掲示板書庫02
[# 掲示板書庫.02] 99.6.24-9.26 

[#掲示板書庫.01][.03][.04][.05] ・[古代であそぼ・Top] 


No、題名、「お名前」、mailto: 、日付、hp等  (敬称は略させて戴いてます)

96、Re:アクセスカウンターのお礼、「s-tan」、、1999/09/26(日)22:30

こんばんわ、その後、"道を尋ねて"はいかかですか。

hp作成、私もまだまだ分からない所があります^^;。
カット・アンド・トライで何度もいじくりまわすしかないのではと思います。
具体的に「ここが分からない」とか「ここをこうしたい」というのがありましたら、こ遠慮無く連絡下さい。

諸国一の宮、おまちしてます。


95、アクセスカウンターのお礼、「日本武尊」 zpmasasi@d1.dion.ne.jp、1999/09/22 (水) 23:21、http://www.d1.dion.ne.jp/~zpmasasi

早速のご指導有り難うございます
いろいろと問題が出てきますが難解な事ばかりでしんどい作業です
でも楽しみがあります、見ず知らずの皆様からご指導が頂けること
に感謝しております。難解とは何回やっても判らないから難解と
云うのでしょうね、馬鹿なことを申しております。
これからも宜しく。次回には諸国一の宮の写真を掲載いたします


94、mail受信不備について、「s-tan」、、1999/09/22 (水) 21:23

9/10から9/22の間の s-tand3.dion.ne.jp へのメール不着が見つかりました。
dionの22:00〜01:00頃の極端な回線混雑が理由かと思われます。
もし、「メール送ったけど反応が無い」という方がおられましたら、お手数ですがご連絡をお願いします。


93、Re: 道を尋ねて、「s-tan」、、1999/09/22 (水) 21:22

こんばんわ
「古代であそぼ」の引越ではお手数おかけしました。
ホームページの制作、着々とお進みですね。topページの写真も容量が少なくなりましたし。
フロントページエクスプレスをお使いのようですが、そろそろ一度メモ帳で修正をかけてみると動きがよく分かるのではないかと思います。

カウンターが飛んだ理由は、
・・山陵会のホームページへようこそ・・と、番目の訪問者です・・の間の−−−>
 <img src="http://cgi.dion.ne.jp/cgi-bin/cnt.cgi?ID=zpmasasi@d1.dion.ne.jp&CG=3&NO=1" width="100" height="20">
<−−−が消えてしまったようです。
−−−>と<−−−の間をコピーして貼り付けてみてください。

なにかございましたら、ご遠慮なく。


92、道を尋ねて、「日本武尊」zpmasasi@d1.dion.ne.jp、1999/09/22 (水) 02:44、http://www.d1.dion.ne.jp/~zpmasasi

ホームページの制作は私たちの世代にはすこし難解なところがあります
なんとか更新することができました。が、カウンターが飛んでしまいました。
これから少しづつ覚えていきます、宜し御意見を頂ければ幸いです


91、Re^5: 出雲、「s-tan」、、1999/09/19 (日) 14:02

>耕作可能面積をみれば吉備や大阪、福岡、佐賀平野とは比較にならないですね。
#そうなんです、特に西(大社)側は。斐伊川は暴れすぎる川だったでしょうし。振根の頃は出雲市あたりは海水かせいぜい汽水域で斐伊川河口でしょう。
続きは長くなりそうなので 雑談コーナー で。。

>「神別」というのはどういうものでしょうか。
#新撰姓氏録の分類で、神別=神々の子孫、皇別=皇室の出、諸蕃=外来氏族(遅れて来た^^;)

#島根以外の杵築社は8c以降が殆どだと思ってます。小さな社も多いし江戸期が多いのでは。。

#黒曜石は、近畿なら二上山、関東の伊豆諸島・神津島だったか縄文から本土との往来が認められる。伊豆諸島には式内社が異様に多いですね、相模、武蔵に比して。。黒曜石といえば北海道にも大きいのがあったですね。

#三苗といえば、長江ですが。。
  相撲は見ないので力士名は分からないですがモンゴルから来た力士がニュースで日本語を喋るのに言葉に違和感が全く無かったですね。




90、Re^4: 出雲、「かたばみ」woodsorrel@tcn-catv.ne.jp、 1999/09/18 (土) 16:08

≫仮に出雲振根が今の大社辺りとして島根の西半分が管轄だったとしても、平野は今の半分程度

山陰での拠点であれば出雲市か米子市以外にはなさそうですが、耕作可能面積をみれば吉備や大阪、福岡、佐賀平野とは比較にならないですね。
近畿ヤマトが誕生してからの出雲と初期の出雲は別物だろうと思っています。
その中間にあるのが国譲りというわけですが、どこを譲ったのか。
(やっぱり奪われたないし戦に負けたというべきだと思うけど(^^;)

奪った方はどこからきたかを考えれば、奪われた地がどこかはほとんど決まったも同じ(^^;
そこから大国主命が退去したのであれば、そこが初期の出雲の拠点だったということになります。
引退ないし隠居であれば先祖の到来地あるいは記念碑的な地で、というのも自然・・空想は続く(^^;

「神別」というのはどういうものでしょうか。

ps. エクスプローラ5に切り替えました。こちらはあんまりいばってないみたい(^^;

かたばみ

89、Re^5: 出雲、「かたばみ」woodsorrel@tcn-catv.ne.jp、1999/09/18 (土) 13:55

> スサノオを世襲だったと思っています。スサノオが6世代いたのかなと。

世襲かどうかは別にして、大己貴の大国主、八千矛の大国主というように本来の大国主はだれそれ国王などと呼ぶ場合の国王の称号と同じだったのではないか、ということです。
出雲族とはどういう系譜なのか・・近狐さんの推理は如何に。

三苗については中国でも研究途上のようで、解説書はあるのかなあ。
私の三苗イメージは手当たり次第の断片を寄せ集めた結果によります。新しい情報があればイメージが変わるかもしれません。
例えば
三星堆文化には鳥が太陽を運ぶといった信仰があり、3羽の青い鳥や西王母や九尾の狐との関連がうかがえます。
記紀で天孫降臨の露払いとされている天稚彦の葬儀は鳥葬です。
千葉県にみられた船棺葬も長江流域にあります。

それぞれはみなおぼろな影なんですが、重ね合わせれば濃い部分はより濃くなります。
こういった三苗に関連すると思われる事象の寄せ集めによるイメージなのです。
ただし三苗にも海型や山型など、いろいろあってそれが三苗の名の由来でしょう。
中国の古代と日本の古代、いろいろと驚くような関連性がでてくるかもしれないですね。

かたばみ

88、Re^4:出雲、「かたばみ」woodsorrel@tcn-catv.ne.jp、1999/09/18 (土) 13:50

> あの地に縄文以来の求心力があったと思っても
> 間違いではないのではないかなぁと思っています。

出雲大社の前身が杵築社と呼ばれ、stanさんが書かれているようにそれが各地にあったとすれば、たとえば大阪の池上曾根遺跡の巨木柱跡、ここがBC50あたりでの出雲の中枢だった可能性もないとはいえないです。
現在の出雲の地が過去にもずっと「出雲」だった、それを捨ててみるのも面白いと思います。
神無月を含めてそういう可能性があるぞ、ということです。

巨木柱跡は他にも吉備や周防灘の沿岸あたりからもでてきそう(^^;
黒曜石の産地は西日本なら隠岐、国東半島東岸の姫島、伊万里市南方の腰岳(カナタケ)、阿蘇あたりのようです。
食料を得やすくなんらかの信仰の対象でもあれば高い確率でそこが中枢になると思います。

かたばみ


(84-7)、
87、Re:出雲。。 、「s-tan」、、1999/09/15 (水) 01:30

*BBSへupしようとしたらタッチの差でnifがメンテに入ったらしく,先にこちらへ^^;

−−−−−−−−−−−−−−−−−
re:77、かたばみさん

>出雲が「クニ」の形をなしていたかどうかは別にして、「初期の出雲」の中枢が「現在の出雲」にあったのかどうか。

#ですね、仮に出雲振根が今の大社辺りとして島根の西半分が管轄だったとしても、平野は今の半分程度。
その後西半分は小国?で吉備につつかれ、振根の流れらしいオウ(出雲臣)はどうみても東半分。蘇我氏の時代に西と東が一つになったかも、実質は出雲国造が大社に追いやられた8c末、じゃないでしょうか。 しかし振根の子孫と言われるのは神別が多いですね。

−−−−−−−−−−−−−−−−−
86、re:78、千夜さん

残暑バテでしたか、お気をつけて。

>ミサキはおっしゃるとおり、霊魂などを表すみたいで、海や山な
>どで不遇に死んだ人の霊をミサキっていいます。

#ミサキの言葉と7つ集める、というのが面白そうですね。inputしておきます。
オイラン淵なんかも7人で祀られる事がおおいのかな。

−−−−−−−−−−−−−−−−−
85、re:81、狐近さん。。 re:79、 ^^。

>玉造といえば、古墳時代に 玉造の遺跡が出雲だけになる時代があったのではなかったでしょうか?

