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 ● 私部の酒造り

酒造りの神様として有名な京都「松尾大社」桜門前には、
明治二年に河内の酒造家達が寄進した燈籠一対があり、
当時の隆盛を今に伝えています。

山野酒造(株)酒蔵

想善寺境内の井戸
★ 豊かな伏流水と良質な米、
  そして清らかな環境が醸しだす美酒

生駒山系に降り注いだ雨水は、何百年という時を経て、交野の地にミネラルをたっぷりと含んだ伏流水として流れ下りてきます。

また、交野を流れる天野川の清流とその流域に広がる肥沃な土壌は、6世紀頃には私部の人々に皇后のための稲作を行わせました。このように豊かな水と、良質な産米、また清らかな環境に恵まれた交野では、古くから酒造りが行われていました。
★ その伝統を受け継ぐ唯一の酒蔵「山野酒造」


元禄10年(1697年)北河内の酒造家四十八軒が記録されており、交野の各村々にも多くの酒造家がありました。私部にも数軒の酒蔵があったようですが、現在は山野酒造(株)一軒を残すのみとなりました。現在、五代目の山野久幸氏が代表取締役社長をお務めです。

ちらでは、平安の昔、藤原俊成が「又や見ん、交野の御野の桜狩り、花の雪散る春の曙」(新古今和歌集)と詠んだ歌にちなんだ「片野桜」という銘柄で、純米大吟醸酒を初め様々な清酒を醸造しておられます。
酒蔵から漂ってくるお酒のにおいは、何とも良い香りです。

また山野酒造では、1月中旬〜3月上旬の間、酒蔵の見学会を催されておられますので、一度お訪ね下さい。詳しくはこちらからどうぞ。

 ※ "かたのさくら" 字典
     
  中世以降の文芸で"かたのが原"は用いられる意味の違いによって:

@ 交野 <かたみ(互い)に狩に行く野>
A 堅野 <堅く狩猟を禁じられた野>
B 片野 <許された者のみが狩猟できる野>の三様に書き表されています。

清酒「片野桜」の酒銘は、「又や見ん、交野の御野の桜狩り、花の雪散る春の曙」の歌に拠っていますが、字は片野をあてられています。
★交野市の水道の水源の60%がその伏流水


交野の水道水の60%は、この伏流水を水源としていますので、水質が大変よいとされています。

IHM総合研究所の「水からの伝言」というホームページに
交野の水道水の結晶の写真が紹介されていますので一度訪れてみて下さい。また、交野の水(交野市水道職員労働組合のホームページです)もどうぞ。

その昔、千利休はお茶を点てるために、わざわざ交野から水を運ばせたともいわれています。
想善寺境内にも井戸があり、その豊かな地下水の恵みを享受しています。






 ※参考資料: 山野酒造(株)パンフレット