Moonshine <Pray and Wish.>
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Episode 07 雪の舞う、寒桜の森で


  運命に導かれる、という言い回しがある。
  それを結果論だ偶然だと一蹴しても、導かれるものも時には、ある。

「Angel Force」

 漣がいなくなった、とうろたえていた桜が落ち着きを取り戻したのは、小一時間ほど過ぎてからだった。今は別室で眠っている。
 それよりも問題は樹華だった。
「漣……」
 時折ポツリとそう呟くものの、ほとんど放心状態となって立ち尽くすままだ。
 その様子に、
「ああいうところは、親御さんそっくりだな」
 と晃司が言った。
「なんか言ったかマイ弟」
「なんでもございませんよ、お義兄さま」
 ニタニタと笑う拓也に、やはり作り笑いで答える晃司。晃司と漣が結婚したという事実を、拓也はつい先ほど耳にしたばかりだった。
「お前は冷静なんだな、晃司」
「そうでもないよ。頭の中は混乱しっぱなしだし、何が起きたのか皆目見当がつかないし、生死も心配だし……あまりに唐突すぎて感覚がマヒしてるのさ、きっと」
「ま、それだけ喋れりゃ上等だろ」
「それに、音々ちゃん達が戻って来ないとね」
 音々は今、詩織の記憶を頼りに、義体が活動停止した周辺を探索に行っている。香織と橘花も一緒だ。もしかしたら漣が義体に宿っているかもしれない、との考えに基づいてのものだ。本来、詩織以外の人間用には作られていないはずなのだが、長年、桜の肉体に宿り続けることのできた漣ならば……と、その可能性に賭けてみたのである。
「そうだな、とりあえずアイツらを待つか」
 そう呟いた拓也の傍らには、瑠璃菜の来ていたシャツを着た詩織がいる。
「詩織はどう思う? 漣は……死んだと思うか?」
 拓也が詩織に尋ねた。詩織の帰還に伴う、激しい力の本流の影響で、漣と桜の身に何かが起きたというのが、皆の見方だった。
 ほとんど面識はないが、自分の妹だ。拓也なりに心配もしているのだろう。
「判りません。ただ、人の存在力が消滅するような感覚はなかったと思うんです」
 ちょうどその時、音々と香織が戻ってきた。音々が背に義体を背負っている。
「あかんわ。多分これ、ただの抜け殻やわ」
 義体を床に降ろし、嘆息まじりに音々が言った。
「とりあえず今は詩織ちゃんの言葉を信じるしかない。漣は死んじゃいない……」
 晃司の言葉に、はじめて弱音が垣間見えた。
 そんな中、詩織が香織に近づいた。
「名前、変えたんだってね」
「……うん」
 香織の目の前に立っているのは、紛れもなく詩織だった。義体でもなく、どこか違和感のあった瑠璃奈でもない。
「……どうか、した?」
「え?」
 怪訝そうな面持ちで尋ねられ、香織は初めて自分が涙を流していることに気がついた。
「ううん、なんでもない。なんでもないよ」
 涙をぬぐいながら、香織はできるだけ笑おうと試みる。
「うん、変えたんだ。名前。綾瀬香織、って今は名乗ってるのよ」
「自分で考えたの?」
「ま、まあね」
 なんだか気恥ずかしくなったのか、少し顔を赤らめ、香織は答えた。
「きれいな響きだよね」
「ありがと」
 言いながら、なんだか照れ臭かった。
「じゃ私は、どう呼んだらいいのかな? 美咲ちゃんって呼んだほうがいいのか、香織ちゃんって呼んだほうがいいのか……」
 詩織は首をかしげる。
「それは……」
 香織は少し考えるような素振りを見せたかと思うと、部屋を見渡し、そして小さくため息をついた。
「香織の方で呼んでちょうだい」
「うん判った。……ただいま、香織ちゃん」
「おかえり……詩織」
 また涙が出た。もう拭ったりして誤魔化そうという気にはなれなかった。

 一晩が過ぎても、漣の行方は判らないままだった。
 しかし、事態は一気に急転する。
 白旗を掲げた自治領軍の兵士がやって来て、一通の書状を手渡していったのだ。そこにはこう書かれていた。
『江藤漣は当方で保護している。交渉の用意があるのなら、拓也が須賀から西側に抜ける林道へ来い。人数は何人でも構わないが、樹華・橘花だけは除くこと』
 そして最後には理沙の署名。
「……罠とは考えにくいな」
