見沼

Minuma marsh

 かつて旧浦和・旧大宮両市内の東側に12平方kmに渡って存在した見沼(かつては御沼三沼箕沼とも書きました)。この見沼は江戸時代8代徳川吉宗が行った享保の改革の際に新田開発を目的として干拓されてしまいました。

 見沼田んぼと呼ばれかつては自然がいっぱいで最後の首都圏の自然の宝庫とまで呼ばれたこの地域も現在は宅地化そして汚染が進んでしまっています。さらに現在首都高速が伸びその真ん中を走るといった有様です。

 現在沼であったという形跡は“地形上低地である”ということからしか確認できません。

 その見沼を御神体としてスサノオノミコトを祭神とした神社が大宮氷川神社です。そしてさらにその末社が東京・埼玉のおもに元荒川以西に約250社近くあるといいます。

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