#お詳しいですね。玉造部が実質どれほど稼動したか分からないですが、以前から続いていた出雲の玉つくりが4c末から急激に生産を上げて、これはオウ王の指示とされています。
 欽明29の頃(6c中)玉つくりの統制が行われた様子で玉は出雲からの貢になったようです。これ以前の恐らく最大の玉つくり場は奈良曽我あたりでしたが、これも6cの終り頃には作らなくなったようです。
尚、4cの出雲玉つくりの1/3(感覚的^^;)は忌部氏の流れだったようです。
出雲の玉造はほそぼそと平安末期まで続いたようです。
そういえば千葉香取郡からも玉造跡がでてますね。

>「朝廷と地方への税」とは どこへの税だったのですか?

#玉造の貢は半端でなく男が殆どとられ、農作業は残った女子供が、とか、(730)過ぎには出雲の青年男子の1/3が兵にとられるとか(東国は1/4?)これが国造が残ったのと関連があるんじゃないかと、懲罰的税の付加かもなど思っている訳です^^。

−−−
84、
>大物主は、モノという抽象的な物に対しての名称のような気がするのでなんだかしっくりこなかったのです。

#あ、私もモノのような気がします。奈良三輪山とか兵主あたりがモトのような気がしてます。
和銅年間に元出雲の祭神のうち大物主が杵築に移されてますから、コレ以降一緒にされてたのではないでしょうか。或いは記紀上で一緒にする為移されたのかも。。

>神を「祭る」という行為が そもそもそうなのですよね。確か美保神社の諸手舟神事も葬式ですね。

#そうなのですね。神社伝承を追うと悲しくなる事が多いです。祭りでさえも水をかけられたり海に入れられたり落されたり、ですから。
伊勢神宮でさえ「しゃがみながら忍手」の作法が残ってます、恐らく地元のご老体の方。
二礼二拍手は明治以降の統制でしょうね。


83、Re^4:出雲 、「狐近」、 makisi@ma2.justnet.ne.jp、1999/09/14 (火) 17:59

続きです。
かたばみさんは、「大国主」を世襲だと思ってらっしゃるのですね。
私は、風土記の「スサノオ」の表記がばらばらなことから
スサノオを世襲だったと思っています。スサノオが6世代いたのかなと。
どちらにせよ、古代の神の名は ほとんど「地名+称号」の
ようなところがあるので 世襲はあり得ることだと思います。
でも、出雲の称号は面白いですね。
多分 九州で地方長官を表す「ヒコ」の代わりに「ヌシ」を
使っていたんだと思います。
神様も、九州の方では おしりに「ミ」がつく神様が多く
出雲では「チ」の神様が多いですしね。
やっぱり天孫族とは文化が違いますよね。

ところで質問です。
三苗族に関する知見は、何を参考にされているのですか?
文献があるなら 私も是非読んでみたいのですが。


82、Re^3: 出雲、「狐近」、 makisi@ma2.justnet.ne.jp、1999/09/14 (火) 17:58

かたばみさん こんにちわ。
中国歴史文化事典/新潮社ですね?
ありがとうございます。探してみます^^。

> 騎馬民族の場合は定住しないので集会は後々まで重要さを保ったと
> 思いますが、定住の農耕社会ではそこまでの重要さはもたなくなり、
> また中央集権国家の一部となればその意味もなくなって、
> 次第に神様の集会といった抽象的な伝承に置き換えられていったの
> ではないかと思うのです。
なるほど、そういうことだったのですか。
でも、その厳粛さが残っている辺りは面白いですね。

> 出雲が「クニ」の形をなしていたかどうかは別にして、
>「初期の出雲」の中枢が「現在の出雲」にあったのかどうか。
出雲大社が巨木建築だったという説もあるので、
あの地に縄文以来の求心力があったと思っても
間違いではないのではないかなぁと思っています。
バックはやっぱり 隠岐島の黒曜石です。
それと交換するために 各地から特産物を持ってやってくるのではないかと。


81、Re^4:出雲、「狐近」、 makisi@ma2.justnet.ne.jp、1999/09/14 (火) 17:55

s-tanさんこんにちわ。
> 神を統合するよな「宗主国」ほどでもなく便利で大きな
> 港を求心とするような、ゆるやかな連合、だったのでは。
なるほど、そうですね。
玉造といえば、古墳時代に 玉造の遺跡が出雲だけになる時代が
あったのではなかったでしょうか?
「朝廷と地方への税」とは どこへの税だったのですか?
無知で済みません^^;。

大国主と大物主ですが、大国主は「大国=オオクニ」という地域の首長
というような 他の神と似たような名前の付き方だと思うのですが、
大物主は、モノという抽象的な物に対しての名称のような気がするので
なんだかしっくりこなかったのです。
でも、前に言っておられたように 神話時代の出雲と8世紀の出雲が
違う国だとするなら、そのあたりに 大国主→大物主と代わっていった
原因があるのでしょうか?

> 出雲の神在祭は、祭事などから「大きな葬式」ですね。
神を「祭る」という行為が そもそもそうなのですよね。
確か美保神社の諸手舟神事も葬式ですね。


80、Re:七人みさき、「狐近」、 makisi@ma2.justnet.ne.jp、1999/09/14 (火) 16:02

千夜さん こんにちわ。
レス ありがとうございます。
やっぱりそうだったんですね。
こちらに来て 謎だったことが一気に分かってきて
目の前がひらける思いです。
HP また遊びに伺いますね。

ところで、この手のことを調べるとき
どんな本を読んでらっしゃいますか?


79、Re^3:大黒天と大国主命、「狐近」、 makisi@ma2.justnet.ne.jp、1999/09/14 (火) 15:56

うわぁ。s-tanさんに突っ込まれてしまった^^;。
私が読んだのはマンガなのです。「孔雀王」です^^;;。
なので、出典も何も分かりません。ごめんなさい。
千夜さんがフォローして下さっているのでそちらをご覧になって下さい。

78、七人みさき、「千夜」、chiya@sunbit.or.jp 、1999/09/14 (火) 10:15
  http://www.sunbit.or.jp/chiya/index.htm

まだまだ、暑いですね。残暑バテで体の方がダウンしていました千夜です。

> 千夜さん 初めまして。レス、ありがとうございました。
> そうですか。なるほどそれで六福神が七福神になった経緯が分かりました。

お役に立てて嬉しいです。こちらも勉強?になって助かります。

> TRPG、面白そうですね。

HPお褒め頂いて嬉しいです。是非またいらしてください。

> 「七人みさき(漢字忘れました^^;)」ご存じではありませんか?
> 水の祟り神らしいのですが、「みさき」には「魂」の様な意味も
> あるのかなぁと、不思議に思ったことがあるのです。

そんなには詳しくありませんが、知っているかぎりなら…
ミサキはおっしゃるとおり、霊魂などを表すみたいで、海や山な
どで不遇に死んだ人の霊をミサキっていいます。
多分、江戸時代だと思うのですが、こう言った霊などを7つ集め
て祀る風習から「七人みさき」が生まれたようです。基が事故な
どで死んで浮かばれない霊ですので、神としても祟り神だった
ようです。


77、Re^2: 出雲、「かたばみ」、woodsorrel@tcn-catv.ne.jp、1999/09/14 (火) 09:38

≫私は「国譲り」は弥生時代ではないかと勝手に思っているのですが、

私も記紀で書かれる国譲りの源はBCゼロ以降と考えています。
倭国争乱はBC150あたりからAD250頃まで400年にわたって何度も繰り返されており、国譲り伝承はそのうちのターニングポイントとなった戦を美化したものと見ています。
7章で書いた饒速日とナガスネヒコの空想はそのなかでの平穏時期のひとコマです(^^;
(魏志倭人伝にいう倭国争乱はほぼ最終決戦(^^;)

出雲が「クニ」の形をなしていたかどうかは別にして、「初期の出雲」の中枢が「現在の出雲」にあったのかどうか。
「集団」の運営にはなにはともあれまずは食料確保が第一のはずで、有力な集団であればその拠点が食糧確保に不利な地域にあったとは考えにくいです。「土地を譲らない」限りは。
また大国主命に多数の別名があるのは長い時代に渡って複数の大国主命がいたからに他ならないとも考えています(スサノオの子でもあり6世孫でもある由縁です)。
大国主という名は文字の通りに国の主を意味する称号で固有名詞ではないというわけです。
で、大物主とは国がなくなった大国主・・(^^;

かたばみ

>


76、Re^4:はじめまして!、「かたばみ」、woodsorrel@tcn-catv.ne.jp、1999/09/14 (火) 09:35

パソ通ではニックネームをハンドル名と呼びますけど、古代で遊ぼの文章ではペンネームを別に使いました。
キーボードだからキーネームかなあ(^^;

