針ヶ谷陣屋跡・廓信寺

Site of Harigaya Jinya & Kakushin-Ji Temple

 針ヶ谷陣屋跡:徳川家康は江戸城入城後、江戸城周辺地に天領(直轄地)を集中させたので浦和市周辺は非常に天領が多くありました。

 このうち浦和郷一万石は岩槻城主高力(こうりき)河内守清長のあずかり地とされました。高力清長は家来の中村弥右衛門吉照を代官として派遣し、彼の屋敷があった場所が現在針ヶ谷陣屋跡と呼ばれています。
 その場所は昔「三郎山」と呼ばれていたとのことで、さいたま市立北浦和小学校の北側の高台付近であったと推定されています(その他北浦和1〜2丁目の宅地であったとする資料もあり)。針ヶ谷陣屋の詳細、規模などの資料は探し出せていません。ただ北浦和1丁目には馬場通りと呼ばれる、江戸時代に乗馬の稽古をしたとされる古くからの直線道路が残っていますので北浦和地区にあったことは間違いないと思われるのですが…。

 廓信寺(かくしんじ)は中村吉照が慶長14年(1609年)に主であった高力清長の追福のために建立した寺で、その名は高力清長の戒名から廓の一文字、中村吉照の戒名から信の一文字採っています。

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