M-48 


渋滞は忘れたころにやってくる





加 藤 良 一


2004年8月10日




 歌とビールの男声合唱フェスティバルとして定着した関東おとうさんコーラス大会、今年は静岡県・浜名湖花博のガーデンパークで開催された。花博公式ホームページのイベント欄に「静岡県内&関東一円の男声合唱団による、花の妖精と心優しい女性に捧げる男声コーラスの集い。仕事の出来るおとうさん、ちょっぴりお酒の好きなおとうさん、のど自慢のおとうさん達のロマン溢れる歌声が、暑さを吹き飛ばします。」と紹介されていた。

 この大会は、平成2年(1990)に埼玉でうぶ声をあげ、平成6年(1994)からは全日本合唱連盟関東支部との共催となって近隣に大きく輪を広げてきた。今回で15回目を迎えた。おもしろいことに、関東支部とはいっても、合唱の世界では、いわゆる行政上の区分けなどとは一致していない。
 一般に関東といえば東京をはじめとする埼玉、神奈川、千葉、群馬、茨城、栃木の1都6県つまり7地方を指すが、全日本合唱連盟の区分けによれば、なぜか関東支部は、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、神奈川、新潟、山梨、静岡の9県となっている。東京は規模が大きいためかどうか独立した支部となっていて関東には含まれていない。歴史的な背景があってそうなったのであろうか。ちなみに、今回は、新潟と神奈川をのぞく7県から33団体が参加した。

 さて、折りしも夏休みの帰省ラッシュが始まった8月7日土曜朝6時半、男声合唱団コール・グランツ御一行様を乗せた貸切バスは、一路静岡県の浜名湖を目指し栗橋(埼玉)を出発した。

 開演は午後1時、それに合わせてわれわれの到着予定は12時過ぎとしていた。人数の少ない団ではバスをチャーターしたのでは経費がかかりすぎるので、新幹線などを利用するところが多かったようだ。われわれは団員が一緒にそろって練習しながら行きたかったのでバスを選んだ。
 熱帯夜が続いてはいても、朝のひとときはそれなりに清々しい。浜松に思いを馳せ意気揚々と出発したものの、首都高に入ったとたんノロノロ、自然渋滞か、それとも事故でもあったのか、長い道中、先が思いやられる。そうこうするうちにスムーズに流れはじめた。やれやれ、とホッとする間もなくまた前に車が詰まっている。そんなことの繰り返し、文字どおりのバンパー・トゥ・バンパーの連続である。Bumper to bumper とは、車のバンパーとバンパーがひしめいている様子、つまり渋滞時の数珠つなぎ状態を英語ではこう表現する。
 どうやら東名高速で事故があり、運悪く巻き込まれてしまったらしいとわかった頃には、もう開演に間に合わない時間となっていた。こうなってはやむをえない、すこしでも早くたどり着くことを祈るだけである。最悪でも第二部のビアパーティにさえ間に合えばいい、との思いがないわけではなかった。

冷却シートを額に貼って頑張る
笠井利昭・埼玉県連事務局長



 とりあえず、前日から会場入りしているわが団の指揮者笠井利昭氏にケータイで遅れることを伝えたところ、ほかにもたくさんの団がまだ到着しないとの情報がもたらされた。渋滞に巻き込まれたのはわれわれだけではなかった。こうなってはあきらめるよりしかたがない。バスの運転手さんもなんとか少しでも時間を挽回しようとやや飛ばしすぎの状態であった。とにかく笠井氏と連絡を取り合いながら、一路浜名湖へと向った。

 おとうさんコーラス大会は、出演順を当日くじ引きなどで決めるのが恒例となっている。本来なら参加団体がすべてそろってから抽選をするところだが、定刻になっても到着しない団がたくさんあってはそれもままならず、やむなくそろった団から演奏を開始し、随時到着した段階で組み込むことにして開演されてしまった。
 そこへ同じくバスで向っていた埼玉第九合唱団の男声部、グリーナインスのH君からケータイが入った。われわれのバスより30分くらい先行しているらしいが、開演には間に合わないのは同じだった。コール・グランツの出番が決まったら教えてくれとのこと。H君はコール・グランツ、グリーナインス、つむぎの里ゆうき男声合唱団(茨城)の3団体で歌う予定だった。
 すでに半分以上の演奏が終ってしまった頃、バスはようやく会場にたどり着いた。ほとんど同時に栃木のアウルズの面々が乗ったバスも到着した。駐車場から会場まで案内係りにくっついて急ぎ足、日差しがやけに強い、汗だくで会場にたどり着いたが、そこは屋外ときている。それでも幌を張った屋根があるだけ助かった。そこそこ風も吹いている。

