3.入院・治療

2002年9月9日、紹介状を持って 大阪大学医学部付属病院へ行きました。ご担当は O 先生で親しみの持てる話しやすい先生で安心しました。 そしてこの病院では現時点で既に約 60 人ほどの人が小線源療法を受けた実績があることが判りました。
最も気掛かりであった小線源療法で前立腺に針を刺したまま仰臥の状態で 5日間身動き出来ないということも、色々説明を聞いてこれならなんとか いけそうだ、と少し気が楽になりました。
9月20日 ・ 外来診察、 9月27日 ・ MRI検査、 10月2日 ・ 入院、と決まりました。治療の様子を簡潔にまとめました。

入院・治療の経過     
2002年
9月9日
大阪大学医学部付属病院・放射線科外来へ、ご担当 O 先生に決まる
外照射でも内照射でも効果は同じ、外照射は通院でも可能と云われたが日数がかかる。5 日間の寝たきりは覚悟していたので内照射をお願いする。
9月20日 入院日程決定 ・ 10月2日入院、7〜11日小線源照射、16〜20日退院予定
9月27日 外来にてMRI検査
10月2日 入院 ・ 主治医 I 先生、担当 O 看護師さんと決まる。
14時-浣腸、15時-直腸診、超音波検査
治療法の概要について説明-5日間、背骨に細いチュ−ブを刺してポンプで麻酔、点滴。排尿はチュ−ブ。便は便秘状態にして消化の良いもの を摂る、水分はどんどん摂る、足はかなり動かせる。体はすこし横になれるとのこと。なかなか大変な治療のようだ。夕食後-下剤。
10月3日 食事-普通食、9 時-胸、腰のレントゲン。 13 時-小線源のビデオを見せていただく。 16 時-CT 検査
10月4日 血液検査-PSA他 12 時 30-O 先生、I 先生より説明がある。
PSA 67に上がる。ホルモン剤の術前投与で PSA を下げてからするのが普通。こんな高値でするのは初めてだ、と云われる。 内分泌療法は 5 年後には 80% が効かなくなり副作用もあるので出来るだけ使わない方が良いと思われるが、 前立腺癌について判らないことも多く、どちらが良いか判らないとのこと。直腸診、超音波検査、MRI、CT では被膜への浸潤はない。 針数は前立腺が 40g (通常の2倍) ほどあり普通 15〜16 本であるが少し増えるが照射量は変わらないとのこと。
10月5日 土曜日、 睡眠前に下剤
10月6日 朝食-普通食。 10 時 30-剃毛。 昼食-リキッド缶 250 ml。 12 時 30-腸洗浄、ニフレックを水 2 リットルで飲む。浣腸、排便約 10 回。 腸内奇麗になる。夕食-リキッド缶250ml。
10月7日 6 時-浣腸。朝食なし。7 時-硫酸アトロピン、セルシン錠。9 時-麻酔科にて背中に硬膜外麻酔のチュ−ブを入れる。
10 時-超音波画像のもと会陰部より針の刺入、側で O 看護師さんの進行状況の逐一説明があり、不安いっぱいの私を勇気付け てくれる。 合計 22本、前立腺が大きいため増えた。針を刺すのはほとんど痛みはなかった。テンプレ−トを尻の皮膚に縫い着け、テ−プで腰に固定。 その後、針の位置をコンピュ−タ−に記憶させ最適な線源の位置と時間を決め放射線が前立腺に均一に当たるようにセットする。
16 時-1 回目照射 ( イリジュウム照射 54Gy/9fr/5d )、約 20 分。照射した瞬間にコツコツと音がして軽いショックが伝わる。今夜から仰臥のままで動けない。排尿はカテ−テル、 排便は便秘状態にしてストップ。背中のチュ−ブからポンプで麻酔薬が常時注入されているがやはり少し痛い。それに腰痛が加わり難行苦行が始まった。
10月8日 昨夜は腰の下にタオルを挟んだり足の下に枕を入れたり一晩苦しんだが、足は比較的自由が利き、だんだん慣れてきた。少しは寝られるようになってきた。食事は低残渣食が出るが食欲はない、無理やりに食べる。上半身が起こせないので自分で食べることは出来ないので 食べさせてもらう。
9 時、2 回目照射。16 時、3 回目照射
10月9日 昨夜、就寝中に足が針の上に乗り位置が少しずれたことが判明。CT にて再度位置の確認をする。測定の結果約 5 mmずれていたとのこと。 テ−プをはがして針を押し込んで固定し直す。今夜から体の移動を監視するため肩に移動防止センサ−を付けられることになる。麻酔薬も少し増やしていただく。
9 時、4 回目照射。16 時、5 回目照射
10月10日 大分慣れてきて食事も半分ぐらい食べられるようになった。低残渣食とはいえお腹が少しづつ張り出し苦しくなる。注射器で腸内容物 を少し抜いてもらう。
