Moonshine <Pray and Wish.>
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Episode 08 終末を与えたもの


  物事の終わりという線引きは、どこですれば良いのだろうか。
  何が終わるのかさえも、判らないのに。

「勝者」

 桜花との決着から小一時間もした頃。ようやく拓也達四人が研究所に到着した。香織と桜はすでに研究所に戻って、四人の到着を待っていた。
 美樹の押す車いすで、小十郎も研究所の玄関にやって来ていた。樹華や華音の姿も見える。
 泣きじゃくる音々から、たどたどしい言葉で一部始終を聞いた後、樹華がぼそりと呟いた。
「私一人になってしまったのか……」
 その言葉には、残された者の寂寥感が漂っていた。
「俺達は……勝ったのか?」
 拓也が誰にともなく尋ねる。誰も肯定も否定もしない。
「姉貴はどうなったんだろう……」
 同様に晃司が尋ねる。音々の話では、気がつけば姿が見えなかったとのことだ。
「あの女に行き場などないわ」
 きっぱりと言ってのけたのは華音だった。
「今となっては、江藤理沙はただの反逆者よ。それに、その部下だった兵士達も……」
 そう言って、研究所の周りで放心したように座り込む兵士達を指さす。自治領軍、月政府軍、須賀の傭兵たち……その所属を問わず、皆の顔に浮かんでいるのは、もう全てが終わったのだという疲労感だった。
「桜花と橘花が消滅する余波に巻き込まれたということもある。逃亡した可能性も高い。しかし今できることは何もないよ。我々にも休息が必要だ」
 樹華が言った。


 その頃、江藤理沙は研究所の内部、それも最奥部に居た。裁きシステムのまさにコンソールの前に立っていた。
「理沙様……何をするつもりなのですか?」
 背後に控える志帆が尋ねる。
「ふふふ……本体を呼び戻す……」
「本体?」
「そう、桜花の本体よ」
 理沙の目は血走り、かき乱された髪と相まって、傍目にはまるで狂人のように見えた。
「ギリギリのところだったわ。あたしから桜花が抜けていく寸前、あたしは自分の意識を取り返した。そして桜花の一部を自分の中に取り込んだ」
 コンソールを操作しながら理沙が言う。それはどこか、誇らしげに自分を語っているように志帆は感じた。
 音々、橘花、そして桜花が戦っている一部始終を、志帆と由香は陰から見ていた。元々この二人に与えられた任務が、研究所へ潜入して樹華を暗殺することだった。そのために研究所近くから様子を窺っていたのだが、志帆の中のある迷いが実行をためらわせていた。そんな時に三人の戦いが始まったのだ。
 慟哭し、周囲が目に入っていない音々に気付かれず、志帆と由香は理沙の身体を木陰に隠すことに成功した。理沙は程なくして気がつくと、一目散にこのシステムを目指した。内部に護衛の兵士は居たが、戦いの終結に安堵していた彼らは、理沙にとってはただの雑魚だった。
「そう。一部とは言え、今のあたしは桜花の力を完全に支配している……これを更に強くするのよ。このシステムを使って、もう一度あの力を手に入れてみせる!」
 理沙の口調がひときわ強くなったところで、その口上が止まった。
 そして、呆気にとられた表情で、自らの胸から突き出した短い刃に目を落とす。
「……あ、あなたはやはり間違っている!」
 志帆は理沙に突き刺した桜花咲夜から手を離し、懐から拳銃を抜いた。装填された全ての弾丸を、理沙の心臓を狙って撃ち込む。弾丸は全て理沙の背中から胸板を貫通し、コンソールのモニタへと撃ち込まれていった。
「あなたの、自分を高めていく強さに私は惹かれた……あなたなら、人の手で時代を作ってくれると信じていた!! 咲夜家でも橘家でもない、精人から完全に独立した世界を!!」
