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● 俳僧 敬空上人



「松花集」表紙




  想善寺 第十九世住職 敬空上人
敬空上人は、星田村・大谷の仲右衛門家より出ておられます。
想善寺で修行を積み僧侶となり、文政十二年(1829年)三月 星田村・慈光寺の第二十世住職となられました。その後想善寺へ戻られて第十九世を務められました



キサベ白馬
敬空上人は、想善寺や慈光寺での寺務のかたわら、俳諧をたしなみ、自らを白馬と号しました。「キサベ白馬」あるいは「ホシダ白馬」という名で俳書や奉納額に記されています。また、晩年には「松花集」の跋文を書かれるまでになっておられます。

白馬の俳諧の師は、郡津の谷古光(文政七年三月二十九日寂、行年七十三歳)で、
「松花集」は古光の追福集です。

以下、白馬の句を紹介していきます






「松花集」跋文
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想善寺には
「日供 当山十九世敬空篤誠上人瑞碓老和尚尊儀(裏)天保十一子十一月十四日瑞林瑞龍遺弟中」の位牌が祀られています。

 
○『初草集』 谷古光編 文化十年(1813)刊
  梅の句を六十一のあるじかな
きゆる芦火にかはる月しろ
○『松花集』 古光社中著 文政九年(1826)刊
 
浪速大黒庵撰
 
うめさくや日向に出たる去年の蠅
若竹や小野山しなの朝ぼらけ
寒月やかれのの原をなくきつね
花に行日はいつ頃ぞこよみ売り
更るほど親しみあつき火桶かな
うめ柳我ふ處(懐)ゑり(襟)あかき
山吹に世を隔けりいほ(庵)の垣
(他に五句入撰)
平安枯魚堂撰
 
我垣やぬかご交りの露しぐれ
秋きぬと告るもなみの汐屋かな
藤咲や朽木もをしむ神の庭
梵論梵論(ボロボロ)に埃りかぶせつ麦の秋
煮え音の松風すずし朝茶の湯
(他に六句入撰)
浪花井眉庵撰
 
芒ちるかたに夕日のせまりけり
壁にはふ蔓ももろさよ九月尽
行儀よく居つてみたり更花
閼伽(アカ)棚にすずしさみえて夏の菊
(他に二句入撰)
名木の花も散りけりやよい尽
○津田 春日神社拝殿 天保四年(1833)の奉納句額
  寒月や落柿舎さびし猿さけぶ
○『河内往来
  堀月下著・加地士龍書 天保六年(1835)
  名ばかりの渚の院に行々子
『発句此花集
  松がえに懸て月待ふくべかな






※参考資料: 交野市史研究紀要「想善寺」(発行:交野市教育委員会・財団法人 交野市文化財事業団)