Moonshine <Pray and Wish.>
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Epilogue

 内乱の終結後、日本地域の復旧は急速に進んだ。その結果、数年後には戦争以前の状態程には復興を遂げる。地価の安さのせいで海外や月からの移住も増え、地域中に活気が戻りつつあった。『光の夜』直後と比べ、まさに三倍もの人口が日本地域で暮らすようになったのである。
 九州島の、かつて峰誼の里があった辺りも、すっかり再開発されてニュータウンと化していた。
 2030年、初夏。
 小十郎は一人、この地を訪れていた。初夏とは言え、彼が住んでいる神奈川地区と比べると、比べ物にならない程に日差しが強い。降り立った駅の前は人通りも多く、数多く並ぶ店への人の出入りも激しい。活気に溢れた街だ、と小十郎は思った。左手には紙袋、そして背中には風呂敷に包んだ刀を背負っている。
 駅前から少し離れると、民家と自然しかない。ほとんどの店舗が駅前に集中しているのがニュータウンの常とは言え、ここまでギャップが激しいと、いかに人工的に造られた街であるかがひしひしと感じられる。
「暑ぃ……」
 やっと見つけた自動販売機で缶コーヒーを買い、一気に咽に流し込む。清涼感を堪能した直後、飲んだばかりのコーヒーがもうあふれ出てきたかのように、汗が一気に噴きだしてきた。
「着く前からバテててどうすんだ、っての……」
 一人呟き、小十郎は再び歩きはじめた。晃司から預かった地図では、この道で間違いないはずだが、いかんせん目印が少なすぎる。おまけに距離も十二分にあるから、道を間違えているような予感がどんどん高まってくる。
 果てしなく続くかと思われた住宅街の中に、明らかに違和感ある建物が見えたのは、それから十分ほど歩いた後だった。いや、建物そのものは、庭がやや広めである以外は、ごく普通のコンクリート住宅だ。その家と隣接しているのも、ごく普通の本屋だ。
 そう、ただの本屋だ。駅前からここに来るまで、一軒も店がなかったにも関わらず、ここには本屋がある。それが違和感の原因だ。街中にあるにしては、なかなかに大きな本屋だ。
 さて本屋と家、どちらを訪れたものかと思案し、すぐに結論は出た。小十郎が立っている位置から近いのは家の方だった。だったら家だ。いい加減、暑くてたまったものではない。
 玄関脇の呼び鈴を押すと、パタパタと走ってくる音が聞こえてきた。
「はーい!」
 元気な子供の声とともに、扉が開く。そこにはまだ幼い少女が立っていた。
「おじさん、だぁれ?」
「……まだお兄ちゃんと呼んで欲しいんだけどなぁ」
 見上げてくる少女の瞳に、小十郎は苦笑いで応えた。
「れーいーな! 零那! ママが出るって言ってるでしょう?」
 奥から駈けて来るスリッパの音が聞こえる。懐かしい声だ。
「零那……あ、小十郎君?」
「お久しぶりです。詩織さん」
 エプロン姿で現れた詩織に、小十郎は軽く頭を下げた。

 通されたリビングはクーラーが効いていて快適だった。借りたタオルで汗をぬぐいながら、それまでの疲れを癒すようにソファでくつろぐ。
「四年ぶり、かしら?」
「そうっすね。もうそんなになりますかね」
 麦茶を注いだグラスを盆に乗せ、詩織がキッチンから戻ってきた。小十郎が土産に持ってきた菓子も一緒だ。そんな詩織のスカートの陰に隠れるように、零那が小十郎の様子を窺っている。
「毎年、みんなで集まってるのに、私は顔を出せなくてごめんなさいね」
 六年前の戦いが終わった日。毎年その日に、皆が須賀に集まるのが恒例になっていた。最初の二年は詩織も子連れで参加していたのだが、三年目を迎える少し前に二人目を身ごもって以来は
「お子さんで手いっぱいでしょうからね、仕方ないっすよ。それに顔を見せないと言えば、ネオンねえさんだって、来たり来なかったりですし。今どうしてるんだか……」
 昨年、一昨年は来なかった。その前は来たが、そのまた前は来なかった。それより前は来ていたような気がする。香織はちゃんと姿を見せているのだが、音々が姿を見せない理由については特に語ろうとしなかった。
 音々は終戦後、言葉どおりに放浪の旅に出た。香織も半ば無理やりそれに同行したらしい。しかし、三年前に放浪を終え、二人はそれぞれに月で居を構えたと聞いている。香織は医学の勉強をするために大学に通っているという話だが、音々については特に情報を聞いていない。
