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211、Re^5:御頭祭・ミシャグチ、s-tan、 、2000/05/03 (水) 23:09
>文字数オーバーで何度も弾かれたので、削除を繰り返している内に、
#文字数制限は困ったものです、制御少なくても文字数制限無い方がいいですね。長い文はぜひメールでお送り下さい。折角お書きになったのがもったいない。
>「ちかと(う)」です。(^^ゞ 智賀都・智賀頭・千鹿戸・血方・千勝…各地でいろんな呼び名に、変化していますね。
#でしたか^^。
日光あたりから赤城にかけて「ちかと」神社がいくつかあります。榛名はちと北の子持山、十二山の周りによく見られます。 近戸、近門、親都などの表記で山岳信仰からとされ、山頂の奥宮、中腹・中宮、里・里宮で、神体山への登山、通り道で賑わった場所で。その内、里に近い入口(門・戸)で「ちかと」が付いたのでは、と云われてます。
山岳・修験、以前の死者が33年(?)で近くの山に戻り祖霊となるという信仰が修験とつながった、らしい。
諏訪の「ちかと」と関東3山、他の地区の「ちかと」の時系列的つながり調べるのも面白そうですね。
>伊那廻湛神事の資料を見つけました。後日、メールいたします…。
#おまちしてます。
210、Re: 山辺の道、s-tan、 、2000/05/03 (水) 23:08
若葉の山辺の道いいでしょうね、桜井から8kmというと白壁の民家の間を縫ってとか古墳の濠の端とか、むかしは古墳の上にも登れたような記憶がありますが今は。。
桜井駅から天理辺りまで歩いたことがありますが、ほぼ一日歩きづめだったですね。スケッチブックを抱えた女子が多かった、のはいまだに覚えてます。
209、Re^4:御頭祭・ミシャグチ、moon、Mail、2000/05/02 (火) 23:38。hp
前回の投稿は、文字数オーバーで何度も弾かれたので、削除を繰り返している内に、資料丸写しのような内容になってしまいました。(^^;
その上、かたばみさんにもご挨拶が遅れまして…。m(__)m
> moonさんが書かれてるような2人の神様は狩猟や採集文化に農耕が加わってから生まれたのかもしれないなあ。
洩矢神→守宅(守田)神→千鹿頭神という系図から、狩猟的性格の濃かった洩矢神が定着し、農耕性を持ったことから、系図も守宅(守田)としたのではないでしょうか。
> #千鹿頭神ですか、訓みは“ちろくと、ちかと”じゃないですね。
「ちかと(う)」です。(^^ゞ 智賀都・智賀頭・千鹿戸・血方・千勝…各地でいろんな呼び名に、変化していますね。
山人が山岳地帯沿いに「千鹿頭神信仰」を広めたようで、榛名山、赤城山、男体山周辺にも多く分布しています。
> 小立座神事=外縣御立座(みたてまし)=伊那廻湛、は上伊那で7泊8日かけて回るそうです。
伊那廻湛神事の資料を見つけました。後日、メールいたします…。
208、山辺の道、hahaha、Mail、2000/05/02 (火)02:05。hp
こんにちは。
GWの前半に、山辺の道へ行って来ました。
桜井−長岳寺の約8Kmです。
寺社が多く、また古墳群の多さに驚きです。
はっきり言って、定期的に行かないと1日では無理です。
次回は、天理石上神宮までを歩き、走破したいです。
207、出雲大社、s-tan、、 2000/05/02 (火) 02:02。
発見されましたですね、出雲大社の金輪柱。
1本が1m程で、3本合わせてほぼ3mの径。柱を立てるための7、8mの斜穴と保持する人の頭ほどの石が柱周りに積めてあり、現在の社殿より少し規模が大きいらしい。
しかし、平安時代に書かれたという「金輪造営図」があり大林組の試算があって、いわゆるアカデ−−は口遊を無視してたようですが、これで「あった」ことになるのだうか。
民間の伝承のほうかより“真実を伝える”のかもしれないですね。
出土物より伝承のほうがより伝えることも。
▲
206、Re:神奈備にようこその遷座のお知らせ、s-tan、、2000/04/26 (水) 02:05。
瀬藤さん こんばんわ
「神奈備にようこそ」web変更連絡ありがとうございます。早速、リンクの変更しましたのでご確認下さい。
>なお、現在、神奈備にようこその掲示板に「大黒様ものがたり」を焼尻紋次郎氏が連載中です。一度、ご覧下さい。ログ集にも入っております。
#はい、拝見します。
205、神奈備にようこその遷座のお知らせ、瀬藤禎祥、Mail、2000/04/25(火)11:10。hp
『神奈備にようこそ』をリンク集に入れてくださっており、ありがとうございます。
このたび、下記に遷座いたしましたので、この場をお借りしてお知らせいたします。
新url http://www.kamnavi.net/ です。
なお、現在、神奈備にようこその掲示板に「大黒様ものがたり」を焼尻紋次郎氏が連載中です。一度、ご覧下さい。ログ集にも入っております。
瀬藤禎祥でした。
204、Re^3:御頭祭・ミシャグチ、s-tan、、2000/04/24 (月) 00:38。
>道祖神と呼ぶ場合は土地や領域に関するように見えるのでこれは農耕系の場合かな。
#諏訪・御柱祭に先立ち、その2年前に使う木を選び、1年前に決定するのですが、御柱と決定された木に目印で薙鎌を打ちこんで置くのですが、その地域がどうも諏訪の勢力の外周と一致するようです。記録からは鎌倉時代まで遡れるということで、この国境の目印も当然山の中で「シャグジ」と絡みが強いと考えてます。
203、Re^2:御頭祭・ミシャグチ、かたばみ、Mail,2000/04/23 (日) 10:38。
>柳田国男のいう「シャグジ:賽ノ神」で境の神の性格も強そうに思えます。
道祖神と呼ぶ場合は土地や領域に関するように見えるのでこれは農耕系の場合かな。
セックスシンボル(蛇)でもあり、山河や畑など土地神の意味もあるだろうし、ムラの門番でもある(^^;
いろいろなものが合流している民間御用達の自然神といった感じですね。
埼玉の石像は霧島神宮の門番石像(狛犬?)などを想像させるなあ。
賽銭、賽の河原、賽神(朝鮮半島)、賽コロ・・
賽ノ神仲間という言葉があるようです。
ムラなどの一種の連帯組織らしく、例えばカマクラ(雪の家)に子供だけが集まって一晩過ごすといったような共同体のつながりを強化するような組織。
特に稲作集団の場合ではみんなと同じ作業をやるために重要なのかもしれないです。
狩猟系だと土地や境界的な感覚は薄いはずだから、moonさんが書かれてるような2人の神様は狩猟や採集文化に農耕が加わってから生まれたのかもしれないなあ。
九州での大山津見神、信州でのミシャグチ神やソソウ神の本質は同じじゃないかな。
大山津見神は記紀伝承とのからみで擬人化されたのだと思う。
東北のアラハバキ神などもそのひとつか・・
かたばみ
202、Re:御頭祭・ミシャグチ、s-tan、、2000/04/22 (土) 01:29
>狩猟神「千鹿頭神」も信仰されていたらしく、その名残の儀式なのかもしれませんね…。守矢家系譜には、洩矢神→守宅神→千鹿頭神…とあります。
#千鹿頭神ですか、訓みは“ちろくと、ちかと”じゃないですね。
小立座神事=外縣御立座(みたてまし)=伊那廻湛、は上伊那で7泊8日かけて回るそうです。
神使が1連6個の鉄鐸を首にかけ廻り、御杖柱に鉄鐸と贄をつけ(縛り)降ろすそうです。費用は地元負担とか。豊作祈願というより、納税、獲りたて、が強そうな気がします。
伊那では、上牧、御園などの地名がでてます。
たぶん、ハンの木の枝などで作った、 蛇神、写真を別館にup。
201、御頭祭・ミシャグチ、moon、Mail、 2000/04/16 (日) 23:52。hp
> >>耳裂け鹿・脳和と呼ばれる茹でた鹿肉と鹿の脳味噌や、
昨日、諏訪大社上社で、上記の供物を捧げる神事「御頭祭」が行われたと、ニュースで見ました。諏訪ではミシャグチと同様に、狩猟神「千鹿頭神」も信仰されていたらしく、その名残の儀式なのかもしれませんね…。守矢家系譜には、洩矢神→守宅神→千鹿頭神…とあります。
ミシャグチ神について知ったのは、つい最近のことです。(^^ゞ 諏訪大社の本当の祭神は、ミシャグチ神とソソウ神であるといわれ、ソソウ神とは、縄文時代以来、諏訪人が信仰した「蛇神」のことです。
> > > > 伊那辺りには、ミシャグジ神を降ろす、湛の場がいくつかあるようですが
手元の資料によると、上社の大御立座神事では、守矢神長がまず木に「ミシャグチおろし」をして「頭屋長」(=神使:おこう)様と呼ばれた者にミシャグチを憑けるのだとか…。その後神使一行は、湛の場所、上伊那では、天竜川と三峰川の合流点あたりまで「内県(茅野市内)」や「大県(上諏訪・下諏訪・岡谷方面)」へ旅立ち、ミシャグチ降ろしをし、豊作祈願の祈祷をした…とあります。そのような祭祀が行われた場所なのでしょうか…?