 まえおきが長くてなかなか本題の合唱まで行き着かなかったが、ようやく話しがそこまできた。何はともあれ出番まであと3、4団体という頃やっと会場の席に座ることができた。
 演奏会場は、『水辺の劇場』と呼ばれるように近くを水が流れていて、あたかも通奏低音よろしくたえず水の音とセミの声が聞こえている。ステージには反響板もなく、黒いカーテンが下がっているだけ、天井は柔らかい幌製ときては、完全にデッドな空間。このようなステージでピアニッシモや低音を出すのは、けっこう厳しいものだ。
 威勢がよくてガンガン歌える曲ならともかく、つむぎの里ゆうき男声合唱団が歌った「オールド・ブラック・ジョー」などは、歌そのものがよく聴こえない状態だった。くだんのH君は、この団の演奏中に到着し、そのまま曲の途中からステージに上がり、歌っている団員のあいだに割り込んでしまった。遅れてきて演奏中に割り込んで歌うのは、他の団にもみられた。まったく前代未聞のできごとである。
 わがグランツの多田武彦作曲「夏になれば」もソロが歌っている部分は、コーラスはずっとハミングで歌うのでかき消される危険性がじゅうぶんにある。しかし、ソリストの野口君は埼玉県随一と目されるテナーだけに、曲の仕上がり具合はまあまあだったようだ。

 筆者はグランツのほかに、埼玉県連の新旧理事で構成するハゲマス会にも出演した。この夏季限定合唱団のすごいというか無茶なところは、事前になにもやらないこと。やったのは曲目を決めたことくらい。今回の出し物は「最上川舟歌」とだけ知らされていた。一度もお互いに歌わずにステージに上がってしまう。おおかたの人はプロだからそれでもいいだろううが、こちらは素人、どうなることやら。
 揃いのショッキングピンクのTシャツに着替え、舞台の袖で、誰がどのパートか、ひととおり揃っているか確認し、立ち位置を決め、譜面を貰っていざステージへ。指揮者の宮寺勇氏(埼玉県連理事長)から指示されたことは、最後の“マーカショー”に入るところでいったん切って、そこでグッと溜めてから fff  でガンと行くから、オレの指揮をよく見ててね、とそれだけ。完璧なブッツケ本番。
 指揮者が音取りのキーボードを叩くと、間髪を入れず“エーヤー エーーンヤ エーー”とものすごいベルカントのテナーで大岩篤郎氏(同副理事長 :写真前列左端)が筆者の隣りで歌いだした。なんとまるでオペラ張りの歌い出しである。そうか、今日はそんな調子で歌うのか、はじまるまでどう歌うのか様子がわからなかったのだが、それではとにかく気合を入れて歌うとしよう、というわけで最後まで まずは無事に歌いきった。あの会場では「最上川舟歌」のような景気のいい曲がうってつけである。

 けっきょく4分の1くらいの合唱団しか聴くことができなかった。しかし、この大会の本命は、第二部ビアパーティに決まっているから、目的の大部分は達したことになる。もっとも遅れて最後にきたのは、事故渋滞とバス故障のダブルパンチで、第一部どころでなく第二部もほとんど終った頃に到着した千葉の北総エコーアンサンブル・レオーネであった。ビールも食べ物もなくなり、後片付けが始まったなか、この2団体には、特別に仮設のステージで合唱を披露してもらった。

 今回の浜名湖大会は、東名高速の事故渋滞で遅れた団が続出するハプニングがあったが、関係者の臨機応変な対応でとりあえずスムーズに運営された。来年はまた秩父へ戻り、再来年の2006年は栃木県で開催される。今回のトラブルの教訓を生かし、さらにステップアップした大会になることを期待している。




 音楽・合唱コーナーTOPへ       HOME PAGEへ