「音々さんなら、時々遊びに来てくれてるわよ。年に一度くらい」
「そうなんすか?!」
 詩織の口から出た思いもよらなかった言葉に、小十郎はすっとんきょうな声をあげた。
「遊びにと言うか、じゃれあいにと言うか」
 苦笑混じりに詩織が言う。
「今の対戦成績は、ちょうど五分五分くらいじゃなかったかしら?」
「なる。そういう用件っすか……」
 事情を察し、同じく苦笑混じりに小十郎は頷いた。
「そう言や、しずかひめちゃんはどこに?」
「しずかひめじゃなくて、しずき。静かな姫、って書いて静姫よ。もう」
 電話や手紙で、いつもネタにされるのだ。しずかひめ、とわざわざ平仮名で年賀状を出してきたこともあった。
「今は上でお昼寝。やっと眠ったばかりなの」
「いま二歳でしたっけ?」
「ええ。手がかかってしょうがないわ。ほら零那、お兄ちゃんにご挨拶は?」
 後ろの零那を振り返り、詩織は微笑んだ。その笑みに安心したのか、零那は詩織の陰から飛びだしてくる。
「こんにちは! おーとり、れーな。六歳、だよ」
「咲夜小十郎、二十六歳だよ。よろしくね」
 小十郎が手を差し出すと、零那はにまりと笑って、その手を握った。
「あくしゅ! あくしゅ!」
「ははは。零那ちゃんは元気だね」
「ところで小十郎君。今日はどうしたの?」
 小十郎の傍らに置かれた刀に目を落とし、少し不安げに詩織が尋ねた。
「もしかして、何か起きたの?」
「いえ全然。平和なもんですよ。咲夜家も橘家も、霊術士の組織としては実質的に解体されちゃいましたしね。統合政府も橘家による独裁じゃなく、咲夜家出身の人間や普通の民間団体からの人間が入り込んでくるようになりましたし……」
 そこまで喋って、小十郎は麦茶を一気に飲み干した。
「と言うより、橘の人達は、徐々に政治への干渉を辞める方向で考えてるみたいっすね。民主主義万歳、ってとこなんじゃないっすかね。それによる腐敗や、意見の相違による対立ってのは、これから徐々に起きてくるんでしょうけど……それはもう、人間の業って奴っしょ。そういう対立が激化して、いつかはまた内乱でも起きるのかもしれませんが、それは今の僕が考えても仕方ないっすしね」
「色々と考えてるのね、小十郎君は」
 長口上にいささか驚いた様子で、詩織は言った。
「咲夜と橘の間で散々に揉まれましたからね。理屈くさくなっちゃいましたよ。で、今日の用件なんすけど……」
 そこで言葉を止めて、風呂敷から刀の柄を覗かせ、すぐに再び包み込む。
「師匠に会いに来ました。用件はネオンねえさんと同じようなもんっす」
 期待と自信に溢れた目で、小十郎はニッと笑った。

 拓也が姿を見せたのは、それから十分ほどしてからのことだった。
「よう小十郎! 久しぶりなぁ。遠いところはるばる、よく来てくれたよ」
 三十歳を迎えた拓也だったが、その身のこなしには一切の隙がない。張りつめているのではない。ごくごく自然体の、どちらかと言えば物腰の柔らかささえ感じられるのに、今ここで襲いかかっても迅速に反応するという、そんな確信を小十郎は抱かされた。
(衰えてないなぁ……)
「店の方を詩織に代わって貰ったんだ。ちょうど読みさしの本があったんだがなぁ」
 小十郎の向かいのソファに腰を下ろしつつ、少し未練がましそうに拓也がぼやいた。
「師匠が本屋をやってるって聞いた時は、似合わねー!って思ったんすけどねぇ」
「何言ってんだ小十郎。本はいいぞ。本には無限の世界が広がっている。戦争やってた頃はまるで読まなかったし、それ以前は大っ嫌いだったがな。いざ平和な時世になって時間ができると、これほど楽しいもんはないぞ」
 熱く語りながら、拓也は常に笑みを絶やさなかった。
「この辺りには店も少ないから、みんな娯楽に飢えてるのかね。店の売り上げも上々さ」
「好きな本に囲まれて悠々自適っすか。でも鈍ってるようには見えませんけどね」
 その一言に、拓也の目つきが変わった。
 この目だ。かつての小十郎が知っている拓也の目は。
「表に出るか。少し行ったところに、だだっ広い公園があるんだよ。グラウンドもあってな、ちょうどいい」
 何がちょうどいいのかは明白だった。小十郎は再び刀を風呂敷に包み、立ち上がった。拓也もゆっくりと腰を上げる。
「車で五分くらいかな。歩いて行ってもいいんだけど、暑いからな」
「ういっす」