200、Re:道を尋ねて、s-tan、、2000/04/15 (土) 23:53
日本武尊の足跡、拝見しました。氷上姉子・元宮、昨年正月雪の中を参詣しまして,特に懐かしく、新緑・紅葉と散策してみたくなる境内でした。
さすがに東海地方は尊に関連有る社が多いのですね。相模から上総にかけても多いのですが、天武というより不比等以降に祀られたと思える社で、(AD680)以前に日本武尊として祀られたという社は東海にはございますでしょうか。
>掲示板を含めるプロバイダーへの変更を考えております
#dionはhp容量が少ないとか、どちらかというと都市圏以外でとか、時間が少なくメール利用回数の多いのには便利なのですが。。
お住いの場所によっては、有線TVなども変更対象にいいかも知れません。
▲
199、Re^3: 第8章・スサノオ、s-tan、、2000/04/15 (土) 23:52
>>耳裂け鹿・脳和と呼ばれる茹でた鹿肉と鹿の脳味噌や、
>内蔵とか脳味噌とかすごいですね(^^;
#たしかに、祈年祭で天皇が「白色の猪、鶏、馬」を捧げる事になっていた、のとはかなり異質ですね。
ミシャグチは、タケミナカタそのもの、という説もあるそうですが。ミナカタは宮(今の下社)の南方、とか(湖)水潟の名前が先だったような気がします。
南の上社は、北の下社よりは後になって朝廷との結びつきが強くなった様子。
ミシャグジというと、やはり自然神でマタギら山人の神、がメインと思いますが、柳田国男のいう「シャグジ:賽ノ神」で境の神の性格も強そうに思えます。
198、道を尋ねて 、北島、Mail、2000/04/09 (日) 22:32
hp
4月6日更新日の変更をしないままで前回掲載予告を出しておりました原稿の更新を行いました、天皇陵Vと畿内の神社それと東海地区に於ける日本武尊の足跡です 日本武尊は二頁に分けて見ましたが如何でしょうか
日本武尊はこれからも細部を掲載していく予定ですが閲覧されました皆様からのご意見などお聞かせ頂ければ幸いですが宜しく
掲示板を含めるプロバイダーへの変更を考えております
197、Re^2: 第8章・スサノオ、woodsorrel、Mail、 2000/03/31 (金) 22:13
>耳裂け鹿・脳和と呼ばれる茹でた鹿肉と鹿の脳味噌や、
moonさん、こんにちは。
内蔵とか脳味噌とかすごいですね(^^; 狩猟民なら普通なのかな。
上伊那郡では熊を狩ったときその血を紙にしみこませて山の神に供える風習があったようです。
山の神信仰では血=赤を好むらしい。
ミシャグチ信仰を特に調べたことはないのですが、ものと人間の文化史32「蛇」に赤蛇であろうという考察がでてます(先刻ご承知かもしれないけど)。
蛇と巫は箸墓古墳やら大物主神やらいろいろ関係がありそうで、「弥生」が縄文のいろいろと融合していった結果を表しているのではないかと思っています。
196、Re^2: 第8章・スサノオ コメント数、s-tan、、2000/03/29 (水) 23:28
こんばんわ 風邪など大丈夫でしたか。。
>信州の諏訪社関連、ミシャグチの内容もありますね!!
>このあたりは、自分でも調べていて、とっても興味深いです。
#先日、木祖村まで行ってまして帰り道、諏訪上社へ立寄りました。昔のネガが見つからずが理由でしたが、前宮境内の掲示板もじっくり見てきました。
>白ウサギの串刺し・耳裂け鹿・脳和と呼ばれる茹でた鹿肉と鹿の脳味噌や、
>その他、猪の皮焼き、生鹿、生兎、切兎、五臓などが進ぜらせていたとのことです。
#串刺し、耳裂け・・、単に食料という理由のほかになにか意味がありそうなウサギと鹿ですね。稲葉のウサギと藤原の鹿かも。。
諏訪大社は末社が実に多いですね、祭りも末社が直接絡むものがどうも古そうな気配です。
伊那辺りには、ミシャグジ神を降ろす、湛の場がいくつかあるようですが、場所など判りませんでしょうか。権兵衛峠が通れる頃にはまた予定してます。
195、Re:第8章・スサノオ、moon、Mail、2000/03/27 (月) 23:28
hp
すっかりご無沙汰しております。(^^;)
> 弥生から、佳境ですなぁ、この辺りから不比等あたりまでが“古代であそぼ”の核でしょうか。
> とりあえず、第8章への反応、雑談(ひとりごと)雑談へupしました。
信州の諏訪社関連、ミシャグチの内容もありますね!!
このあたりは、自分でも調べていて、とっても興味深いです。
> 人身御供(生け贄)を伴ってるはずで
守矢氏の資料によると、諏訪大社の重要な神事で、上社の「御頭祭」では、神前供物 として、白ウサギの串刺し・耳裂け鹿・脳和と呼ばれる茹でた鹿肉と鹿の脳味噌や、 その他、猪の皮焼き、生鹿、生兎、切兎、五臓などが進ぜらせていたとのことです。
(s-tanさん、その後の調査が進まず、すみません…)
オフラインで、じっくり拝読いたしますね。(オフラインで読んでも、分からない点が 多いでしょうけど…。^^;;)
194、Re^3:二上山にて、s-tan、、2000/03/26 (日) 23:29
こんばんわ
こちらこそお手数おかけしましてありがとうございました。
>説明文とか専門的なことが分からずすいません。
#とんでもございません、今後とも、よろしくお願いします^^。
*画像サイズ、高さ300でお願いします。
193、Re^2:二上山にて、hahaha、Mail、2000/03/24 (金) 00:56
hp
こんばんわ hahahaです。
画像確認いたしました。
お役に立ててうれしく思っています。。
説明文とか専門的なことが分からずすいません。
それでは、またご迷惑でなければ投稿しますね。
*画像サイズは、高さ300にあわせれば良いのでしょうか?
192、Re:二上山にて、s-tan、、2000/03/23 (木) 23:43
こんばんわ hahahaさん
写真ありがとうございます。お手数おかけしました。
先ほど、topと奈良・加守、二上山神社とリンクさせ確認が終りました。
【別館】の「画像index」においてあります。
二上山頂も冬は随分明るいですね、景色、見晴しが良いでしょうね。。。十三峠は良く通ったので奈良・近飛鳥あたりの風景を思い起してます。
191、Re:二上山にて 、s-tan、、2000/03/22 (水) 00:38
こんばんわ
二上山ですか、登ろうと思いながら余裕が無くて(体力含めてですが^^;)。
>登山道中にもたくさん寺社があり、歴史深い山です。
>もちろん写真を撮りながら登りました。
#写真ぜひ使わせてください。神社探訪、倭文・−二上神社からジャンプさせたいと思います。
ありがとうございます。
▲
190、二上山にてhahaha、Mail、2000/03/21 (火)02:15
hp
こんにちは。
先日、奈良県當麻町にある二上山へ行って来ました。
文字通り、2連の山からなり、雄岳、雌岳があります。
ご存じとは思いますが、雄岳には神社と大津皇子のお墓があります。
なんとも神秘的でした。歴史上は不明らしいですが・・・。
登山道中にもたくさん寺社があり、歴史深い山です。
もちろん写真を撮りながら登りました。
2回、3回と登ってみたくなるような所です。
写真、ご入り用であればお申し付けください。。
189、Re:田縣神社・豊年祭、s-tan、、2000/03/21 (火) 01:07
konさん こんばんわ
早速、拝見しました。
田縣神社の豊年祭、うきうき溌剌といった雰囲気です。明治以前は各所に飾らない(隠さない)祭りが見られたようで、直接的、卑猥な祭りはかなり変更させられたという事です。
尾張平野と田縣神社、この地図の海岸線の変遷もいいですね。もっと細部を見たいものです。地図を見ていて、手元のラフな地図で確認すると、本宮山−大懸−田縣(神明)−国府宮、これは殆ど直線上になりませんか、夏至の朝日が昇るor冬至の陽の沈む線上と一致しそうな。
犬山近くの扶桑町、この名前もなにか面白そうな話がありませんでしょうか、福塚とか。。
188、Re^2:なおい祭り2000年紀、Kon、Mail、2000/03/19 (日) 23:10
田縣神社
先日挙行された愛知県小牧市田縣神社の豊年祭りを 取材いたしました。
すこし話題がデリケ−トなので工夫はしましたが、祭りとしては一級品の価値があるとおもいました ので公開することにいたしました。
御一見の上御感想でもお寄せいただければさいわいです
187、第8章・スサノオ、s-tan、、2000/03/19 (日) 03:55
待ってました!
