天王川

River Ten-nou


針ヶ谷赤山通り水源地付近(矢印部分。現在は暗渠)

 針ヶ谷赤山通りを水源とし針ヶ谷、北浦和、領家、元町、駒場、本太地区を流れる河川。

 その由来は以下の通りです。領家地区に天王山と呼ばれる山がありました。牛頭天王−つまり建早須佐之男命(古事記表記)、素戔男尊(日本書紀表記)を祭った牛頭天王社が山頂にあったこと因みます。この天王山のほとりを流れていたから天王川と名付けられましたということです。
かつてこの天王山がどこにあったかは資料によってまちまちで混乱してましたが、確実な資料を入手しましたのでここで整理します。
 まず以前候補地として現在の県立浦和高校テニスコート付近さいたま市立北浦和小学校敷地内、そして元町3丁目の高台と書きましたが、どれも違いました。

正確な場所は現在の城北信用金庫で、相当高い山だったとのことです。その山は現在は切り崩され痕跡はほとんどありません。
北浦和小学校にも小高い山がありそこにあった社は嬬恋稲荷社と呼ばれていました。

 川自体は平時は穏やかですが大雨の際は非常に氾濫する暴れ川で、かつて台風が来たときは大変なことになっていました。そのため1980年代から改修工事が進められ現在は暗渠となっておりかつての風景とは一変しています。


針ヶ谷赤山通り水源地付近(右側歩道部分がかつての川の部分で現在は暗渠)

 古い資料によると昔はたいへんきれいな川だったとのことですが、僕の学生時代(1970〜80年代)はすでにどぶ川になってました。にもかかわらず川岸を歩くのはかなり好きでしたね。水がきれいだったらもっと情緒あふれる景色であったろうにと思うわけです。

 ちなみにこの川の針ヶ谷、領家、北浦和、元町地区には一本橋なるものが多数架かっており、その橋幅約10センチ(!)、これをバランスを崩さず渡りきるという遊びがありました。失敗すればどぶ川に落ちるってことです。

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