Moonshine <Pray and Wish.>
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Episode 08 終末を与えたもの


  人は人の意志よって生きる。
  人以外の意志で生きるのなら、それは人なのだろうか。

「Under the cloudy sky」

 須賀は比較的高地に位置している。西方から進軍してくる自治領軍は、いったん峠道を経た後、林道を抜けて須賀へと至る。平時であれば絶好のドライブウェイなのだが、そこを進むのは多数の兵士を乗せた輸送トラックや戦車の大軍である。
 ほぼ一直線に道の出口に、拓也と詩織は立っていた。
「……また俺は、大勢の人間を殺す」
 林道の奥を見据えつつ、傍らに立つ詩織へと拓也は語りかけた。
「戦争だからと割り切れるもんじゃない」
「そうですね」
 淡々とした口調で頷く詩織。それがまた拓也の心に重くのしかかる。
 この日の詩織は、かつて須賀にいた瑠璃奈が持っていた服の中から、黒いものばかりを選んで着こなしていた。外套なしでは厳しい寒さだが、持っていたコートがたまたま黒だった時点で思いついたことだ。要は、常に黒ずくめの拓也とペアルックのつもりらしい。
「彼らに罪はない。分かっていて俺は彼らから全てを奪う。それでも、お前は俺を赦せるのか?」
「私にあなたを赦す資格なんてありません」
 そして穏やかに微笑む。
「ただ、あなたの歩むその隣に、私は立っていたい。たとえそれが血まみれの道でも、魔人と恐れられる道でも。私はいつも、あなたの側にいたい。苦しみも、悦びも、全てを分けて欲しい。それだけです」
 遠くに敵影が見え始めた。向こうでもこちらを捉えていることだろう。しかし、進軍の速度は下がらない。
「詩織。お前の力を貸してくれ」
 拓也は腰から樹華刹那を抜いた。両手で柄を握り、その切っ先は空へと垂直に向ける。その意図を察し、詩織は拓也の背に掌を添えた。
 二人の力を受け、樹華刹那はその刀身を伸ばしてゆく。1メートルや2メートルといったレベルではない。数百メートル、いやキロメートルにさえ達しているかもしれない。遠目にそれを見た者には、それが刀であると理解できるものはいないだろう。
 それがまっすぐに振り下ろされた。まだただの点にしか見えない、自治領軍へ向けて。蒼く輝く刀身の先で、無数の爆発音が響いた。
「詩織!俺の腰に掴まって防御結界を!」
「はいっ!」
 詩織が拓也の腰に抱きつくのとほぼ同時に、拓也は右手を放して橘花幻燈を引き抜いた。そして、左手で持ったままの樹華刹那の刀身に込めた力を弱めつつ、跳んだ。急速に刀身を縮めていく樹華刹那に引っ張られるように、拓也と自治領軍の距離が一気に詰められていく。水平に構えた橘花幻燈が、まるで雑草でも刈り取るかのように、その進路にあるものを切り裂いてゆく。その最中、樹華刹那の刀身で両断された輸送トラック、戦車、そして兵士たちだったモノとすれ違う。それは凄惨な地獄絵図だった。各種の障害物も、詩織の防御結果に弾かれ、さらには破壊されていく。
 そして刀身が縮まりきった時、二人は自治領軍主力の真っただ中に立っていた。幸いにも樹華刹那の一撃を免れた者たちも、いきなりの事に状況が理解できず、一様に狼狽と恐怖の表情を浮かべている。
「まさか、あの……黒い魔人か!?」
 誰かが驚愕の声をあげた。虐殺にも近い戦いぶりで、これまで自治領軍に局地的ではあったが確実に被害を与え続けた、二刀を振るう黒いロングコートの男。その傍らには常に、やはり黒衣に身を包んだ女性の姿があったという。もっとも、それは詩織ではなくシェラだったのだが、そんなことを彼らが知る由もない。
 彼らの間に流布していた評判通り、拓也はこのほんの数秒の奇襲で、おそらくは3桁は下らない人数を殺しただろう。常人のやり口ではない。
「この道から攻め込む部隊に居たのが、お前らの不運だったな」
 拓也が二本の霊刀を抜くその傍らで、詩織も刀を構えた。明らかに素人ではなく、訓練された人間の構えだ。かつて拓也がサブで使っていた霊刀を譲り受けたものだ。桜花咲夜などに比べると格は比べ物にならないが、それでも拓也の「それなりの」力には耐えた刀だ。けっして悪い代物ではない。
「腕前、自信はあるのか?」
「産まれてからずっと、人を殺す術を鍛え続けられてきたんですよ?」
 そう言って浮かべた詩織の笑みは、けして自虐的ではなく、むしろ同志としての誇らしさが漂っていた。
「あなたの隣にこうやって立つ事が、ずっと私の願いでした」
「……行くぞ」
 短く告げ、拓也は僅かに腰を落とし、次の瞬間には一番手近なところで武器を構えていた兵士へと突進した。それを好機と見たのか、幾人かの兵士が詩織へと飛びかかる。