と2週遅れの反応です、またまたパソから離れておりました。久々のパソでそろそろ朝の4時^^。
弥生から、佳境ですなぁ、この辺りから不比等あたりまでが“古代であそぼ”の核でしょうか。
とりあえず、第8章への反応、雑談(ひとりごと)雑談へupしました。
▼
186、Re:原稿の更新、s-tan、、2000/03/19 (日) 03:54
こんばんわ 北島さん
早速、伺いましたhttp://www.d1.dion.ne.jp/~zpmasasi 。気多・気比など特に興味深く拝見しました。大社北陸道は能登あたりから武生辺りまで白山を含めて興味深いところです、一度腰を据えてゆっくり回わりたいと考えてます。
できればひとつお願いがあるのですが、1ページを200kb程度までに容量を小さく分割して戴けると嬉しいのですが。 回線混雑時など読込み途中でエラーになる事があります。当方のパソコン・モデムのスピードがちと遅い、のが原因なのですが。。
185、原稿の更新、北島理司、Mail、2000/03/14 (火) 01:20
hp
道を訪ねての原稿を3月12日更新しました
まだまだ未熟な内容ですが少しづつ訂正を繰り返しながら進めていく 所存でおります私の横顔も掲載しましたのでこれからは自分なりの 発言をしていきたいと考えております不備な原稿ですがお気付みら訂正 個所をぜひご指導下さい。
尚記事に関する質問などあれば是非お聞かせ 下さい
山陵会主幹 北島理司
184、Re: 明日香村 酒船石遺跡、s-tan、、 2000/02/28 (月) 21:09
こんにちわ。
明日香村ですか、懐かしい。。観光施設をはずれると山里というかほのぼのした場所ですね、葛城に較べるとちとこづくり、のイメージでしょうか。
亀形石、ニュースで見ました、hahahaさんは映っていたのでしょうか。そのうちどこかで特集をするでしょう、見逃さないようにしなければ。
飛鳥と言えば“石”ですが、飛鳥資料館などで石像など見たときに、埼玉県大宮市の“調神社境内の石像”を連想してました。蘇我以降石の多用が減るのも興味深いところです。
183、明日香村 酒船石遺跡、hahaha、2000/02/26 (土) 23:46
こんにちは。
先日、明日香村の酒船石遺跡より出土した亀型石を見学に行って来ました。 間近で見ることができませんでしたが、それでも綺麗に残っていたのには驚きです。これまでに例のないモノだそうで、よけいでした。
今後の保存問題はどうなることやら・・。
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182、Re:なおい祭り2000年紀、s-tan、、2000/02/26 (土) 19:17。
konさん いらっしゃいませ。
「なおい祭り」拝見させていただきました。素晴らしい。
“人身御供”の口伝、ぜひとも詳しくお教えください。
hpを拝見しますと、祭りは民の不満が膨張してパンクするまえに少し穴をあけてパンクを逸らす、目的が最初かな。。など思われますが。
稲沢といえば、貝殻山遺跡から南へ伊勢湾、北へ大垣?へと続く縄文土器と弥生土器が対峙していた痕跡が残るライン上ですね、稲沢は遠賀川式、水神式、どちらの出土が多いのでしょうか。
地形からするとヤマト朝廷の出先となるまでは湿地帯でしょうか。
181、なおい祭り2000年紀、Kon、Mail、2000/02/23 (水) 20:27 .
なおい祭り
はじめまして。Konこと近藤と申します。
愛知県稲沢市の国府宮はだか祭りは私の町の祭りです。
25年ぶりの銀世界の中、2月17日(木)国府宮はだか祭りは挙行されました。
その模様を下記サイトにて発信しております。今回1200年の歴史を有する奇祭を、祭を支える”男達の絆”と言う観点で神事の全容を皆様にご紹介いたしております。その上でこの祭りにまつわる”人身御供”伝説を古代史の観点より掘り下げて行きたいと思います。
周囲4kmを神垣と呼び、その外で難追人を捕まえ放免する。これが祭りの起源。
その由来より”喧嘩祭り”といわれるように荒っぽいまつりです。”人身御供”の口伝は2、3伝え聞きますが、1200年の歴史の中で考えて行きたいと思います。
大和朝廷がこの地に国府を設けた。それ以前この平野は尾張族が居住していた。
祭りはこの大和朝廷の先住民族の祭りにまで起源は溯るように思えてなりません。
人身御供伝説に踏み込むには、どうしても今の祭りが”男達の絆”により近代的な祭りに昇華されたことを皆様にお伝えしてからしか始められない。そんな思いからこのペ−ジを作りました。
ご一見の上、ご感想でもお寄せいただければ幸いです。
180、Re: 役行者の集印帳、s-tan、2000/02/22 (火) 23:47。
こんにちわ。
近鉄さんは、なかなか!ですね。毎年と季節毎に駅のパンフを楽しみにしていました。
関西は歴史、特に古代好きにはタマラナイところですね。
役行者40ヶ所、お近くにかたまってあるのでしょうが、気になる40ヶ所です。
ぜひ制覇されて、hpへご紹介下さい。
179、Re: おひさです。、s-tan、2000/02/22 (火) 23:46。
ご無沙汰しております。不在していました。
>東京国立博物館で開かれている「皇宮の秘宝」にいってきまして、平家伝来の「小烏丸」を見てきた次第です。
#テレビで案内をしていたようですね、全然見てないのですが。。
秘宝で特にお気に入りになった、というか気になったものはあります?
「小烏丸」といえば、先日、久々に鹿島神宮へ行ってきまして宝物館に向ったのですが、手前で神官の方と話し込み、本殿・内陣の話しなど長々としたものですから、その後、荒宮へ直行でした。しかし寒い日でした。
178、役行者の集印帳、 hahaha、Mail、2000/02/20 (日)。
こんにちは。
hahahaです。
只今、近畿日本鉄道主催の役行者の集印帳を購入しました。
役行者のゆかりのある、寺社を尋ねて集印してもらいます。
約40カ所ですが、最大の難関はやはり大峰山でしょうか。
徒歩10時間(片道)です。
近場から、ゆっくり参ります。。。
177、おひさです。、千夜、Mail、2000/02/15 (火) 。
ご無沙汰しております。
東京国立博物館で開かれている「皇宮の秘宝」にいってきまして、 平家伝来の「小烏丸」を見てきた次第です。
満員電車並に込んでいましたが、それなりの価値がありました。
今後も、「日本の国宝展」なども行われるみたいですので、お近 くにお住まいの方は行かれてみては?
176、Re^2: みたから、s-tan、2000/02/08 (火) 00:23
四公六民にも色々あって、五公五民に兵役・雑役が一般だった時期。小田原北条氏というか早雲は雑役を除く四公六民で民の信頼を得た。
この領民の信頼と言うか支持が、早雲が大森氏を小田原から追い出し、秀吉の大軍に囲まれながら城内(小田原城内は5km×7kmほど)で市が継続していたり、城に1年分の兵糧米を集めることができた、理由らしい。
今でもここ何年来、消費が大きく伸びたのは消費税が3%から5%になる直前だけ^^。民は大人しそうだが、税には敏感なんですねぇ。しかし見えにくい税がいっぱいだなぁ。
>操作ミスのup分、削除しました。
▲
175、トイレ開放、かたばみ、Mail、 2000/02/05 (土) 23:34
≫ぼくも、HPで案内していました。
ありゃ、画像ばかり見ていて気がつきませんでした。
トイレ開放のすすめ、広めましょう(^^;
174、ハンガリー、かたばみ、Mail、 2000/02/05 (土) 23:32
≫良かったら私のHPにもお暇な時にでもいらしてくださいね
コンサートから帰ってからすぐにおじゃまさせていただきました。
マジャール人のことは拝見してから、あそうだったのかなのです(^^;
沿海州からモンゴル、ウラルを経てハンガリーに至る古代草原ルートは馬なら1年で往復できたようですね。
173、Re: みたから、かたばみ、Mail、 2000/02/05 (土) 23:26
≫河原・海岸で漁も出来ず田畑もない場所に冊で囲まれ封じられたのが
戦争捕虜で氏族や信仰が同じではない場合はそういった扱いになりやすそう。
そういう最後の戦がAD700前後の東北戦乱じゃないかな(蝦夷征伐といった表現は使わないようにしています)。
平家の落人部落あたりでもそうなる可能性は若干残っていたかなあ。
ま、なにかが形をなしてゆく課程でも4割が公で6割が民による、といったこともありそうでどこから公でどこまでが民の意識かもむずかしそうです。
172、Re: リンクありがとうございます、s-tan、、 2000/02/02 (水) 22:13
こんばんわ、 神山 さん
リンク、お手数さまでした。
>日本古代史の方でもこれからも色々と更新していきたいと思っていますのでこれからもよろしくお願いしますね。(^^)
#楽しみにおまちしてます^^。こちらこそよろしくお願いします。
171、Re: 奈良県笛吹神社、s-tan、、 2000/02/02 (水) 22:12
こんばんわ。 hahaha さん
>昔、幼いとき笛吹神社へよく遊びに行きました。
#大和三山あたりが霞んで見えて、一言主裾あたりから続く古道もタイムスリップしたような場所も残り、車を降りて歩きたくなる所が多いですね。
>神社中程にある、大砲を見たり、本殿横の古墳へ勝手に入ったりといろいろやってました。
#今、古墳には金冊がありましたね、たしか。
笛吹には「ハハカ」の木を見に行きましたが(学名とかハハカの語源とか)確認できず、でした。何か情報ありましたら、よろしくお願いします。
170、みたから、s-tan、、 2000/02/02 (水) 22:12
>もっとひどい状況もあるんだぞ、と「良民」を脅迫し治世者の権力を安定化する目的です。
>・・・
>賎民は人の嫌うことをやって食べるしかない場合が多かったということだと思います。
#実にそうですね。
「みたから」と呼ばれた良民は、実に「御身(にとって)宝」ですね、絞れば何でもでてくる「ウチデノ小槌」。この小槌は今の(昔もか)(武)力を背景とした法律ですね。
四公六民とかありますが、今も殆どそれですね、税+保険(強制的に採られる)で約35%、もうすぐ4割を超えそうな勢いです。官僚社会主義と呼ばれる国は、2千年の実績がありますね。悲しいことに。
河原・海岸で漁も出来ず田畑もない場所に冊で囲まれ封じられたのが「賎民・エタ」といわれる始めかも。
下があれば。。より悪い状況を見せるのが目的でしょう。
▲
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169、リンクありがとうございます、神山ゆき、Mail、2000/02/01 (火) 09:17
orszag
s-tanさん、こんにちは。(^^)
私の方も今更新いたしましてこちらへのページのリンクが完了いたしました。
どうもありがとうございました。m(_ _)m
日本古代史の方でもこれからも色々と更新していきたいと思っていますので
これからもよろしくお願いしますね。(^^)
それでは、今回は用件のみですがこの辺で。ヾ ^_^
168、Re^2: はじめまして。(∩.∩)>、神山ゆき、Mail、2000/02/01 (火) 09:14
orszag
かたばみさん、こんにちは。(^o^)
ブダペストオペレッタですか、良いですね。(^^)
イシュトヴぁーンと言う名前は結構ハンガリーではメジャーな名前みたいですね。歴史の本なんか読んでると何人もの「イシュ トヴァン」に遭遇します。
> マジャール人はウラル山脈あたりが出自のようですから、古代では日本ともどこかでつながっていたかもしれないですね。
(゚ー゚)(。_。)...