 苦笑混じりに言う拓也に、同じような顔で小十郎が頷く。

 その公園は、小高い山の頂上周辺に広がっていた。
「場所が場所だからかな。こんな暑い日に山登りをしようって物好きも少なくてな。ほとんど誰も来ないんだよ」
 車を止めた駐車場から、公園の景色を眺めつつ、拓也は言った。
 その言葉どおり、公園にはまるで人の姿が見えない。
「一人や二人くらい居てもおかしくなさそうなのに……」
 ぽつりと小十郎が呟く。
「居るんじゃねーの? ここから見える範囲だけが全部じゃないさ。一人や二人くらい、健康の為の散歩とかジョギングとか言って、来ててもおかしくないだろ」
「そ、そうっすね」
「まだまだ青いよ、お前は」
 笑いながら拓也は小十郎の背をバンと叩いた。そして腰のポケットから短いナイフを取り出す。それは瞬く間に刀身を伸ばし、通常の刀と同じくらいの長さになる。間違いなく、樹華刹那だ。
「こうやって来たってことは、腕はもう大丈夫と思っていいのか?」
 拓也の問いに小十郎は答えず、自らの刀を風呂敷から出し、腰に差した。風呂敷の中には刀の他にも数本のナイフとベルトが収められていた。ベルトにはナイフが差せるようになっており、小十郎はそのベルトをたすきがけに肩から下げる。
 その動作を、拓也は無言の肯定と受け止めた。
「公園に入ったらいつでも来な」
 そう言って小十郎に背を向け、拓也はのんびりと歩きはじめた。公園と駐車場を隔てる柵までは、およそ10メートル。そんな拓也の隣を、小十郎が小走りに駆け抜けていった。そして公園に入ると同時に振り返り、拓也を誘うようにニヤリと笑う。
「……おもしれぇ」
 獰猛な笑みを浮かべ、拓也は全力で走り出した。いつでも抜刀できるよう、柄に手を添える。
 
(まずは様子見か……)
 腕の回復具合を見る意味も含め、単調な太刀筋で樹華刹那を繰り出した。スピードも少し加減してある。小十郎は即座に反応し、その一撃を刀で弾く。
 だがしかし、その動きは拓也から見れば若干鈍い。やはり以前のようには腕が動かないのか。
「加減しないでくださいよ。面白くないじゃないっすか」
 拓也の心中を察してか、小十郎は余裕ありげに言った。
「そう言うな、まずは肩慣らしだって必要だろうが」
(何か策でもあるのか? あのナイフか?)
 やや間合いから離れた位置から様子を伺うが、小十郎が動く気配はない。互いに対峙したまま、出方を伺う時間が流れてゆく。
 状況を破ったのは小十郎の一言だった。
「成長っぷりを見てもらうために来たんすからね」
「そうか」
 加減は無用だ。どんな策かは判らないが、正面から本気でぶつからないことには、手の内を見せる気はないらしい。
 霊力を全身に漲らせ、大きく息を吸い込む。
「はッ!!」
 掛け声とともに間合いを瞬時に詰める。中段に刀を構える小十郎の腕の下をくぐらせるように刀を振るい、胴を狙う。が、その刀は空を切った。
「なに?!」
 拓也の目の前に、小十郎の刀と、それを持つ手だけが浮かんでいる。小十郎本人は、拓也と互角のスピードで、刀の間合いの外へと移動している。
 浮かんでいるのは義手だった。いや、正しくはワイヤーで小十郎と繋がってはいるのだが、しかしどう考えてもワイヤーで義手が水平に支えられるわけがない。
 拓也が体勢を立て直すより早く、宙に浮いていた義手が動いた。上段から下段へと、素早い連携で刀が拓也を襲う。
「なんだよコレは!?」
 かろうじて連続攻撃をさばいた拓也だったが、小十郎がナイフを左手に握り、ワイヤーに引っ張られるように間合いを詰めてきた。その左手が微かに輝き、常人を越えたスピードで突きだされる。突っ込んでくる勢いも相乗し、ナイフが拓也の眼を狙う。すんでのところでそれを避けた拓也だったが、頬をナイフがかすめて切り傷ができた。
「あの夜、師匠に見せてもらった技を、僕なりに突き詰めてみたんすよ」
 小十郎が自慢気に言った。腕を切り落とされたあの夜、拓也が見せた刀の操り方。腕の筋力をほとんど使わず、霊力だけで自在に刀を操ったあの技だ。
「なるほどな! そういうことかよ!」
 ワイヤーを通じて義手に霊力を込めているのだ。宙に義手が浮いているのも、その状態から刀を振るったのも、全てその技術だ。
 空いている左手で拓也が小十郎の頬を狙って拳を放つ。が、再び小十郎は義手を残し、間合いから遠ざかる。
「だが、そうやって奇策に頼るのがお前の悪い癖だな!」