「あなた方に罪はありませんが……咲夜砂槍陣っ!」
 詩織の掛け声と同時に、彼女を取り囲むように地面から巨大なトゲが無数に生じた。襲いかかろうとした兵士たちは皆、そのトゲに全身を貫かれて即死した。
 その次の瞬間には、トゲは砂と化し、その場に砂山を作る。そして兵士達の屍がその山に埋もれ、砂山を赤黒く染めていく。
「容赦はしません」
 いつの間にか詩織の背後に迫っていた兵士を、身を翻しながら振るった一閃だけで斬り捨て、詩織はきっぱりと告げた。
「それだけ使えれば充分だな」
 詩織の戦いぶりに拓也は少なからず驚いた。こうも鮮やかに、そしてためらわないとは思ってもいなかったからだ。
 だが、こうでなくては背中は預けられない。技量の良し悪しよりも、いざという時にためらわない意志を持つことの方が、戦場では重要だ。それを持たない人間が、真っ先に死んでいく。かつての傭兵時代、拓也はそんな人間を何人も見てきていた。
「20分だ。20分でこいつらを全滅させる」
 一撃一殺の勢いで刀を振るいながら、拓也はそう宣言した。それを聞いて詩織が頷く。言葉通り、彼らたった二人を抜いて、須賀の方へ向かえた兵士はごく僅かだった。あとはほとんどが一撃で、拓也か詩織の前に倒れ、死人を増やしていく。
「そこまでにして貰えるかしら?」
 10分も過ぎた頃、そう言って一人の女性が現れた。やや遅れて、もう一人の女性も姿を見せる。由香と志帆だった。
「これ以上、戦力を浪費させるわけにはいかないのよ。さすがは黒い魔人と称されるだけのことはあるわね」
 白々しく拍手をしつつ、由香は言った。そして胸元からナイフを抜き、詩織へと投げる。それは詩織の眼前、約2メートル弱のところで、防御結界に阻まれて弾かれる。
 それを見てニッと笑い、由香は腰から短剣を二本抜いた。
 左右から同時に繰り出される由香の突きを、拓也は目の前で両手を交差させた上で、手に持つ刀で払い除けた。結果的にその動作が、直後に由香が放った蹴りを防ぐ形になる、
「二刀の短剣はフェイント、その後の蹴りが狙い。悪いが読み通りだぜ?」
「そうかしら?」
 由香は蹴りの動作の反動を利用し、今度は下から上に短剣を突き上げてきた。その切っ先は真っ直ぐに拓也の喉元を狙っている。それに対し、拓也は由香の突き出す手首を攫んで止めた。手首を掴まれたまま、由香が短剣の柄を握り直す。
 その瞬間、柄か刃が勢いよく飛び出した。とっさに拓也はそれを避け、そして額に鋭い痛みを感じた。
「ちっ!」
(喰らった?! 飛び出しナイフは避けたはずだ……)
 幸いにも額の傷はかすり傷程度だったが、流れ落ちる血が目に入って染みる。いったん体勢を立て直すべく後方へ跳んだ。
「甘いっ!」
 繰り出された第二、第三の突きを防いだのは拓也ではなく、詩織の振るった刀だった。
「させません!」
 その間に拓也は治癒術を施し、額の傷を塞ぐ。
「大丈夫ですか?!」
「あ、ああ」
 予期せぬ負傷に一瞬怯んだ拓也だったが、すぐに我を取り戻した。
「二人がかり? 情けないのね」
「最後に負けなきゃ、なんだっていいんだよ」
 嘲笑する由香に毒づきながら、拓也は見た。由香の左手首から何か透明な薄い板のようなものが飛び出し、陽光を反射してきらめいているのを。それはゆるやかなカーブを描き、その切っ先は鋭く尖っている。
 材質までは分からないが、それは透明な刃だった。
「刃物を仕込んだ……義手って訳か」
「ご名答」
 その刃を右手で義手の内へ戻しつつ、由香は言った。
「視力くらいは奪うつもりだったんだけど、ギリギリで避けるなんてさすがね」
「そんな風に褒められても嬉しくはないね」
 刀を構え直し、拓也は改めて由香と対峙した。とりあえず手口の一つは判った。だがしかし、由香の隠し球があれ一つとは限らない。
「暗器使いだったとはな。今どき珍しい」
 若干の驚きも混め、拓也は呟いた。
 暗器使い。それは全身に様々な隠し武器を仕込み、状況に応じて自在に使い分ける技術の使い手の総称だ。しかしその技はあまりにも一対一に特化しすぎており、多対多の戦闘には向かない。ゆえにかつての戦時下において、さほど数は多くなかった。暗殺専門の傭兵として活躍する道もあろうが、暗殺に値するだけの人間が月にも地球にも居なかったのが実情だった。
 したがって暗器使い達は、戦争とは関係なく、非合法組織のお抱え暗殺者として雇われるケースが多い。これが拓也が考えていた暗器使い像だったのだが……全うな戦争の最中、まさか実際に対峙する羽目になるとは思わなかった。
 斬り合いに持っていければ同じ土俵で戦えるのだが、それは由香とて承知しているだろう。そうならないような戦い方をするはずだ。
