Moonshine <Pray and Wish.>
← BackNext →

Episode 08 終末を与えたもの


  好きだから、護りたい。
  どんなに怖くても。何を犠牲にしてでも。。

「Under the cloudy sky」

「性にあわんわ、まったく」
 研究所の入口わきの石段に腰掛け、音々は投げやりに呟いた。自分の腿に肘をつき、その先の掌に顎を載せた姿勢と、不機嫌を絵に描いたような表情が、今の彼女の心境を雄弁に物語っている。
 この状況はいったい何なのだろうか。
 単純な対立構図のようで、案外そうでもない。各人の思惑や、ただ状況に流されているだけの人間が入り乱れ過ぎている。
 その中で、勢力がぶつかり合い、相手を打ち破ろうとするという目的だけが明確になっている。打ち破るということが目的なのだから、それを為すには相手と戦うしかない。だが、そのやり方がスマートなのか?
 かつて風間一派が咲夜家へ挑んだ際の方法はシンプルだった。祈りシステムを破壊する、ただそれだけだった。しかし今はどうだろうか。江藤理沙を討てばそれで終わるのか? いや、そうではない。桜花も同様に打ち倒す必要がある。
 その二つの親玉だけを潰せればいいのだが、周囲は既に集団対集団の「戦争」へと突入しようとしている。さもそれが当然の道であるかのように。
 状況に関係する人間が増えれば増えるほど、事態は混迷するだけだというのが、誰も判っていないとしか思えない。
(そうやって考えると風間、アンタのやり方は巧かったんやな……)
 最小の人数で、最も効率の良い方法を風間は成そうとしていた。今振り返ってみれば、そう考えることもできる。
 それを乱したのは誰かとなれば、鳳拓也、あの男だろう。発端は江藤理沙と晃司の再会によって、晃司が風間の許を去ったことかもしれないが、やはり決め手は拓也だ。あの男が咲夜家から詩織を連れ出し、咲夜家の計画とそれを取り巻く状況を乱した。
 しかしそれは必ずしもマイナスだったわけではない。むしろ好機を産んだと言えるだろう。だが結局、拓也への詩織の想いが、光の夜を引き起こした。風間は敗北したわけだ。
 そして風間は舞台から降りた。それは音々にしてみれば、裏切りにも等しいこととしか思えなかった。
「うちは……最後まで見届ける」
 決意を自らに言い聞かせるように、音々は呟いた。傍らの橘花は、かすかに怪訝そうな顔をしたが、それが独り言であることを察してか何も言わなかった。
 産まれてすぐに連れ出され、風間の許に預けられた時から音々の運命は決まっていた。そう、既に精人との戦いへ向けた準備を進めていた風間に育てられ、精霊術を教え込まれ、春日に格闘術を叩き込まれた。
(うちは、精人と戦うために育てられたようなモンやな……)
 それはある意味で晃司も同じだ。だが彼には、理沙や家族と過ごした想い出がある。普通の子供として生きた時代がある。それが嫉ましいわけではない。音々だって、二十歳の誕生日までは何も知らされずに生きてきた。倭高専に入るまでは普通の少女とは言い難い生活だったが、入学してから襲撃を受けたあの誕生日までの四年あまりは、確かに青春時代を謳歌していた。だがそれだけだ。あれは音々のこれまでの人生の中で、ひとときのバカンスのようなものだった。今にして思えば貴重な時間だったのに、あの頃はそれに気付かなかった。
 そして今、この戦いの後で自分がどうすればいいのかが判らない。将来に向けての夢や希望もない。
 だが、この戦いの行く末だけは見届けなればならない。それが、この戦いのために育てられた自分にとって、必ず成し遂げなければならない義務であり、責任だからだ。もし途中で降りたら、これまでの自分の生き方が全て無駄になってしまう。
 研究所に続く一本道は、月政府から派遣されてきた兵士たちが大勢待ち構えている。その姿をぼんやりと眺めた後、音々は空を見上げた。どんよりと曇った空が一面に広がっている。気温も低い。この天気だと、また雪が降るかもしれない。
 だが、音々のそんな思索は、一瞬にして打ち破れられることとなった。