 パンチはフェイクだった。すぐさま拓也は刀を両手で握り、刀に込めた霊力を微妙に変化させた。樹華刹那の形状が、太い棒のように変貌する。
「なら俺も奇策で行くぜ!」
 バットを振る要領で、宙に浮いた義手をぶん殴った。野球ならホームラン確実なそのスイングに、小十郎の義手が吹っ飛ばされる。
「うわぁっと!!」
 義手のワイヤーに引っ張られ、小十郎の右腕がぐるりと90度以上回転し、身体が大きくのけ反る。
「終わりだ!」
 再び刀の形状に戻った樹華刹那を拓也が構えた。
「まだまだぁ!」
 後方に倒れ込みながら、小十郎は左手のナイフを三本同時に、指の間に挟み込むようにして引き抜いた。受け身代わりに後転しながらも、ナイフを拓也めがけて投げ放つ。三本のナイフは、それぞれが別々の軌道で拓也を襲う。明らかに不自然なその動きもまた、小十郎の霊力によるものだろう。
「うざい!」
 その三本のナイフを、目にも止まらない程の動きで刀の峰で叩き落とす。しかしその間に小十郎は体勢を立て直し、再び拓也に向かって斬りかかろうとしていた。
 小十郎の右手が輝きを帯びる。どうやら霊力を込めやすいような、そういう構造の義手になっているようだ。逆手に持った刀で、低い姿勢から拓也の喉元を狙って渾身の一撃を繰り出す。
 拓也がさらに間合いを詰めた。ほとんどゼロの距離、二人どちらの刀もまるで意味を成さない位置まで接近する。
「惜しかったな、小十郎」
 小十郎の目の前で拓也はニヤリと笑い、そして身体を低く構えた。その次の瞬間、小十郎のあごから脳天へ、激しい衝撃が突き抜ける。燦々と輝く太陽とともに小十郎の意識は真っ白になり、そして消えた。

 額に触れる冷たいものの感触で小十郎は目を覚ました。
「よう、起きろっての」
 はっと目を開けると、眩しい太陽を拓也の顔が遮っていた。差し伸ばした手の先にはスポーツドリンクの缶がある。先程感じた冷たいものはこれだったらしい。
「あとで金は払えよ。俺が勝ったからお前のおごりだ」
 そう言って拓也は自分のスポーツドリンクの缶を開けた。そして一気に咽に流し込む。
「最後のやり口、あれは……」
 上体を起こしながら小十郎が口を開いた。
 超近距離から、相手に肘打ちを喰らわせて脳震盪を引き起こす。その戦い方には見覚えがある。
「ネオンの得意手だな。前にあれを喰らって負けた」
 そう言って拓也は破顔した。
「成長してるのはお前だけじゃないってことだよ」
「かーっ! 悔しいなぁー!!」
 再び地面に寝ころび、夏の太陽を一身に受ける。やけくそなくらいに暑いが、それがかえって心地よい。
「途中、かなりヤバかったけどな。あの、ナイフを突きだして来たとき」
 頬の傷はすでに治癒させてあるが、傷を負わされた部分を撫でながら拓也は言った。
「あの後は、単にあがいただけになっちゃいましたけどね」
「いいんだよ、それで。諦めたらその時点で負けだ。負けが確定するまでは、いや確定した後でもあがけばいいんだ。あがける限りは、勝つ可能性はゼロじゃない」
 そう言う拓也の表情は先程までとは違って、とても穏やかなだった。戦いに身を置く人間の顔ではない。
「でも正直、霊力で武器を操るということについては、もう俺以上だよ」
「ホントっすか?! って喜びたいトコなんすけど……この義手のおかげでもあるんすよねー」
 言いながら、小十郎は自分の右腕に装着してある義手を撫でた。
「新型か?」
「まだ試作品っすよ。風間さんと晃司さんと樹華さんの合作っすよ。霊力戦闘に特化した義手で……まぁこの時世には必要のないもんなんすけど、新しい技術への試金石だって。僕にはよく判んないんすけどね」
「へえ! そいつぁすげえな。四人がかりかよ」
 肩をすくめ、拓也がぼやく。だがすぐに真顔に戻り、
「でも道具はしょせん道具だ。それを使いこなしているのは、まぎれもなくお前の実力だよ」
 そう言って小十郎にタオルを放り投げた。
「それに道具の差を言いだすと、俺の刀がブッチギリだからな」
「はは、違いないっすね」
 タオルで額の汗を拭うと、小十郎はひょいと跳ね起きた。
「今年の冬は、詩織と娘二人も連れて、皆に会いに行くよ」
 唐突に拓也が言った。
「零那がずいぶん漣になついててな。何かあればすぐに遊びに行きたいってうるさいんだよ。こないだ一家三人で遊びに来た時なんか、帰っちゃ嫌だって泣くの泣くの……」
「ああ、大地君でしたっけ? 今年で三歳だったっけか……」