 戦う前に、既に相手にアドバンテージがある。あとはそれをどう覆すか、だ。
 答えは一瞬で出た。腰を僅かに落とし、由香との間合いを一気に詰める。左に握った刀を、大振り気味に横薙ぎに振るう。由香はそれを軽くバックステップするだけで避け、右手を前に突き出した。と同時に、長袖の中から小型の拳銃が飛び出し、由香の右手に収まる。
「ならそいつだ!」
 左の大振りはフェイント。もとよりそれで一撃を加えるつもりはない。既に体勢を立て直していた拓也の、今度は右手の刀が一閃する。狙いに気付いた由香はとっさに飛び退くが間に合わない。拓也の刀は由香の持っていた拳銃を両断していた。
 少し遅れて、拳銃が暴発した。とっさに手を離した由香に直接のダメージはなかったが、怯んだ隙を拓也は見逃さなかった。返す刀で由香の左手、義手を一撃で切り落とす。
 暗器使いの武器は、身体に隠しておく都合上、大きさや重さに限界がある。それはつまり、武器の強度や威力、射程といったものへと直結する。ならば使い手ではなく、その武器を迎撃することに専念すればいい、と拓也は考えたのだ。
 そしておそらく、その隠し武器の宝庫があの義手なのだろう、とも。
「くっ……!」
 左手を切り落とされながらも、由香は回し蹴りを放つ。つま先から飛び出た刃が、確実に拓也の首を狙っていた。
「刃物勝負なら負けねぇんだよ!」
 由香の蹴りの軌道を完全に見切った拓也が、樹華刹那を一閃した。キーンという乾いた音が響き、由香の靴に仕込まれていた刃が途中で折れた。そして橘花幻燈の柄の部分で、由香のこめかみを殴打する。
「俺の勝ちだな」
 拓也の呟きの直後、由香の両膝から力が抜け落ち、その場に崩れ落ちる。脳震盪でも起こしたのか、完全に気を失っていた。
「なんで理沙さんに付いた?」
 その問いは志帆へ向けてのものだった。
「あの人は強くなろうとしている。誰よりも、何よりも。咲夜家よりも橘家よりも、そして精人よりも、人は強い力に惹かれるもの。だからあの人なら、その力で全てを統べられると思った。その理想に私は惹かれた……だから……」
「この戦争は、もう終わっていていい戦争なんだよ。もう、強い人間が偉い時代ではなくなっていた筈なんだ。だがな……」
 哀れみを込めた目で、拓也は志帆を見た。
「それでも人は力に惹かれてしまうもんなんだろうな。俺も理沙さんの強さには憧れたし、一人の剣士として今でも尊敬している。でも今の理沙さんの力はなんだ? 桜花の力を借りただけの、まがい物の力じゃないか。それが理沙さんの求めていた強さなのか? あれは理沙さんの力と言ってもいいのか?」
「力は力よ。それは、それを行使する者のもの」
 その声は頭上から聞こえてきた。
「借り物とは言え、今はあたしの力よ。何か文句ある?」
 いつの間にか、理沙がそこに浮いていた。その目は、瞳に映る全てのものを見下す優越感に満ちあふれている。
「地に足つけてモノ言えよ」
「シャレのつもり?」
 拓也の言葉を一笑し、理沙はゆっくりと降下を始めた。
 次の瞬間、唐突に理沙の降下の動きが大きく振れた。螺旋を描くように猛スピードで拓也の背後へと回り込む。さらに、その螺旋軌道そのものが淡く輝く残像を描き、次の瞬間には激しい炎と化す。
 しかし拓也は動じた様子もなく、背後の理沙から放たれる一撃を樹華刹那で受け止めた。
「最初の冗談みたいな一撃はやられたわ。あれでこっちの兵士の半数以上が斬殺されちゃったかしらね」
 地表に立った理沙は、刀を引くと肩をすくめ、まずはそう言った。
「もっとも、別にもう構わないんだけどね」
 そして残忍に笑う。
「なんだって? それはどういう……」
「要らなくなったの。雑兵なんて」
 理沙の口元に残忍な笑みが浮かぶ。
「あたし一人ででも、橘家に戦争を吹っかけてやるのよ」
「本気で言ってるのか?!」
「本気よ。だから足手まといは要らないのよ、もう」
 くくっ、と不気味に笑い、理沙は腰に差した刀を抜いた。
「最大の敵はあんた達、ってとこね。まずは樹華と橘花を滅ぼすために、あんたの持ってる刀を頂くとしましょうか」
「またヤバくなったら逃げるんじゃねぇだろうな」
 皮肉交じりに言い、拓也も刀を構え直した。
「詩織、お前は下がってろ。手出しは要らない」
 その言葉に詩織は頷き、手にしていた刀を鞘に収めた。
「そういう拓也、あなたも結局は親から受け継いだ力に頼ってるに過ぎないでしょ? それでも人の事が言える?」
「ああ。言ってることはごもっともだ。だがな、かつてのあんたは、その壁を自力で越えようとしていた。越えるために己を磨くことを唯一の手段としていた。その誇りを失ったあんたは、ただの負け犬だ」
 その言葉には失望と侮蔑が、複雑に入り交じっていた。