 それは唐突に訪れた。その瞬間、戦場にいたほとんどの人間の動きが止まった。
 一言で言うならば、威圧感。そんな漠然とした言葉が、確かな存在として襲いかかってくるような感覚だった。あちこちで嘔吐する者が続出し、ある者は頭を抱えてその場にうずくまり、ある者は涙とよだれを垂らしながら失禁していた。敵味方関係なく、兵士達は一部の者を除いて、一様に空を見上げていた。
 そんな中、漣は身体を震わせ、顔面を蒼白にして顔を伏せていた。
「漣……っ!」
 晃司が駆け寄り、漣の肩を強く抱きしめる。
「な、なんなんだ……この異様な気配は?」
「桜花が……桜花が喜んで、そして怒っているんだよ」
 晃司の問いに、か細い声で漣が答える。
「本気になった桜花の、力の余波だって言うのか……!?」
 崩れ落ちそうになる心を必死に奮い立たせ、晃司は歯を食いしばって空を見上げた。
「勝てるのか……拓也は、音々ちゃんは……。僕たちにできることなんて、もう何もないのか……?」
 次元が違いすぎる。人が力を合わせて、なんて奇麗事でどうこうできるものではない。どこに居るのかさえ見えない相手が、これまでのプレッシャーを、かくも多くの人間に与えられるものなのか。霊力や魔力の有無など問題ではない。誰もがこの力を感じ取り、そして怯えている。
 これが自分達が挑まねばならない敵なのか。
 絶望という言葉を必死で否定するかのように、晃司は漣の手を強く握りしめた。けして負けないように。この手の主を、失うわけにはいかないのだ。


「意外に冷めた顔をしているのね、貴女は」
 桜は少し苦笑するような顔でそう言った。
「あなたもね」
 香織はぼんやりと空を見上げながら、羽織っていたコートのポケットに両手を突っ込んだ。
 周囲からは大勢の兵士達のすすり泣きやうめき声が絶え間なく聞こえてくる。
 それさえも香織の耳には、どこか乾いたものとして素通りしていくものでしかなかった。
「絶望には慣れてるのよ」
 三郷で過ごした日々を思えば、詩織を失ったあの時の事を思えば、そして今、詩織が生きている事の喜びを思えば、いまさら屈するものなど何もない。
「そう」
 桜はあっさりと納得し、同じように空を見上げた。
「精人を生物と呼んでいいのなら、あれはまさしく生態系の頂点に立つ存在ね。今それをこの上なく感じているわ」
「その割には冷静そうだけど?」
 皮肉げに香織が言った。それがおかしかったのか、桜はくすりと微笑み、
「私の亭主を誰だと思っているの?」
 余裕まじりの口調でそう答えた。
「香織さん。絶望には慣れてるって言ったけど、貴女はいま絶望してるのかしら?」
「そうね。もう諦めちゃってるかも。少なくとも、あたしにできることは何もないわ」
 自分の限界はとうに悟っている。それが判っているからこそ、これまで生きてこれたとも思う。自分にできることと、できないことを見極められないと、日本自治領で生きていくことなど不可能だった。
「たまには他力本願ってのも悪くないものよ?」
「拓也のこと? それとも他の二人の精人?」
「音々ちゃんもいるし、漣だって、詩織ちゃんだって居るわ」
「でも結局は烏合の衆……」
 言いかけて、香織は言いよどんだ。桜の瞳はまっすぐに自分に向けられ、穏やかに微笑んでいる。この期に及んで、人はここまで優しい顔をできるものだということが、香織には信じられなかった。
「私は信じているわ」
 その言葉はすがる者の口調ではなかった。明らかに彼女は勝利を確信している。
「何を信じているというの? 今、あなたが言った人たちのこと?」
「人の想いは、何者にも屈しないことを」
「そんな奇麗事を……信じられるって言うの?」
 半ば呆れたように香織は尋ね返す。
「想いは力になるわ」
 その短い、だが強い言葉に、香織はハッとした。
 あれはいつだったか。いや、いつということではない。かつて何度も聞いた言葉だ。