同じアジア系ですから、親近感がわきますね。
では、これからもよろしくお願いします。ヾ ^_^
良かったら私のHPにもお暇な時にでもいらしてくださいね
167、Re^2: 相互リンクありがとうございました、 hahaha、Mail、2000/02/01 (火) 01:07 (火) 01:00
http://www.lint.ne.jp/~takuya/
かたばみさん、初めまして。
> 扉をあけっぱなしのトイレをおすすめしています(^^;
ぼくも、HPで案内していました。
空室・入室のサインになりますからね。。
あと、ノブ付きのドアは個人的にイヤです。
ではでは
166、奈良県笛吹神社 、 hahaha、 Mail、2000/02/01 (火) 01:00
www.lint.ne.jp/~takuya/
こんにちは。
昔、幼いとき笛吹神社へよく遊びに行きました。
神社中程にある、大砲を見たり、本殿横の古墳へ勝手に入ったりと いろいろやってました。
当時は、祭りも盛んで夜店も多く出ていたんですよ。
最近は、めっきり静かになってしましましたが・・・。
地元が葛城山麓ですので、葛城古道沿いの寺社はだいたい遊びに行きましたね。
この程度の内容ですいません。
ではでは。。
165、Re: 相互リンクありがとうございました、かたばみ、Mail、2000/01/31 (月) 11:15
hahahaさん、こんにちは。
扉をあけっぱなしのトイレをおすすめしています(^^;
使用中に閉めるかどうかは好みによります(^^;
急いでる場合でも安心
使用中かどうか一目瞭然
かびがはえにくい
バリアフリー
ただし引き戸のこと、汲み取りの場合も不可(たぶん)
▲
164 Re: はじめまして。(∩.∩)、かたばみ、Mail、2000/01/31 (月) 01:02
神山さん、こんにちは。
昨日ブダペストオペレッタ劇場のメンバーのコンサート聴いたところです。
女性指揮者でした。イシュトバーンなんて名の歌手も登場。
歌だけじゃなくてハンガリアンダンス風の踊りがたっぷりでにこにこでした。
マジャール人はウラル山脈あたりが出自のようですから、古代では日本ともどこかでつながっていたかもしれないですね。
ハンガリーにはジプシーと呼ばれる人々が多いようですが、踊りやリズムにそのイメージが少なからずあったです。
163、Re^4: 香具師とは?、かたばみ、Mail、2000/01/31 (月) 00:36
≫大道芸人、エタなどとつながりそうで禁止用語使用も含めて難しいところがでてき≫そうです。
特有の蔑視が含まれればアメリカ人、フランス人といった「識別」すら差別用語になっちゃいますね。
「賎民・エタ」は奴婢や罪人が源流だと思うけど、荘園制度が崩壊して以後の政治的理由によるんじゃないかなあ。
もっとひどい状況もあるんだぞ、と「良民」を脅迫し治世者の権力を安定化する目的です。
エスケープゴートでもあって「良民」もそれに乗って明確な差別意識が確立した。
相手を喜ばす職業の場合は相手に優越感を与えることを目的にする場合も少なくないと思います。
(美男子の落語家はいない(^^;)
忌みとか汚れを伴う職種を卑しいとするならばこのあたりはいろいろ入り交じりそうですが、賎民は人の嫌うことをやって食べるしかない場合が多かったということだと思います。
(なお、サンカは政治的な扱いは別にして誇りある人々でもあって蔑視された人々ではないと思ってます)
162、Re: 相互リンクありがとうございました、s-tan、、2000/01/30 (日) 17:51
−160、神山さん
>>蘇我はもっと評価されていい一族と思ってます。
>あ、私もそう思います。世間では悪いイメージですが、そんなことはないと思いますね。
# ^^。 蘇我、素鵞、須賀、須加、などの名のつく社が関東以南に結構あります。全部が蘇我氏とのつながり有とは違うでしょうが、古代奈良の中心部にも残るのはなかなかと思います。
リンク完了しました、何かお気づき、訂正などございましたら、ご連絡下さい。
−161、hahahaさん
リンクありがとうございます。お手数おかけします。
>もう少し、暖かくなったら奈良の古道を中心にトイレマップでも作りたいと思っています。
#奈良の古道、多いですね。生駒・信貴など縦横に走っていたようです、今は獣道になっているのが多い様ですが。
山辺道はほぼ平坦で歩きやすいですね、道の風景もトイレの状況のひとつとして見せてください。私は殆ど撮らず、で今反省しております^^;
161、相互リンクありがとうございました、 hahaha、Mail、 2000/01/30 (日) 07:14
http://www.lint.ne.jp/~takuya/
こんにちは。
はっはっはのトイレのhahahaです。
相互リンクありがとうございました。
こちらも、完了いたしました。
もう少し、暖かくなったら奈良の古道を中心にトイレマップでも作りたいと思っています。
それでは、今後もよろしくお願いします。
160、Re^2: はじめまして。(∩.∩) 、神山ゆき、Mail、2000/01/29 (土) 22:59
orszag
> 物部、蘇我にこれから取組まれるとか、
そうなんですが、最初は紹介程度になりそうです。(^^ゞ
>蘇我はもっと評価されていい一族と思ってます。
あ、私もそう思います。世間では悪いイメージですが、そんなことはないと 思いますね。
> リンク・ありがとうございます。こちらからも早々にセットさせて戴きます。
ありがとうございます。リンク完了しましたらお知らせしますね。
では、またヾ ^_^
159、Re: はじめまして。(∩.∩)、s-tan、、2000/01/28 (金) 23:22 、
天皇一覧、おほめ戴きありがとうございます。イリとかタラシとかついていろいろ云われてますが、一覧の中では、ハラが付いているのは天武・持統だけなんですね、持統−不比等ラインの結果でしょうか。。
hp伺いました(少しだけ)ハンガリーも勉強できそうです^^。
物部、蘇我にこれから取組まれるとか、物部の痕跡は関東にも多いですね。蘇我はもっと評価されていい一族と思ってます。なにか発見されましたらご一報下さい。
リンク・ありがとうございます。こちらからも早々にセットさせて戴きます。
▲
▼
158、はじめまして。(∩.∩)、神山ゆき、Mail、2000/01/28 (金) 15:15
orszag
はじめまして。「歴史サーチ」からきました。こちらのHP、すごいですね。
私も自分のHPに日本古代史のページを作っていますが、参考にさせて 頂きました。
ところで、、、こちらは相互リンクを募集なさっていると書いてありま すが、私の所と相互リンクさせて頂けませんでしょうか?いきなりで申し 訳ないのですが。。。
とくに天皇の一覧表が凄いと思いました。これからも楽しみによらせて 頂きたいと思いますのでよろしくお願いします。m(_ _)m
157、Re^3: 香具師とは?、s-tan、、2000/01/15 (土) 21:02
暫く不在してましたら、topカウンターが6000超えてました^^。
皆様ありがとうございます。
>ひぃさん
1800hitありがとうございます。
香具師の総元締めという方が居られるのかどうか。。職業。。。不明です。。
>かたばみさん
香具師replyありがとうございます。
ヤシについては民間信仰を調べるに似るとか、大道芸人、エタなどとつながりそうで禁止用語使用も含めて難しいところがでてきそうです。
テキヤの語源は、弓矢の的=当たり外れ、から的矢−まとやーテキヤ、というのが一般的解釈のようです。
156、Re^2: 香具師とは?、かたばみ、Mail、2000/01/11 (火) 19:59
香具師の続き空想編です(^^;
香具師には「神農」を祖とするといった伝承もあるようですが、神農は中国の始祖伝承に登場する神です。
行商人、芸人、束縛されない人々、古い伝承といったイメージからは、物部氏やサンカの人々とも関係があるかもしれないなあ。
で、裏街道とも通じやすそうな仕事ですから情報収集にも都合がよかったのではないでしょうか。
市場調査や人捜しといった仕事も請け負っていたんじゃないかと思うのです。
戦時なら血なまぐさい諜報もやったかもしれません。そういう香具師であれば当然ながら組織化して指示をだす総帥もいたはず。 元締めとしても有力者とつながりがあれば商品の仕入れにも都合がいいでしょうし、元締め同士でネットワークもあっただろうと思うのです。
しかし明治以降になってからは表の仕事での元締めのみとなって、仕事の分配やトラブル調整といった清水の次郎長親分とさほど変わらない性格になっていったのではないでしょうか。
まったくの推測ですけれど。
▲
155、Re: 香具師とは?、かたばみ、Mail、2000/01/11 (火) 19:58
> 香具師の総元締めというのは、どんな職業かしりたいのですが、もし、ご存知でし
ひぃさん、本年もよろしくお願いします。
祭礼などの露天商や大道芸人をテキ屋と呼びますが、古くは香具師(やし)とも呼んだようですね。
その元締めですかあ。
香具師の起源がわかれば推察もできそうですが、香具師をなんでヤシと読むのかがそもそも??