 一読し、拓也が言った。晃司と漣が結婚していることを知っている人間は、おそらく理沙側にはいないはずだ。その上でわざわざ江藤姓を使っているのだ。漣は理沙のもとにいると考えて問題ないだろう。
 時間は書いていないから、今すぐにでもということだろう。
 テーブルの上に置かれた書状を囲み、会議室に揃った面々が、揃って苦々しい表情を浮かべていた。負傷中の小十郎と、その看病をしている美樹以外は、主立ったメンバーは全員集まっている。
「ああ。漣のことを知っている人間はごく僅かだからね。問題は樹華さんと橘花さんを抜いて来い、ということだけど……」
「その意図が読めないな。戦力を分散させようとかそういうつもりでもなさそうだし」
 拓也が呟いた直後、音々がパンパンと手を叩き合わせた。
「考えててもしゃーないやろ。誰が行く? ここに残っておく人間も必要やろ」
「まずはご指名通り、俺だろ」
 拓也が言った。
「だから詩織は連れていく。あとの人選も俺に任せて貰っていいか?」
 誰も異を唱えない。そのことを確認しつつ、拓也は一同の顔をぐるりと見回した。
「晃司だけ来てくれ。それで充分だ」
「うちは置いてけぼりかいな?」
 ぼやき、音々が首をコキコキと鳴らす。
「俺たちは話し合いに行くだけだからな? 晃司」
 晃司は無言で頷いて答える。
「あとのみんなは、ここで襲撃に備えてくれ。呼び出しそのものは罠ではないんだろうが、それに乗じて攻めてくる可能性がない訳じゃない」

 それから十分後。
 準備という程の準備もとくになく、一通りの武装だけを整え、三人は玄関口に集まった。
「晃司、冷静にな」
 からかうように拓也が言う。いつもの黒いコートの懐には数本のナイフと拳銃、そして腰には刀が二本。一本は桜花咲夜、もう一本もいわゆる霊刀だ。
「判ってるよ」
 晃司の白いコートはといえば、左右の懐にそれぞれ二種の拳銃が二丁ずつ、計四丁の拳銃が納まっている。そして腰のホルスターにも左右一丁ずつ。弾丸は全て共通のもので、そのストックも用意してある。それに加え、ナイフも数本、いつでも抜き出せる位置に装着してある。見た目以上の重武装だ。
 そんな二人に対し、詩織は比較的動きやすい軽装とは言え、基本的には手ぶらだ。
「さ、とっとと行って用事を済まそうか」
 拓也の言葉に二人とも頷いた。

「戦闘にはならない気がするんだよね」
 道中、確信めいた口ぶりで晃司は言った。
「ああ、俺もそんな気がする。あの人は呼びだして叩くより、自分から乗り出して行くタイプだからな」
 拓也も頷く。
「そういうこと。単純に、何か用事があるだけだと思うんだ」
「わざわざ俺を名指しで、しかも精人抜きか……」
 今一つ、理沙の狙いが読めない。
「拓也さんを引き抜こうとしているんでしょうか?」
 詩織が首をかしげる。
「それも無いだろ。それなら精人以外は連れてきても構わないという言葉の意味がなくなる――」
「いや、まとめて引き抜こうというなら、あながち的外れでもないかもしれないよ」
 拓也の言葉を遮るように、晃司が口を挟んだ。
「ま、だとしても俺は寝返る気はねえよ」
 嘆息ぎみに拓也は言った。
「まあ、行ってみれば判ることだろ。とっとと行こう」
 互いに頷き、三人は指定された場所へと向かった。その背後を、音々と橘花が尾行していることには、まるで気づいてはいなかった。
「なあメパンチ。なんで後をつける必要があるんや?」
「少し……気になることがあるんです」
 拓也達が理沙の呼び出しに応じて出発し、おのおのが部屋へ戻った後、橘花が音々の部屋を訪れた。
「さっきの三人の後を、どうしても追いたいんです。一緒に来てくれませんか?」
「別にええけど……後で怒られへんやろか?」
「見つからなかったらいいんです」
 音々としても、仲間外れにされたようで少々の疎外感を感じていたところだった。ちょうどいい暇つぶしだと思って話に乗ったのだが……。いざ出発してみると、橘花の表情は暗く、何か思い詰めているようにも見える。
「なーにを暗い顔しとんねん、メパンチ」
「あ、いえ。別にそんな……。あの、霊力の拡散を抑えるのがちょっと大変で、それでですよ、きっと」
 しどろもどろになりながら橘花は言い訳するが、どうにも胡散臭い。
 ふむ、と嘆息し、音々はいきなり橘花の唇に両手の人さし指を突っ込んだ。そのまま左右に引っ張る。
