M-62 


 第16回おとうさんコーラス大会


  加 藤 良 一

2005年8月10日
 


 「カトチャン、2部の司会頼むよ。」
 さも当たり前のような宮寺理事長からのひとこと。
 「え、またですか。司会は酒を飲むひまがないからなぁ。でも、まぁいいですよ。」

 どうやら私とおとうさんコーラス大会とはもっとも近い距離にあるらしい。ふたつ返事で引き受けてしまったが、あの忙しさを思い出すとやや気が重くもなる。おとうさんコーラス大会の第2部は、ほかの行事とちがって司会がすべての進行を決めるようになっている。要するに巨大な宴会だから、如何にして場を盛り上げるか、よしなに取り計らってくれということである。
 そうはいっても、司会を一人でやっていては身が持たない──ことはないが、それ以上にビールを飲む暇がないのがつらい。引き受けた以上、ビールのことはいい加減あきらめればいいのに、いやしいものである。それではと、ビールのために一計を案じ、司会を二人でやることにした。
 
2001年に行われた第12回大会の模様を書いた「秩父の山々に響け! 男声合唱M-2)にも紹介してあるが、第2部の司会がたいへんなのは、やはりきちんとしたシナリオがないからである。ちょっとでもステージに隙が空くと、あれを歌わせろこれをやらせろと飛び出してきて、この交通整理がまたたいへんなのである。当然のことではあるが、いずれにしても行き当たりばったりでは司会がきつい。

 大会前日、笠井利昭事務局長の車に同乗して秩父へ向かう車中、早速相談を持ちかけた。第2部の歌をどうやって決めるか、スムーズに進めるにはどうすればよいか。行き当たりばったりでなくするには、あらかじめ決めておく以外にないはずだ。これまでは、歌いたい団の希望をとったり、各県ごとに歌ってもらうなどしていたが、その場でそんなことを調整していてはまとめるのがむずかしい。それに今回は、1団体しか参加していない県もある。さらに考えてみれば、県ごとに分ける意味もさほどない。
 あれこれ考えるうちに、閃いたのが演奏順にグループに分けてしまうことだった。それを大会受付のときにやってしまえば、式次第の大部分が決定してしまう。埼玉13、群馬4、栃木・千葉・山梨・静岡3、茨城2、新潟・神奈川1の計33団体のうち埼玉県連理事の「ハゲマス会」は、裏方に徹しなければならないので除外し、残る32団体を演奏順に4団体ずつの8グループに分け、その中で曲目と指揮者を決めてもらう。その際できるだけおとうさんコーラス愛唱曲集」から選んでもらう。こうして決めたグループ別の8曲に加えて、女声合唱「夏の思い出」をS先生、混声合唱「大地讃頌」をT先生、さらにO先生には男声合唱の何かを指揮していただいたらどうかと大枠が決まった。全部で11曲、挨拶を加えるとちょうどいい時間ではないか。

 さて、初の試みだから果たしてどうなるか。決まったグループから、早いもの勝ちで受付横に貼り出した紙に書いてゆき、それを見てバッティングしないように選曲をしてもらったが、「いざ立て戦人よ」が重なっただけだった。この程度の重複ならかまわなかろう。愛唱曲集なら知らないもの同士がいきなり一緒になっても歌える、これが男声合唱の最大の特長である。
 ところが、いざ当日になってT先生は来ないと知らされ、慌てて別の方にお願いしたり、ピアノ伴奏者を決めていなかったため、探し当てていきなり頼んだり、と調整は土壇場まで続いた。もっとも勝手にこちらが決めていただけで、T先生には何の責任もないことは確かである。