 悲しみ、そして恥辱、そしてそれらを塗りつぶす怒りが、理沙の心を埋め尽くしていく。
「うおわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
 絶叫とともに理沙の身体が輝き、強烈なプレッシャーはそのまま風圧となって周囲の者たちを威圧していく。
「決着をつけよう……理沙さん」
 風を切り裂くように拓也は二刀を振るった。そこへ理沙が突進をかける。
 こうして、二人の戦いは始まった。


「親玉は拓也のところへ出たみたいね」
 東側の部隊に加わった桜が、ぼそりと呟いた。それに応えるように、香織が口を開く。こちらの軍勢は、今のところ目立った動きはなく、互いに睨みあう状況が続いていた。
 理沙が発動した桜花の力、それは今この周辺にいる霊力を持つ者であれば、多かれ少なかれ何かの異変として察知できるであろう。それほどに強力な波動を理沙は放っていた。
「……正直、こっちに出なくて良かったと思ってますけどね」
 その口ぶりとは裏腹に、香織の表情は冴えない。その心情は桜にも判っていた。
「あの子なら詩織ちゃんを護りきるわよ。安心なさいな」
「そうですね……」
 それは信じている。護りたいという気持ちで負けるつもりはないが、それを為す力という点では、やはり香織では拓也に及ばない。まして相手が桜花の力を持つ以上、香織が太刀打ちできる相手ではない。
 そして何より、仮に拓也がそれだけの力を持っていなくとも、詩織は拓也の側にいることを望むだろう。
 今はただ、無事を祈るしかなかった。


 その異変は、須賀中心部で戦闘を繰り広げている晃司達も察知していた。
「やっぱり姉貴はあっちか!」
 ごく少数だった西から攻めてくる敵軍が、この数分で急に増えていた。拓也の周りで何かが起きたためだとは容易に予測できたが、その結果もまた簡単に予測できることだった。
 須賀中心部の部隊は、基本的には建物等に隠れ、進軍してくる敵兵を迎撃するゲリラ戦法に専念していた。攻めてくる敵兵の数が少ないうちはそれで充分だったが、この数分で一気に増えた敵軍は、もはや後手に回っていては倒しきれない。
「どうするの?」
 漣が尋ねる。
「いったん部隊を集めて、西からの集団を叩くしかないね」
 漣の持っているバッグから発煙筒を取り出しながら晃司は答えた。
「おそらく大半は拓也が初動で仕留めている筈なんだ。だったら僕らの手勢だけでも充分に張りあえる」
 発煙筒をセットし、晃司は漣の手を引いて走り出した。その後方で、緑色に着色された煙がもうもうと立ち上っていく。これで周辺の自軍は、事前に決めておいた合流地点へ向かうはずだ。
 月政府から預かった部隊は、半数強を須賀中心部に、残りを須賀の東側と研究所周りの防衛に配備している。西側は拓也が単独で引き受ける手はずだったが、そちらからの敵兵の数が少しずつ増え始めている。討ち漏らしというには少々数が多い。
 おそらくは理沙と接触したのだろう。もっとも、こうなる事を見越した上で、晃司は拓也の単独行動を認め、そして後詰めに部隊を大目に配置したのだが。
 勢いは明らかに須賀側にあった。月からの援軍は練度も高く、おかげで質も量も自治領軍を上回ることができた。よほどの失策をするか、あるいは非常事態でも発生しないかぎり、もう負けはないだろう。
 あとは、その非常事態を起こさないだけだ。桜花という、形勢を一気に覆すことのできる存在を、この戦いに投入させなければいい。それで勝ちだ。日本自治領は月政府の直轄領となり、内乱は終結するだろう。当面、人々が争う心配はない。細かい諍いはあるだろうが、もう人類全体が疲弊しきっているのだ。今は月も地球も、長い戦争の傷跡を癒すべき時期であるはずなのだ。
 ふと、そのとき自分はどうなるのだろう、と晃司は考えた。
 これまでずっと争いの中にいた。平穏な日々など、来るはずがないと思っていた。
 しかし、今はそれが目の前にある。もう少しで手の届くところまで来ている。漣がいて自分がいて、そして何ができるのだろうか。
(……浮かれるのはまだ早いな)
 自嘲気味に心の中で呟き、晃司は嘆息した。そんな日々を手に入れるために戦っているのだ。まだそれは、終わったという訳ではない。その日が来たとき、自分が生きていなければ何の意味もない。ここはまだ、一瞬の油断が命取りになる戦場だ。
「どうしたの? 晃司くん」
 傍らでそんな晃司の横顔を眺めていた漣が、きょとんとした顔で尋ねた。
「……なんでもないよ。早く戦いが終わればいいな、と思ってたのさ。さあ、僕たちも急ごう」
「晃司くん、怖がりだもんね」
 そう言って漣は笑った。


 音々は動かなかった。
 研究所の正面玄関前のベンチに座り込んだまま、ただ西の方を一瞥しただけだった。
