Moonshine <Pray and Wish.>
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Interlude 02 「魔女の追憶」

 夜も更けた頃。晃司は一人で研究所の屋上にいた。
 ぼんやりを夜空を見上げながら、口を大きく開けて息を吐き、その白さを確かめる。いつものコートを羽織っているが、寒いものは寒い。
 しばらくして、待ち人が訪れた。
「呼ばれた通り、来たぜ?」
「詩織ちゃんまで連れて来いと言った覚えはないんだけどね……」
 拓也が詩織を伴って現れたことに、いささか苦笑を浮かべながら晃司は言った。
「一つね、聞きたいことがあったんだ。詩織ちゃんは居ない方がよかったかもしれない……」
 その言葉で拓也は用件を察したようだった。表情が翳り、どこか寂しげな目で晃司を見る。
「シェラのことか」
「ああ。なぜ殺す必要があった? 確かにシェラは正常な状態にはなかった。だが、殺して止める以外に方法はなかったのか? 僕はそれが知りたいんだ」
「…………」
 拓也は黙したまま何も語ろうとはしなかった。研究所の屋上から見える、シェラの死んだ森を、無言で見下ろしていた。そんな拓也を、晃司は責めるように見据える。
「あの、私、外しましょうか?」
「……いや、話しておいたほうがいいだろう。詩織にも聞いておいて貰いたいんだ。その上で俺を許せないというのなら、それも仕方ない話だな」
 小さく溜息をつき、拓也は晃司の方に向き直った。
「あいつはもう余命いくばくもない身だったんだ」
「どういうことだい?」
「俺も詳しいことは知らない。多分、肺か心臓だと思うんだが……。よく咳き込んだり、血を吐いたり、いつも苦痛に耐えていたんだ」
「だとしても! 拓也にシェラの命を奪う権利があったのか!?」
 晃司がまだ倭高専で学生をしていた頃、シェラは晃司のクラスメートであり、同居人だった。晃司が風間の許を去った後も、晃司にとってシェラは精人と戦う同志であったし、漣と音々にとってもシェラが卒業して峰誼家に戻るまでは姉妹のように過ごしていたはずだ。
 それらは、けして浅い絆ではない。
「俺達は互いの傷を舐めあい、そして復讐という共通目的を抱く同志だった。詩織を失った後、俺が生きていられたのも、あいつに救われたからだ」
 そう語る拓也の口調は淡々としていたが、その節々から強い悲しみが滲み出ていた。
「だが、俺があいつに拾われた時、既にあいつの病はかなり進行していた。いつも痛み止めの薬を注射していたんだが、麻薬に近いものらしくてな、幻覚を見たり錯乱したり……正気を失っている状態の方が長いくらいだった。そんな中でも、あいつは復讐心だけは忘れていなかった。いや、復讐心だけの存在だったように思う……」
「そんな……僕にはそんな話は一度も……」
 確かに健康というイメージではなかった。どこかひ弱な印象はあったが、そんな病に蝕まれているなどとは思いもしなかった。
「そうして薬が切れかけると、痛みでかすかに正気を取り戻すんだ。そんな状態のあいつと俺は、大事なものを失った苦しみからひたすらに逃げていた。時には情欲に、時には自治領軍を攻めるという復讐に、時には泣き叫ぶことに、時には自分たちを傷つけあうことに、そして俺はシェラが術で見せてくれる偽りの詩織の姿に……」
 そこまで言って、拓也は再び森を見下ろした。自分がシェラを斬殺した場所を、己の目に焼き付けるかのように。
「正気の時のあいつは、いつも泣いていたよ。身体が痛い、一人きりになって寂しい、戦えなくて悔しい、漣や音々や晃司……皆に逢いたい、そんなことを言いながら涙を流すあいつの力に、俺はまるでなれなかった。それでも俺達は通じ合うものがあった、と俺は思っている。少なくとも俺達は互いを必要としていた」
「それは愛情だったと言えるのかい?」
「愛情の定義なんて俺には判らないさ。言葉にしてしまうと、それは一つの形になっちまう。そういうものじゃないと、俺は思う……」
 その言葉を、晃司は肯定だと受け止めた。拓也にとって、確かにシェラは愛情を抱く対象であったと。
「そして俺達は、お前達と再会した。思えば、俺達の狂気はあの頃が頂点だったんかもしれない」
「あの時か……」
 豹変した二人に再会したときのことを思いだし、晃司は苦い顔をした。いい思い出とは言い難い。
「俺はシェラの術に煽られるままに暴れ狂い、そして音々に殴られて目を覚ましたよ。だが、シェラを見捨てることもできなかった。詩織が戻ってくるという言葉を聞いた気もしたが、仮に戻ってきても顔を出せた義理じゃないと思った。俺は汚れすぎていた」
 そんな拓也の告白を、詩織は静かに聞いている。
 詩織は全てを知っていた。意識だけの存在となった後も、ずっと彼女は拓也を見守っていた。その言葉に偽りはない。
 だからこそ、拓也のこの告白がどれほど苦しいものなのか、充分に承知していた。今できることは、ただその告白を見守ることだけだった。
「あの後、あいつは言ったんだ。晃司達の許へ行かないでくれ、せめて俺だけでも最期まで側にいてほしいと。そして病に倒れるのでもなく、理沙やその配下に討たれるのでもなく、俺の手で死なせてくれと。それともう一つ……お前たちに、ごめんなさいと伝えてくれとな」
「シェラが……何を謝ることがあるんだよ……」
 涙を流しながら、晃司はその言葉を噛みしめていた。
「俺のこともあるんだろうが……シェラは『光の夜』の時、咲夜家に向かっていたんだよ。晃司達の力になろうとしてな。でも間に合わなかったんだ。もう少し早く駆けつけていれば、あんなことにはならなかったかもしれないと」
「そんな……そんなこと、どうだっていいじゃないか……」
「俺の話はこれだけだよ。漣や音々にどこまで話すかはお前に任せるよ。ただ、伝言だけは伝えてやってくれ。あいつは、本当にお前達のことが好きだったんだよ」
 それだけを言って拓也は晃司に背を向け、歩き出した。晃司はそれで堰が切れたように、激しい慟哭とともに地面にひざまずいた。
「詩織……」
「いいんです。全部」
「……そうか」
 二人の会話は、ただそれだけの短いものだった。


To be continued.
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