9 時、6 回目照射。16 時、7 回目照射
10月11日 9 時、8 回目照射。16 時、9 回目照射 総照射量は54Gy/9回/5日(イリジュゥム照射)であった。
食欲も少し出てきた。今日で照射は終わり針が抜ける。 照射終了後、針を抜く。痛みもなく、抜糸、消毒してあっけなく終わる。昼夜の区別なく巡回して下さった先生や多くの看護師さんに感謝、思わず涙がこぼれる。
許可が出たので久しぶりにキツネウドンを食べた。 麻酔薬のチュ−ブもなくなったので針跡が痛みだした。真夜中、痛み止めの麻酔の注射をしてもらう。
10月12日 普通食に戻って自分で食べることも出来るようになったがあまり食欲はない。ベッドの上に座ると尻の傷が痛む。放射線障害で頻尿、頻便がおこる。常時、尿はカテ−テルから排出されるが、排便時に起こる尿意による排尿は何故かカテ−テルからは出ないで尿道 から出ようとするらしい。この時尿道に激痛が走り尿道口より血が滲み出る。
思わぬところに伏兵があり、この痛みで 4 日間苦しむことになる。個人差があり全く痛みのない人もいるらしい。
10月13日 頻尿、頻便が続く。失禁はないが急にくるので間に合わないことも。食欲はあまりないが 60% ぐらいは食べられるようになる。
尿には未だ血が混じっておりカテ−テルは抜けそうにない。
10月14日 今日は祝日で病院食も鮭ご飯のご馳走だ。家内が鰻丼を持ってきてくれた。久しぶりで美味しかった。しかし相変わらず便所は苦痛。 排便時に力まないように、と云われるが生理現象で反射的に尿意が起こるので止めようがない。相変わらず激痛が走り尿道口より血が噴出す。
10月15日 ようやく膀胱の容積を確認してカテ−テルを抜く許可が出た。これで全てのチュ−ブが取れ、自由に歩けるようになった。 売店に買い物に行く。ベッドに座ると会陰部が痛いので中央が窪んだクッションに座る。
10月16日 昨夜は 2 時間おきにトイレに行く。尿意と便意の区別がつかず、便は 2 回に 1 回ぐらいしか出ない。尿に血も未だ混じる。尿は計量器に入れて 計量する。尿量は 50〜100ml。食欲も出て 100% 食べる。出来るだけ歩きなさいということで病院の庭に出て散歩する。途中で急に尿意があり 採尿出来ないこともあった。
10月17日 庭の散歩。あまり歩くと尿に血が少し混じるようだ。排尿痛と前立腺の周期的な痛みがある。1 日の排尿回数、16 回。便は 7 回。
10月18日 7 時-採血。尿の出はまだ少し悪いが血はほとんど出てないようだ。今出ている放射線障害は徐々に治っていくが、1〜2 ケ月かかる、 PSA も直ぐには下がらない、個人差があり数ヶ月、数年の単位でみる必要がある、とのこと。退院 21 日に決まる。排尿回数、15 回。便は8 回。
10月19日 昨夜もほぼ 1 時間毎にトイレ。血はほとんど混じらず出方もだんだん改善されている。しかし尿意が急に来ることもあり尿取りパッドを付ける が失禁は全くないので外してしまう。排尿回数、17 回。便は 8 回。
10月20日 7 時 20 起床、洗髪、体を拭く。昼は家内がお寿司を持ってきてくれる。トイレの回数も減ってきた。しかし未だお尻は痛い。 いよいよ最後の夜だ。担当の O 看護師さんが明日は休みなので、と挨拶にこられた。後1 ヶ月の辛抱ですと云われる。 本当にお世話になりました、御礼申し上げます。排尿回数、9 回。便は 6 回。
10月21日 7 時起こされる。いよいよ退院の日だ。I 先生、O 先生こられる。PSA が下がるのに 1〜2 年かかるかも知れないが、1 以下を 目標にしている、 とのお話に安心する。高槻赤十字病院との連携も必要で定期的に外来で来るように、とのこと。本当にお世話になり有難うございました。
14 時-教授回診。I 教授に「苦しかったことは忘れました。お陰様で快方に向かっています。有難うございました」と云うと「それはよかった。それが人間の良いところだ」と云われる。
I 先生、O 先生、献身的な看護をいただき励まして下さった O 看護師さんをはじめ多くの看護師、看護助手の皆さん、本当に有難うございました。 そして 大阪大学医学部付属病院の小線源治療を紹介して下さいました 高槻赤十字病院の H 先生に御礼申し上げます。 そして殆ど毎日来てくれた家内に感謝します。

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