「ネオンねえさん、私は……」
「行くな」
 何か言いかけた橘花を、驚くほど冷めた目で見下ろし、音々は一蹴した。
 橘花が桜花らと交わした会話について、音々は既に聞いていた。その上で音々は不動を決め込んでいる。
「でも桜花は私が、私が戦わねばならないんです!」
「あれはまだ理沙やろ。晃司お兄ちゃんの姉貴の。だったら拓也に任せとき」
 足を組み、手をあごに添えて遠くの方に視線をやりながら音々は言う。無論、ここから理沙達の姿が見えるはずはない。
 彼女は何かに苛立っていた。それは自分自身でも自覚している。しかしその正体が判らない。
 ただ、この戦いが何なのか。それだけを考えていた。
 人間同士の勢力争い、日本自治領における内乱、桜花と人間の生存競争、どうとでも解釈できるが、どれもこれも完全な答えにはなりえない。
 勝者は誰か? 橘家を筆頭とする旧月政府、現在では地球政府と呼ばれる者たちだ。それはかつて音々自身が、華音相手に語ったことだ。今の状況というのは負け犬同士が争いあっているだけだ。しかし敗者復活戦なのか二位決定戦なのか最下位決定戦なのか、もう何がなんだか判らない。
 参加することに意義がある、という言葉がある。目的はともあれ、今こうして事態が起きているのは確かだ。そしてその渦中に音々自らが居る。それは間違いない。巻き込まれたわけではなく、自分で望んだことだ。しかしその義務感はどこから来たのだろうか。
 倭高専時代の無二の親友、弓崎香の死を知った時から色々と考えるようになった。
 この戦いの中で無数の命が失われていく。
 何かを勝ち取るため、日々を生き抜くため、あらゆる理由があるにせよ、己の命を賭け、そして敗れていく者が後を絶たない。
 その意味はなんだろう?
「……考えるのは性に合わん、か」
 ふう、とため息をつき、音々は一人ごちた。


 理沙の姿が微かに揺らいだかと思うと、次の瞬間には拓也の左後方にその身を移していた。桜花の霊力によって、理沙の動きは常人には捉えられないほどに速くなっていた。事実、離れた位置から二人の闘いを見守る詩織の目には、理沙の動きはまるで見えていない。
 だが拓也にはそれが見えていた。理沙の動きに素早く反応し、右手で樹華刹那を抜き放つ。激しい金属音と共に、両者の刀が互いを弾きあった。すかさず拓也は左の橘花幻燈で、次の一撃を繰り出す。
「手数を増やせば勝てると思う?!」
 拓也の一閃は、既に体勢を立て直していた理沙にかわされ、空を切っただけだった。
「さあな。だが勝つのは俺だ」
「大した自信ね。あたしの動きを目で追えたのかしら?」
 明らかに自信に満ちた顔で理沙は尋ねた。
「俺はあんたより後に動いたんだぜ? 理沙さん」
 その一言に理沙の目がカッと見開かれる。
「あんたより俺の方が速いってことさ」
「口先は間違いなくそっちが上よ。拓也」
 理沙はそう言ってみせたが、動揺していることに違いはなかった。それを落ち着けるかのように小さく深呼吸をしたかと思うと、唐突に微笑んだ。
「ねえ拓也。この日本自治領は楽園よ。そうは思わない?」
「楽園、だと? この地獄がか?!」
 拓也の返事に、理沙の笑みが残忍さを帯び始めた。
「そうよ。生き残るためには戦わなくてはいけない。強さを極めるのに、これ以上の舞台があるかしら?」
 その目は本気だった。彼女は心の底からそう思っている。そんな確信を拓也は抱いた。
「……アンタの、その強さを追い求める姿は嫌いじゃなかったよ」
 嘆息気味にそう口にする拓也の声は、明らかに失望に満ちていた。
「だがな。暴走するなら一人でやってろ。他人を巻き込むんじゃねえ!」
 拓也が居合の要領で刀を抜く。その一振りは大地を切り裂く疾風となり、理沙へと襲いかかる。
「拓也も内心では感じているはずよ。思う存分刀を振るうことのできる、この世界の素晴らしさをね」
 拓也の放った一撃は、理沙の眼前で霧散して消えた。術攻撃を無効化するシールドを張っているらしい。
「俺の……俺達の楽園はこんな場所じゃない」
「争いのない平和な世の中? 欺瞞ね。アンタのその力を、そんな怠惰な世界でどう使うというの?」
「あいにくだな。俺はアンタと違って、強さを突き詰めていくつもりなんてねぇんだよ。戦うための力なんざ、別にどうだっていいのさ」
 その言葉に理沙の眼が見開かれた。その瞳は怒りに満ちている。
「それだけの力を持っておきながら、それを無用だと言うのかっ!?」
「ああ、そうだよ。俺が求めているのは……」
 脳裏に蘇る、詩織との逃亡の日々。追われているという状況で確かに緊迫してはいたが、それでも穏やかだったあの短い日々。静かな森の中、見晴らしのいい山の頂、しとしとと降る雨音を伴奏に詩織が奏でるピアノの音。