現代語のテキ屋だってなんでテキ屋なんだかわからない(^^;
香具師は薬師、野士、野師、弥四、といった書き方もあるようです。
香具師はコウグシとも読んでこれは香をたく道具などを作る職業の呼び名。薬も古代では祭祀と関連しそうで、高い身分の人々と接する機会が多かっただろうと思います。
で、野士や野師なら野武士などのイメージと同じに自由気ままに動く人々といった意味かな。
起源にはいろいろな説があるようですが、身分の高い人物が起源であるとする説もあるようです。
高い身分で自由に動いた・・私は海幸山幸伝承の海幸が最古の香具師ではないかと思ってます。
(芸人となる→隼人舞)
154、香具師とは?、ひぃ、Mail、2000/01/08 (土) 12:42
NatureLand
こんにちは。1799だったので、更新して1800を踏みました(^^;)
香具師の総元締めというのは、どんな職業かしりたいのですが、もし、ご存知でしたら、おおしえください。
153、おめでとうございます。 s-tan、、2000/01/07 (金) 23:48
>千夜さん
火を吹く竜の賀状ありがとうございました。 今年もよろしくお願いします。
>システム開発でうまく行かない・・・
#なんのシステムですか。
バグと言えば、田の神様、害虫除けは農村の神社、有名どころは、ちと思い出さない^^;
左義長・どんと焼きにでも参加されては。。
話、ちとずれますが、本家本元中国での「ひなまつり・雛祭り」は、もともと上巳(じょうし)、3月はじめの巳の日に祭事を行った。それが後に覚えやすい3/3に定着したのが桃の節句。水辺で禊をして、体から災厄を落し、酒盃を屈曲した小川に浮かべて曲水の宴というのを催す。またナズナの花を門やカマドにおいて虫除けのまじないとした。そうです。
余談
下152と一緒だと162文字オーバーします^^;
152、あけましておめでとうございます。。、s-tan、、2000/01/07 (金) 23:46
2000年も もう7日目になりました ^^。
みなさま おめでとうございます。
>ひぃさん
早々のお越しありがとうございます。今年もよろしくお願いします。
☆☆☆ ぱさっ ぱさっ ぱさっ ☆☆☆
>moonさん
年賀画像を喜んで戴きうれしいです。今年もよろしくお願いします。
歴史コンテンツ充実、楽しみにしてます。
>日本武尊さん
新年早々、ご丁寧にありがとうございます。今年もよろしくお願いします。
昨年はhp作成への新しいご挑戦大変なことでしたでしょう。あせらずゆっくり進めてください。
分からない所がありましたら、具体的にご連絡ください、このページのココをこうしたい、といった感じで。。ご遠慮なくどうぞ。
>芋久保さん
こちらこそ、ご無沙汰しております。
>1月、2月は雪掘りの旅です。
#こちらは行き掘りならぬ、土掘りです、昨年は土方で2トンは移動した、筈です。
▲
▼
151、おくればせながら・・・、千夜、Mail、2000/01/07 (金) 10:58
かなり遅れちゃいましたが、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
千夜の方はなんとか2000年問題もクリアーしたのですが、システム開発でうまく行かない・・・
害虫(ばぐ)駆除に効果のある神社って知りません?(笑)
150、明けまして おめでとう ございます、芋久保、Mail、2000/01/06 (木) 15:16
南会津・山小屋
s-tanさん ご無沙汰してます。
芋久保です。毎年素敵な年賀メールありがとう。
山小屋の方は通ってますあか?
私の方は昨年70日ほど小屋で暮しました。
1月、2月は雪掘りの旅です。
今年もよろしく!
ではでは
149、年の始めのご挨拶、日本武尊、Mail、2000/01/04 (火) 09:56
道を尋ねて
謹賀新年
s-tanさんへ・・・明けましておめでとう御座います
昨年はいろいろ手ほどきを頂きありがとう御座いました お陰様でなんとか見ていただけるようなHPらしくなったと思いますが如何ですか。未だ判らないままに進めております今後とも宜しくご指導ください
東海地区の日本武尊の足跡にかかりますが現在写真の整理をしております近日掲載予定
HP閲覧者のご健康を祝しておめでとう
148、あけましておめでとうございます、 moon 、Mail、2000/01/01 (土) 23:42
月夜の道標
s-tanさん、あけましておめでとうございます!
昨年は、大変お世話になりました。m(__)m
また、素晴らしいお年賀画像を送っていただき、ありがとうございます。
早速、いただき物がギャラリーにUPする予定です。(^^ゞ
なかなか更新が進みませんが、今年はヤマトタケルページを中心に、歴史のコンテンツを充実させていきたいと思っています。
本年も、よろしくご指導下さいね…。
s-tanさんはじめ、みなさまのご多幸をお祈り申し上げます。
147 あけましておめでとうございます。 ひぃ、Mail、2000/01/01 (土) 09:21
NatureLand
今年もよろしくお願いいたします。
ますますのご繁栄と幸せをねがって・・・
:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。..
彡彡彡☆★☆ えいっ! ☆★☆彡彡彡
:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。..
では。
▲
146、1999、ありがとうございました。s-tan、、1999/12/31 (金) 22:10
みなさま
1999、1年間、ありがとうございました。
おかげさまで、hp「古代であそぼ」も・満1年・を迎えられます。
2000年も、よろしくお願い致します。
「古代であそぼ」 管理人 s-tan
!・2時間ほど、気が早いですが、これからhpを新年用に変更します。
Y2K対応です^^;
145、re:建築・大航海、s-tan、、1999/12/31 (金) 22:10
>法隆寺などは天災からの幸運もあって世界遺産になったというところですね。
#人災で焼失などなければ、今の100倍以上は残っているような気がします。社寺の礎石などだけが残るのを見ると、ドラえもんのポケットが欲しくなります。
木材は、土・雨・太陽の直射を避けて、水はけ・風通し、がよければ千年もちますね。合板は弱いですね、ムクに比べると。
航海と言えば、いまでもいくつかの神社で海藻“ホンダワラ”を使ってますが、これ藻塩とか塩つくりの他に、昔の航海に重要だったからというのもありそう。海を漂うホンダワラは、プランクトン・小魚・魚の集まる絶好の場所だから。ホンダワラはホンダワケか^^。
▲
144、みなさま、来年もよろしくお願いいたします 、かたばみ、 woodsorrel@tcn-catv.ne.jp、1999/12/31 (金) 08:18
s-tanさん、ひぃさん
法隆寺などは天災からの幸運もあって世界遺産になったというところですね。
s-tanさんの手造り山小屋は柱が腐ったら交換修理できるようになっているそうですが、修理する人がいれば千年山小屋(^^)
船と大航海も同じじゃないかな。洋上で修理できる船であればいつも新品同様で航続力は無限大。
天候を読み、水や食料を海から得る融合型の航海が古代の航海術ではないかと思っています。
住まいも温暖地域なら周囲と融合する方法になり、寒冷地域では周囲を遮断してその影響を防ぐ方法になると思います。
かたばみ
143、レスありがとうございます。。、 ひぃ、Mail、1999/12/27 (月) 10:42
NatureLand
こんにちは。
なるほど。
興味を持てば持つほど、いろんな見方があって、ますますおもしろくなっていきますね。
いろんな方面から興味を持って、遺跡めぐりをしたほうが、ますます楽しくなるような気がします。
いろいろとありがとうございました。
また、よろしくお願い致します。
とりあえず、お礼まで。
142、Re: HPらしく作りましたが、s-tan、、1999/12/25 (土) 22:28
>今後は課題でもある日本武尊の東海地区の足跡を掲載する予定を建てております。
#東海地区の日本武尊、おまちしてます。
>一つ」質問があります、このような掲示板はdionでは使えないのでしょうか
#私も探しましたが、dionでは、掲示板のサービスを行っていないはずです。
掲示板を無料で提供してくれる所がありますのでいくつか見てそちらを利用されてはいかがでしょうか。
私は探したことがないので、どなたか詳しい方がおられると良いのですが。
141、Re: 法隆寺、s-tan、、1999/12/25 (土) 22:27
法隆寺、東大寺、といえば、昔の建築が地震に強いのは建物が大地にくくりつけられていないから、台地がゆれても建物はすべるだけ。。
社寺の柱が礎石の中央からズレているのは結構多いです、特に門にそれが目に付きますね。
▲
▼
140、Re: こんにちは。質問があります。、s-tan、、1999/12/25 (土) 22:26
こんにちわ ひぃさん
法隆寺、拝観ありがとうございます。
技術については建築に玄人の“かたばみ”さんがresされてますので。。私も建築の方が歴史より詳しいかも。。^^。
そういえば写真特集は、初詣かわりに出雲をupしたのが最初でした。次回はどこにしようか。。
古代の航海については、かたばみさんの文を雑談コーナーにupしました。ご覧下さい。
古代ではないですが、太平洋戦争直後、ジャワあたりから小船で日本にたどり着いたのが、2、3例あった筈です。たしか20日前後だったと思います。
コロンブスあたりのいわゆる大航海時代の100年ほど前、鄭和の大航海といって中国の大船団がインドを越して中近東まで行ったりしてます。