≫中国の古い時代から始めようと思って国の変遷地図が載った資料を探しています。

中国歴史文化事典/新潮社に春秋から清に至る9葉の概略地図が載っています。
春秋戦国時代には山東半島を切り離すような長大な城壁があったようで興味深いです。
古文献で困るのが地名です。それがどこにあるんだかわからないので(^^;

≫騎馬民族がよく行う「神前会議」説が面白いなと思っています。

よ、うちのムラにきてくれそうな娘っこはいないかね。
おお、いるぞい。働きもんだぞ。総代にとりもってもらおうか。
縁結びも重要な用件だったでしょうね。
騎馬民族の場合は定住しないので集会は後々まで重要さを保ったと思いますが、定住の農耕社会ではそこまでの重要さはもたなくなり、また中央集権国家の一部となればその意味もなくなって、次第に神様の集会といった抽象的な伝承に置き換えられていったのではないかと思うのです。
伊勢にも神様が集まるという伝承があったようですし。

かたばみ
75、Re^3:出雲 、「s-tan」、」、、1999/09/13 (月) 13:15

出雲、特に大社から美保にかけての内海につながる砂浜は、対馬海流と半島からの玄関として砂浜が最適な船着場であった時代の便利で大きな港であった筈です。
神を統合するよな「宗主国」ほどでもなく便利で大きな港を求心とするような、ゆるやかな連合、だったのでは。
朝廷のこだわりは(国造が後世まで残るのは宇佐と出雲でした?)その方が朝廷にとって都合が良かったからでしょうね、朝廷と地方への税で出雲の民はたいへんだったようです。玉造部の直轄しない玉造が後まで残ったりしますね。

>ただ、なぜ大国主が大物主になったのかはちょっと納得いかないのです^^;。 #この納得がいかれない、部分をもう少し詳しくお願いできますか。
あまたの仏が仏陀・大宇宙の化身であるように、神々も同体異名があり。言葉の意味・形・音の類似、神の逸話の類似などから”=”になることが多いですから。

出雲の神在祭は、祭事などから「大きな葬式」ですね。

74、Re^2:大黒天と大国主命、「s-tan」、」、、1999/09/13 (月) 13:14

狐近さん こんにちわ、

>「七人みさき(漢字忘れました^^;)」ご存じではありませんか?
>水の祟り神らしいのですが、「みさき」には「魂」の様な意味も
>あるのかなぁと、不思議に思ったことがあるのです。
#読み返してましたらこの「七人みさき」おもしろそうで^^。水の祟り神とかどんな類の本?でしたか。ご質問の内容からすると地域限定の特殊なものではなさそうですが。。
「七」というと、七葉窟とか七支刀が浮かぶのですが。

>


73 Re^2: 出雲 、「狐近」、 makisi@ma2.justnet.ne.jp、1999/09/11 (土) 23:07

また続きです。すみません^^;;。
> 同じ事が8世紀に行われ、大和の勢力がおよぶにつれ
> 地域の神々も記紀のソレに塗り変わっていったのだと思います。
それは多分、いつの時代にも行われていたのではないでしょうか。
ある地域を征服して共同体を支配することは、その地域の「神」を
支配することに繋がると思うので。
例えば「天孫降臨」の時や「神武東征」の時などに。
古い時代ほど、王は背後に「神」を従えていたと思うから、
やっぱり地元の神を認めるわけにはいかなかったと思います。
ただ、抹殺するわけにもいかなかった。
その片鱗が神社に並祭されている神だったりするのではないでしょうか。


72、Re: 出雲。、「狐近」、 makisi@ma2.justnet.ne.jp、1999/09/11 (土) 23:05

s-tanさんこんにちわ。
> 今の島根に出雲と言う大国があったとは思えないのですが
大きな国家としてではなく、「宗主国」のような存在としては
どうなのでしょうか。
なんだか、天神の勢力が あれ程までにこだわった理由が
何かあるのではないかと思うのです。
私は「国譲り」は弥生時代ではないかと勝手に思っているのですが、
(隠岐島の黒曜石をバックに栄えたのが縄文時代ではないでしょうか。)
古墳時代にも 出雲は独自の文化を持っていますよね。
その点が気になります。
気になることと言えば、風土記では「スサノオ」の表記が
皆違うんですよね。
> 文献に残る崇神あたりの出雲と8世紀の出雲は
> 中身が違うのではないかと。。
なるほど!そうかも知れませんね。
ただ、なぜ大国主が大物主になったのかはちょっと納得いかないのです^^;。


71、Re^3: はじめまして!、「狐近」、 makisi@ma2.justnet.ne.jp、1999/09/11 (土) 23:02

かたばみさんへ。続きです^^;。
神無月に関しては、「イザナミの命日」ということもあり、
騎馬民族がよく行う「神前会議」説が面白いなと思っています。
村どうしの領地争いや 政略結婚の相談事などを
族長が集まって 神前で平和裏に行う習慣だそうです。
その祭りの最中物忌みし、鳴り物や刃物を禁じるというのも
気になります。
ただ、その習慣が出雲の習慣と言うだけでなく
有名なものが伝承として残ったというご意見にはなるほどと思いました。
勉強になりました。ありがとうございました。

雷、大変でしたね。これからも頑張って下さい!

70、Re^2: はじめまして!、「狐近」、 makisi@ma2.justnet.ne.jp、1999/09/11 (土) 23:00

かたばみさん 初めまして!
かたばみさんと川上さんって同一人物なのですか?
それじゃぁ私、川上さんにレスを頂いたのですね!うれしいですー!

変遷図、ずっとああいうのが見たかったので。
しかも、鬼界カルデラ爆発や洪水なんかもあって すごく感動しました。

> 古田説などいろいろな説や考え方があっても確定ではないのが古代の面白いところ> だと思います。
ありがとうございます。私も自由に勉強していきたいと思います。

本に関しては、本当に色々な物を参考にされているなぁと感心しました。
とりあえず 中国の古い時代から始めようと思って国の変遷地図が載った資料を探しています。 それが手に入ったら 司馬遷の史記は読もうと思っています。
どうやら学生の頃の資料がどこかに行ってしまって^^;。


69、Re: 雷。「s-tan」、、1999/09/11 (土) 22:01

復帰おめでとうございます。お疲れさまでした。
こちらもモジュラーの分岐リレーがやられてました、電話の発信が出来ない状態だった。^^;

ところで、「かたばみ」さん = 「川上しのぶ」さん ってopにしてませんね、まだ^^;
川上しのぶ さんはペンネーム、かたばみ さんはHNです。> all


68、出雲、「s-tan」、、1999/09/11 (土) 22:00

 出雲も難しい、ほんとですね。
今の島根に出雲と言う大国があったとは思えないのですが、出雲系としての広がりは見逃せないですね。
地理的には吉備から山越えして須佐とそれに続く港としての今の大社辺り。吉備とのつながりがあまり見られない内海が後まで残った美保から国造の本貫意宇郡神魂辺り。
丹後−福知山−奈良出雲、奈良出雲と京都カモ出雲。。文献に残る崇神あたりの出雲と8世紀の出雲は中身が違うのではないかと。。
記紀以前と言うか、文献が残された以前とその後の流れが素直につながらなく、なかなか納得が行かないところ、やはり改竄というか隠蔽工作でしょう。

「神々の明治維新」は、明治政府は何をしたか、権力への阿諛追従がなにを起こすか、などが主だったと思います。
同じ事が8世紀に行われ、大和の勢力がおよぶにつれ地域の神々も記紀のソレに塗り変わっていったのだと思います。

>


67、雷 、「かたばみ」、woodsorrel@tcn-catv.ne.jp、1999/09/10 (金) 18:25

先月末に雷でパソコンがやられてしまいました。
頭上通過中に近所の八百屋で雨宿りしていたんですが、店内でバシっという放電音が聞こえてこりゃいかんと思ったんですが、案の定帰ったら画面が青くなってなんたらかんたらで停止しましたのメッセージ(^^;
マザーボードまでやられていました。修理に1週間、雷は保証が効かずに有償、がっくり。

幸いHDは無事でしたがCATVのモデムも壊れたようで、交換に来た人の話では他にも近所でパソコンやられた人がいたそうです。
後日「雷の時はコンセントとケーブルを抜いてください」のメッセージがはいってました。
後日の雷雨ではCATV本社?が洪水で水浸しになったらしくTVが写らずインターネットも丸1日不通になったですけど(^^;
洪水は別にして、近所に落雷すると雷が地面を伝って電線のアースライン経由でバシッとくるようで、少々の防御策では止められないようです。
エアコン故障で電気屋さんも大忙しだったようで、みなさまご注意ください。