「判ってるとは思うけど、うちに隠し事しとったらしばき倒すからな」
「は、はひ〜!」
 口を引っ張られたまま持ち上げられ、足をじたばたさせながら橘花がもがく。
「判っとったらええんや。うむ」
 そう言ってパッと指を離す。橘花は地面に尻餅をつき、そのままごろりと転倒する。
「さて行こか」
「うぅ、今のは強烈に痛かったですよぅ……」
「あ、ごめん」
 素直に誤り、音々は橘花に手を差し出し、それを橘花が掴んだ。音々の掌のぬくもりが伝わってくるのが、なぜか橘花には心地よく感じた。


 やがて、三人(プラス二人)が歩く林道の先に、四人の女性が立っているのが見えた。
 志帆と由香を従えた理沙、そしてもう一人は手紙の内容を信じるならば、瑠璃奈の姿をした漣だ。
「あ、晃司くん」
 当の漣はいつもの調子で、晃司に向かって右手を振った。その左手は、由香ががっちりと攫んでいる。
「……間違いない、あれは漣だよ」
 晃司が拓也に耳打ちする。拓也と漣は兄妹とはいえ、ほとんど面識はない。ともに過ごした時間では、晃司の方がケタ違いに長いのだ。今はその晃司の言葉を信じる以外になかった。
 お互いに黙ったまま、拓也達の方から歩み寄っていく。その間、理沙達は微動たりしない。やがて、5mほどまで距離が詰まったところで、志帆が一歩前に出て口を開いた。
「今回お呼び立てしたのは他でもありません――」
 その言葉に反応するように、拓也達の足取りが止まる。
「預けていたものを、返していただきたいのです」
「預けていたもの?」
 怪訝そうな面持ちで晃司が呟く。が、その横で拓也はハッとした表情を浮かべた。
「桜花咲夜です」
「……」
 拓也は無言で桜花咲夜を取り出した。拓也の霊力に耐えうることのできる、現状では唯一の霊刀だ。貴重な武器であることには違いない。
「それを返していただけるのなら、彼女の身柄を引き渡します。今回、私たちは争いに来たわけではありませんので……」
「あたしも由香も、もちろん志帆も、みんな手ぶらよ。ここで戦闘になったら逃げるしかないわね」
 両手をひらひらを振り、理沙が言った。
「逃げるのはアンタの常套手段みたいだがな」
 皮肉めいた拓也の言葉に、理沙の表情が厳しいものになる。
「素手ででもアンタ一人くらい、相手してあげるわよ? 拓也!」
「理沙様!」
 志帆が鋭い声をあげる。その勢いに気圧されるように、理沙が僅かにたじろぐ。
「……わかってるわよ。ったく……」
 少しむくれ気味に、理沙が吐き捨てた。
 そんな志帆達の足下に向かい、拓也が桜花咲夜を鞘ごと投げ捨てた。それを避けるように理沙が飛び退く。それを尻目に、志帆は桜花咲夜を拾い上げ、鞘から抜いた。
 霊力によって刀身の長さが変わるという性質のため、小刀を少し長くした程度の長さにしかならないが、それは確かに桜花咲夜だった。
「……確かに受け取りました。では、由香さん」
「はい」
 由香が頷き、攫んでいた漣の手を放した。自由の身となった漣は、小走りに晃司の方へと駆け寄っていく。
「漣……っ!」
 その身体を、晃司がしかと抱きとめた。
「身体、変わっちゃった」
「ああ……」
 瑠璃奈の姿は、かつて須賀にいた、あの瑠璃奈の姿にそっくりだった。
「この身体、誰もいなかったの。それに、なんだか私に馴染むみたいで」
「そうか。良かったね」
 漣の無事を喜んでか、晃司の眼にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「一つ聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「私に答えられる範囲なら」
 拓也の問い掛けに、志帆はそう言って頷いた。
「なぜ今更、その刀なんだ?」
「答えられません」
 きっぱりと志帆は言い切った。取りつくしまもない。
「僕からも聞かせてもらいたいことがあるんだ。漣のこの身体は、ずっとそっちで保管されていたんだね?」
 今度は晃司が志帆に向かって尋ねた。
「その通りです。瑠璃奈様の肉体は、祈りシステムの設備近くに安置されていました」
「……どういうことだ?」
 須賀にいたあの瑠璃奈は、桜花の第二子として誕生したという瑠璃奈と同一人物だと思っていた。その意識そのものは義体に移り、空いた形になった肉体に詩織の意識の一部と、他の誰か――おそらくは本来の瑠璃奈が混じって存在していた。少なくとも晃司はそう予想していた。
