M-18




 

ピアノ





加 藤 良 一

 

 


 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
 どこで生まれたか、とんと見当がつかぬ。なんでも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていたことだけは記憶している。吾輩はここで始めてピアノというものを見た。しかもあとで聞くとそれは楽器の中でもいちばん高貴にして万能な種族であったそうだ。このピアノというのは時々我々を捕まえて煙りに巻くという話である。しかし、その当時はなんという考えもなかったから、べつだん恐ろしいとも思わなかった。ただピアノの上に載せられて歩き回った時なんだかフワフワした感じがあったばかりである。


 ピアノは猫が鍵盤の上を歩いても音が出る。ヴァイオリンやギターなら爪で弦を引っ掻けばすこしは音がするだろう。ところが、フルートやクラリネットでは、猫がどんなにじゃれたところでウンともスンともいわない。こんなことはしごく当然のことで、いまさらの話しではない。


 「ピアノの音色はタッチで変わるか」(吉川茂著、日経サイエンス)という本がある。副題が「楽器の中の物理学」と付いている。著者は、名古屋大学理学部出身で物理学を専攻した水中構造音響学の専門家である。楽器の音がどのように出てくるかに強い関心をもっており、いろいろな楽器について研究している。この本には、ピアノだけでなく、フルート、尺八、クラリネット、ホルン、ヴァイオリンなどについても書かれている。
 本の冒頭に「楽器というものは物理的側面のほかに、音楽的、歴史的、人間的側面をもった、ひとつの確固たる存在なのです。最終的には、『科学と芸術の対立』というパラダイムを考察することが、楽器を科学的に見ようとする立場の人にも、楽器を芸術的に生かそうとする立場の人にも、必要になるでしょう。」と書かれている。つまり楽器を題材に「科学と芸術の接点」を模索してみようとしているのである。さらに、「ピアニスト無用論」という刺激的な主張を展開した兼常清佐(かねつねきよすけ)氏を引き合いに出し、もうすこし「タッチ」というものが厳密に使われないだろうかと考えているようである。

 ピアノという楽器を一口で言うならば、<指 → 鍵盤 → 伝達メカニズム → ハンマー → 弦>という機構で成り立っている。しかし、問題は、ハンマーが飛び上がった瞬間から鍵盤とは完全に切り離されてしまうことである。つまり、そこから先はピアニストにとってまったくコントロール不能なのである。それが「ピアノの音色はタッチで変わるか」という問題を提起する大きなポイントなのである。
 宙に跳ね上げられたハンマーは自由運動で弦にぶつかるだけであり、ピアニストにできることは、せいぜいハンマーを突き上げる初速度を加減することだけである。
 ピアノは楽器の中でも歴史が新しいもののひとつに入るだろう。その発展の過程には近代の技術(科学とはちがうだろう)革新によってもたらされた改良がいたるところにある。とくに材質については、昔では考えられなかったものが使われるようになっているようだ。さらに、素人が軽々しく口は挟めないだろうとは思うが、各種の測定機器が進歩したこともピアノの改良に大きく寄与しているのではなかろうか。
 現代では、もうピアノはほとんど完成された楽器のように思われているふしがあるが、けっしてそうでもないようだ。もっとも何をもって「完成」と呼ぶかにもよるだろうが、スタインウェイを例にとれば、おそらく二台として同じ音色、響きのものはないとも言われている(「スタインウェイ物語」高城重躬(たかじょうしげみ)著、ラジオ技術社)。これを「個性」とみるか「未完成」とみるか、議論が割れるところであろう。
 音楽評論家である高城氏は、東京高等師範学校理科に入学と同時に東京音楽学校(現在の東京芸大)選科のピアノ科、後に作曲科に進んだいわば音楽家であるが、その氏が「タッチ」には二つの意味があると言っていることは重要である。私が周囲のピアニストに「タッチ」について質問したとき、まさにこの点が分かれ目になっているのである。このあたりの詳しいことは別の機会に譲ることにしよう。

 さて、そもそもピアノの「タッチ」とはいったい何のことだろうか。これをお読みのあなたはどんなことを連想するだろうか。
 英語のタッチtouchという言葉には、かなり多くの意味や使い方がある。動詞としてもっとも一般的なものでは、触れる、接触させる、軽く叩く、押すあるいは打つ、〜に達する、比肩する、感動させる、言及する、着服する、などの意味のほかに、絵画に関係したものとして、軽く描くあるいは染める、色合いをつけるというものもあり、辞書で見る限りかなり広範な意味を持っている。また、音楽関係に絞れば、名詞として、鍵盤楽器とくにピアノの打鍵法、演奏様式、(鍵盤とアクション)のタッチ、手応えなどが出てくる。ここでいう「アクション」とは、鍵盤の動きをハンマーに伝える機構あるいはその機能などを指すといえばよいだろうか。
 一口に鍵盤楽器といっても、見かけ(奏法による分類)と実際の音の出方(発音原理による分類)はそれぞれ異なっている。
 たとえば、ピアノは奏法上は鍵盤楽器だが発音原理は打楽器である。オルガンは、笛などと同類で風の流れを鍵盤で調節してパイプを鳴らすし、チェンバロは、鍵盤の形こそピアノと同じだが、鍵盤につながった爪が弦を弾くというか引っ掻くことで音を出す撥弦(はつげん)楽器だからギターなどと同じ仲間である。したがって、ピアノ以外の鍵盤楽器で「タッチ」が問題視されることは、まずないにちがいない。

 「タッチ」は、また、それを語る人によって意味するところが微妙に変わっていることに注意しなければならない。大きくわけると、演奏者や聴く側はピアニストがどのように鍵盤に指を触れるかという、もっぱら「演奏方法」を指すのに対して、ピアノ製作者や調律師は鍵盤とアクションの「反応や動き」を指しているようである。
 蛇足ながら高城氏は、調律師ではなく調律家という呼び方を推奨していることを付け加えておこう。調律師というと、ただ音を合わせる調律だけをやると捉えられがちだが、そうではなく、もっと広い意味でピアノ全体の調整をする使命を帯びているから、そのことを伝えたくて、あえて新語として「調律家」という言葉を使っているそうである。

 ものごとの真の姿は、いろいろな角度から眺めることで見えてくるものである。ピアノについても、分野の異なる人々がどのように「タッチ」を感じているか、それらを検証することが吉川氏の言う「科学と芸術の接点」を模索することにつながるであろう。

 このテーマについては、ピアニスト魚水愛子氏の「ピアノとタッチ」(M-16)も参考にしていただきたい。


 



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