M-13




コンテスト指向合唱団寒々しいか


 


松 村 一 夫


2002年5月3日

 

 

 

 日本のコンテスト (コンクール) の現状を考えると、そう思えてしまうのだろうか。加藤さんの 「コンクール・こんくーる」 (M-4)でもコンテストに批判的なプロ音楽家のコメントが並んでいたが、我らアマチュア・コーラス・メン (ウィメン) にとってもそうであろうか。いや、そうであるべきだろうか。

採点するのが不条理???

 先の 「コンテストの審査について」 で、幾つかの尺度間の換算が難しいことを述べたが、一つの尺度についてはキチッと審査して、演奏の優劣を見分けるのは難しくはなかろう。ここでの問題は 「コンテストのレベルが高くなり優劣をつけ難くなったらどうするか」 だ。「採点をするというのは不条理ですらある」 のは、そんな高いレベルでの議論である。でも、それはかつての全盛期の大学合唱団や、元音大生で固めたような一部のお母さんコーラス位の話だろう。

 翻って、我々が歌っている普通のアマチュア・コーラスはどうか。限られたリソース(資源)で精一杯のことをやれば 「採点をするのが不条理なレベル」 の演奏が出来るのだろうか。そんな事はないのは皆さんご承知の筈。コンテストでの専門家による外からの刺激は、「精一杯」 や 「限られたリソース」 が言い訳でしかなかった事を思い知らせてくれる。普通のアマチュア・コーラスが 「採点が不条理」 な所まで行ければ 「エラい」 と褒めてあげたい。

コンテストと演奏会

 精一杯では通じないのは、コンテストに限らず演奏会も然り。「演奏会の費用を分担して戴く」 ためのチケット販売であっても学芸会ではないのだから、コンテストに出しても恥ずかしくない程度に磨き上げた演奏をするのは当然であろう。また、コンテストのために演奏能力を磨くとしても、その成果はコーラスの実力として演奏会にも自ずと反映されると考えるのが自然である。従って、コンテストを演奏活動の中心に据えたコーラスがあっても、「上手くなりたい」 というその姿勢が批判されるべきところはないと思うがどうだろう。

 ところで、演奏会について考えれば、その 「品質」 を 「顧客満足度」 で測るとしても、「真の顧客 (聴衆) 満足度」 を回収されたアンケートの枚数やコメントの量だけから測定することは難しい。精々、演奏会が終って出てくる聴衆の笑顔の割合位が頼りになる指標だろうか。アンケートにも掘り下げた演奏批評が書かれている事は少ない。当り前である。聴衆は演奏を楽しみに来るのであって、アンケートに批評を書くために来ているわけではない。

ではどうすれば

 そこで 「自己満足ではない、真の聴衆満足の演奏が出来ているかどうか」 という問いに率直に答えてくれる筈なのが 「コンテストの審査員」 というやや 「特殊」 な聴衆である。我々がコンテストで欲しいのは、より良い歌を歌うために今何を努力すれば良いか、という彼らの前向きのアドバイスである。そしてレベル・アップして臨んだ次のコンテストで更に次なる課題を明確に示してくれる審査員のいるコンテストが、我々アマチュアにとっての理想のコンテストではないだろうか。

 音楽は芸術であり 「採点をするというのは不条理ですらある」 と孤高を貫くのは、聴衆を意識しないなら、それで良いかも知れない。しかし、合唱とはハーモニーを通じてコーラスと聴衆が一堂に会して音楽を楽しむものであると思えば、コンテストはそのための触媒として機能するものであって欲しい。そのような 「コーラスのレベル・アップを手助けしてくれるコンテスト」 であれば、コンテスト指向のコーラスが寒々しい筈はない。

 寒々しく感じられるとすれば、それはコンテストそのもののせいではなく、その審査に飽き足らないからではないか。或いはプロの卵達のように 「賞の実益」 にとらわれ過ぎているのではないだろうか。





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