かたばみ

66、Re:はじめまして!、「かたばみ」、woodsorrel@tcn-catv.ne.jp、1999/09/10 (金) 18:12

狐近さん、こんにちは。
踊り狂っていただけたとは、私も踊っちゃいます(^^)

古田説などいろいろな説や考え方があっても確定ではないのが古代の面白いところだと思います。
どんどん自分の説を打ち出せますし(^^;
どんな本がというご質問がありましたが、私のはむちゃくちゃの手当たり次第です(^^;
それらの内容のうちの考え方とそのバックデータを頂戴して自分の方法で展開しています。
展開してるうちにたいて寝てしまいますけど(^^;

中国の古代史でしたら、まずは司馬遷の史記じゃないでしょうか。教科書ではないですが自分なりのデータがたくさん貯まると思います。枕にもなります(^^;

神無月のベースは村々のオサの集会だろうと思っています。
うちの村じゃこんなだったが、おめーんところはどうだい、なんて情報交換の場ですね。
村々での収穫祭りが終わり農閑期で冬になる前の遠出しやすい季節にやるわけです→10月(^^;
祭祀場など大勢がはいれる場所が集会場になったと思いますが、そのうちの勢力の大きいところが有名になって、出雲に代表させて神様が集まるといった伝承に変わっていったんだろうと考えています。

かたばみ

65、Re:ごぶさたしております、「かたばみ」、woodsorrel@tcn-catv.ne.jp、1999/09/10 (金) 18:06

ももすけさん、おひさしぶりです。
変遷図はいたっておおざっぱですが、喜んでいただけてうれしいです。
500Kバイトもあるのでアップするのにちょっと迷ったです(^^;
レリーフ地図が下地でなければうんと小さくできるんですが、この方がずっと空想のイメージがわきやすいのでレリーフにしました。
もし洪水がなかったらとか鬼界カルデラが爆発しなかったらなんてシミュレーションを含めた形に発展できたら最高、RPG感覚(^^; 古代環境データや発掘物などを含めた巨大なバックデータがいるとは思いますけど。

かたばみ

64、Re:月読神、「かたばみ」、woodsorrel@tcn-catv.ne.jp、1999/09/10 (金) 18:00

> 今日は縄文の神々の所拝見しました。丹後に老人嶋明神をまつる祭りがあります。
> この神は若狭から鳥取まで崇拝されていたという。海部直の祖先の天火明神と
しうちーさん、こんにちは。
現在に伝承される西日本の古い神様の多くに三苗が関係しているだろうと推測しています。
それ以前の縄文の神々がどういう形だったかはもうわからなくなっているんじゃないかなあ。
弥生文化の影響の少なかった東北などには原型が残っているかもしれませんけれど、西日本とはまた違う形態だったかもしれないですね。

西日本と東北や中部山岳との接点にある老人嶋明神という神様は興味深いです。
(このころの遠隔地との交易路はほとんど海と川だけと見ています)
ある時代において若狭湾は琵琶湖を経由して大阪(穀倉地帯)へ至る出雲の唯一の生命線になっていたとにらんでいるんです。

かたばみ

>


63、Re:杵築社・神在祭、「狐近」、makisi@ma2.justnet.ne.jp、1999/09/10 (金) 15:50

s-tanさんこんにちわ。
出雲も難しいですね。神無月や「大国主」系統の神社の分布を調べれば、
弥生時代までの出雲勢力の分布が分かるのかと思ったら
そうはいかないのですね。
「神無月」が暦の名として朝廷で使われるようになったのは
やっぱり平安時代ぐらいなのでしょうか。
だとしたら、「出雲勢力」の力と言うより
やっぱり民間の風習を朝廷が取り入れたという形なのですね。
普及が江戸期だとしたら尚のこと。難しいですね。
勉強になりました。ありがとうございました。
神仏分離の本、頑張って読んでみます。


62、Re:大黒天と大国主命、「狐近」、makisi@ma2.justnet.ne.jp、1999/09/10 (金) 15:49

千夜さん 初めまして。レス、ありがとうございました。
そうですか。なるほどそれで六福神が七福神になった経緯が分かりました。
室町時代なのですね。勉強になりました。ありがとうございました。
HP伺いましたが すごーくすごーく面白かったです♪
あ、出雲で四拍手と言う話は、私も読んだことがあります。
確か、日本で二神社しかやっていないのですよね。
もう一つは九州の宇佐でしたっけ?

TRPG、面白そうですね。
私もそれ系はとても好きなのですが、奈良以降のことを
ほとんど知らないもので^^;。
あ、そういうことにお詳しいのでしたら
「七人みさき(漢字忘れました^^;)」ご存じではありませんか?
水の祟り神らしいのですが、「みさき」には「魂」の様な意味も
あるのかなぁと、不思議に思ったことがあるのです。


61、Re:大黒天と大国主命、「s-tan」、  、1999/09/10 (金) 01:41

千夜さん、ありがとう。

 大黒天ほぼ大国主は西宮ゑびすの夷三郎の影響で室町時代ですか、商業的からとすると西宮ゑびすというは納得できます^^。
仏が絡んでくると殆ど分からない^^;今後ともよろしくお願いします。


60、杵築社・神在祭、「s-tan」、 、1999/09/10 (金) 01:40

狐近(ここん)さん
神仏習合・密教あたりは千夜さんのhpがおすすめです。

明治の神仏分離は、安丸良夫・神々の明治維新・岩波新書'1979、がよくまとまっていて手頃です。

佐太社はなかなか面白いですね。
杵築社は、大同(710)前後に元出雲の大物主が出雲築きに移り、その後朝廷の尖兵(開拓者)として各地に散った、出雲に縁有る社名をつけている。のがひとつ。
鎌倉以降、特に近世に入り御師が江戸以西を重点的に回っているので、これがひとつ。と思います。

>700年過ぎと言うことは、その時期にはもう大国主が大国様になっていたりするのですか?
#この大国主→大国様と杵築の700年過ぎとのかかわり、の意が分かりません^^。
えー続きは、長くなりますので [投稿・雑談] にupしました。




59、大黒天と大国主命 、「千夜」、chiya@sunbit.or.jp 、1999/09/09 (木) 11:44
 http://www.sunbit.or.jp/chiya/index.htm

> 初歩的な質問かも知れませんが、大国主・言代主が七福神になる経緯は
> どのように考えられているのですか?
> 確か中国では「六福神」で恵比寿はいないと聞いたことがあるのですが。

管理者のs-tanさんを差し置いて、レスするのは気が引けましたが、
この手を取り扱った(主に退魔もの)ページを付くっております
千夜と申します。よろしくお願いいたします。

えっと、デジタル平凡社の世界大百科辞典によりますと、大黒天が
神仏習合ともに大国主とみなされるようになったのは、室町時代だ
そうです。これは西宮で祀られている〈夷三郎〉が大国主神と事代
主神の二神のことであったものが、夷三郎を事代主神1神としたと
ころから、大国主神として大黒天が加えられたものが大きく影響し
ているようです。これが室町時代の商業の発展と共に福の神として
広まっていったようです。


58、Re^4: 質問です。、「狐近」、makisi@ma2.justnet.ne.jp 、1999/09/09 (木) 09:32

ええっと 続きです。

杵築社はたくさんあるのですか。武蔵野市の杵築社は江戸時代に持ってきた
ものだそうですが。祭神は忘れてしまいました。
700年過ぎと言うことは、その時期にはもう大国主が大国様になっていたりするのですか?
10月を「神無月」という風習はいつ時代のものなのでしょう。

初歩的な質問かも知れませんが、大国主・言代主が七福神になる経緯は
どのように考えられているのですか?
確か中国では「六福神」で恵比寿はいないと聞いたことがあるのですが。

長くなって済みません


57、Re^3: 質問です。、「狐近」、makisi@ma2.justnet.ne.jp 、1999/09/09 (木) 09:31

s-tanさん こんにちわ。
(狐近は、「ここん」とお呼び下さい。)
>20分後にres戴けるとは思ってもおりませんでした^^。
あ・・書き込み直後の物を見られてしまったのですね^^;。
文章が変で 何度か書き直したのに^^;;。

川上さんの復帰、心待ちにしています。

あと、文献のこと 参考になりました。ありがとうございました。
小さい子供がいるのでなかなか行けないのですが、
今度頑張って図書館に行って来ます。

神社のことですが、そういえば 明治時代にかなり事情が変わってしまっていましたね。
出雲大社の神紋は、柏ではなかったのですか^^;。
多分、佐太(でしたっけ?)大社のことが印象に残っていたので勘違いしたのです。
佐太大社では、毎年旧暦神在月(11月)に来る嵐で 打ち上げられたウミヘビを
イザナミ様の使いと言って奉納する習慣があるそうです。
ウミヘビの尾の模様が 柏紋に似ているほど慶ばれるそうです。
この地域では、榊の変わりに海藻のホンダワラを使うというのも興味深いですね