『私ね。人の想いは力になるって、そう信じてるんだ。美咲ちゃんはそう思わない?』

 自分は何と答えただろうか。あまりに夢見がちなその言葉を、その都度一笑してきたことしか思い出せない。
「……詩織と同じことを言うのね、あなた」
「あなたはそう思わないの?」
「そして同じことを聞く、か」
 デジャ・ヴュに近い妙な感覚を覚え、香織は苦笑した。
「そんな、夢見るような気持ちなんて、もう忘れちゃったわ」
 かつての自分がどう答えたかは思い出せないが、今の自分の答えはこうだ。
「想いは力になるわ。弱い力にも強い力にも、プラスの力にもマイナスの力にも、ね。ほんの小さなきっかけで、それはいつも二転三転するのよ」
「宗教家みたいなことを言うのね。まるでお説法みたいよ」
「香織さんが絶望を経て強くなったというのが、まさにその通りじゃないかしら。あなたはマイナスの力を、今はプラスに変えてそこに立っているんじゃなくて?」
「そんな大層なものじゃないわ」
 言葉とは裏腹に、心のどこかでは納得していた。
 信念、根性、意地、目的意識、義務感……言いようも形も様々だが、それを強く持つ者こそが強いのだと、桜はそう言いたいのだろう。そして、詩織もそう言いたかっただろう。
 だが、そんなものが何になるというのか。
「想いで桜花を討てるわけじゃないわ」
「そうね。それだけでは届かないかもしれないわね」
(かもしれない?)
 そんな次元ではないだろう。桜が何を言いたいのか、香織にはまるで理解できなかった
「でもここで心が折れたら、戦うことすらできないわ。少なくとも私たちはまだ負けてはいない。戦えるのよ?」
「そうね……」
 まだ負けてはいない。その言葉だけは、素直に受け入れられた。