 第2部の制限時間は、4時から5時半までの90分一本勝負。司会のアシスタントは、男声合唱団コール・グランツ、グリーナインス(埼玉第九合唱団男声有志)、そしてつむぎの里ゆうき男声合唱団(休眠中)のメンバーである星野英明さんにお願いした。
 まずは関東副支部長であり主催県連理事長である宮寺勇先生の挨拶に引き続き、「乾杯の歌」を全員で高らかに歌って乾杯し、600人の大ビアパーティが始まった。秩父ミューズパークの野外ステージは、大きなドーム型の屋根が付いているが、あくまで野外である。秩父は山の中だが暑さは下界とさしてちがわない。生ビールや地酒の冷酒がうまい環境が整っている。今回は女性のためにカキ氷のサービスも行った。
 ステージ上では、入れ替わり立ち代り合唱が披露され、予想通りテンポよく進行させることができた。いちおうグループ分けはしてあるものの、歌いたい人は自由参加である。どんどんステージに乗ればよい。
 いつものことだが、表面に出ないハプニングもあった。ステージで歌わせるだけでなく、会場に向かって俺が指揮するから全員で歌おうや、とO先生からリクエストが出されたので、そのことをアシスタント星野さんに伝えたが、彼は聞き間違って別のO2先生の名前を紹介してしまった。声を掛けられたO2先生は、よっしゃとばかりステージに上がってしまったので、やむなくO先生にお引取り願うという冷や汗シーンであった。もちろんO先生には、そのあとあらためて指揮していただいたが、想定外のため時間を食ってしまった。
 女性の応援団が120人ほどいたにもかかわらず、「夏の思い出」や「大地讃頌」のような伴奏つきの限られた曲を歌ってもらうことしか出来なかったのは残念である。女声だけで歌えるア・カペラ曲がもっとあれば、大いに歌っていただけたと思うのは私だけではないだろう。このような場面で一緒に歌える女声ないしは混声のア・カペラ曲を誰か作曲しないものだろうか。

 次回は、栃木県白鴎大学キャンパスで開催の予定となっている。白鴎大学はJR宇都宮線小山駅のすぐそばにある。栃木を代表して、荻野久一関東支部長、田中秀男副支部長、会場を提供する白鴎大学教授の荒井弘高先生には、次回のコマーシャルを兼ねたご挨拶をしていただいた。

 司会をしていて嬉しかったのは、気を利かして飲み物を運んでくれるひとが何人もいたことだ。アシスタントがいたお陰で、前回よりは余裕をもって司会をすることができたし、友人知人と挨拶する時間もそれなりにとれた。聞くところでは、アシスタントのほうがたくさん司会をやっていたとか。終わってみれば、制限時間を5分ほどオーバーしただけだった。

 ここまで書いて、第1部の演奏についてほとんど触れていないことに気づいたが、私自身3団体で歌う以外は、演奏会場、楽屋本部、野外ステージを行ったり来たりしていたから、まともに聴いた団は限られていたからである。お詫びのしるしに演奏した側からの感想をひとつ紹介する。
 トップバッターとして歌わせてもらった「ハゲマス会」は、清水脩の「機織唄(はたおりうた)を演奏した。この曲は大部分の理事が知らなかった曲だが、秩父に因んだ曲ということで選曲された。ところが例によって、練習する機会もほとんどなく、前日のホテルでようやく半分のメンバーが揃ったような次第で、当日も直前に楽屋で練習して臨んだものの練習不足は否めない。宮寺理事長は、この曲は3年先(?)を睨んで完成させるとか、誰も知らない曲だから大丈夫だ、とか不安なことを言っていた。そして、本番。細かいミスはあったが、やはりプロの歌手の方々は仕上げがうまい。こちらとしては、とても楽に歌わせてもらった。にわか仕立てにしては、よい演奏ができたのではないだろうか。すくなくも去年よりはましだったろう。

 埼玉県連からは総勢23人の理事が大会運営に携わった。それに加えて荻野久一関東支部長も前日から現地入りしていただいてのご出席であった。コンサートはともかく、600人の巨大宴会を賄うのはけっこうたいへんである。暑いさなか、お馴染みとなったショッキングピンクのTシャツを汗で濡らして頑張った理事のみなさん、そして、協賛いただいたサッポロビールさん、矢尾百貨店さん、会場でお手伝い願った東武トラベルさん、みなさまお疲れさまでした。

 ところで、男声合唱は、何をしてこれほどまでに大の大人を夢中にさせるのか。男声合唱の尽きせぬ魅力、仲間と共に酌み交わす杯の楽しさなど、理由はいろいろあろうが、キーワードはどうやら参加者が共通に持っている“子ども力”ではないかと思えてならない。“子ども力”とは、遊ぶ力、熱中する力、好奇心を抱く力など、生まれつき子どもに備わった能力のこと。齢(よわい)をいくつ重ねようが、つねに何かを求めて止まないコーラスメンに乾杯しよう。



関連情報 <音楽/合唱欄>
2005年7  「夏の秩父」M-60)
2004年8月  「渋滞は忘れたころにやってくる」(M-48)
2003年8月  「第14回おとうさんコーラス大会 in 秩父M-33)
2002年9月3日  「関東おとうさんコーラス発祥の地 サッポロビール埼玉工場閉鎖」
2002年8月11日  「関東おとうさんコーラス大会 in 小出郷」
2002年3月  秩父の山々に響け! 男声合唱M-2)


 




        音楽・合唱コーナーTOPへ       HOME PAGEへ