56、Re^2: 質問です。、「s-tan」、 、1999/09/08 (水) 20:26

えー文字数オーバーではねられまして、下の続きです。

出雲大社の神紋は亀甲に剣花菱が本殿の鬼板、大社の発行物に使われています。
奈良にも杵築社は意外にあります。hp掲載の生駒麓の杵築社の北・富雄川沿いにもありこの神紋も木瓜でした。
柏(三柏・三柏飾り蔓)紋は、有名どころでは西宮ゑびす、出雲日御碕社・須佐社、奈良大神社近くの恵比須神社、和歌山粉河寺の蛭子社などですが、滋賀と淡路の多賀も柏のような気がします。祭神としては蛭子、伊奘諾、そのほか闇おかみ神を祭る意賀美社などにも柏が見られます。
途中の勧請を除いて全国の杵築社は700年過ぎの出雲が朝廷の手兵として動いた時期、柏からみはそれ以前からではないかと思ってます。

質問ですが^^。狐近さんは、なんとお呼びすればよろしいですか


55、Re: 質問です、「s-tan」、 、1999/09/08 (水) 20:12

狐近さん こんにちわ。20分後にres戴けるとは思ってもおりませんでした^^。

中国の(に限らないのですが)古代史は殆ど不案内です^^;
川上さんが、7章up後パソコンのハードトラブルで現在潜っておられます。近々復帰されますのでお待ち下さい。

私が川上さんの連載を読む時など参考にしているのは。
講談社文庫、沈舜臣、中国発掘物語・同じく続中国発掘物語。
三笠書房、綿引弘、<人物扁>世界の歴史がわかる本、古代帝国の誕生〜ヨーロッパ扁。
歴史と旅増刊号90、中国歴代皇帝伝、H10.1発行、\1300-。
など、です。

現在、神社は200社弱upしてますが写真はその倍以上あります。大阪近郊は町内会毎に式内社があり一気に増えました、でもなかなかまとめられない。^^;
神紋は由緒が明確なものは少ないですね、宮司さんが替ると変ったり、細部は神社発行の印刷物でも結構違いがあります、まあ主祭神も替るのが良く見られますから。。


54、 質問です。、「狐近」、makisi@ma2.justnet.ne.jp、1999/09/08 (水) 14:24

中国の古代史(日本の弥生時代に至るぐらいの)を勉強したいのですが、
教科書のようなもので 割と最近出版されたものはないでしょうか?
手持ちの物が20年も前に出た物なのです。
もしお奨めの本がありましたら教えて下さい。


53、Re^2: はじめまして!、「狐近」、makisi@ma2.justnet.ne.jp、1999/09/08 (水) 14:19

s-tanさん こんにちわ。
ありがとうございます。
それでは、これからも遊びに来させて頂きますね。

神社の写真 たくさん撮っていらっしゃってすごいですね。
ところで、奈良にも「杵築社」があるんですね。
神紋は木瓜の様ですが、出雲大社(杵築社)は、柏紋なんですよね。
確か、東京都武蔵野市で見かけた杵築社は、柏紋だったと思います。
どういう流れなのか興味深いですね


52、 Re: はじめまして!、「s-tan」、 、1999/09/08 (水) 13:53

狐近さん ようこそ。

>川上さんの文章、すごく興味深いです。
>変遷図、すごいですね!
#そうなんです。言葉がでない状態です。特に河内湾−河内湖の変遷をまとめようと思いながら手付かずの私としては^^;

>私はどちらかというと「古田武彦説」に傾いてますが
#歴史、特に古代は絶対はなく断定はできないと思います。排他的な論を時折見かけますが、見て来たの?当時を実体験したの?、など思ってしまいます^^。いかに通説が変更されているか歴史の常識ですね。
古田氏は良く読んでいませんが何冊かありますし、吾郷清彦・佐治芳彦、山根キクのキリストは日本で死んだ、なんてのもあります。
ということで排他的(独善)でないのが「古代であそぼ」です。
アソビは3位以上の労働しないで遊んで暮らせる、といった意味がどうも最初らしいですが、ココではオキラクにといった感じです。
神社の写真などの一部しか出してませんのでお気楽にご質問など、どうぞ。


51- 仁徳・金刀比羅、「s-tan」、 、1999/09/08 (水) 13:51

仁徳、続きが読みたくて時々、http://www3.justnet.ne.jp/~east_harima/
へ伺うのですが^^;。
でもあそこまで調べると身近に情報が来た時には捕まりますね。

金刀比羅はテレビ等で見ていましたしたが、やはり行ってみると違うものが見えますね。境内社があれほど多いとは知らなかったですし奥之宮は磐座というか山で、修行の方が何か唱えているのでちと聞いていたら、中臣祝詞と般若心経だった。あと3月のせいか若い女性のグループがめだっておりました。
北に大麻神社がありましたが、ここも調べると面白そうな所です。金刀比羅辺りは古くは内海が近くまで来て山全体が鉱山だったような気配です。


50、はじめまして!、「狐近」、makisi@ma2.justnet.ne.jp 、1999/09/07 (火) 20:12

こんばんわ。はじめまして。
民俗サイトを探していたらたどり着きました。
神社好きです!民俗好きです!
歴史は日本の縄文・弥生辺りが好きで、
奈良以降のことはほとんど分かりません。

川上さんの文章、すごく興味深いです。
変遷図、すごいですね!
あんまりうれしくて、PCの前で踊り狂ってしまいました。

私はどちらかというと「古田武彦説」に傾いてますが
それでも良ければお友達になって下さい!
それでは。

49、Re^2: ごぶさたしております、「ももすけ」、momosuke@geocities.co.jp 、1999/09/07 (火) 16:43
 http://www3.justnet.ne.jp/~east_harima/

ええっと、仁徳取材は全くすすんでません(^^;
なにやら怪しげなことに色々首を突っ込んでいると
なかなか時間がとれなくて・・・

金刀比羅宮って色々な神様がまつられているんですね・・・
私も2回ほど行ったことがあり、ファンなのですが
どんな神様がまつられているかとか
何も知らずにお参りしてました(^^;
なんか、上に上がるだけで満足してしまって・・・
次回行く時はもっとちゃんと見てこよう!
写真特集、よい勉強になりました!


48、Re:ごぶさたしております、「s-tan」、 、1999/09/06 (月) 19:53

こんにちわ 桃助さん。
「変遷地図」すごいの一言で、なかなか感想を書けずにいます。かなりの時間がかかった筈です。何人かで手分けして細部を作成すると十分売り物になると思います。日本初かな
久しぶりと言わずに、ちょくちょくおいで下さい。ももすけさんが見えないと何かさみしい^^。
ところで仁徳のその後、なにかありましたですか。


47、表札、「s-tan」、 、1999/09/06 (月) 19:52

やはり、大名屋敷には表札がなかったのですね。そういえばテレビなどでみる長屋も屋号らしきものはあっても人名は見かけないですね。

>地獄は、「名前+生年月日」で個人を識別しているみたい
>です。(爆)
#和合法というと和合しか思い浮かばない^^。修験の和合法ってのはどんなものなのでしょう。
名前をだして”良い”ことはないのかしら。。


46、ごぶさたしております、「ももすけ」、momosuke@geocities.co.jp 、1999/09/04 (土) 12:40
 http://www3.justnet.ne.jp/~east_harima

こんにちは
久しぶりにあそびにきました(^^;

インデックス等、少し感じがかわりましたね
「変遷地図」感動のあまり、しばしみとれてしまいました!
「降臨、神話と歴史のはざま」じっくり拝読させていただきます 
久しぶりに来ると、新しい見所がたくさん(^^;
ゆっくり遊ばせていただきます!!  