 霊力を用いて身体能力を高めることは、拓也にとっては得意分野だ。それによって人間離れした動きが可能になる。その変幻自在さを突き詰めたのが今の拓也のスタイルであり、それに失敗したのが理沙の敗因となった。単純に動作スピードだけなら理沙の方が上回っていたにも関わらず、それを剣技に結びつけることができなかったのだ。
 そんな拓也だから判る。人間一人が、自在に空を飛べるだけの霊力のケタ違いさが。十数秒ほどの間だけ身体を数メートル浮かせるとか、その数倍の高さを跳躍するといった程度が、拓也の限界だ。あれだけの高度を自由自在に高速で飛行するというのは、もはや人間の領域ではない。
「これが精人か……」
 はるか上空から押し寄せてくる桜花のプレッシャーに抗いながら、拓也は腹の底から言葉を絞り出すように呟いた。
 その強い霊力を振るおうとし、振り回されていただけの理沙とは違う。桜花は力を完全に制御しきっている。
(奴に死角はあるのか?)
 あるはずだ。理沙の肉体を乗っ取っている桜花が、それをどの程度自在に、細やかに使いこなせているのか。付け入る隙があるとすればそこだ。霊力で正面からぶつかっても勝ち目はない。ならば自分の得意とするフィールドで戦うしかない。だがもし、理沙の肉体を完全に御しているとすれば、おそらくは敗北するだろう。
 これは賭けだ。明らかに分が悪い。手元に桜花咲夜があれば勝機は充分にあったが、今となってはどうしようもない。託された樹華刹那と橘花幻燈、この二刀に賭けるしかない。
「拓也さん」
 不意に、詩織が背後から抱きついてきた。
「死なないでくださいね」
「ああ」
 自分の腰に回された手に、そっと掌を添える。微かに震えている詩織を、少しでも慰められるように。
「……どは」
 拓也には聞き取れない程の小さな声で、詩織が何かを言った。何を言ったのか問い返すよりも早く、詩織は言葉を続けた。
「この子が、お父さんの顔を見られるように」
「え?」
 それ以上、何も言葉が出なかった。
「九州地区で過ごしていたあの頃に、授かったみたいなんです」
「そうか……」
「『光の夜』の時も、私がまた戻ってこれたのも、この子に助けられたからなんです」
「あの『光の夜』にも負けなかったのか。強い子だな」
「はい」
 かつて九州地区を放浪していた時のことを、もうずっと昔のような、ほんの数日前のような、そんな妙な想いにとらわれながら拓也は思い出していた。
「また、詩織の弾くピアノが聴きたいな。それを聴きながら、今度は昼寝でもするんだ」
「だから、絶対に死なないでくださいね」
「ああ、生き延びてやるさ」
 護るべき者がいる。そして新たに産まれてくる子がいる。もはや勝敗など問題ではない。最後まで生き残らなくてはならない。
 拓也の言葉に、詩織はかすかに頷いたようだった。
「自分の娘に付ける名前はもう決めてるんだって、前に言ってましたよね?」
「ああ、零那だ。零から那由他まで歩んでいく、零那。でも女の子とは限らないだろう?」
「女の子ですよ」
 きっぱりと詩織は言いきった。
「もう、知ってるんです」
「そうか」
 詩織がそう言うのなら、そうなのだろう。
「二人目の名前は、詩織が考えてくれよ」
 それが拓也なりの決意表明だった。二人目の子作りのためにも、生き残ってやる。そんな言外に込められた想いを察し、詩織は拓也を抱きしめる腕の力を強めた。
「さあ、二人で行こう。この戦いを終わらせるんだ」
「はい!」


 音々は微動たりせず、ただ不機嫌そうに空を見上げていた。
「桜花……!」
 橘花のその声は、憎しみとも畏怖ともとれた。曇り空のどこかにいる桜花の所在を感じ取ろうとするが、あまりに強大な力にかき消され、本体の位置が判らない。
「出方を待つしかないやろ」
「でも!」
「待つんや」
 手の打ちようがない状況下でできることは二つだ。と、かつて春日は音々に語った。それは状況をひっかきまわして付け入る隙を作り出すか、付け入る隙が生じるのをじっと待つか、その二つだ。
 それに対して音々は問い返した。当然じゃないのかと。行動を起こすか待つか、しごくシンプルなことだ。
『そう。だがそのシンプルな事を忘れ、うろたえたら負けだ。常に冷静さを失うなと、そういうことじゃ。言葉の表面だけに囚われるな。二択を強いられた時でも、第三、第四の手を考えろ。今、見えているものだけが全てではない』
 空を見上げ、恐怖に震える兵士達を遠目に見ながら、音々は春日の言葉を反芻していた。
 この圧迫感に屈したら負けだ。ただ意味もなく気分が悪いだけで、別に痛くもかゆくもない。そう考えれば、どうということはない。
 どのみち、桜花はここを狙ってくるのは間違いないのだ。敵の出方が判らなくとも、目的がはっきりしている以上は待ちの一手しか音々には思いつかない。
(けど何か……誰かアクションを起こされへんのか?)
 この状況を打破するきっかけとなる、ささいな一石を、どうにかして投じられないものだろうか。
 今はただ待つしかない。