 しかし志帆の話から察するに、どうもその予想は違ったらしい。瑠璃奈の抜け殻となった肉体はそのまま自治領側で管理されていたということは、須賀にいたあの瑠璃奈とは同一人物ではないというわけだ。だがしかし、あまりにも二人は似ている。同一人物とまではいかないが、姉妹だと言われても納得できるだろう。
 詩織の帰還に関する解釈が、何か間違っていたのだろうか。


「志帆、あなたが持ってなさい」
 満足げににやりと笑い、理沙が言った。その狙いがまるで読めない。
「はい」
 頷き、志帆は短刀大の桜花咲夜を懐にしまい込んだ。
「なぜ今更その刀が要るのかは知らないが……用件はそれだけなんだな?」
「そうよ。本格的に攻め込むのは明日の朝よ」
「なっ……!」
 晃司が絶句する。攻め込む相手に、わざわざ攻撃開始の時間を指定するなど、常軌を逸している。
「予告とは恐れ入るな。余裕からか?」
 動じた様子もなく、拓也が問い返す。
「まあね。これでアンタたちに勝ち目はなくなった、ってことよ」
「その刀がそんなに重要なものなのか?」
「そうであるとも言えるし、そうでないとも言えるわね」
 意味深な言い回しをする理沙。それを睨む拓也。
 二人がそんなやり取りをしている間、詩織はじっと理沙を観察し続けていた。意識を集中し、ささいな手がかりを探すかのように。そして気付く。
「や――」

 その少し前、音々と橘花は、木陰から拓也たちのやり取りを覗き見していた。
「あかんわ。こっからじゃ何言うてるか判らへん」
 かと言ってこれ以上近づくと見つかる恐れがある。すでに漣はこちらに戻っているのだから、いまさら橘花がいることがバレてもデメリットは無いのだが、尾行してきた引け目からか、表に出ることはためらわれた。
「どうするメパン……?」
 声をかけようとして音々は押し黙った。
 いつになく厳しい顔をした橘花が、理沙の方を睨み付けていたからだ。
「取り憑いてる……」
 橘花はそう呟いた。
「どういうことや?」
 音々が問いかけようとしたとき、詩織の声が響き渡った。

「宿っているんですか?!」
「見抜いたか。さすがは咲夜家の次期当主になるはずだったことはある。いや、『光の夜』を経たせいで力が強まったのか……?」
 そう答える理沙の声色は、微妙にいつもと違っていた。だが、その口調に詩織は覚えがある。
「桜花様……なんですね」
「さよう」
 理沙の顔で、桜花はニマリと笑った。作り物のような、不気味な笑みだった。
「この女に宿って力を貸す代わりに、その組織力をこちらも借りておる。利害が一致したのよ、我らは」
「なるほどね。理沙さんの力が強かったのは、あんたの霊力が上乗せされていたからか」
 森の中で理沙と戦った時のことを思い出し、拓也が言った。
「あんなもの、妾の力のごく一部に過ぎぬわ。まったく、力はあっても使い方をロクに知らぬから、おぬしの様な小物に遅れをとる。もっとも……」
 そこで言葉を切り、桜花は志帆の方をちらりと見やった。
「あの刀があった以上、まともに戦うわけには行かなかったがな」
「桜花咲夜と桜花様は、もともと一つの存在だった……。それに対し、意識を極端に正負の属性を分けることで実体化している。そうでしたね」
 詩織が確認するように桜花に尋ねる。
「そう。極限まで正方向の属性を持つ妾と、負方向の属性を持つその刀。接触すればゼロになる。つまりは消滅よ。そんな危険なものを、敵に持たせておくわけにはいかぬでな」
「なるほど。刀を奪ったのはそれが目的か」
 拓也がそう言った直後、理沙の身体をすり抜けてくるように、小柄な少女が姿を見せた。以前の桜のような白髪と、透き通るような白い肌が印象的で、巫女のような装束に身を包んでいる。おろらくはこれが桜花の本体だろう。
「しかしそれなくして妾が存在できぬも事実。意志は持たぬが妾と同質の力を持つゆえ、力の受け皿としてはこの上なかったことであろう」
「ああ、いい刀だったよ」
 皮肉めいた口調で拓也が言う。
「これでもう逃げる理由はなくなったわけよ、拓也」
 理沙が笑った。
「他人の力を借りて、二人がかりでないと戦えないってわけか。ずいぶん落ちたな、理沙さん」
「何ッ?!」