「命の心配のない、穏やかな世界さ」
「くだらない!!見損なったわ!!」
 理沙が繰り出した突きを、拓也は樹華刹那で切り払い、同時に身体を翻して理沙の腕を狙って橘花幻燈で斬りかかる。
 その刀身を、理沙は真横から蹴り飛ばした。予想外の動作に、拓也の身体が大きくぐらつく。その隙を逃さず、理沙の第二撃が拓也へと振り下ろされる。
「くっ!!」
 すんでの所で、樹華刹那で刀を受け止める。真っ向からの力勝負の体勢だ。刃越しに互いの顔を睨み付けあう。
「さあこの力を! あたしのこの力をその身で感じてみなさい!!」
 理沙が手にした刀が、深紅の輝きを帯びはじめた。
「橘家も! 拓也、アンタたちも! 全てをあたしはねじ伏せてみせる!」
「他人から借りた、そのご自慢の力でか?」
 自らに言い聞かせるかのような理沙の叫びを嘲るように、拓也は冷たく笑った。その態度に理沙の顔つきが歪む。怒りと絶望が同居した、悲しい顔だった。
「他人の力ですって?! ならば親から受け継いだその力はどうなる?! ただ与えられただけのその力は!!」
「さてね。どうなんだろうな」
 構えを解いて両の刀をだらりと下げ、拓也は淡々と呟いた。
 その動作が、さらに理沙の怒りを煽った。
「あたしを愚弄するつもりか!」
 血走った目を見開き、憤怒の形相で理沙が刀を突き出す。紙一重でかわしたものの、刀に込められていた力の余波で、拓也の髪が微かに焦げた。
「お前が! お前がいたから!!」
 理沙が力を解放する。刀身に凝縮されていた桜花の力は、紅蓮の炎と化し、理沙と拓也を中心とした周囲で荒れ狂った。
 だが、拓也はその炎を橘花幻燈で切り裂き、難なく逃れてみせる。
 やがて止んだ炎の中心で、理沙は刀を正眼に構えていた。
 理沙は笑っていた。その笑いは正常な人間のそれではなく、明らかに狂気を伴っていた。
「楽しいわ、実に楽しい。愉快よ拓也。このギリギリのところで闘いあって、そしてあたしが勝つの。結局はあたしが勝つの。楽しすぎてイッちゃいそうよ?」
「一人でイッてやがれ!」
 力任せに理沙の刀を振り払い、拓也は体勢を立て直した。
「こんなにハイテンションなのはいつ以来かしら。ああ、そうよ、この愉楽を、あたしはずっと求めていた!!」
 理沙の髪が逆立ち、全身が淡く輝きだした。
「この満ち溢れる力!! 力!! あたしが手にした最強の力っ!! ああ、たまらないわ。身体の内側から滲み出るこの快楽!!」
 光が理沙の右拳に集まり、そして光は激しい輝きへと強まっていく。
「この絶対的な力!!」
 その拳を理沙が突きだした。凄まじいまでの力の奔流が、拓也へと一気に襲いかかる。それ応じるべく拓也も二刀を構え、霊力を集中させた。
「こ、これが桜花の力か……っ!」
 拓也の張った防御結界が明らかに押し戻されている。
(耐えきれないかっ?!)
 その拓也の背に、そっと手が添えられた。その一点から、膨大な力が拓也の内へと流れ込み、二本の霊刀を通じて防御結界へと注がれていく。
「拓也さん……あの人を止めてください……」
 疲労の色の混じった声で、背中越しに詩織が囁いた。
「あの人と、桜花様を……」
「ああ、止めてみせるさ」
 そして理沙が放った光がおさまると同時に、拓也は一気に間合いを詰めた。
「な、なぜ耐えきれる!?」
 連続で繰り出される拓也の刀をさばきながら、理沙は絶叫にも近い声をあげた。
「あんたのご自慢の力も、その程度ってことさ」
 強がる拓也の頬を、汗が一滴流れ落ちていった。
「力! まだ力の差だと言うのっ?! アンタの持っていたその力が! まだ目覚めていないまでも、凄まじい潜在能力を秘めていたアンタがあたしを変えた!!」
「俺が?」
 問い返す拓也を睨み付ける理沙の瞳から、一粒の涙が零れた。
「人を超えたその力……あたし達、ただの人間では、どうしても埋められないその差! あたしはアンタに出会ってそれを思い知らされた!! アンタや、アンタのような力を持つモノ……バケモノが世に居るかぎり、あたしは頂点を極められない!!」
「理沙さん……」
「ここでアンタを絶ち切る!! あたしは負けない!! あたしは登り詰めてみせる!! あたしの剣は光よりも速いッ!!」
 刀の切っ先を挟んで、二人の視線が交錯する。
「悪いが、俺の剣はそれよりも強えよ」
「ぬかせ!!」
 理沙の姿が消えた。霊力によって増幅された理沙の運動能力は、もはや常人では捉えきれない領域に達していた。拓也が樹華刹那を一閃する。
 ややあって、拓也の身体が揺らぎ、地面に片膝をついた。
 その背後には、いつの間にか理沙の姿があった。二人は背中を向かい合わせたまま、微動たりしなかった。
「……俺の……勝ちだ」