 その声はもう理沙には届いていなかった。胸板を貫いていた桜花咲夜が、ゆっくりとその姿を消してゆく。それは、桜花の完全な消滅を意味していた。
「由香さん……私はどこで間違ったのでしょうか……」
「私には判りません。ただ、私はどこまでもあなたと共に在るだけです」

 江藤理沙の死体が発見されたのは、それから半日後のことだった。
 こうして勝者なきまま、日本自治領の内乱は終結した。



 その日の夜、主立った面々が研究所の食堂に集まっていた。居ないのは部屋で療養中の小十郎と、その付き添いの美樹、そして戦後の雑務に追われる華音くらいである。
 誰かが呼び集めたわけではない、最初、たまたまここでコーヒーを飲んでいた香織を晃司と漣が見つけ、その向かいに座った。しかし何を話すでもなく、時間が過ぎているうちに樹華が通りかかり、やはり近くの席に座った。あとは皆がそんな調子だ。
 だが誰も何も語ろうとしない。皆が無言のまま、ただその場に佇んでいる。
 その沈黙を破るように、食堂の自動ドアが開いた。皆の視線が一斉に向いた先には、車椅子に乗った小十郎と、それを後ろから押す美樹がいた。
「みんな集まってるって聞いて来たんすけど……」
 場の空気を察してか視線が集まったことへの緊張からか、ばつが悪そうな調子で小十郎は言い澱んだ。
「別に集まってる訳じゃないさ。ただ、なんとなく、みんなここに居るだけだ」
 拓也が言った。
「ま、しかし、だ。結果的にはこれで皆が集まったわけだな」
「そうだね」
 いささか無理やりに続けた拓也に、晃司が相づちをうった。
 その直後、ガタンと椅子を鳴らし、少し乱暴ぎみに音々が立ち上がった。
「なぁ! うちらは勝ったんか?!」
 短い質問だったが、それまでこらえていた感情を吐きだすような、そんな勢いがその言葉にはあった。
 誰も答えようとしないのを見かねて、拓也が立ち上がった。
「俺達の勝ちだ」
 皆に、そして自分自身に言い聞かせるように、きっぱりと断言した。
「なら! なんで誰も喜んでへんねや!? なんでこんなに重苦しい気分にならなあかんねや!!」
 皆がうつむき、何も答えられない。
 結果から見れば自治領軍は頭目を失い、生き残っていた兵士はほぼ全員が投降した。須賀の傭兵たちと月政府軍との連合軍側の勝利だ。それに加担していた桜花も消滅した。
 だがそれは結果だけを見ているに過ぎない。
「誰が勝ったんや?!」
 瞳に涙を浮かべ、音々が叫ぶ。
 見方を変えれば、兵士達は頭目を失ったから投降したに過ぎず、それまで互角に張りあえたのも月政府軍からの援軍があったからこそだ。その頭目である理沙は、いったんは拓也が優位に持ち込んだものの、その心の隙を桜花に突かれて肉体を乗っ取られた。理沙との決着がついたわけではない。その桜花も、拓也と音々がそれぞれ痛手を与えたものの、最後は橘花が自らの命と引き換えに倒したのだ。結局は精人同士で決着がついただけで、人間はその手助けをしただけに過ぎない。それで桜花に勝ったと言えるのか。それが皆の心に引っ掛かっているのだ。そしてもう一つ。
「理沙さんも桜花も負けたんだ! なら俺達の勝ちじゃないのか!?」
 知らず知らずのうちに、拓也は激昂していた。
「じゃああの理沙は何なんや?! なんであんなトコで死んどったんや?!」
 これがもう一つの理由だった。裁きシステムのコンソールの前に転がっていた、腑に落ちない理沙の死体。拓也達は理沙の最期に何が起きたのかを知らない。理沙がどのようにして死を迎えたのか、なぜあの場にいたのか、何も手掛りはない。