 小馬鹿にしたような拓也の口調に、理沙の手が刀の柄に伸びる。が、そこには何もない。丸腰だと言ったのは理沙たちの方だ。
「ま、どうでもいいさ。次は逃げる言い訳なしだぜ?」
「その言葉、しかと覚えておきなさいよ……」
 鬼気迫る視線を拓也に浴びせながら、理沙が吐き捨てるように言った。
「桜花っ!!」
 一触即発の雰囲気を切り裂くように、叫ぶような呼び声が響いた。
 木陰から橘花が姿を見せる。
「橘花か。精人は呼ぶなという約束だったのに」
「俺達は知らねえよ。後をつけて来たんだろ。音々も」
  嘲るように桜花が呟き、拓也は諦め気味に嘆息した。突然の乱入者だったが、二人ともとくに動じた様子はない。
「気づいてたのに知らんもないやろ、ったく……」
 ブツブツ言いながら音々も姿を見せる。
「久々だな。百年近く逢ってなかったか?」
「桜花、あなたに問いただしたいことがあります」
 桜花の見下すような視線を真正面から見据え、橘花は言った。
「積もる話があるなら、樹華も連れてくればよかろう。そうだな、今日の夜にでもこの場所でどうじゃ?」
「……いいでしょう」
「余人は連れてこぬようにな。邪魔が入ると煩わしいでな」
 その言葉の後半は、橘花と音々への皮肉も込められているのだろう。
「判りました。必ず来てくださいね」
「たばかる理由もないわ!」
 鼻で笑い、桜花は軽く跳んだ。そのまま、理沙の身体に吸い込まれるように姿を消す。
「さ、用件は終わったわ。帰るわよ、志帆、由香」
「はい」
 足早に去っていく三人の背中を、拓也達はただ眺めていた。
「桜花と姉貴が手を組んだのか……」
 晃司が肩を落とす。目的のために手段は選ばないだろうとは思っていたが、この展開は予想外だった。
「らしくないな」
 拓也が不満げに呟く。
「姉貴は勝つためなら何だってやるよ。それは拓也だって判ってるだろ?」
 だが拓也は何も言わず、きびすを返した。
「俺達も戻ろう。どうやら一晩の猶予はあるらしいからな」
「うち、何しに来たんやろ……」
 がっくりとうなだれ、音々が愚痴る。それに対し、
「勝手についてきたんだろ」
 あっさりと拓也が言い切った。
「冷たいやっちゃなぁ。もうちょい、こう、いたわりの言葉とか」
 が、拓也はそれを無視してさっさと歩き出した。その傍らで、詩織が申し訳なさそうに頭を下げた。
「帰ろうか音々ちゃん」
 音々の肩を晃司が叩いた。少しむくれながら、音々は橘花の手を取り、肩をいからせ気味に歩き出した。


「姉貴の狙いがあの刀だったとしたら、ここ何度かの奇襲や単独行動の目的もそこだったんだろうね」
 帰りがてら、晃司がそんなことを言った。
「指揮官である姉貴自らが斥候をする必要なんかない。どうしてもそれをする必要があった。拓也の相手ができる人間なんてそうはいないし、姉貴以外に拓也をおびき寄せる餌になれる人間もいなかったから」
 晃司の推論に拓也も頷いた。
「そうだろうな。今回の須賀遠征に理沙さん自らがしゃしゃり出てくるってのは、いろんな所で噂になってたからな。俺もそれを聞いて駆けつけてきたクチだ。今にして思えば、大将が誰かなんてわざわざ喧伝する必要はない。理沙さんを狙っている俺とシェラをおびき寄せるための罠だったんだろう」
「結果的には、その思惑どおりになったってことだね……」
 晃司がため息をつく。
「別にいいさ。刀の一本くらい。詩織が戻ってきて、側にいてくれるんだから俺は文句ないね」
「あ、あのねえ……」
 拓也の台詞に、晃司が思わず絶句する。
「オマエ、よくもまぁ臆面もなく、ンな台詞が出てきよるのぅ……」
 頭を抱え、音々が言った。当の詩織は、拓也の傍らで穏やかに微笑んでいる。
「いいんだよ。こうやって言える幸せを噛みしめるくらい。いつ言えなくなるか判らないからな」
 そう言い、拓也は空を見上げた。まだ陽は高い。空はどこまでも青かった。
「想っているだけじゃ駄目なんだ。足りないんだよ」
 誰に対して、というわけでもなく、拓也はそう言った。
「想いあっていれば通じ合えるものはあるんだろうけどな。その通じ合うパイプは凄く細いんだ。だからそれを、言葉や行動で広げていくんだ」
「あんた、意外と詩人やったんやな」
 拍子抜けした面持ちで音々が言う。
「……もう後悔するのはゴメンなんだよ」