139、HPらしく作りましたが、日本武尊、Mail、1999/12/24 (金) 23:40、
道を尋ねて
写真を主体に掲載していこうと思います、天皇の御陵は10代程度とする
神社は一宮を主体にするが地方には由緒ある神社が多くあります
自分の心に閃いた神社も書き込みたいと考えております。
今後は課題でもある日本武尊の東海地区の足跡を掲載する予定を建てております。
一つ」質問があります、このような掲示板はdionでは使えないのでしょうか亦dionでも使える掲示板があれば教えてください。
138、法隆寺、かたばみ、 Mail、1999/12/23 (木) 22:01
ひいさん、こんにちは。
飛鳥時代の大工の知恵の結晶が法隆寺だ、と数年前に亡くなった宮大工の西岡常一氏がいってます。
ただ・・すごい技や知恵があってもそれを生かせる材料がないとどうにもならないのも現実。
法隆寺が作られた当時にすでに良い木材は枯渇しはじめていたようで、東大寺の柱では細い材を束ねたものになっています。
現代では良い木材はさらに少なくなっているので、当時の技をそっくりそのまま生かすことはできないかもしれませんが、その考え方はいろいろな方面でも生かされていると思います。
なお、釘を使わずに作るのを自慢したりすることがありますが、法隆寺では釘を使っています。
「木に学べ」法隆寺・薬師寺の美/西岡常一著 をお読みになれば当時の技と現在の関係など参考になるかもしれません。
えーもうひとつの「南米の縄文人」については500文字では無理なので投稿・雑談コーナーに私の考えを書きます。
かたばみ(woodsorrel)
▲
137、こんにちは。質問があります。、 ひぃ 、Mail、1999/12/21 (火) 12:16
NatureLand
あるテレビ番組のビデオでみたのですが、縄文時期か弥生時期に、カヌーのような乗り物にのって、南アメリカまで日本人が渡ったという話しは本当でしょうか?
インディアンのDNAと一部合致するというようなことも言ってました。
弥生土器とよく似た土器がその周辺で発見されてもいると言ってました。
ちょっと気になりました。
よく知らないので、唐突な質問だったらごめんなさい。
136、今日は法隆寺を拝見しました。、 ひぃ、Mail、1999/12/21 (火) 12:03
NatureLand
5重の塔はいつみても美しいですね。
あの建築技術は本当に素晴らしいですよね。
いまも、どこかであの技術は活かされてるんでしょうか?
135、Re: リンクをようやく完成させました。、 s-tan、、1999/12/14 (火) 23:11
こんばんわ ひぃさん
>せっかくの書きこみの1部が消えてしまいました。
#わたしもやりました^^;、以降,off-lineでをムネとしてます。 ひぃさんの書いたぶん、もったいないですね。
>本棚リンクというコーナーをつくり、そこにリンクを貼らせていただきました。
#ありがとうございます、お手数おかけしました。
[NatureLand]の写真、ドイツの石鹸、きれいな形と色ですね。食器類も。。工業デザインの潮流,バウハウスの流れですね。
134、リンクをようやく完成させました。、 ひぃ、Mail、1999/12/14 (火) 10:39
NatureLand
本棚リンクというコーナーをつくり、そこにリンクを貼らせていただきました。
何か問題等がございましたら、ご連絡ください。
掲示板ですが、せっかくのかきこみを消してしまって、ごめんなさい。すごく残念なんです。ずっと、無料掲示板を捜していたんですが、(学校もさぼって・・・)
アダルトの宣伝がはいったりとか、まともなものがなかなか見つかりませんでした。
さっき、ようやくいい掲示板をみつけました。また是非遊びにきてください。
133、今日は、縄文の人々と神の縄について勉強しました。、 ひぃ、Mail、1999/12/13 (月) 07:45
NatureLand
こんにちは。
すごく詳しいんですね。
いつもいつも感心してしまいます。
少しずつ読んでいきます。
余談ですが、掲示板をごちゃごちゃとやっていたら、わけがわからなくなり(;;)
せっかくの書きこみの1部が消えてしまいました。
ごめんなさい。
132、Re:追記、s-tan、、1999/12/12 (日) 17:45
コマ犬
いえいえどう致しまして。狛犬は朝鮮半島・沖縄ではカタチも含めてちと違うようです。
>日本の遺跡と世界の遺跡の違いや共通点がすごくすごく気になります。
#ほんとうに気になりますね。なかなか現地での実体験ができないのがネックですが。
そういえば、アルプス近くの村での、日本東北の「なまはげ」とほぼ同じ祭の紹介があり、TVに見入ってました。
リンクありがとうございます。こちらも早速リンクしました。
MLは、年間2、3度になりそうなので予定はありません、きまぐれで・・^^;。
パソコン通信時代からのMLが、今hpの雑談コーナーに形を変えています。
>一応私もためしで作りましたが、誰も入ってくれないんですぅ(;;)マイナー
#ちょっとお邪魔しましたが、入り方が分からなかった。すみません。
131、 追記、 ぴぃ、cybershot@geocities.co.jp、1999/12/11 (土) 07:21
www.galstown.com/deai/002/pppchan/
簡単にできるメーリングがあります。
もし、STANさんが古代に関するメーリングを作ってくれたら、絶対に入りたいと思います。
詳細は、私のHPの「Gグループ詳細をみてみる」をクリックしてみてください!
一応私もためしで作りましたが、誰も入ってくれないんですぅ(;;)マイナー
▲
130、リンクのお願い、ぴぃ、cybershot@geocities.co.jp、1999/12/11 (土) 07:15
www.galstown.com/deai/002/pppchan/
個人的にとてもとてもこのHP が好きなので、リンクさせていただいてよろしいですか?
番犬の話しはとても勉強になったし、うれしかったです。ありがとう。
あと、つまらないことですが、以前の掲示板はIP アドレス等までが表記されていたので、迷惑がかかるようなことがあるといけないと思い、新掲示板へ移動させていただきました。すみません。
129、Re^2:コマ犬、ぴぃ、cybershot@geocities.co.jp 1999/12/11 (土) 07:10
www.galstown.com/deai/002/pppchan/
> 神社の獅子というと、狛犬、その名の通り「高麗犬」です。^^。
> 寺の門にある阿吽(アウン)の仁王像と役割は大体同じでしょう。右は阿像で「始まり」、左は吽で「終り」を表すと言われます。まあ兼信の春日山の仁王門は左右がぎゃくになってますが。
> 仁王と同じ様に神社の狛犬も阿・吽の並びは大体おなじです。神社には仁王門はあまり無く隋神門(門の左右に官人等)があります。
>
> コマ犬の説には、部族のトーテム、隼人が朝廷の警護に就いていた、6世紀頃の高句麗からの伝来。等ですがいずれも高句麗にからんでます、ま、縄文から犬は友人というもの。エジプトからというのも。
> 社の守護というか門番以外の役目に、神の使いというのがあり。コマ犬としての形は、稲荷の狐の他に、猪、竜、ネズミ、兎、亀、などがあります。
>
> コマ犬は寄進が多く、(息子)が戦場から無事帰って来たから等で。これは鳥居などもそうです。
勉強になりました!ありがとうございます。漢字が・・・・・難しい・・・・・・。
でも、本当に詳しいんですねー。
日本の遺跡と世界の遺跡の違いや共通点がすごくすごく気になります。
128、Re^3:八咫烏神社、s-tan、、1999/12/10 (金) 20:51
こんばんわ
>なにかありましたら、二月十三日頃ご報告致します。
#お待ちしております。
2月中旬ですと、雪の可能性はありますが阪奈道路・三重側、ひと山先の吉野に比べると宇陀は少ないとは思います。
[maguro]=間黒=尾張一宮関連?と、連想しましたが、外しました^^。
127、Re:神奈備の無料掲示板 消えましたのでしばらくお願いします、s-tan、、1999/12/10 (金) 20:50
こんばんわ
緊急避難的・状況のようですね。どうぞ、お使い下さい。>神奈備掲示板・ご参加の皆様。
この(nifty)の掲示板は、@1回・500文字までの制限がありますので、お気をつけ下さい。 on-lineで書上、upして文字数をオーバーしていると総て消えます^^;。
文字数が長い時はoff-lineで書き上げた方が良い様です。500文字の目安はだいたい1画面以内の量です。
>これを組み合わせれば、トヨウケには「その他の中の一番」となり、最高神・者の次、またはそれを嗣ぐ神・者と理解できそうです。いかがでしょうか。
#なかなか面白いです。どこだったかの宮司さんも、スキ=Nextの意味のようなことを謂われてました。
126、Re^2:八咫烏神社、日本男兒、 mejimaguro@geocities.co.jp、1999/12/10 (金) 19:29
レスありがとうございます。
> 宇陀の八咫烏神社をご存知とは、古代・神社にはなかなかの見識をおもちですね。
それはかいかぶりです。ただのウヨクです。
> 石上社は、境内社になかなかのモノがあると思いますが、
> ゆっくり参詣できませんでした。なにかありましたらご教示ください。
なにかありましたら、二月十三日頃ご報告致します。
> 宇陀から吉野へ向かう道は、ゆったり時が流れているようで、 自転車などで周ると丁度良いかも知れません、車でしたのでかなり見逃しています。
雪とか降りませんか?