 それを全て知っている志帆と由香は、完全にその行方をくらましていた。投降した兵士達の中にも、二人の姿はなかった。したがって、拓也達がその真相を知る術はなかった。ましてや、橘花が桜花を倒しきっていなかったなどとは知る由もない。結局のところ、理沙と桜花、双方にとどめを刺したのは志帆だ。それが判っていれば皆がこんな気分になることもなかったのだろう。
 だが、その志帆さえも勝者と呼べるのかは判らない。志帆を勝者と呼ぶのなら、いったい彼女は何に勝ったのか。彼女はただ、事を成しただけだ。それは勝ち負けの問題ではない。
「音々さん。もうやめるんだ」
 それまで黙っていた樹華が口を開いた。
「なんでや!?」
「これ以上こんな事を言いあっていると、橘花が悲しむ」
 その一言で、堰が切れたように音々は大声で泣き崩れた。
「んな事……んな事は判ってるわ! でもなぁ、でもなぁ!!」
 少しでも慰めに行こうと腰を浮かせかけた桜を、樹華が制した。
「泣かせてやった方がいい」
「でも……あの子は私にとって、もう一人の娘みたいなものですから」
 そう言って、桜は席を立った。今度は樹華も止めなかった。音々がまだ赤子だった頃から、桜はずっと側にいたのだ。彼女の乳を飲んで音々は育った。
 血のつながりなどは関係なく、桜にとって音々は娘同然の存在だ。放ってはおけなかった。
「音々ちゃん……」
 側に歩み寄ってきた桜に、音々は顔を上げた。涙でびしょびしょに濡れたその顔を、桜はそっと胸に抱いた。
「うわあああああああああ!! 橘花! きっかぁぁぁっ!!」
「いい友達だったのね……」
 音々の髪を撫でながら、桜は優しく囁いた。
「結局みんな、うちの前から消えるんや!! みんな死んで、居なくなりよる!!」
「そう。そうかもしれないわね。でもね」
 桜の位置からは、部屋にいる全員が見渡せた。
「あなたもいつかは死ぬわ。そして居なくなってしまう。だからね、それまでの間、たくさんの人に出会いましょう」
「音々さん。橘花はね、ずっと一人だったんだよ。そして自分の子供たち、皆のことが大好きだった。でも自分の眷族や私以外に、誰も相手をしてくれなかったんだ」
 淡々とした口調で、過去を振り返るように樹華が言った。
「それでも橘花は皆を大事に思っていた。だから眷族を殺した桜花を許せなかった。その仇討ちを果たし、そしてかけがえのない友人……音々さんを得た。それは橘花が、ずっと渇望していながら得られなかったものだ」
 樹華の言葉に、はじめて橘花に逢った日の事を思い出す。そうだ、橘花は孤独だった。誰からも必要とされず、ただ一人の世界に籠もっていた。あのとき、連れ出さなければ彼女は死なずに済んだのだろうか。
 可能性は否定できない。だが、おそらく運命は変わらなかっただろう。橘花はなんとしても桜花を討とうとしただろう。しかし、音々が連れ出したことで、橘花の周りには大勢の仲間が居た。音々が居た。拓也が居た。漣が、桜が、詩織が、樹華が、皆が橘花の周りにいた。そうでなければ、橘花は本懐を遂げられただろうか。
 もっと自分に力があれば、あるいは早くに橘花の覚悟を察していれば、彼女は消滅せずに済んだかもしれない。ベストな結末ではなかった。しかしワーストでもない。橘花にとってはベターな最期だった。できることなら、そう思いたい。
「きっと、勝ったのは……橘花なんやね。でも、あんたはもう居らんのやな……」

 そして、戦いが終わった翌朝。
 昨晩と同じように、一同は食堂に集まっていた。皆が少ない荷物を、それぞれにまとめて持っている。手ぶらなのは小十郎と美樹、そして樹華と桜だけだ。
「小十郎くんは腕の経過を診るために、ここに残ってもらうよ。風間にも連絡をとって、義手の方を見てもらうことになった。ここなら医療設備も整っているし、まぁしばらくはリハビリに励んでもらうことになるよ」
