現在浦和市の名称は使われなくなっています。浦和市という名前に慣れ親しんだ市民としてはなんとも悲しい話ですが…
 そして新しい市の名前がひらがなの「さいたま」というのが私としてはちょっとひっかかるところです。 応募された中では埼玉市が一番だったのに!
 さらに2005年岩槻市とも合併したので、ついに城下町になった(城好きの僕としても素直に喜んでいいものかどうか?)

 歴史上重要な表舞台に立つこともなく、常にマイナーな存在としてあり続けた浦和。
 そして挙句の果てには埼玉=ダサい、その特急も停まらない県庁所在地とか言う言われ方をされ、東京都民からは「荒川越えれば田舎」 なんて言われて、訪れたこともない地方出身者からも田舎っぽいとか言われいつも過小評価に甘んじ続けてきたわけです(おっと浦和レッズがあるぞ)。

 そんな誤解を解こうなんて毛頭思っちゃいないけど、さいたま市、特に旧浦和市はこんないい所じゃないか(住みもしないでこの良さがわかってたまるかっ) てな感じで書き綴っていこうかなと思ったのがこのページであります。

 そもそも、なぜ埼玉県がこのような特徴のない県となってしまったかについてですが、 これは明治維新の際の廃藩置県と、そのあとの合併に問題があったのではと考えます。

 埼玉県の大部分は江戸時代まで東京都と併せて、かつての武蔵国であったわけ(一部下総を含む)ですが、幕府直轄(天領)で重要、かつ、いいところはほとんど東京にとられてしまった感がありますね。平凡なところだけを埼玉にくれたみたいです…

 その他の主だった都道府県は、たいてい一藩一県、もしくは他藩と合併し県となっているのにも関わらず、です(陸奥の国を除く。例:上野国=群馬県。もしくは安房+下総+上総=千葉県)。

 そして幕府直轄地を多く含んでいたために著名な外様大名がいなかった、よって大きな城下町が形成されなかった。埼玉県にも岩槻、川越、行田などの城下町はあることはありますが、その規模は10万石程度(←これでも結構大きいぞ)で、さらに城主が頻繁に替わっているために、おそらくほとんどの埼玉県民が、誰がどの城の城主であったかなんて把握していないと思います。

 そのためだけとはいえないけれど埼玉県は地域色が非常にあいまいです。これには他に埼玉県が山によって境界を作っておらず、関東平野の真ん中にあることも大きく影響しているとされています。

 その特徴のない埼玉県のさらに特徴のない浦和市について…ほとんど地元ネタで終わる感がありますが(弱気)書き綴っていこうではないかと思ったわけです。

 余談にはなりますが、
さいたま市は現在、マンションの建築ラッシュを迎えており、このままいくとJR沿いの通りはみんなマンションになってしまうのではないか、とか、かつての雑木林がいっぱいあった自然豊かな浦和(与野も大宮も)はどうなるのか、とか、他にも見沼田んぼに産業廃棄物・ゴミを捨てるな、とか、色々問題を抱えており考えるところが多々あるわけなんです。

参考資料(岩槻区合併前)

さいたま市の面積 約168.33平方キロ(東西約18km、南北約15km)
宅地 35.6%
15.1%
雑種地 8.7%
7.5%
3.0%
道路、公園などの公有地を含むその他 30.1%

>I LOVE URAWA >序文