 ぼそりと呟くように、拓也は言った。


 翌朝に自治領軍の攻撃があるという情報は、瞬く間に須賀の傭兵達に伝わった。
「参ったね、まったく……」
 その報に樹華はそう呟いて頭を掻いた。
 桜も漣も、それぞれ実体を持ったということは、結果として両手を挙げて喜ぶべきことだった。しかし、それに浮かれてもいられない。実質的に須賀の指揮官に収まってしまっている現状で、敵の侵攻に対する手は考えねばならない。
 須賀を破棄する、という選択肢がないわけでもない。願いシステムは既に発動し、その目的を終えた。
 だが、願いシステムを渡すわけにはいかない。願いシステムも祈りシステム同様、軍事兵器への転用は容易い。祈りシステムが『光の夜』の時に運用した際に生じた負荷で、いまだに復旧のめどが立たないのとは違い、願いシステムは現状でも充分に稼働が可能だ。
 それが理沙の手中に落ちるということは、日本自治領が月政府と対等の切り札を持つことになる。願いシステムを解体もしくは破壊しないことには、須賀を放棄するわけにはいかない。そして、解体はおろか、須賀の地中に大規模に構築されたシステムを破壊し尽くすには、時間があまりにもない。何らかの術でも使って破壊する手はあるが、須賀の土地そのものをめちゃくちゃにしかねない。
 結果、応戦する以外に手はない。
 普通の軍勢が攻めてくる分には、しのぎようはある。今の樹華が、精人としての力の大半を現在の肉体の維持に費やしているとはいえ、増幅系の力に長けた橘花と協力すれば、二人だけで一軍を撃退することも容易い。さらに樹華だけでなく、咲夜家の術者も大勢揃っている。残敵の掃討戦や各個撃破となれば、拓也や音々達がいる。彼らの存在は味方には勇気を、敵には恐怖を与えることだろう。
 だが、敵の総大将である理沙と桜花が組んでいるとなると話が変わってくる。
 かつて咲夜近衛隊最強と呼ばれ、拓也の剣技の師匠でもあった理沙。その上、戦闘型の力に長けた、桜花の霊力が上乗せされている。
 樹華や橘花では勝てない。単純に霊力勝負でなら互角以上に持ち込めても、近接戦闘に持ち込まれるとひとたまりもない。通常の人間から受けたダメージであれば消滅ではなく、この世界からの強制追放で済むが、精人の宿った理沙からの攻撃ならばおそらく消滅になるだろう。
 勝ち目があるとすれば拓也か音々しかいない。拓也ならば理沙の剣技と互角に争い、理沙を通した出力しかできない桜花の霊力となら張り合えるだろう。また、音々の場合、相手の剣技の間合いよりもさらに深い位置での超近接戦闘に持ち込めば、ほぼ独壇場だろう。そういった間合いの駆け引きに関しては、常に武装した相手と戦ってきた音々と、おそらく無手の相手と戦った経験の浅い理沙とでは明らかに音々が有利と思われる。そしてさらに精霊術だ。桜花の力を逆に利用することも可能な精霊術なら、桜花と真っ向からぶつかっても勝ち目はある。
 それにしても、桜花を討つ手段の一つであった桜花咲夜が向こうの手に渡ったことは、この際あきらめるしかない。しかし、桜花を討つ手段とは関係なく、拓也が霊力が存分に振るえるための刀を失ったことは痛手だ。
 だが、その点は手段はある。その前に――
 思いを巡らせていると、ドアをノックする音がした。主が誰かはだいたい想像がつく。
「どうぞ」
 樹華の返事を受け、ドアが開いた。そこには樹華の予想通り、橘花がいた。
「たぶん来るだろうと思っていたよ」
「私も、待っているんじゃないかと思っていました」
 橘花は笑い、テーブル脇に余っていた椅子に座った。作業机前に座っていた樹華だったが、橘花の向かいへと席を移す。テーブルの上にはいくつかの湯呑が伏せてあり、片隅にはポットが置かれており、いつ来客があっても応対できるようにしてあった。
「こうやって逢うのはいつ以来だ?」
 二つの湯呑にお茶を注ぎつつ、樹華は言った。
「……雪菜と葉雪を封印した、あの時以来ですね」
 苦々しげな顔で橘花が答える。
「私は今も悔いています。あの時、桜花に手を貸したことを……」
「過ぎたことだ。気にするな」
「雪菜と葉雪もいなくなり、あなたも一人きりになってしまった。その原因は私にも……」
「気にするな、と言っただろう。もういいんだ」
 語気を強め、樹華は言った。だが、何かが引っ掛かる。
(あなた『も』?)