 消耗が激しいのか、弱々しい口調ではあったが、拓也はそう宣言した。手にした二本の刀を杖代わりに、よろけながらも立ち上がる。それと入れ違いに、理沙が力尽きたかのように両膝を落とした。その手に握っていた刀は、根元から切り落とされ、ほとんど柄だけの状態になっている。
「た、拓也! なぜ力を使わなかった?!」
「そんなモンを使わずとも、今のあんたになら勝てると確信していたんだよ」
 そう答える拓也の口調は、どこか悲しげだった。
「昔の理沙さんの方が、今のあんたよりも強かったよ」
 理沙は何も答えない。微動たりしない。そのまま拓也は、重い身体を引きずるようにしながら、詩織の許へとゆっくりと歩んでいた。
「勝てないなら勝てるまで闘い続けるのが、俺の知っている理沙さんだった。どんな手を使ってでも、自分の力で勝つまで勝負を投げない人だった」
「……そうよ。だからあたしは毒をもって毒を制すべく手を打った。アンタ達、咲夜家、橘家、精人、ぶつけ合って共食いさせるつもりだった……」
 ようやく発せられた言葉に、拓也は理沙の方を振り返った。
「それが既にらしくなかったんだよ。アンタはいつだって、自分の力で闘っていたはずだ。そうじゃなかったのか……?」
 拓也の一言に、理沙の目が大きく見開かれた。
「このあたしの、妾の、あたしの、妾の」
「……なんだ? いったい……」
 何度も呟く理沙の様子は、明らかに奇妙だった。
(わらわ?)
 少なくとも拓也の知る限り、理沙は自分のことをそんな風には呼ばない。
「黙れぇッ!!」
 腹の底から絞り出すような唸り声とともに、理沙は自分の頭を掻きむしった。
「たぁくやぁ!! 貴様は死ねぇッ!!」
 咆哮とともに理沙は再び刀を構えた。見開いた両眼は不気味なほどに血走り、顔中を汗でびしょびしょにしながら、理沙は刀を手に駆け出した。
「うあああああああっ!!」
 渾身の力と気迫を込めて繰り出された一撃は、拓也から見れば憐れな程に雑な動きだった。勢いはあったが、ただそれだけだ。
 ひょい、と半身をずらすだけで拓也は理沙の一撃をかわした。
「死ね! 死ね! 死ね! あたしは誰にも負けない! 負けナイ! マケルワケニイカナイッ!!!」
 その瞳は、明らかに拓也を捉えてはいなかった。ただ無茶苦茶に刀を振り回し、理沙は拓也への呪詛の言葉を吐き続けていた。
「どうしたってんだよ……」
 もはや刀を構える必要もない。半ば呆然とした表情で拓也は理沙に語りかけた。
 と、その瞬間。空に向かって両手を広げ、何事かを叫ぶような姿勢で、ぴたりと理沙の動きが止まった。
「醜く歪みおってからに……」
 ひどく落ち着いた声とともに、理沙の髪の色が白く染まった。
 そして姿勢を正した彼女は、明らかにそれまでの理沙とは違っていた。
「しかし肉体としては悪くないのう。時間が足らぬゆえ、調整が今一つではあるが……さて、どの程度の力が行使できたものか」
「まさか……桜花か?!」
「ふん、樹華の息子か。礼を言うぞ。お前がこの女を追いつめたおかげで、妾がこの肉体を支配するに至ったのだからな」
「なん……だと?」
 拓也がその意味を問いかけようとしたが、桜花は妖艶な微笑みでそれを拒絶した
「もうお前に用はない」
 そう呟き、桜花は地を蹴って空高くへ飛び上がる。そして、それが当然であるかのように自然に空を飛び去っていった。
 後には拓也と詩織、そして志帆と由香だけが残された。
 その志帆の眼前に、拓也は無言で歩み寄った。手に持っていた刀は既に鞘に収めてある。
 そして志帆の胸ぐらを掴んで強引に引き寄せた。
「これが! これがあんたの望んだ結果なのか!?」
「そ、そんな、私は。私は……」
 膝を震わせ、怯えきった志帆は、拓也のその問いに答えられようもなかった。
「あんたが自分で選んだんだ! それがこの結果だ!!」
 そう叫び、拓也は志帆を掴んでいた手を乱暴に放り出した。その場にへたりこむように、志帆は尻餅をつく。その側に由香が駆け寄る。
「志帆様っ! 志帆様っ!」
 そんな二人など眼中にもない様子で、拓也はその光景に背を向けた。
「戻ろう詩織。おそらく桜花の狙いは親父と橘花だ。二人が危ない」
「は、はいっ」
 走り出した拓也の背と、志帆たちの方を交互に見ていた詩織だったが、すぐに拓也の後を追って走り出した。
「志帆様……」
 由香が抱きしめる腕の中で、志帆はうなだれ、大粒の涙を流していた。
「私は、こんなことを望んでいたわけじゃない……」
「判ってるわ志帆様。貴女のことはちゃんと判ってる。何があっても、私は貴女の側に居る」
「私は……」
 よろめくようにして、志帆は由香から離れた。その目が遠くを見つめている。
「……行かなくては」
「はい」
 由香が微笑み、志帆の肩を抱いた。志帆は微かに頷き、ゆっくりと歩み始めた。