 樹華が言った。当の小十郎は、美樹に車椅子を押してもらい、音々と香織相手に話が弾んでいるようだった。
「よろしく頼むよ。あいつは俺の大事な一番弟子だからな」
「ははは。お前こそ、その刀、大切に預かっていてくれ」
 拓也の言葉に、樹華はそう言って笑った。拓也の腰には樹華刹那が差されている。
「……もうコイツを使う機会も、そうそうないと思うがな」
「包丁にちょうどいいぞ。魚のうろこ落としもお任せの逸品だ。詩織さんに試して貰うといい」
「なんだよそれ」
 拓也が笑った。
「で、拓也。お前達はこれからどうするんだ?」
「派手に悪名が鳴り響いちまったからなぁ……」
 樹華の問いに、拓也は頭を掻いた。
「とは言え、産まれてくる子供のこともあるからな。旅に出るわけにもいかないし、どこかに隠れ住むとするさ」
「子供?! 初耳だぞ!」
 驚きの表情を浮かべ、樹華が声をあげた。その隣では桜も目を丸くしている。
「俺も昨日聞いたんだよ。女の子だってさ。よく判らないんだが、詩織には判るらしい」
「孫か。一気に歳を喰った気がするね」
「てめーなぁ。年齢四桁の奴が、今更なにを言ってやがるんだよ」
「それを言わないでくれよ」
 痛いところを突かれ、樹華が苦笑した。拓也がしてやったりとニヤリと笑う。
「しかしその子は、私と橘花、そして桜花の三人の血が混じることになるのか……」
「そんなこと、もうどうでもいいじゃない」
 桜はそう言い、拓也の傍らに立つ詩織を見つめた。
「ねえ?」
 尋ねられ、なぜか気恥ずかしそうに詩織は顔を真っ赤にしてうつむいた。
「産まれたら顔を見せに行くよ。親父達はどうするつもりなんだ? 居場所が判らないと訪ねようがないぜ?」
「私たちは当分須賀に残るよ。裁きシステムの解体もしないといけないし、割とここが気に入っててな。ここでゆっくりと暮らすさ。ろくに結婚生活を満喫できていなかったからね」
 思えば樹華と桜も、20年以上離れ離れで過ごしていたのだ。それ以前の二人の時間など、どれほど短いものだったか。
「そうか、それもいいよな。ま、そのうち遊びに来るよ」
 拓也が手を差し出した。その手を樹華が握り、その上から桜が掌を添える。
「しっかし……か、母さんねぇ。こうやって見ると、俺より年下にさえ見えるのにな。今一つ実感が湧かないというか、なんというか……」
「ふふふ。あなた達を産んだ、23歳の時に成長が止まったからでしょうね。肉体年齢だけなら、私の方が1歳若いわよ?」
 そう言って笑う桜の顔はどこか小悪魔っぽく、若さに溢れている。
「ったく。母さんは俺より若いわ、妹は詩織そっくりの顔になっちまったわ……」
 ぼやく拓也を後ろから晃司が小突いた。
「ってえ!」
「人の女房に文句をつけるなよ、拓也」
 振り返ると、むすりとした顔の漣と、苦笑いを浮かべる晃司が居た。
「別に文句はつけてないだろ。似てるけど明らかに別人の顔だし」
「だったら余計なことは言わないもんだよ」
「お兄ちゃんは、今の私は、嫌い?」
 むすりとしながらも、どこか不安げに漣が訪ねた。少しうつむき気味に、上目遣いで拓也の表情を窺う。
「いや、あー。そういう訳じゃなくてだな。えーと、あれだ。そう、あれ」
「なに?」
 嫌いではないと言うと冷たい気がするし、かと言って好きと言うのも気が引ける。答えようがない。
「なに?」
 無垢な瞳で、漣が詰め寄る。いや、本人に詰め寄った意識はないのだが、一歩近づくという行為が、拓也には詰め寄られているようにしか感じられなかった。
(あー! 複雑な心境ってのは、語るのが難しいから複雑だってんだよ!)