 晃司と漣の間にも、一人の子供が産まれていた。大地と名付けたのは漣だったはずだ。
「風間だのうちの親父だの晃司だの……将来は明るそうなもんだな」
 言葉の内容とは裏腹に、やれやれといった調子で拓也は言った。
「で、お前のとこはどうなんだよ、小十郎」
「師匠相手に一本とったら結婚するって約束してるんすよ。だから当分先になりそうっすね」
「なんだよそりゃ」
「へへ……」
 馬鹿らしそうに拓也は笑った。小十郎も笑う。
「こんな話で盛り上がれる時代になったんすよね……」
 しみじみと小十郎が呟いた。
「そうだな」
 拓也も頷く。
「ネオンも今年は顔を出すはずだぜ。こないだ逢った時に言ってたよ」
「そうなんすか! 楽しみっすねー。ネオンねえさん、今はどうしてんだか……」
「俺はおおむね近況を知ってるんだがな」
 どこか含みのある言い回しで、拓也は言った。
「え、今ねえさんはどうしてるんすか?」
「秘密だ。直接聞けよ。そういやネオンに聞いたんだが、香織は凄いことになってるらしいが……お前、誰かから聞いたか?」
「……な、なんすか?」
 ニヤニヤと笑う拓也に、その内容を知らない小十郎は不可解そうな表情を浮かべた。
「まあアレだ……」
 香織が医者を志して大学に通っているというのは周知の事実だったが、そこで彼女は女子学生を漁りまくっているらしい。それはもう凄いもので、香織の住む部屋には常に何人かの女子学生が詰めているという話だ。
「ハ、ハーレムっすね……」
 その光景を色々と想像したのか、小十郎は遠い目で呟いた。
「単位もそれで稼いでいるって話だよ。まぁ魔導医術の類だから、腕は確かなんだろうが……正直、あいつが病院を開いても行きたくねぇな」
「た、確かに……」
「しっかし、なんつーかよ。カリスマというかフェロモンというか……。ちょっと男としては羨ましいよな」
 苦笑いとは微妙に違う、ちょっとばつの悪い笑みを拓也は浮かべた。それに対し、小十郎はしてやったりとばかりにニヤリと笑う。
「あ、聞きましたよ今の発言! あとで詩織さんに言いつけますよ。ついでに零那ちゃんにも分かりやすく説明してやるっすよ!」
「あ、テメ! 男と男の話を女に漏らす気か?!」
「だったら言うか言わないかを賭けてもう一本!」
 小十郎が再び刀を構えた。
「いいぞ。どっからでもかかって来やがれ!」


 2030年、師走。
「たーくやぁ。なーんか、面白いことを小十郎に吹き込んでくれたそうじゃない?」
 背後から絡みつくように香織は腕を回し、拓也の身体のあちこちを撫でまわす。その動きは指の先まで妖艶だ。
「こ、小十郎! テメ、さっそく何か言いやがったな!」
「あ、いや、その。つい。僕の知らない世界を教えて頂こうかと……」
「このエロボケがぁっ!!」
 香織を振りほどけず、じたばたともがきながら叫ぶ拓也に、小十郎は苦笑いを浮かべて合掌した。その左手の薬指には、質素なデザインの指輪が見てとれる。そんな小十郎の陰に隠れるようにして、美樹が拓也に何度も頭を下げていた。
 もはや毎年恒例となった、須賀にある樹華の研究所での集まりも、これで七度目となる。
 拓也に絡みつく香織の姿を、くすくすと笑いながら詩織が見ている。このあたりは、もう大人の余裕というものだろうか。その腕には静姫が抱かれ、すやすやと眠っている。一方、零那はといえば、漣とおしゃべりを楽しんでいたのだが、目の前で繰り広げられる大人の光景に、漣から目隠しをされてしまっている。同様に、漣と晃司の息子の大地も、晃司に目隠しをされている。
「ほら、小さい子供がいるのにいい加減にしろ! こら、どこ触ってやがんだ! おい!」
「なら上に行く? 居住区にはベッドもあったじゃない」
 そう耳元で囁き、香織は拓也の耳たぶを軽く噛んだ。
「いい加減にしろ〜!」
「だらしないのね。だから男ってのは嫌いよ」
 さっと手を離し、香織はさらりと言い放った。樹華と桜は、離れたところから風間夫妻も交え、呆れ顔で様子を見守っている。
「くそ、このリビドー全開女が……」
「言えた義理かしら? 昔、峰誼の里に行った時とか、そのあととか……」
「なっ……何を言いだすんだテメェは!!」
 そこに唐突に、スニーカーが飛んできた。片方ずつ飛んできたスニーカーは、まず拓也の頭に、続いて香織の頭に命中する。
「かおやんも拓也もええ加減にせんかい!」