45、Re^2: おひさです、「千夜」、chiya@sunbit.or.jp 、1999/09/03 (金) 10:13
  http://www.sunbit.or.jp/chiya/index.htm

> 大名屋敷には表札が無かったらしい。(ホントカナ。)

それは同じことを聞いたことがありますョ
時代劇で、大名屋敷に表札がかかっているのは間違いで
間違いなのは判っているけど、見る人に判りやすくする為に
掛けたって話をきいたことがあります。

人を呪う厭魅や、修験道の和合法などでは、名前と生年月
日を記載するそうですし、日本霊異記には、地獄の鬼が買
収されて、目的の人の変わりに、その人と同名で同じ生ま
れの人の魂を代わりに持っていく話があります。

地獄は、「名前+生年月日」で個人を識別しているみたい
です。(爆)


44、 Re: おひさです、「s-tan」、 、1999/09/02 (木) 21:22

名前について調べたことは無いのですが、神武などはどう呼ばれていたのか、考えると面白いですね。川柳に「神武とはオレのことかと神武言い」というのがありますが、実にするどいですね。
考えてみると、名前なんてのは税金をしっかりとられる以外にそれ程しっかりしたものは必要無いのかも^^。
大名屋敷には表札が無かったらしい。(ホントカナ。)
本名を知られると「魂をとられる」というのが古く考えられていたらしいし、たしか西遊記にもらしき状況があったですね。


43、おひさです、「千夜」、chiya@sunbit.or.jp 、1999/09/02 (木) 10:03
 http://www.sunbit.or.jp/chiya/index.htm

天皇一覧を見ました。普通、知っている神武や推古などの読み以外に、名や亦名なんて
あるんですね。ここはいつきても勉強になります。


42、連絡、「s-tan」、 、1999/08/20 (金) 05:29

いらっしゃいませ。 連絡^^;です。

その1、出雲・美保神社の写真、upミス修正しました。
その2、【神社探訪】にフレーム版を追加しました。


41、Re^4: 月読神、「s-tan」、 、1999/08/16 (月) 23:42

しうちーさん こんばんわ

お手数おかけします。hpお邪魔しました。
しうちーさんのhp他の場所もじっくりと拝見してから質問などさせて頂きます。


40、Re^3: 月読神、「しうちー」、shihide@muc.biglobe.ne.jp 、1999/08/15 (日) 20:16
http://www2s.biglobe.ne.jp/~shiuchi/kodaimemo4.html

私の関係だけですが、今UPしておきました。
こちらのアドレスからリンクできます。
関係しない部分は記載していませんので
具体的な質問あれば教えていただければ
書かせてもらいます


39、Re^2: 月読神、「しうちー」、shihide@muc.biglobe.ne.jp 、1999/08/14 (土) 19:36
 http://www2s.biglobe.ne.jp/~shiuchi/hidemokuji.html

梅原氏の連載記事だけですが少し短くまとめてページにします。
お時間下さい。また連絡します。


38、Re: 月読神、「s-tan」、 、1999/08/12 (木) 21:54

しうちーさん いらっしゃいませ

若狭から鳥取まで崇拝されていたという、老人嶋明神。越と出雲のあいだの地域での神、もう少し詳しく教えて戴けませんか。

神社伝承などを追っていると秦氏にあたることが多いですね、千年以上の歴史のなかの位置を考えると単に新羅渡来だけでは捉えきれないモノを感じています。


37、月読神、「しうちー」、shihide@muc.biglobe.ne.jp 、1999/08/11 (水) 04:21

今日は縄文の神々の所拝見しました。丹後に老人嶋明神をまつる祭りがあります。
この神は若狭から鳥取まで崇拝されていたという。海部直の祖先の天火明神と
凡海連の祖先の目子朗女神と言われています。冠島で祭りは行われ、梅原猛氏の
考えでは老人嶋明神は縄文の神という。こちらでは漁業の神はいないと書かれて
いましたがこの神ではないかと推理します。
月読神社というのが京都・松尾神社の近くにあります。ここは松尾神社より古く、
帰化人豪族の秦氏の一族が守っていました。出雲の神とも関連があり、丹後とも
密接な関係が神社も秦氏もあります。
私は秦氏を追いかけている者で、特にその辺が興味を持ちました。

 
36、Re: 暑中見舞いありがとうございました、「s-tan」、 、1999/08/08 (日) 23:47

暑さもそろそろ。。お盆・渋滞・花火ですね。

35、暑中見舞いありがとうございました、「千夜一葉」、chiya@sunbit.or.jp 1999/08/03 (火) 10:05

遅ればせながら、暑中見舞いありがとうございました。
これからも宜しくお願い致します


34、Re: 素敵な写真ですね、「s-tan」、、1999/07/29 (木) 21:21

meguさん お久しぶりです。

そちらで熟睡できない夜とは。。蝉とか蛙でしょうか^^。
こちら、暑さ慣れというか暑さボケしているようです。
昔のネガをスキャナーで取り込んでいたら、暑中見舞に良さそうなのを見つけました、北海道・支笏湖の湖畔公園内の絵です。

 桃助さん

 いかがですか播磨の夏は、大坂よりは過ごしやすそうですが。
怪しげな用事でご多忙とは、なにか面白そうですね。


33、Re^4: moonさん ようこそ、「s-tan」、、1999/07/29 (木) 21:19

moonさん

塗替え、ってのは。今でもよく使われる「庶民の総意」とか「国民の総意」とか。オカミが使う「改善」で国民の負担が少なくなったってのを聞いたことが無い ^^;。
いつからオカミ:ソノタはこうなのかってのを追っていくと古代までいってしまう。どうも文献が残る以前から。。というのが今のところ分かった事なんですが。。

神社の撮影は、本殿屋根・千木・鰹木・鳥居を入れるとか、ですが。薄曇、小雨、雨上がりに当たると良い絵が撮れます。
最近は殆どデジタルですが、アホなフルオートですのでメモ替りと割切らないと大変です。逆光の場合はカメラに直射が当たらないように立木か何かの影に入れるとか、被写体の上の空に樹とか手前の屋根などを入れるとか。フィルム以上にデジタルは露光差に余裕がないですから。
写真については話せば長くなりますのでまた槁を改めて


32、素敵な暑中見舞い、ありがとうございます、「桃助」、momosuke@geocities.co.jp 、1999/07/28 (水) 09:58
 http://www3.justnet.ne.jp/~east_harima

素敵な暑中見舞い、ありがとうございます
最近、怪しげな用事で多忙にしており
(知識が乏しく話についていけないからとの説もありますが・・・)
投稿や書き込みから遠ざかってしまいましたが
皆様の興味深いお話、楽しみに読ませていただいております(^^;
これからも興味深い話題、楽しみにしております!!


31、素敵な写真ですね、「megu」、megu@hechima.co.jp 、1999/07/27 (火) 22:42
 http://www.akina.ne.jp/~yosiki/

こんにちわ。
私を忘れないでくださって、ありがとうございます。
こちら、一気に真夏となりました。
熟睡ができない夜・・・・が続いております。


30、Re^3: moonさん ようこそ、「moon」、moon@geocities.co.jp 、1999/07/26 (月) 23:32
 http://www.geocities.co.jp/Milkyway/7073/

s-tanさん
> 長いモノは雑談コーナーへぜひおこし下さい
了解しました。

> 塗替えは、というより見る立場を変えると(朝廷:民・敗者)全く違う理解ができると思います。
> 明治期に天皇陵の比定、神社の改変(改竄)が大きくされましたが、同じ事は日本書紀の編纂された頃にも全国的に行われていたと確信しています。
この辺りのことを、ぜひ詳しく伺いたいと思います!

ところで、神社の写真撮影のコツなどありますでしょうか?
昨日神社の画像をUPしたのですが、午後3時過ぎに撮影したためか、逆光になって
しまい、色の補正などにかなり苦労しました


29、Re: 牛嶋神社その後、「千夜一葉」、chiya@sunbit.or.jp 、1999/07/26 (月) 15:47

s-tanさま、かたばみさま、ありがとうございます。
まさか、これほどまで話が進むとは思ってもいませんでした。(^_^;)
祇園の牛頭天王関係とは驚きです。おっしゃるとおり、牛頭天王は神仏分
離でスサノオウ化するのですが、牛嶋神社が牛御前のまま残っているのが
面白いですね。

私の拙い知識ですと、このインドの牛頭天って中国に渡ると、地獄の獄卒
牛頭(相方は馬頭)になるんですよね。そして、日本ではそれは妖怪「牛鬼」
を生み出す元にもなったんですよね。


28、Re: 一発書き込みできました、「s-tan」、、 1999/07/25 (日) 21:43コピー&ペースト、了解^^。
ところで現在メモ帳使ってますが、エデターでdos時代のFEDとかに近いwin用のフリーソフト、お薦めありませんか。
scanreg/fix やってみました^^。


27、一発書き込みできました、「かたばみ」、woodsorrel@tcn-catv.ne.jp、 1999/07/23 (金) 22:44

コピーアンドペーストできました(^^)
書き込みエリアで右クリックするとでてくる「貼り付け」を左クリックすると、エディタなどで書いてコピーしておいた全文(バッファ内データ)がズドンと一発で書き込まれました。
これでオフラインでのんびり書いておいた文章をアップできます。
500文字オーバーでも修正は容易(^^)

かたばみ


26、牛嶋神社その後、「s-tan」、、 1999/07/23 (金) 22:18

千夜さん、皆さん。
牛嶋神社、雑談コーナー で雑談してます


25、Re: お引越し広告しておきました、「s-tan」、、 1999/07/23 (金) 22:16

田畑さん こんばんわ
変更お手数おかけしました、ありがとうございます。
俳諧の世界は(も^^;)うといのですが、川柳では「神武とは俺のことかと神武いい」なんてのが好きです。


24、お引越し広告しておきました、「田畑益弘」、masuhiro@miyavision.ne.jp 、1999/07/22 (木) 23:25
 http://www.miyavision.ne.jp/user/masuhiro/