 心の中で叫びながら頭を抱え、拓也は必死に言葉を探した。
「……悪くない」
 顔を赤くしながら、やっとのことでその言葉をひねり出す。
 漣はと言えば、その返事に満足したのか、目を細くしてにっこりと微笑んでいた。こうやって見てみると、やはり細かい仕草が詩織とはまるで違うせいか、どんなに似ていても他人にしか見えない。
「親父が死んだと聞かされた時から、天涯孤独の身だとずっと思ってたんだがな……。急に家族が増えたというか、戻ってきたというか……妙な気分だよ」
「私は嬉しいです。拓也さんの家族は、私にとっても家族だから、とても幸せです」
「そういうもんかね。まぁ……」
「あ〜〜!!!」
 何か言いかけた拓也の声をかき消すように、音々が大声で叫んだ。一緒に話し込んでいた香織達にも唐突のことだったらしく、呆気にとられた顔で音々を見ている。
「ようよう考えたら、うちの初チュウは香織やなくてメパンチやないか!!」
「あ、そうだったの? そ、それは残念ね」
 対応に困ったような様子で香織は言った。だが音々の耳には入らなかったらしく、何やら慌てた様子で頭をカリカリと描いている。
「だから別に、あの時うちが焦る必要はなかったんやないか! あ、いや、焦るわやっぱ! あ〜〜〜もう!!」
「じゃ、じゃあ、音々のはじめての人になったげようか?」
「な、何のやーーーーーー!?」
 真顔で提案した香織に、音々は顔を真っ赤にして叫んだ。
「なんだネオン。お前、そういう趣味だったのか?」
「違うわいっ!!」
 拓也の茶々入れに、音々は間髪入れずに断言した。
「もう。せっかくキスした仲じゃないの。ファーストキスでなかったのが残念だけど」
 溜息交じりに香織が言った。その隣で、美樹が顔を真っ赤にしてうつむいている。
「よ、よく考えたらネオンねえさんがキスしたことある相手って、女ばっかじゃ……」
 小十郎がぼそりと言った。
「それを言うな〜!! 自分でもそれは気付いとんねや〜!!」
「いいじゃない別に。ねえ?」
 香織が音々の腰を抱き寄せた。はっきり言ってこの状況で遊んでいるとしか見えないが、当の音々はそう受け止める余裕などなかったようだ。
「うわ、やめい! もうこうなったら小十郎、お前でもええわ! うちとチュウしてんか?!」
 香織の手を振り払い、音々が小十郎に手を伸ばす。が、その手は空を切った。美樹が素早く車椅子を後ろに引いたのだ。
「そ、そういう訳でスンマセン!! ネオンねえさん!!」
 苦笑をこらえつつ、小十郎は合掌した。
「うう、うちの人生は灰色か……」
「あたし色に染めてあげる」
 音々の耳元に息を吹きかけるように、香織が囁いた。
「いぃやぁじゃぁ〜!!」
「ま、馬鹿はさておき、だ。晃司、お前らはどうすんだ?」
 真顔に戻って拓也が尋ねた。
「風間さんの許に行こうと思うんだ」
 その答えに、拓也は意外そうな顔を浮かべた。
「魔道工学絡みの技術者になりたいんだよ。それを、あの人の元で修業しようと思ってね」
「そっか。そういう目標、ちゃんと持ってたんだな」
「まあね」
 頷く晃司の顔は、どこか誇らしげに見えた。
「小十郎はどうする?」
 音々たちの絡みを、少し離れた位置から眺めていた小十郎が、拓也の声に顔を向けた。すぐさま美樹が車椅子を、拓也達の許まで押してくる。
「しばらくはリハビリっすけど。その後は咲夜家のみんなと、橘家との間を取り持つ役をやれればいいな、って思ってます。それと個人的には目標があるんすけど……それはまぁ、秘密にしとくっす」
「なんだよそれ」
「へへっ」
 誤魔化すように小十郎が笑った。
「ま、連絡先だけは、うちの親父にでも知らせといてくれよ。俺もそうするから。たぶん、ひとところに落ち着いてるのは親父達くらいだろうからな」
「ういっす!」
「で、最後に、そこの仲良し二人はどうすんだ?」
 からかうような口調で拓也は言った。
「うちは逢いたい人や、やっときたいことが幾つかあるんや」