「もう、私たち三人だけになってしまったんですね」
「待て橘花。どういうことだ? お前や桜花の眷族はどうしたんだ?」
 樹華の眷族は雪菜と葉雪が最後だったが、橘花と桜花にはそれぞれ数名の眷族がいたはずだ。
「私の眷族は、桜花と争って消滅しました。もう、だいぶ前の話です……」
「……そうだったのか。しかし、桜花の眷族は?」
「判りません。ただ、もうこの世界に存在していないのは確かなようです。私はそれを桜花に問いただすために、地球へ降りてきたんですよ」
「なるほどね。今まで動こうとしなかった君が動いたのはそういう訳か」
 それだけでもないんですが、と心の中で呟きつつ、橘花は頷いた。音々に 会わなければ、きっと今も月で幽閉生活をしていたことだろう。
 そんな橘花の胸中を知ってか知らずか、樹華はふう、と大きくため息をついた。湯呑に残っていたお茶を一気に飲み干し、次の一杯をポットから注ぎ、そして話を切り出した。
「なあ橘花。私はこの世界が好きだ。今まで何かに突き動かされるように、ひたすらに我らは争い、そして生き物を煽るだけ煽って争わせ、そして放り出して次の世界へと旅してきた」
「……その通りですね。それが我々の存在理由なんですから」
「だが今、私はこの世界を離れたくない。君はどうだね?」
 尋ねられた橘花の脳裏を、橘家の人々の顔がよぎった。疎まれてはいたが、皆が橘花の大事な子供たちだ。そして音々。子供たちの一人にして――
「……私も同感です」
 大事な親友の顔を思い浮かべ、橘花は頷いた。
「我々とて変化していくんだろう。時を経て、人が老いていくように。我らの本能も薄れてくる時期が来たのかもしれない」
 そもそも、自分たちがいつから存在していたのかさえ判らない。ただ、いつか「始まりの地」へ戻るための旅を、続けていくという使命感だけがあった。
 そして、樹華たちは、いくつもの数えきれない世界を経てきた。はじめて己を認識したときから、樹華・橘華・桜花はともにあり、やがてそこから分裂するように雪菜や峰誼らが生まれた。
 そうした変化が、進化か退化かなのかは判らないが、確実に精人も変わりつつある。
「桜花にも、そうした変化が生まれたのかもしれないな」
 樹華が言った。
「正直、桜花の真意が私には読めません。なぜ、無関係の自治両側に与する必要があるのか……」
 そこで橘花は、差し出されたお茶を受け取り、口をつけた。煎れたてではないので香りは乏しかったが、それでも無いよりはマシだ。
「樹華、あなたはどう思いますか?」
「普通に考えるなら、裁きと、祈りか願いのどちらか、合わせて二つのシステムを再び発動させ、次の世界へのゲートを開きたいと思っている……と考えるべきなんだろうがね」
 一応は回答しつつも、その口調は橘花の考えを伺いたげだ。橘花の言葉を促すように、樹華は言葉を切って橘花の言葉を待つ。
「それにしてはやり方が短絡的……と言うより、攻撃的過ぎて、リスクが大きすぎます。それに見合うだけのリターンが、桜花にあるとは思えません」
「そう、引っ掛かるのはそこなんだ」
 我が意を得たり、と樹華は頷いた。
「さっきも言ったような変化があいつにも訪れているのなら、もはやゲートを開く気はないのかもしれない。ゲート発動システムとして以外の、願いシステムの使い道はなんだ?答えは簡単だ。超強力なエネルギープラント、もしくは兵器だ」
「桜花は人間と争う気だと、そういうことですか?」
 悲しげな顔で橘花が尋ねた。いや、尋ねるというよりは確認すると言った方が近いかもしれない。その顔には、樹華の仮説を認めるかのような諦めが漂っていた。
「あの『光の夜』での勝者は誰だ? 私でも橘花でも桜花でもない。橘家という人間達だよ。見下す対象だった人間に負けた悔しさが、桜花を変えてしまったんじゃないか? 私はそう思う……」
「その第一目標が橘家であり、そのために対抗勢力たり得る理沙さんと手を組んだ、とそういうことですか?」
「そうだ。現実問題として、月政府と事を構えられるほどの勢力はない。唯一、江藤理沙率いる日本自治領だけが、独立した組織という形態をとっている。ましてや江藤理沙個人の戦闘力がズバ抜けている。そこに桜花の戦闘向けの能力が上乗せされれば……たった一人で全人類を皆殺しにすることも可能だろう」
「そんなこと!」
 いささか飛躍気味の樹華の論理に、橘花が喰ってかかる。それに対し、樹華は、ふ、と口の端に笑みを浮かべる。
「不可能ではないさ。ましてや、祈りシステムや願いシステムを兵器として用いることができれば、なおさら可能性は高くなる。だが……」
 そこでいったん樹華は言葉を切った。
「可能性が0ではないという話だ。彼女を止められる人間もいる」
「拓也さんと音々さん、ですか」
「そうだ。本題に入ろう」
 頷き、樹華は言った。だが橘花は首を左右に振り、懐から短刀を取り出してテーブルの上に置いた。
「私の用件も、まさにそこなんですよ。樹華」
「なら話は早い」
 橘華も同様に、懐から短刀を取り出し、テーブルの上に置いた。



 それから数分後。