 自分の身体が、自分のものでなくなったことを理沙の意識は察していた。
 桜花の、他人の力を借りてなお、拓也に勝てなかった。その時点で理沙の誇りは激しく揺らいでいた。
 誰よりも強い存在になり、それを周囲に知らしめたい。理沙の生き方の根底にあったのは、ただそれだけのことだった。その為なら何だってやれる、そして自分はそれを成し遂げられると、ずっと信じてきた。
「誰よりも強く……高みを目指せ……誰よりも強く……高みを目指せ……」
 呪文のように繰り返された言葉。自分を育て、鍛えたあの男がいつも呟いていた言葉。そう、自分が初めて殺した人間が、最期の最期まで口にしていた言葉だ。
 それだけが理沙の目標だったのに。光の夜の後、拓也と交えた一戦で圧倒された自分が信じられなかった。自らを超えかねない才能に対し、リミッターを施しておいたかつての弟子に、理沙は負けた。
 そんな時だった。桜花が理沙の前に姿を見せたのは。
「あやつも精人の子としての力を存分に振るっておるからのう」
 そんなことは問題ではなかった。拓也は理沙の施したリミッターを、自らの力で克服したのだ。理沙から学んだものを下地に、自分の刀技を磨いただけだ。霊力の強弱などは、それに付随するものに過ぎない。
 だが、そうは思いつつも一方ではそれを認める自分がいた。圧倒的に強い霊力を存分に使われては、多少の魔力を持っている程度の自分では勝てない。
「力が欲しくないかえ?」
 そして理沙は堕ちた。
 桜花の力を得た上での再戦は、制御不安定ゆえの撤退に終わった。しかし今回は違う。拓也との差は縮まったが、やはり勝てない。霊力では勝っているにも関わらず、だ。
 プライドを捨て、桜花の力を受け入れてなお勝てない自分になど、幾分の価値があろうか。
 だから桜花の意識が理沙の意識を侵食してきても、抗おうとは思わなかった。
 それこそが桜花の狙いだったと、その時の理沙に気付く余裕などなかった。


 拓也の許から飛び去った桜花は、一直線に須賀の研究所を目指していた。樹華も橘花もそこにいることを、彼女の力が察知していた。
 目指すは願いシステムのみ。
 だがその前に、邪魔な者達を滅ぼしておくのも悪くはない。この、血肉を持った体の具合も試さねばならない。


 森の中に響く銃声。
 人が崩れ落ちるように倒れる音。
「ふぅ……」
 疲れが出てきたわけではないが、なぜか晃司の口からため息がついて出た。足下に仰向けに転がる死体をつま先でひっくり返し、木陰に隠れて様子を窺う漣に手招きをした。
 もうこれで何人の敵を打ち倒しただろうか。最初の数人は数えていたが、あとはもうどうでもよくなっていた。
 程なくして漣が駆け寄ってくる。
「だいぶ片づいた?」
「そうだね……もうこの辺りでまとまった動きをみせる部隊は居ないみたいだ」
 戦況は明らかに須賀側が押していた。自治領軍の兵士達の動きはどうにも緩慢で、一貫性がなさすぎた。数で勝っているにもかかわらず、それにものをいわせるでもなく、各小隊ごとで適当に遊撃を繰り返している。どうも指揮系統が乱れているような印象を晃司は感じていた。今晃司が倒した兵士も、小隊を率いる隊長格の人物だったらしいが、その様子を見るやいなや、部下とおぼしき兵士立ちは一目散に退散していった。何らかの目的の下に統率された部隊とはとても思えない、
(これを何かの作戦というには、消耗が激しすぎる……)
 考えられるとすれば、両軍を乱戦に持ち込んだ上での、理沙の奇襲攻撃だ。そう考えれば理には適うが、それにしてはターゲットが存在しない。裁きシステムを破壊するというのならともかく、いくら理沙一人でもあれだけの規模のシステムを単独で接収はできない。要所要所を押さえるための人員は必要だ。今回の須賀への進軍、そもそもの目的は裁きシステムの奪取のはずだ。今の戦術はそのための戦術とはとうてい思えない。
「何か来る!」
 不意に漣が声をあげた。尋ね返すまでもなく、晃司もすぐにその『力』を察知した。
「上?!」
 思わず声をあげ、そして見た。森の木々よりも少し高い所を、ある一点を目指して一直線に飛ぶ理沙の姿を。だがしかし、
「あれは……姉貴じゃない……」
 ほんの一瞬しか顔は見えなかったが、晃司はそれを確信した。顔の造形は確かに理沙のものだったが、その表情の質や、内面から滲み出る印象といったものがまるで違う。理沙はあんなに乾いた表情を見せはしない。
 桜花の力をえた理沙。そして今、晃司が目にしたもの。
 答えは自ずと明らかになった。
「乗っ取られた……のか?」


To be continued.
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