 絡んでくる香織を強引に払い除け、音々は言った。
「まず、うちの……おとんに逢ってみたい」
 月に居たとき、テレビに映った橘花と一緒にちらりと姿の見えた男性、おそらくあれが父親なのだろう。逢って何を話したいのかは自分でも判らないが、どうしても一度逢っておきたかった。樹華や桜と、拓也が話している光景を見ると、さらにその想いは強くなる。家族の絆という意味では、風間や桜、漣といった面々に抱く思いの方が強いのだが、産まれたばかりの自分を生かしてくれたのは、実の父親と樹華だ。一度逢って、話をしてみたい。
「そんで、メパンチの墓を建ててやりたいんや。んでから、日本とか、他の地域とか、月とか、戦争が終わった土地を色々と歩いてみたいんよ」
 倭高専に入るまでは、ずっと放浪の日々だったのだ。そういう旅は慣れている。
「うちは精人と……いや、桜花と戦うために、ただそれだけのために育ってきたような、そんなもんやったから……それ以外の世界を見て、それ以外の目的を見つけんとあかんのよ。だから、それを探してくるわ」
 そんな音々の言葉を聞きながら、香織は自分のこれまでを振り返っていた。
 音々が今言っていることは、かつての自分の境遇と同じだ。橘家と戦う為に育てられ、その目的を見失った。その喪失感を、香織は義体に詩織が宿っていると信じてすがることで埋めていたが、音々は自分で探そうとしている。
 そうだ。自分も遅ればせながら、そうしたいのだ。
(この娘のことが気にかかるのは、それを無意識のうちに感じていたせい……かもね)
 心の中で呟きながら、香織は音々の言葉に耳を傾けた。
「橘花が……メパンチが、守ったものを、ちゃんと見届けてやりたい。あいつが見れなかったものを、うちがまだ見たことないものを、もっともっとたくさん見つけて、いい男も見つけて、いつか……うちらが取り戻した、この日本に戻ってきたいって、うちは思ってんねや」
「ネオン」
 黙って話を聞いていた拓也が口を開いた。
「たまには顔出せよな。お前がいないと運動不足になりそうだ。お前には負け越してるからな、せめてイーブンにしないと気が済まねぇ」
「よう言うわ。運動不足でデブらせて、うちが勝ち星を重ねていくだけやって」
 呆れたように肩をすくめ、音々は軽口を叩いた。
「ばーろ。だいいち、二戦目は不意打ちで勝ったようなモンだろが」
「言い訳こくの? ダサ!」
「てめぇ。一回目の時にお前がしょ……」
「あー! それ言うか!? まだ言うか?! 信じられへんわ!!」
「あぁ、あの時っすね」
 小十郎がぼそりと呟いた。
「あん時は大変っしたからねぇ……」
「え? 何? あたし興味あるなぁ、それ」
 しみじみ呟く小十郎に、香織が悪戯っぽく突っ込んだ。
「いや、そいつが」
「ええい黙れい!」
 言いかけた拓也の口を音々が自分の口で塞いだ。
 思わぬ不意打ちに、完全に拓也の動きが硬直する。
「……んーー! よっしゃぁ! 男相手の初チュウゲットォッ!!」
 拳を高々と突き上げ、達成感もあらわに音々が叫んだ。
「て、てめぇ! 何しやがんだ!!」
「ええやろ減るもんやなし!」
 完全に勝ち誇った顔で、音々が鼻で笑う。
「くそ、よりによって詩織のいる前で……」
「いなきゃ良かったっつーん? 詩織ちゃん、気ぃつけた方がええで。コイツ浮気の気配ありや」
「は、はぁ……」
 完全に呑まれきった顔で、詩織はただ相づちを打つしかなかった。
「ほっといていいの? 詩織。旦那の唇を奪った張本人よ?」
 煽るように香織が尋ねたが、詩織は苦笑するだけだった。
「えと。その……事故に遭ったと思って諦めます……」
「事故とはなんや事故とはー! うちは災害とちゃうで!!」
 溜息交じりに答えた詩織とは裏腹に、音々のテンションは上がっていく一方だった。


 最初の別れは、こんな風に過ぎ去っていった。


To be continued.
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