ご無沙汰してます。お元気ですか?
私の掲示板で、HP引っ越されたこと、広告しておきました。御覧下さい。
また、こちらのBBSにも是非御出で下さい


23、Re: ホームページ創りました、「s-tan」、、 1999/07/19 (月) 19:04

お久しぶりです。ヤマトタケルさん

天皇陵というのは、写真で表現するのが難しいと思いますが、ヤマトタケルさんから看られた天皇史、できれば陵周辺の神社なども取扱い戴けるとうれしいです。

「山稜会」の益々のご発展をお祈りします。

ps:リンクしましたので、ご確認下さい。


22、Re: おはつです、「s-tan」、 、1999/07/19 (月) 19:02

いらっしゃいませ 浅野さん。
はじめまして、という気はしないのですが、こちらでは始めまして^^。
 香春神社から宇佐、できたら鹿児島神宮あたりへも一度行ってみたい処です。

>お互い情報交換していければいいなと、勝手に思っております。
東北はじっくり回った事がありません。最北端といわれる式内社も浅野さんのhpで始めて参拝できました。
地元の良いところは、「?」が出た時に再度尋ねられることですね。情報交換、こちらこそよろしくお願いします。

ps:リンクしましたので、ご確認下さい


21、ホームページ創りました宜しく、「ヤマトタケル」、zpmasasi@d1.dion.ne.jp、 1999/07/18 (日) 01:42、
 http://www.d1.dion.ne.jp/~zpmasasi

皆様に感化され私もHPを創りました分野としては天皇史を少しづつ掲載していく予定でおります、PCは苦手の品物で何処までやれるか判りませんが宜しく。
皆様のリンク先の一つにお加え下さい今後とも宜しく


20、おはつです、「浅野勝洋」、asamasa@miyagi.email.ne.jp 、1999/07/17 (土) 22:40
 http://www.ne.jp/asahi/asamasa/shako/

リンク承諾ありがとうございます。
うちのほうのリンクは大歓迎です。ばんばんおねがいします。
香春神社についてはたまたま行っただけでそんなに深く考えているわけでは
ないのです。ただ古代史を考える上で神社の伝承、存在、場所などは
非常に大きな意味を持つものだという認識はあります。
仙台在住のためHPの中味は東北が中心になってますので
お互い情報交換していければいいなと、勝手に思っております。
今後ともよろしくお願いいたします。


19、Re^2: moonさん ようこそ、「s-tan」、、 1999/07/17 (土) 22:26

moonさん
500オーバーで弾かれましたか^^;。長いモノは雑談コーナーへぜひおこし下さい、メールで雑談分として送って戴ければ。。コノ掲示板は特にオフラインで使いにくいようですし。。

塗替えは、というより見る立場を変えると(朝廷:民・敗者)全く違う理解ができると思います。
明治期に天皇陵の比定、神社の改変(改竄)が大きくされましたが、同じ事は日本書紀の編纂された頃にも全国的に行われていたと確信しています。


18、Re^3: 牛嶋神社その後、「s-tan」、 、1999/07/17 (土) 22:24

千夜さん
牛嶋神社、面白そうなので図書館で探ってみたら。
鎌倉幕府編纂の「吾妻鏡」に、”建長3年(1251)3/6、牛のごとき妖怪が浅草寺に走り込み食堂に居合わせた僧50人の内、24人がたちまち長患いで起居進退不能、7人の僧は即死。”とあり。幕命で林大学らが文化7(1810)に起稿した「新編武蔵風土記稿」では”建長年中浅草川(隅田川)より牛鬼のごとき異形のもの飛び出し、嶼中を馳せめぐり。当社に飛び入り忽然として行方を知らず。時に社壇にひとつの玉を落とせり、今社宝・牛玉これなり。」とある。
浅草寺・牛御前社、本所・向島はどうも推古から孝徳の大化の改新あたりからの因縁がありそう。
 綱と頼光、広辞苑によると、道長(966ー1027)・綱(953ー1025)・頼光(?-1021)で同時代。頼光は攝津の受領などしてるし綱も攝津渡辺郷に居たから接点はあったんじゃないかな。

昨夜、鬼無里1・-5、hitできました^^。


17、Re: moonさん ようこそ、「moon」、moon@geocities.co.jp、 1999/07/17 (土) 14:58
 http://www.geocities.co.jp/Milkyway/7073/

先日書き込もうとしたところ、500字ギリギリかな?と思っていたら、オーバーしていて、見事に弾かれました。(^^;)
また同じことを書く気力がなかったので、ご挨拶が遅れてしまいました。m(__)m
リンクをどうもありがとうございました。お礼申し上げます。

> 倭建にかぎらず、伝承=すべて事実、ではないでしょうが、デキタその背景を考えるといろいろ推理できて面白いです。

推察することは、おっしゃるとおりとても楽しい作業です。
また、伝承が何百年もの間言い伝えられ続けてきたことは、事実です。その中には、
なんらかの真実も含まれていると思います。それを探っていきたいものですね。

今の疑問点としては、ヤマトタケル伝承と皇国史観の関連性ですね…。
現在残されている伝承が、どこまで皇国史観によって塗り替えられてしまったのか?その見極めが難しいところです


16、Re^2: 牛嶋神社その後、「千夜」、chiya@sunbit.or.jp 、1999/07/15 (木) 12:09

s-tanさま

>  牛御前・酒呑童子・茨木童子、鬼と綱・頼光おもしろそうですね。

 楽しかったですよ。単純な善悪基準じゃないから…。結局はある視点から
作られた物語なんですが、その視点を変えてみるとあたらな事実が判って
面白いです。
 茨木のななんて、もとは土蜘蛛の一種で、人間が土蜘蛛の巣にイバラを
入れて殺したことから、その地名になったとかなんていう伝承もあったり…

> 綱の父は21歳で死亡、父死後20日目に綱が生まれ、母は産後の肥立
> ちが悪くすぐ亡くなった。たいへんな生まれ方というか悲運ですね。

 これもかなり悲運ですね。頼光は平安中期道長の時代。綱は後期で、
現実的には接点はなかったんですよね。

>  昨夜24時頃、千夜さんのhp伺ったのですが、掲示板書きこみもでき
> ず、鬼無里1・−も見ようとして見れない^^;でした。。でわ、また。

 すみません。な〜んかうちのプロバイダー弱くって…。先週末、UPしようと
したら、弾かれてしまった。(泣く)
 また、お越しください


15、Re: 牛嶋神社その後、「s-tan」、 、1999/07/14 (水) 23:48

千夜さん
 牛御前・酒呑童子・茨木童子、鬼と綱・頼光おもしろそうですね。
綱の父は21歳で死亡、父死後20日目に綱が生まれ、母は産後の肥立ちが悪くすぐ亡くなった。たいへんな生まれ方というか悲運ですね。伯母の実家渡辺郷で成人したようで、坐摩神社の祭神は朝廷の守り神。渡辺一族は南朝について衰退し、頼光一族の賄賂体質とはちょっと違うようです。
 向島は牛の放牧の時代もあったのですか、牛嶋という名前だと近くに白山か白髭神社がありそうですね。浅草寺とは水油かな。
 昨夜24時頃、千夜さんのhp伺ったのですが、掲示板書きこみもできず、鬼無里1・−も見ようとして見れない^^;でした。。でわ、また。


14、moonさん ようこそ、「s-tan」、 、1999/07/14 (水) 00:58

いらっしゃませ moon さん

 ヤマトタケルと言えば神奈川にもいろいろ伝承があります。酒匂川上流の寒田神社とか、有名なのは鎌倉由比ガ浜あたりでの弟橘比売でしょうか。
倭建にかぎらず、伝承=すべて事実、ではないでしょうが、デキタその背景を考えるといろいろ推理できて面白いです。
「古代」であそぶのはよくできた推理小説を読むようなものだと思っています。趣味の世界です。ハイレベルなどおっしゃらずにお気軽に参加ご質問などください。
「月夜の道標」お邪魔しました、全体を流れるのは”ぽえむ”ですね。ちょっと古いですが星の王子さまの絵本、イメージしました。
 リンクありがとうございます。こちらからもリンクさせて戴きます。


13、牛嶋神社その後、「千夜」、chiya@sunbit.or.jp 、1999/07/07 (水) 10:04
 http://www.sunbit.or.jp/chiya/index.htm

s-tanさん
 色々な情報ありがとうございます。確かに綱の一族は東京に居たようですね。関連する地名も残っているようです。
ちなみに、というかやっぱしと言うか、牛嶋の牛御前を斬ったのも綱だそうです。
 伝説については判りませんでしたが、牛嶋神社は平安の頃から、向島の辺りが放牧地で牛が飼われていたとか…。神社はその関係で建っているそうで、いまでもJA関係者?が本当に熱心に拝みに来ていて、ちょっと驚いちゃいました。
 実は調べたのは、この関係をネタにして、TRPGのシナリオにしたかったからで、牛御前や綱、そして茨木童子や、酒呑童子まで絡めて楽しんだ次第です。