当日の気象状況次第、とさせて下さい。
> アドレスに[maguro]がありますが、ひょっとして尾張の方でしょうか。
いえ、メジマグロは黒マグロの幼魚の呼称であります。
125、神奈備の無料掲示板 消えましたのでしばらくお願いします、瀬藤禎祥、setoh@osaka.email.ne.jp、1999/12/10 (金) 14:18
神奈備
神奈備の瀬藤ともうします。古代と神社の掲示板をやっていましたが、不意に無料掲示板が消えてしまいました。しばらくお借りして、ひょっとしたら合流さして下さいとお願いするかもしれません。その時はよろしく。
124、トヨ 続きの続き、瀬藤禎祥、1999/12/10 (金) 14:14
神奈備
比売神は地域の神となった姫を言う場合もあるようです。宇佐の東海上の姫島の比売許曽神社は比売神社ですから、この女神かもしれませんね。
八幡神は少童神、母を追いかけるのは子供、日鉾は赤留比売を追いかけ、応神は神功の腹の中で移動、仲哀あたりは卑弥呼と台与の間の男王の頼りないイメージですね。
さすれば武内宿禰は男弟の役割でしょうか。記紀の往古の話は資料に伝説などを組み合わせた小説みたいな物でしょうから、それぞれモデル化されているのでしょうね。
123、トヨ 続き、瀬藤禎祥、1999/12/10 (金) 14:14
神奈備
ここからは瀬藤の追加ですが、大嘗祭でユキ、スキの建屋がありますが、ユキは豊受=止由気の由気、スキには次NEXTの意味があるのではと吉野祐子さんんが指摘されています。逆にユキはここではTOPと言う事でしょう。
これを組み合わせれば、トヨウケには「その他の中の一番」となり、最高神・者の次、またはそれを嗣ぐ神・者と理解できそうです。いかがでしょうか。
122、トヨについて、瀬藤禎祥、setoh@osaka.email.ne.jp、1999/12/10 (金) 14:13
神奈備
トヨについて
三一書房から『衝撃のネパール語』を出版されている生田淳一郎さんからのメールの概要を紹介します。 トヨ=鳥神、イイトヨ=梟と解読できる。Yo は「神」。
またトヨには素朴な庶民感覚での「十以上も……いっぱい」、そうしますと、主神に対して「その他大勢の神」という性格も出てきそう。とのご教授をいただきました。
ついでに、豊はホウ→梟の鳴き真似にも通じていると指摘され、メールのタイトルも「ほー・ほほう」でした。有り余る才気を感じますね。焼尻紋次郎の名もお持ちです。
121、Re:コマ犬、s-tan、、1999/12/09 (木) 20:27
>金ピ羅、拝殿での舞が印象強く、うどんを食べるのを忘れてしまいました^^。
神社の獅子というと、狛犬、その名の通り「高麗犬」です。^^。
寺の門にある阿吽(アウン)の仁王像と役割は大体同じでしょう。右は阿像で「始まり」、左は吽で「終り」を表すと言われます。まあ兼信の春日山の仁王門は左右がぎゃくになってますが。
仁王と同じ様に神社の狛犬も阿・吽の並びは大体おなじです。神社には仁王門はあまり無く隋神門(門の左右に官人等)があります。
コマ犬の説には、部族のトーテム、隼人が朝廷の警護に就いていた、6世紀頃の高句麗からの伝来。等ですがいずれも高句麗にからんでます、ま、縄文から犬は友人というもの。エジプトからというのも。
社の守護というか門番以外の役目に、神の使いというのがあり。コマ犬としての形は、稲荷の狐の他に、猪、竜、ネズミ、兎、亀、などがあります。
コマ犬は寄進が多く、(息子が)戦場から無事帰って来たから等で。これは鳥居などもそうです。
ps:隼人:アタ隼人などで南九州から朝廷の警護と服従の証しの舞などで「犬の遠吠え」などしたと言われる。現在の河内・加津良神社辺り等に配置されていたらしい。
120、Re:八咫烏神社、s-tan、、1999/12/09 (木) 20:26
ようこそ 日本男兒さん
宇陀の八咫烏神社をご存知とは、古代・神社にはなかなかの見識をおもちですね。
石上社は、境内社になかなかのモノがあると思いますが、ゆっくり参詣できませんでした。なにかありましたらご教示ください。
宇陀から吉野へ向かう道は、ゆったり時が流れているようで自転車などで周ると丁度良いかも知れません、車でしたのでかなり見逃しています。
アドレスに[maguro]がありますが、ひょっとして尾張の方でしょうか。
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119、今日は金ピ羅を拝見しました。、ぴい、、1999/12/09 (木) 05:11
NatureLand
うーん。渋い。
質問があるんですが、もしご存知でしたら教えてください。
日本の神社などの入り口に「獅子」とか「狐」とか飾ってあるのですが、あれの意味はなんなんでしょう? エジプトなどの古代遺跡にも参堂?らしき入り口には動物みたいなスフィンクスみたいなものが並んでいますよね。
どういった意味があるのかなあ?って素朴な疑問を持ちました。
では。
118、八咫烏神社、日本男兒、 mejimaguro@geocities.co.jp、1999/12/08 (水) 22:03
宇陀の八咫烏神社が掲載されているのを拝見して感激しました。
来年の紀元祭は金曜日ですので、一泊して翌土曜日に石上神宮と併せて参拝するつもりでおりました。
117、Re: 散歩がてら寄らせていただきました。、s-tan、、1999/12/05 (日) 00:02
ようこそ ぴいさん いらっしゃいませ
>古代が最近、とても気になります。
#どの辺りが気になりますか。お散歩の途中に、ちょっと寄り道してつぶやきなどどうそ。
[ NatureLand ] topだけですが伺いました。素敵な構成ですね。またゆっくり伺います。
116、散歩がてら寄らせていただきました。、ぴい、、1999/12/04 (土) 08:38
[ NatureLand ]
古代が最近、とても気になります。
また、お散歩によらせてもらうかもしれません。よろしくお願いします。
115、Re^3: おひさです。、s-tan、、1999/12/03 (金) 18:44
香取の奥の展望台、なかなかですね。近くに馬場跡などもあって散策には良い所です。
鹿島・水郷・の展望には、車でしたら東関東自動車道の佐原SAの展望台がお勧め。あと国道356沿い、とか、小見川あたりの道路に沿った小高い処にある神社が、古い(海が筑波山近くまであった頃^^;)地形を想像させる処が結構あります。
>そうするとこの時代の関東って蝦夷との激戦地なので、その霊的な要だったのでしょうね。側を挟んで両側にあるっていうのも、戦略的拠点の建て方を思わせますネ。
#そうなのですね、鹿島・香取も地元神が案内したとか馬を集めて来た、とか、船を使っての神事には、凱旋とか「威」を見せ付ける感じがありますね。
中臣(鎌足)以前から有名だった様子で、鹿島の元宮・大生神社も霞ヶ浦対岸にあったりしたりで、戦略拠点以外の理由があるのではないか、と思っているのですが。。
常陸風土記に「鹿島の神が大坂山に現れた・・」とか。本殿(荒宮だったか)の内陣は出雲大社と同じ間取りとか、ま、これは出雲熊野とか、方向の違う神魂神社とか、色々ありますが。
千葉の神社も、そろそろupの予定ですが、重なる転居で資料が見つからない^^;
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114、Re:出雲地区の神社掲載しました、s-tan、、1999/12/03 (金) 18:43
こんばんわ
出雲大社など、神社拝見させて戴きました。
近くまで行きながら立寄ることの出来なかった、佐太、白兎、倭文、特に興味をもって拝見しました。
恐縮ですが、お願いがあります。1ページに写真を沢山掲載されてますが、1ページの容量を、100kb位までにして頂くと、読込み完了までの表示が速くなり助かるのですが。
なにしろ小生のパソコンは、モデムが336−、メモリー64でちと遅いものですから。
113、Re^2: おひさです。、千夜、chiya@sunbit.or.jp、1999/12/01 (水) 09:58
千夜のTRPG
> どちらも広大な杜をもってますね、香取の奥には展望台もあって。甘酒飲んでお土産に甘酒、というのがパターンでした。
香取に展望台ありましたよ。22日の平日だったためお店は閑古鳥でしたが、一望できる眺めは良かったです。
> フツノミタマの大刀、ガラスケースのendにあるのですね、覚えてます。平家伝来の小烏丸の刀、記憶にないです^^;また行かなくてわ。
フツノミタマって2代目なんですね。是非今度は1代目を見に行きたいと思っているこの頃です。
> 神宮と呼ばれる社、香取・鹿島・伊勢と3神宮の時代があったような。。なぜ関東に2つなんでしょ。
神話では、皇紀元年に建設ってありますが、実際は奈良時代らしいのですが、そうするとこの時代の関東って蝦夷との激戦地なので、その霊的な要だったのでしょうね。側を挟んで両側にあるっていうのも、戦略的拠点の建て方を思わせますネ。
112、出雲地区の神社掲載しました、日本武尊、zpmasasi@d1.dion.ne.jp、1999/12/01 (水) 00:17