「晃司くん。私の手、ずっと握っててね」
「え?」
「護るって約束したから」
 両手で晃司の手を握っていた漣が、右手だけを離し、掌を空へと伸ばした。
「やってみる」
 そう言った直後、漣の掌から一条の閃光が空へ奔った。光ははるか上空で弾け、噴水のように霧散してゆく。そうして、光の粒が大地に降り注いでいった。
 それは不思議な光景だった。曇り空の下、ちらちらと蛍が舞っているような、そんな微かな光が周囲を包んでいた。
 光を眺めているうちに、晃司は先程までの圧迫感が和らいでいる自分に気がついた。周囲でも、恐怖に打ち震えていた者たちが、徐々に我を取り戻しつつあるようだった。
 その源である、漣の掌から発せられている光が、空中のある一点で途絶えた。
「あぶない!」
 漣が声をあげる。光の放出を止め、光が途絶えた場所を見据える。そこには豆粒ほどの小さな点があった。漣の手を握ったまま、晃司も同様にそれを見上げていた。
 それが何であるのか、考えるまでもなかった。
「桜花……」
 呟いた晃司の声を肯定するかのように、紅に輝く巨大な光球が突如として空に出現した。その光球から強大な霊力が、漣へ向けて雷のように激しく撃ちだされる。それに応じて、漣も右手に霊力を集中させる。
 二つの力がぶつかりあい、周囲を深紅の光が包み込んだ。
 漣は辛うじて耐えていた。桜花の力を真っ向から受け止め、自分の限界近い霊力の放出に顔を歪めながら、それでも耐えていた。
(これが、樹華の娘としての漣の力なのか……)
 それにひきかえ、ただの人間であるところの晃司には、漣の手を握っていることしかできない。自分の無力さを痛感している中、彼は見た。漣の霊力と桜花の力がぶつかりあう余波で生じる眩い光の向こう側から、理沙の姿をした桜花が地表へと向かって降りてくる姿を。その手には刀が握られ、切っ先はまっすぐに漣へと向けられている。
(銃じゃどうしようもない……っ!)
 漣の身体を抱き、横に飛んで避けるしかない。
 そう考えるのと、乱入者の出現はほぼ同時だった。あと数メートルという距離まで桜花が迫った時、誰かが横から桜花に飛びかかった。桜花が空中で姿勢を変え、それを迎撃する体勢に移る。
「……拓也!!」
 黒いコートの裾をはためかせ、拓也が地面に着地した。
「俺の妹と義弟に手を出すとはいい根性だな」
 二刀を構えて桜花の方を向き、拓也は言った。
「さっきは逃したが、ここでケリを付けてやる」
「たかが人間が思い上がるな!」
 桜花が刀を構える。
「その人間に宿る寄生虫が何を言ってるんだかね」


 漣の放った光は、音々たちのいる研究所の周りにも降り注いでいた。
「これは……漣さん?」
 橘花が呟く。降り注ぐ光から感じ取れる霊力は、樹華と橘花それぞれの系統の力が入り交じっている。こんなことができるのは拓也か漣しかいない。そしてこの力の穏やかさを考えれば、これが誰が発したものかは明らかだ。
「どう動くんや……?」
 相変わらず不機嫌そうに音々が独り言を発した。何がとは尋ねる必要もなかった。桜花だ。この状況をうけて、桜花がどう動くのかと彼女は言いたいのだろう。
「私たちは、ほんとうに何もしなくていいんですか?」
 おそるおそる橘花が尋ねた。そんな橘花を一瞥し、音々は大げさに溜息をついてみせた。
「うちらはここを護るのが役目」
 有無を言わせぬ口調でそれだけ言いきり、また憮然とした表情で黙り込む。こうなっては橘花も口の挟みようがなかった。