 響いた声に、真っ先に反応したのは小十郎だった。
「ネオンねえさん!」
「あー、そう呼ばれるのも久しぶりやねぇ」
 食堂の入口に、何かを背負った音々が立っていた。
「……スニーカー」
 むすりとした顔で言うと、投げろと言わんがばかりに手を差し出す。なんとか香織の魔の手から脱した拓也が、無言でそれを拾い上げる。
「ほらよ」
 投げつけられたのと同じくらい、もしくはそれよりも強めに、拓也がスニーカーを投げた。それを片手で二つとも叩き落とし、足元に転がったスニーカーを履き直した。
「ったく。乱暴なやっちゃな」
 そして、音々のあとから食堂に入ってくる者を、皆が見た。
「な、なんすかネオンねえさん。その子供は……」
 入ってきたのは、まだ小さな男の子だった。
「うちの子」
 さらりと言ってのけた音々の言葉に、小十郎はあんぐりと口を開けたまま硬直した。
「音々ちゃん、いつの間に……」
 信じられないものを見たとでも言いたげな顔で晃司が尋ねる。
「ほれ、ミコ坊。自己紹介せんかいな」
「片桐命! 命って書いてミコト! イノチって呼ばんといてや〜! 6歳!」
 元気に溢れた声で、命は自己紹介をした。そして誇らしげに胸を張る。
「よっしゃ、よう言うた命」
 音々が命の頭をくしゃくしゃと撫でる。それが気持ち良さそうに、命はにこにこと笑っている。
「あ、みことくーん!」
 命に気付いた零那が手を振った。
「れっ、れいな?!」
 漣の姿を見た命の顔が引きつった。
「ほれミコ坊。零那ちゃんと遊んできぃ」
「えっ、オカン、あ、僕。いや、ちゃうねん」
「何がちゃうねん?」
 音々が命の頭を小突く。
「ちゃうねん。えーと」
「ちゃうねんちゃうねんってうるさいわアホ。とっととリベンジしてこい!」
「うう〜〜」
 今にも泣きそうな命の所へ、零那が駆け寄ってきた。
「ほら零那。表で遊んできな」
 ニヤニヤしながら拓也が言う。
「うん!」
 元気よく零那が頷き、命の手を引いて外へ走って行った。
「おかぁぁぁん!!」
「負けたらゴツンやからな! 判っとるやろな! ミコ坊!」
 遠ざかる命にハッパをかけ、音々は拓也を睨み付けた。
「親はイーブンだが、子供はうちの圧勝だからな。んー?」
 笑みを崩さず拓也が言った。
「そうやって言ってられんのも、あと何年かやからな。覚えとれよぉ!」
「あー。ネオンねえさん。説明をお願いしたいんですが……」
 おずおずと小十郎が手を挙げた。
「……命は孤児でな。うちが日本出る時に、赤ん坊抱いて死んでる女の人をたまたま見つけてな。赤ん坊はまだ息があったし、ほっとく訳にもいかんからうちが育てることにしたんよ」
 どこか過去を懐かしむように、音々は言った。
「華音に頼んで戸籍もうまいことやってもろてな。書面上、出生届が受理された日付が4月3日やから、その日があいつの誕生日。その日から命は正真正銘、うちの子ってわけや」
「子連れで放浪してたんすか……」
 呆れたように小十郎が呟く。
「まだ赤ん坊の間はなぁ、意外となんとかなるもんやねん。行くあちこちで乳もらって、かおやんと一緒にあたふたしながら子育てに励んだんやで? でもまぁ、ちゃんと喋ったりするようになったら、友達とか要るやろ? だから放浪やめて、月で暮らすことにしたんよ。んで、その頃くらいから子育てやら何やらで、なかなか顔出せんかったってワケよ」
「で、零那ちゃんをあそこまで恐れてる理由ってのは?」
 薄々は予想もついているのだが、とりあえず晃司は答えを聞かずにはいられなかった。だが、それに答えたのは音々ではなく拓也だった。
「二年前だったかな、ネオンがうちの本屋に『手合わせや〜!』って来た時にな。命もマネして『手合わせや〜!』って零那にケンカ吹っかけて、コテンパンにやられたんだよ」
「うっ、うちら親子の屈辱メモリアルをひも解く気か〜!?」
「その時に、何かの拍子で命のズボンとパンツがズリ落ちてさ。で、うちって女の子ばっかだろ。物珍しがってさぁ……」
 苦笑混じりに拓也が言った。その隣で音々が顔を真っ赤にして怒りをあらわにしている。
「で、音々ちゃんは今、月で何をやってるんだい?」
 話題を変えようと、晃司が尋ねた。
「んー、ライター言うんかな。まぁ文筆業ってやつ。そんな大げさなもんでもないけどね」
「へぇ〜。意外な才能というか、何というか」
「意外は余計や、アホ!」
 音々が小十郎の頭にゲンコツを食らわす。