12、はじめまして!、「moon」、moon@geocities.co.jp 、1999/07/06 (火) 12:13
 http://www.geocities.co.jp/Milkyway/7073/

はじめまして。moon@月夜の道標と申します。
いつも興味深く拝見しています。
歴史に関しては好きというだけで、全くの素人なんですが、ページ内でヤマトタケルについての伝承などを取り上げています。(^-^;
記紀の時代にも興味があり、理屈抜きで神社という場所は、落ち着くので好きです。
みなさまのハイレベルなお話にはついていけませんが(^^;;、どうぞよろしくお願いいたします。m(__)m
それから、ヤマトタケルを扱っているコンテンツ内に、こちらのサイトをリンクさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?
もしよろしかったら、私のページもご覧になって下さいね。
ではでは!(^-^)/~~~


11、桃助さん、「s-tan」、、1999/07/04 (日) 23:32

ご確認、ご連絡ありがとうございます。おかげさまで修正することができました。
こんごともよろしくお願いします。

10、渡辺綱、「s-tan」、 、1999/07/04 (日) 23:29

>千夜さん
そういえば渡辺綱といえば、大阪坐摩神社だったと思いだし、ちょっと手近の本をくくって見たら。。ほとんどない^^; 向島・鬼の話は全くゼロ。どんな話でしょう?
綱の祖父仕は武蔵守で東京も所領の一部で鴻巣辺りに在任していたようですが。この頃なら東国の賊主・物部氏永が(901)に捕まっていますが、この氏永が(700)過ぎの物部君牛足と関係有るかな?逆に高綱、吉綱の江戸時代のことかなぁ。


9、Re: re:見えないファイル、「桃助」、momosuke@geocities.co.jp 、1999/07/02 (金) 09:12
 http://www3.justnet.ne.jp/~east_harima

こんにちは
「参:黄河初期文化」、「参:長江初期文化」、「参:中国と半島の始祖伝承」私のブラウザでも見れるようになりました。ありがとうございます(^^/

雑談コーナーもいろいろ教えて下さりありがとうございます。非常に興味深く読ませていただいております。教えていただく私の方の知識が乏しすぎて、ちょっとついていけてません・・・(^^;・・・ゆっくり勉強しながら読ませていただきます。これからも楽しみにしております。


8、千夜さん、こんにちわ。、「s-tan」、 、1999/07/01 (木) 21:24

 牛について調査ですか、牛は所々で引っかかるけれどまだ手付かずです。私のdatabase^^;で検索すると。
***
・神名帳山城国葛野郡の「大酒神社・元名大辟神」秦広隆寺境内。の祭に:祭神は後に「麻タ羅神またら」慈覚大師入唐の帰路、順風をマタラ神に祈り帰朝の後、叡山の西麓に祭り、後、当寺に分祀。牛祭りはマタラの祭礼とし頗る奇異なり」。明治20年祭文のマタラを諸神など、大黒天を大穴牟遅、道祖神を猿田彦に改め、甚だしい卑猥の句を削り、当社の祭りとして復興した。林羅山の本朝神社考で麻多羅神は伝教大師最澄が唐の青龍寺についたとき寺の鎮守の麻多羅神が現れたとあり、日吉大宮と同体とされる。境界神として賽ノ神・道祖神としての猿田彦的性格による。
・767,8,散位正7位上秦忌寸成、銭2千貫・牛10頭を献じ、外従5位下を授かる(続日本紀)
・稲荷の鳥居が赤いのは牛は五行説で赤、との説。
・川崎真治氏の「混成民族夫余説」で、四つの蓄とは、馬をトーテムとする種族-騎馬民族から王を出し。次に牛・豚・狗(犬)の四つのトーテムを祀る順位付けられた種族での社会秩序としている。
***
#ひっかかりました? 向島いいですね、折を見て。。


7、re:見えないファイル、「s-tan」、 、1999/07/01 (木) 20:36

連絡です。

桃助さんより見えないとご指摘のあった3つ(2つ)のファイルは、本日、ファイル名を変えて再度upしました。ご確認下さい。

対象のファイルは私のブラウザでは再upした新しい時間でのヒットがされてましたが、FTP上でおかしな所があったので、念の為、dionに確認。原因は論理明確な回答はなかったですが、結局、安全の為に対象ファイル名を「半角英数」に変更しました。
お手数ですが、よろしくお願いします。


6、雑談…牛嶋神社、「千夜」、chiya@sunbit.or.jp 、1999/07/01 (木) 12:19
 http://www.sunbit.or.jp/chiya/index.htm

ども。早速、雑談書込みです。この間、故あって東京の向島の牛嶋神社へ調査(?)に
行ってきました。それほど大きくないのですが、古くしっかりしたつくりで、また境内の
木々も立派で、都会の喧騒を忘れゆっくり出来ました。この牛嶋神社で祭られている
牛御前は、ある本で読んだのですが、源頼光の甥で牛頭の鬼がおり、父親に頼まれ
綱に命じてこの地で殺されたそうで、この事について何か情報を得られないかと現地に
赴いた次第なんですが、残念ながら未収穫でした。
境内には江戸時代に奉納された「なで牛」や、牛の狛犬?があったりと、「牛」関係は
多かったのですがね。


5、千夜さん、桃助さん、おはようございます。、「s-tan」、、

>千夜さん、ようこそ、お待ちしておりました。
こちらでも、よろしくお願いします。ココでは10行ほどしか書けない様ですので、
ぜひ、雑談コーナーの方もご利用ください。

>桃助さん、おはようございます。
神功、住吉というより、一つの神社を掘り下げるだけでライフワークになってしまい
そうです^^。兵庫、瀬戸内の住吉については地元での伝承など探索よろしくお願い
します。
舞楽のはなし、 雑談 にupしました。


4、引越し完了おめでとうございます!、「千夜」、chiya@sunbit.or.jp、 1999/06/29 (火) 10:10
 http://www.sunbit.or.jp/chiya/index.htm

引越し完了おめでとうございます。
これからも宜しくお願い致しますね。


3、Re: 引越し完了。。、「桃助」、momosuke@geocities.co.jp 、1999/06/28 (月) 08:53
 http://www3.justnet.ne.jp/~east_harima

こんにちは
この掲示板はスレッド表示や日付順表示が選べて良いですね。はじめは使い方がわからず少しとまどいましたが・・・あと、私のブラウザでは「参:黄河初期文化」「参:長江初期文化」「参:中国と半島の始祖伝承」へ飛ぼうとするとfile not foundとなるのですが、非常に興味をそそられるコーナーなので、見方を教えていただけるとうれしいのですが・・・(^^;

住吉さんは明石から播磨町、加古川にかけての海辺には非常にたくさんあり、このあたりでは最も馴染み深い神社なので、住吉さんについていろいろ教えていただけると非常にうれしいです。私も書紀の神功紀を少しづつ読んで勉強してますが、神功紀の研究だけでライフワークになってしまいそうな膨大な内容が・・・(^^;
「舞楽」、「奈良豆彦神社あたりとの関連」、「反(体制)の流れは脈々と続いていた」等のお話、もう少し詳しく教えていただけるとありがたいです。
これからも「古代であそぼHP」の充実と発展を楽しみにしています!


2、 引越し完了。。、「s-tan」、 、1999/06/25 (金) 20:44
 掲示板までようこそおいでくださいました。
 引越、ほぼ完了しました。何ヶ所かjump先の変更忘れがありました^^;まだ忘れ物残っているかも、発見しましたら、お手数ですがよろしくご連絡ください。


 桃介さん こんばんわ。早速のご利用ありがとうございます。
実はコノBBSはちと規制が多くて、とまどってます、1記事500文字までというのも”たった今”知ったところです。
 いつも投稿ありがとうございます。住吉大社は文献も多く残り、なかなか手強いところ。津守氏の祖「田裳見(たもみ)宿祢」の居住地を住吉3神にゆずり、その後、神主として奉斎したとあり。のち盛んになる舞楽も、奈良の奈良豆彦神社あたりとの関連とか考えると、反(体制)の流れは脈々と続いていた、との見方も可能と思います。

 
1、引越し完了、おめでとうございます、「桃助」、momosuke@geocities.co.jp、 1999/06/24 (木) 08:31
 http://www3.justnet.ne.jp/~east_harima

こんにちは
”ご新居”にあそびにきました(^^;
引越し完了、おめでとうございます
リンクの張り直しやら何やらいろいろ
大変だったのではないでしょうか?
私のブラウザもお気に入り登録し直しました

投稿アップありがとうございます
「河内から播磨にかけてを大和と言っていた」とのお話
また一つ勉強になりました
古代王朝東播磨説を探求しているものとして
とてもうれしくなりました(^^;
これからもどうぞよろしくお願いいたします