「さあ、二回戦といこうか。理沙さん……いや、桜花!」
「人間風情がなめた口をきく」
 不敵に微笑み、桜花も刀を抜いた。
「だが、ここはお前の流儀に合わせて相手をしてやるとしよう」
「後悔してもしらねぇからな!」
 次の瞬間、拓也が一気に間合いを詰めた。その勢いに乗せて、二刀で同時に切りかかる。狙いはただ一点。キーンという金属音が周囲に響き、拓也の橘花幻燈が桜花の刀を根元から斬り飛ばした。
 だが、その拓也の脇腹を、光の刃が貫いていた。
「敵の言葉を素直に信じてどうする?」
 その光は桜花の左掌から生じていた。
「ぐっ……はぁっ!」
 咳き込むと同時に口から大量の血を吐く拓也。その返り血を浴び、桜花はニヤリと笑う。
「拓也さん!!」
 詩織の叫びがむなしく響き渡った。
「本気で貴様と斬り合いでもすると思っていたのか? 親同様に愚かだな」
 柄だけになった刀を放り捨て、桜花は拓也を蹴り飛ばした。抵抗することもできず、拓也は転倒する。
「死ぬがいいわ!」
「死ぬのはあなたの方だよ」
 とどめを刺そうとした桜花の背後で、晃司が両手に拳銃を構えていた。そのまま桜花の後頭部へ、ありったけの弾丸を撃ち込む。
「……音がうるさいだけだな。無粋な奴めが」
 弾丸は全て桜花に当たる寸前で止まっていた。
「先にお前から殺してやるわ!」
 もはやピクリとも動かない拓也に背を向け、桜花が両手を広げた。巨大な光の球がその間に産まれ、禍々しい威圧感を放ってゆく。晃司が死を覚悟したとき、桜花の両掌を刃が貫いた。
「死ぬのはテメェだ」
 倒れたままの拓也だったが、刀を離してはいなかった。両手に握ったそれぞれの霊刀の刀身を霊力で伸ばし、桜花の掌を貫いたのだ。
 予期せぬ不意打ちに、桜花の放とうとしていた光の球が霧散した。
「うぉぉぉぉぉっ!!」
 咆哮とともに、拓也がありったけの霊力を二刀に注ぎ込む。それはまるで稲妻のように、二刀をつたって桜花の全身を駆け巡った。
「きぃさまぁぁぁぁぁ!!」
 桜花は刺さっている刃で、自分の掌を無理やりに引きちぎり、拓也の攻撃から脱した。
「この妾に傷をつけるとは!!」
 桜花の叫びとともに、引きちぎられた部分が瞬時に治癒してゆく。しかしさすがに堪えたらしく、その顔には脂汗がにじんでいた。
 同様に、拓也の腹を傷を、駆け寄ってきた詩織と漣が癒している。傷はふさがったようだが出血が多く、その顔は蒼白だった。
「もう貴様らに構っている暇などないわ!! 全て! 全てを破壊してくれる!!」
 絶叫とともに桜花は空へと飛び去っていった。
「くそっ……あと一歩だったのに……」
 詩織に支えられながら、力なく拓也が上体を起こす。もう桜花はなりふり構わず研究所を目指すだろう。
「後は音々ちゃんに賭けるしかない……」
 そんな晃司の言葉を耳にしながら、拓也の意識は暗転した。