「ま、この仕事をはじめてから、いつか自分の本を出したいっちゅう夢はできたわ。いつになるんかは、ぜーんぜん判らんけどね」
 少し照れ臭そうに音々は言った。
「あの戦いのことを、形にして残しておきたいかな、って思っとるんよ」
「そうだな。あの戦いのことを、最初から最後まで全部知ってるのは……俺達だけだもんな」
 拓也が言った。が、それに首を左右に振る者が居た。晃司だ。
「違うよ、拓也。それは違う。足りないことがあるよ」
「せやねん。そのためにうちは、逢わんといかん、探しださんとあかん奴がおんねや……」
 音々にそう言われて拓也も気がついた。
 そうだ、確かにここに居る人間だけでは足りない。
「探しに行こう思っとるんや。だから命をしばらく預かってくれんやろか、拓也」
 その頼みに、拓也は神妙な面持ちで頷く。
「……ああ、判った。大事に預かるよ。探しに行くのは志帆と由香……なんだろ?」
 拓也の言葉に音々は頷いた。
「咲夜家の、そして理沙の、うちらが知らないことを知っているのはあいつらやからね。うちら側から見た出来事ばかりじゃ、主観だらけの内容になってまうわ。それじゃ記録にならへんねや」
「そっか、そうだね」
 晃司が頷いた。
「命の中学校入学までに見つからんかったら、そん時は戻って来るつもり」
 気が遠くなる話だが、音々の決意が固いことは誰の目にも明らかだった。
「もし見つけられたら、僕達も逢いたがっていると伝えてくれないか?」
 晃司の言葉に音々は頷く。
「見つけて、あいつらの話を聞いたら、そん時は全部を本にまとめて、どっかの出版社に持ち込むわ。あの、ばかげた戦いにふさわしいタイトルだけは、もう決まってんねや」
 そう言って音々は笑った。
「もし出たら、うちの本屋で平積みにしてやるよ」
「ベストセラー本を平積みせぇへん本屋なんか、すぐに潰れよるで」
 軽口を言いあっているうちに、遠くから命が泣きながら走ってくる声が聞こえてくる。
「また負けよったんかいな。あいつは……」
 音々が頭を抱える。その横で拓也がにやりと笑っていた。


 橘花の墓参りを皆で済ませた後、音々はすぐに姿を消した。




 2040年、三月。
 この学ランを来て中学校へ行くのも最後やな、と、鏡の前で命は妙な感慨を抱いていた。進学先も学ランなので、この服自体を着るのが最後というわけではないが、新しいボタンにバッジで、随分と様変わりして見えることだろう。
 卒業式は小学校の時にも経験済みだが、あの時はクラスメイトのほとんどが同じ中学に進学したので、特に感慨はなかった。だが今回は違う。同じ道に進む者もいれば、別の道へ進む者もいる。初めての別れの式だ。
 唐突に、部屋の扉がノックされた。
「ミコ君、着替え終わった〜?」
 零那の声だ。
「もう終わるー。先にメシ喰っててんか〜」
「うん判った。でも早くしてよね。パパもママも、静姫もレイも、もうみんな仕度終わってるんだから!」
 少しキツめの口調で零那がドア越しに言った。
「中学卒業すんのに、いつまでも自分のことを『レイ』なんて呼んどって、恥ずかしくないんかいな?」
 パパとママというのは鳳家の方針らしいから文句をつけられないが、その一点については突っ込みようがあった。零那は英語の「RAY」とかぶるその響きが凄く気に入っているらしいのだが。
「うるさいわね〜! いいでしょ、別に! もう……」
 遠ざかっていく零那の足音を聞きながら、命はあらかた荷物の片づいた自室をぐるりと見回した。大量の段ボールと、空になった本棚と机、そしてこれだけはそのままのベッド。引っ越し前の光景というのは、なぜこんなに寂しいものなのだろうか。
 結局、音々は9年半経った今もまだ放浪している。時々逢いには来るのだが、まだ目的が果たせないらしい。
 小学校を卒業するとき、音々はもう諦めると言った。だが、命自身がまだ続けるべきだと主張したのだ。
「最後までやり遂げてや! オカンにはやれない事なんてないんとちゃうん?」
 寂しくなかったわけではない。だが、大好きな母親が、何かに屈する姿を見たくなかったのだ。その日の夜、命は自分の出生を知った。
 それは薄々感じていた事だった。命が知っている音々の過去には、父親の影さえも感じられない。聞くのが怖かったから、口にはしなかっただけだ。
「お前もようやっと半人前やからな。だから教えとこうと思てな」
 そう言って音々は命をしかと抱きしめた。