道を尋ねて
出雲大社参拝の経路に於ける参拝した神社の写真を掲載しました
始めて多くの点数を掲載しましたが、中央に寄せるべきであったと思いますが次回から細部の配慮を心がけて行く所存です。
111、 Re: おひさです。、s-tan、 1999/11/30 (火) 22:38
こんばんわ 千夜さん
レポありがとうございます。
鹿島&香取、ですか。暫く行ってないです、一時期初詣の社だったのですが。
高速バスが出てるのですね知りませんでした。
どちらも広大な杜をもってますね、香取の奥には展望台もあって。甘酒飲んでお土産に甘酒、というのがパターンでした。
フツノミタマの大刀、ガラスケースのendにあるのですね、覚えてます。平家伝来の小烏丸の刀、記憶にないです^^;また行かなくてわ。
神宮と呼ばれる社、香取・鹿島・伊勢と3神宮の時代があったような。。なぜ関東に2つなんでしょ。
110、おひさです。、千夜、chiya@sunbit.or.jp、1999/11/29 (月) 19:58
千夜のTRPG
鹿島&香取に行ってきました
ということで、ごく簡単なレポです。
鹿島神宮は、東京駅から高速バスが出ており2時間で行けます。
うっそうとした森に囲まれた神社で、森林浴を兼ねてで気持ち良かったです。啄木鳥とかも見れて、自然の 多さに感服でした。
メインはやっぱり宝物館のフツノミタマの剣。これ、2.7mもある直刀なのですが、やっぱ長かったです。 もっと太いものかとおもっていたのですが、普通の刀を長くしたもので、これが奈良時代に打たれたという のには驚きです。
でも、それよりも平家伝来の小烏丸を模した刀がありその形に驚きです。その刀は若干反っているのですが 刀の半ばまで「両刃」なんですね。根元は普通の刀と同じく片刃なのに…。切り返しの時の攻撃に役立つの かな〜? まるで、鳥の風切刃のような感じでとっても気に入った次第。
109、Re:リンク変更のお願い。、s-tan、、 99/11/27 (土) 02:02
こんばんわ きよみさん
URLの変更連絡ありがとうございます。早速、リンク変更しました。
108、Re:はじめまして、s-tan、、1999/11/27 (土) 02:02
いらっしゃいませ ししんさん
「秦氏」「日ユ同祖神」おもしろいですね。かの地は遠いですが「胡」のつくモノは多いですし。秦のつく国も一時期半島近くに多くて遊牧民・西域につながる様です。
>これからも、質問何かでお邪魔させて頂きますので今後とも宜しくお願いします。
#こちらこそ、よろしくです。ご質問・雑談おまちしてます。
107、リンク変更のお願い。、きよみ、asuna_kiyomi@geocities.co.jp、1999/11/24 (水) 21:45
yellowrattle
こんばんは。きよみです。
「Yellow Rattle」のURLが、変更になりましたので、リンクの変更をお願いしたします。
お手数ですが、よろしくお願いいたします。(*^-^*)
URLは、http://homepage1.nifty.com/yellowrattle/です。
また、遊びにきてください。
「SILVER MOON RED MOON」にも!
106、はじめまして、ししん、、1999/11/20 (土) 21:13
[摘星庵]
はじめまして、ししんと申します。
いや〜、最近神社に心惹かれるものがあって、色々探していましたら、何やら凄い所へやってまいりました。
とても興味深く拝見させて頂きました。掲示板も濃い内容でとても面白かったです。
上手く纏めてあって凄いですね。
私は「秦氏」等の「日ユ同祖論」みたいなものから、神社に興味を持つようになったのですが、神社て奥が深いですね。調べても、調べても謎が深まるばかりです。
これからも、質問何かでお邪魔させて頂きますので今後とも宜しくお願いします。
105、Re: 一の宮の写真掲載、、1999/11/02 (火) 20:10
こんばんわ。
着々とおすすみですね。早速拝見させていただきました。
特に広島から西は殆ど未探索でして、九州、山口とじっくり拝見させていただきました。
諸国一の宮、これからも拡充おまちしております。
104、Re: 時のふしあな、s-tan、、1999/11/02 (火) 20:09
いらっしゃいませ たか さん。
不在してまして&nifのエラーでコメントが遅くなりました。
> 歴史館「時のふしあな」の管理人です。
>当館はこの度、一周年という事で、更新を行い、
>「天の日槍(アメノヒボコ)」をCGで綴ったCG絵本を
>展示しております。
#伺わせて戴きました。
丁度、兵主神と射楯神の話が出ていまして興味深く拝見しました。
絵もいいですね。写真(orCG)も考証・復元として興味を持って拝見しました。
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103、時のふしあな、たか、kattyan@pg.highway.ne.jp、1999/10/24 (日) 14:10
時のふしあな
謹んでご案内申し上げます(^O^)★
『 こんにちは。古代の方にご案内してます。
歴史館「時のふしあな」の管理人です。
当館はこの度、一周年という事で、更新を行い、
「天の日槍(アメノヒボコ)」をCGで綴ったCG絵本を展示しております。
日本の古墳時代の物語です。
また、テーマに沿った素材屋も始めました。
もしよろしければお越し下さい。 』
時のふしあな:管理者 ’99.10
102、Re: はじめまして、s-tan、、 1999/10/19 (火) 15:37
いらっしゃいませ 春桜庵主人さん。
>私も色々な神社を見て歩くのが好きなので、次は何処へ行こうかと
>空想を膨らませながらで見させていただきました。
#ありがとうございます。なにかお役に立てれば幸いです。
>私も、春桜庵度日記・喜談書屋というコーナーをHP内に作っており、
#拝見させていただきました。“たび”でのご見聞、神社・神々へのおもい、こちらでもぜひご紹介ください。
101、はじめまして、春桜庵主人、taka-da@amy.hi-ho.ne.jp、1999/10/17 (日) 23:19
春桜庵
始めまして、春桜庵主人ともうします。
民俗学・神社関係のページを探していて、偶然見つけました。
神社探訪は、非常に興味深く見させていただきました。
私も色々な神社を見て歩くのが好きなので、次は何処へ行こうかと空想を膨らませながらで見させていただきました。
私も、春桜庵度日記・喜談書屋というコーナーをHP内に作っており、共通する点も多いかと思いますので、ぜひご覧下さい。
100、神道用語、「s-tan」、、1999/10/11 (月) 22:23
むずかしいですね、カタチが先にあったのでしょう。それを呼ぶ言葉が部族毎にちがっていたり、したかも。
ま、ヒトの行動はデジタルじゃないからコトバも明確な線引きは難しいのかもですね。
99、ありがとうございます(Re^2: おひさしゅう…)、「千夜一葉」、chiya@sunbito.or.jp、1999/10/08 (金) 12:00。 千夜のTRPG
s_tanさま
お越し頂きありがとうござます。かなり、大雑把に書いてしまったので、
誤解を招くような書き方をしていないか不安で、補足に次ぐ補足で見苦
しいような…。やっぱ神道の用語って難しいです。1つの物(物体)でも
使われ方で、意味や名前すら変わるのですから…。(泣)
> ps:今、千夜さんの掲示板伺ったのですが多分ビジーではねられました^^。また伺います。
tcupの無料掲示板を使わせて頂いているので、ビジーになることは多い
様です。暫くすると入れるので、こんなものかな〜程度で使っている次
第です。(^^;)
98、Re: おひさしゅうございます。神道用語まとめました。「s-tan」、、1999/10/07 (木) 21:25
千夜さん こんにちわ、お元気でしたか。
早速伺いました。まとめにくいところを良く纏めていらっしゃる。ご苦労の跡がわかります^^。
大麻と振る動作については、阿片・大麻のタイマと酒の力をかりてのものと2系統なのか、どちらかが先なのか今ちと気にかかっています。
ps:今、千夜さんの掲示板伺ったのですが多分ビジーではねられました^^。また伺います。
97、おひさしゅうございます。神道用語まとめました。、「千夜一葉」、chiya@sunbito.or.jp、1999/10/06 (水) 10:20。 千夜のTRPG
s_tanさま
ご無沙汰しております。
かなり前に、ここの掲示板で神道でお祓いのときに振るう大麻について
お伺いした件を、やっとではありますが、自分自身の言葉でまとめなお
してみました。
まとめなおして、調べなおして、やっとおぼろげながらわかってきた次
第です。もしよろしければ一度アクセスしていただければ幸いです。
この掲示板にて、色々と教えてくださった皆様、本当にありがとうござ
いました。
神道用語
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