■BC600〜BC55

■BC55〜AD84



BRITAIN
St. Albans セント・オーバンズ
Wheathampstead ホイートハムステッド
Bigbury ビッグベリー
Braughing ブローイング
Loose ルース
Salmonsbury サーモンズベリ
Hengistbury Head ヘンギストベリー岬
Dyke Hills ダイク・ヒルズ
Old Sleaford オールド・スリーフォード
Stanwick スタンウィック
Selsey セルジー
Silchester シルチェスター
Badbury Rings バドベリー・リングス
Danebury デーンベリー
Maiden Castle メイドン・カースル
South Cadbury サウス・カドベリー
Herefordshire Beacon ヘリフォードシャー・ビーコン
Bury Ditches ベリー・ディッチズ
Carn Goch カーン・コッホ
Moel y Gaer モエル・イ・ガエリ
Old Oswestry オールド・オズウェトリー
Walesland Rath ウェールズランド・ラース
Tre'r Ceiri トレル・ケイリ
Carrock Fell キャロック・フェル
Ingleborough イングルバラ
Eildon Hill エイルドン・ヒル
Traprain Law トラプレイン・ロー
Finavon フィナヴォン
Tap o'Noth タプ・オノス


Ireland
Dun Aengusドゥン・エンガス
Tara タラ
Navan (Emain Macha) ナヴァン(エヴィン・マッハ)
Dun Ailinne ドゥン・アレァネ
Brusselestown Rings ブラッセルズタウン・リング
Staigue ステイグ
Cruachain クルーハン


以上の読み方は一般的なものから採用したもので正しい英語(アイルランド語)の発音とは必ずしも一致しません。

先史時代におけるBRITAINとIRELAND
【B.C.600〜B.C.55】

 ブリテンとアイルランドは少なくとも紀元前6世紀もしくはそれ以前から地中海文明の人々にその存在を知られるようになっていた。しかしユリウス・カエサルがB.C.55年から54年にかけてこの島に侵攻する以前の信頼できる資料は存在しない。
 この時代ブリテンは二つの異なったケルトの民族で占められていた。フォース・クライド地峡を境に南のブリトン人北のカレドニア人である。
 カレドニア人がどのような言語を話す人々であったかはほとんどわかっていないが、おそらくブリトン語と似たようなものであったと推測されている。
 ブリトン語はガリア語と関連があり、今日のウェールズ語の祖先に当たる言語である。
 アイルランドにはローマ人がヒベルニと呼んだ人々が住んでおり、Qケルト語に属する古ゲール語を話していた。

ケルト

丘砦 Hillfort 青銅器時代に建築され始め鉄器時代に全盛期を迎えた、部族全体の避難場所および首長の住居。

オッピドゥム Oppida 部族全体の避難場所および首長の住居は、前1世紀頃から、より低地に造られるようになった。これが都市の原型となるオッピドゥムと呼ばれるものである。

 ブリテン島南部は大陸のケルトであるガリアのベルガエ人と密接な関係を持っていた。ベルガエ人の一部はB.C.100年頃Southampton周辺に移住してきたと思われる。