 ふと気がつけば、時間がそろそろ差し迫っていた。
「ミコ兄さーん! 早くしないと遅れるよ〜」
 静姫がせかす声が階下から響いた。
「今行く〜!」
 命は慌てて部屋を飛びだした。この部屋とも、もうすぐお別れだ。

「もうっ。朝食抜きは身体に良くないんだよ!」
 通学路を歩きながら、零那は命を叱りつけた。そんな二人の少し後ろを、スーツ姿の拓也と詩織、さらに外行き用の服を着た静姫が並んで歩いている。
「わーってるやん。だからホレ」
 命はポケットからキャラメルを取り出し、口に一つ放り込んだ。
「朝の糖分補給はこれで充分やって」
「そういう問題じゃないでしょっ! もう……」
 呆れた顔で零那が溜息をつく。
「もうっ、もうっ、ってオマエは牛か?」
「んもー!! 人がせっかく心配してあげてるのに〜!」
「ンモ〜〜〜〜〜〜」
 仕草つきで命が牛のモノマネをしてみせる。
「はぁ……なんでコイツとあと五年もつきあう羽目になったんだか……」
 がっくりと肩を落とし、零那がまた溜息をついた。
 零那は倭高専への進学が決まっていた。と言うのも、風間が教授として、晃司が講師として、それぞれ倭高専で教鞭を振るっているのだ。だがそれは二の次であって、一番の理由は、家族と同じくらいに大好きな漣がすぐ近くに住んでいるからだった。
 そんな理由で進路を決めるのもどうかと思ったが、普通の学校に行くのも面白みがないと考えていたのも事実だ。向こうでは晃司の家に居候することになっており、それもまた楽しみの一つだった。
 しかし、まさかそれに命がついてくるとは思いもしなかった。
「いや、だってオカンも行っとった学校やし。オカン、あの学校は最高に楽しかった言うてたし……」
 進学の動機を問い詰められた命は、しどろもどろにそう答えた。まさか好きな女の子を追いかけて、とは口が裂けても言えない。命はというと、風間夫妻の家で世話になることが決まっている。さすがに晃司の家に、二人も居候するのは無理だった。
 そんな命の気持ちを知ってか知らずか、零那は一緒の学校に行けることを喜んだり嘆いたりと、ころころと態度が変わる。
(まったくもって、女の気持ちってのは分からん……)
 何度そう思ったことか。この辺の性格は拓也に似たのだろうか。いや、詩織を活発にするとこんな性格になるのかもしれない。妹の静姫は、いつもおっとりとしていて、まさに詩織そっくりの性格なのだが。
 いつもの通学路が、妙に長く感じられた。

「こうやって見てると、零那はだんだん似てくるよなぁ」
 ぼそりと拓也が呟いた。
「私にですか?」
 詩織が微笑んだ。年齢を重ねるにつれ、この笑みの優しさは深みを増していくように拓也は思う。
「いや、昔の詩織にもだけど……漣にと言うか、お前と漣を足して2で割ったような。その、あれだ! 戻ってくる前の、瑠璃奈って呼ばれてた頃の詩織? いや、純粋には詩織じゃないのか、えーと、あれにだよ。あんな感じ?」
 説明するほうがややこしくなったのか、最後の方は混乱したような口調で拓也が言った。
「ふふっ、そうかもしれませんね」
 命相手にあれこれと言いあっている零那の姿に、詩織は微かに目を細めた。
「来年は静姫も小学校を卒業か。月日が経つのはホントに早いな」
「えへへ。早く姉さまみたいな制服を着てみたいな」
 零那の後ろ姿を見ながら、静姫が言った。姉の着ているモスグリーンを基調としたチェックのブレザーが、静姫にはどうも憧れの対象らしい。

 卒業式は滞りなく終わった。
 その日は五人でささやかな卒業&お別れパーティを行った。
 翌朝、命と零那の荷物を引っ越し業者が引き取っていった後、奈良地区へ向かう二人を、詩織が空港まで車で送って行くことになった。静姫も一緒だ。
 その間、拓也は一人で店番だ。昨日は卒業式のために臨時休業としたため、今日は忙しくなりそうだ。
 昨日と今日、二日分の新刊を店頭に並べ終え、次の発注分の新刊一覧に目を通す。そのリストの、ある一点で目が止まる。口元がニヤついてくるのが自分でも分かる。
「あいつ、ちゃんと逢えたんだな」
 その欄に書かれていた情報は、著者と書名だけの簡単なものだったが、拓也にはそれで充分だった。

 著者:片桐音々
 書名:Moonshine


THE END.
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