「来る!」
「落ち着けメパンチ」
 橘花が言うまでもなく、それは音々も察知していた。凄まじい速度でこちらへ迫り来る圧迫感。その主は桜花以外に考えられない。
「さあ、うちの出番か」
 面倒くさそうに立ち上がり、軽く肩を回す。はき慣れたスニーカーの感触を確かめるように軽く地面を蹴る。ついでに靴ひもの確認も怠らない。
「ケリつけたろか」
 音々がそう呟いたときには、桜花は研究所の上空に浮かんでいた。橘花の姿を見つけ、忌々しげに見下ろしている。
「桜花!」
「妾と戦うというのか? 同胞と? お主で妾に勝てると思うのか?」
 桜花の声は、まるでスピーカーでも使っているかのように、周囲に響き渡った。
「その同胞を喰らった貴女を! 私は決して赦しはしないッ!」
「堕落しきったか橘花……ならばそこにいる血族ともども死ね!!」
 先程、晃司に放とうとしたのと同じ光の球を、桜花が生み出した。それに対抗して橘花も同様の光の球を生み出す。
 その橘花を音々が小突いた。
「あた!」
「下がっとり。あいつはうちがやる」
 上空を見上げ、音々は言った。その声は桜花にも届いたらしい。嘲笑が響き渡った。
「たかが人間風情の霊力で妾に対抗する気かえ?!」
 音々は口で答えず、空に向かって中指を突き立てた。そして反対の手で手招きをして見せる。
「橘花もろとも死ね!!」
 桜花が光の球を地面に叩きつける。音々は微動たりせず、その様子を眺めていた。あわてて橘花が力を集中し始めたとき、再び音々が橘花を小突いた。
「……雷鳴の白」
 掌をゆっくりと空に差し伸ばし、ぼそりと音々が呟く。
 次の瞬間、激しい閃光が大地から立ち上った。
「おおぉ!?」
 桜花の叫びは、周囲を包む轟音にかき消された。
 やがて光が収まった後、音々と橘花は何一つ変わらない状態で大地に立っていた。放たれた閃光は空を切り裂き、天を覆っていた雲をなぎ払っていた。研究所の周囲だけに、冬の陽光が降り注いでゆく。
「精霊術ってのは、この時のためにあったんやな。風間……」
 遠い目をしながら音々が呟く。その視線の先には桜花が憤怒の形相で浮いていた。
「な、なんなのだソレは!? なんだ!? 判らぬ、力を授けてやった妾にも判らぬ! そんな力があるのか!? あっていいのか?!」
 半ば錯乱気味に桜花が叫んだ。
「あるんや。アンタには悪いけどな」
「人間が妾を凌駕すると言うのかぁッ!!」
 桜花の全身が紅の輝きを放つ。
「許さぬ! そんなことはこの妾が絶対に許さぬ!!」
「うちはアンタを許さへん」
 渾身の霊力を込めて、桜花が空から音々へと突っ込んでいく。その様はまるで稲妻のようだった。
 その桜花を、音々は左手一本で受け止めた。桜花が纏う力をそのまま精霊力の源とし、桜花と拮抗する力へと転じさせる。そして余った力を右手に込め、
「百回分くらい死んでこい!」
 桜花の横っ面を拳で殴りつけた。二つの力がぶつかり合い、激しい爆音と閃光を撒き散らす。
 橘花が俊敏に動いたのは、まさにその時だった。桜花が吹っ飛んでいく方向へと移動し、受け止めるかのように両手を広げる。
「メパンチ?!」
 桜花の身体は、橘花をすり抜けて吹き飛んでいった。いや、吹き飛んでいったのは理沙だ。橘花は桜花の身体を抱きとめていた。理沙の身体から桜花を引きはがすのが橘花の狙いだったのだ。
 だが、それだけではない。
「橘花! 貴様!!」
 我に返った桜花が、少女の姿で叫ぶ。桜花の身体と橘花の身体が、少しずつ溶け合っていた。傷口が癒着していくように、二つの身体が交わりあってゆく。
「このまま一つになっていきながら、私が自分の身体を構成することを止めれば……どうなるか判りますね?」
 静かな口調で、橘花はそう言った。
「まさか自滅する気か?!」
「そう。貴女を道連れに」
「メパンチ! やめるんや!!」
 音々の絶叫が響き渡った。
「そんなことせんでも、うちがそいつを倒す! うちなら桜花に勝てる!!」
「ええ、きっと勝てると思います。でも、私は私の眷族の仇を討たねばならないのです……」
 そう言って、橘花は微笑んだ。
「うちらコンビやろ!? 何を一人で勝手に決めとんねん!!」
「ネオンねえさん……」
 橘花の瞳から、一筋の涙がこぼれた。
「友達になってくれて、ありがとう」
 それが最期だった。
 橘花の身体は、桜花の身体と共に、空気に溶け込むようにして消えた。二人の力の気配は、もうどこからも感じられない。
「橘花ぁぁぁぁッ!!!」
 慟哭と絶叫が研究所を囲む森に響き渡った。


To be continued.
← BackNext →

もどる 掲示板 てがみ感想はこちらまで