 拓也の元に、樹華からの呼び出しの連絡が届いた。
「なんだってんだかな……」
 ベッドから這い出していつもの服装に着替えながら、拓也がぼやく。
「わざわざ呼び出すくらいだから、きっと大事な用件なんですよ」
 シャワーを浴び終え、濡れた髪をタオルで拭きながら詩織が言う。
「それはそうなんだろうけどな」
 ぶっきらぼうに呟き、ベッド脇に立て掛けておいた刀を手にした。
 と、そこで妙な違和感を感じる。その正体はすぐに判った。常に帯刀していたもう一本、桜花咲夜がないことへの違和感だ。思えば、いちばん長い間使っていた刀になっていた。たかが刀、と思っている節があったが、なくなってみると少し物悲しい。
 その他、必要はないだろうが最低限の装備を整えているうちに、詩織の身支度も済んだようだった。
「私の方も準備できました。行きましょうか?」
「そうだな」
 二人にあてがわれた部屋から、橘華の部屋までは割と遠い。当然ながら、道中では多くの傭兵や術者たちとすれ違う。
 その度に、
「あれが黒い魔人……」
「ほら昨夜、あの時の天使みたいだった、あの……」
 そういった呟き声が、否が応でも耳に入る。
「詩織。お前、天使だってさ」
 茶化すように拓也が言うと、
「な、なんだか不相応ですよっ! そんなに大げさなものじゃないです……」
 詩織は顔を真っ赤にして否定する。
 そういった中で、もっともインパクトが強かったのはこれだ。
「ほら、あの! あん時の天使に更生させられた黒い奴!」
 それを聞いた拓也は思わず頭を抱えたものだった。
「俺は不良少年かよ……」
「似たようなものじゃないですか?」
 そう言って詩織は笑った。それに対し、憮然とした表情で拓也は詩織を睨む。
「んじゃお前は何なんだよ」
「私は……拓也さんのことが好きな、ただの女の子ですよ?」
「お前なあ……」
 真顔でそんなことを言われ、今度は拓也の方が赤面する羽目になった。
 そんな調子で歩いていると、晃司と漣が食事しているところに遭遇した。
「よう晃司に……えーと、漣」
  漣が自分の妹だということは、頭では認識できているのだが今一つ実感できない。ましてや、前に逢った時から外見が変わり、詩織によく似た女性の姿になっているのだ。違和感がどうにもつきまとう。
「こんにちは、兄さん」
 そんな拓也の心中を知ってか知らずか、おそらくは知らず、漣が一礼した。
「拓也達も食事かい?」
 食べる手を休め、晃司が尋ねた。時刻は18時少し前。少し早いが、夕食の時間とは言えなくもない。
「いや、親父に呼び出されたんだよ」
「樹華さんに?」
「ま、何の用か知らないんだけどな。とっとと済ませて俺達も飯にするさ」
 面倒くさそうに拓也は言った。
「そうか。僕らは部屋で休んでるよ。夜のミーティング、8時からだから遅れないでくれよ」
「判ってるよ。もし遅れたら親父に文句を言ってくれ」
 その後は何事もなく、樹華の部屋に着いた。扉をノックし、返事も待たずに部屋に入る。そこには樹華の他に橘花、そして音々が待っていた。
「遅いわアホ! どーせ部屋でやらしー事でもしとったんと違うん?」
「文句はそれを邪魔する無粋な奴に言ってくれ。なぁ親父」
 イヤミったらしく苦情を訴える音々を拓也は一蹴し、空いている椅子に座った。その正面に樹華が座っている。
 こうやってゆっくりと対面するのは、もう何年ぶりになるだろうか。飛行機事故を装って姿を消して以来、『光の夜』の時に少し顔を合わせただけだ。あの時は会話らしい会話もなかった。そう考えると、あまりにも空白が長い。
「ったく、唐突なのは相変わらずなんだからな」
 が、そんなことも関係なく軽口が叩けるあたり、やはり親子なのだろう。
「悪かったな拓也。こっちも忙しくてな」
「用件はなんだ? とっとと済ませて、ネオンの言うところの『やらしーこと』の続きをした……」
 喋る拓也の後頭部を、詩織がゲンコツで思いっきり殴りつけた。
「な、な、何を言うんですかーっ!?」
「い、いいだろ別に。嘘ついてるわけじゃ」
「言っていいことと悪いことがあるんですっ!!」
 その様子をしばらく呆然と眺めていた樹華が、わざとらしくコホンとせき払いをした。
「あー。痴話喧嘩は後でやってくれ」
「用件というのは他でもありません……」
 話題を変えようとしてか、橘花が有無を言わせず切り出した。
「このテーブルの上に、二本の霊刀があります」
 橘花は極めてゆっくりと、何かを噛みしめるように言葉を発した。
 それには拓也も気づいていた。シンプルな装飾のついた鞘に収まった二本の短刀が、テーブルの中央にぽつんと置かれている。気付かない方がおかしい。
「銘は樹華刹那(ジュカセツナ)と橘花幻燈(キッカゲントウ)」
 その名を聞いた一同の間に緊張が走る。
「桜花に桜花咲夜があるように、私たちにもそれぞれの分身となる刀が存在します。これまで私と樹華は、互いの刀を交換して所持していたのです」
「二人を呼び出したのは、これを拓也と音々さんに渡すためだ」
 樹華が後を継いで話を続けた。
「なぜ二人を選んだかというと、江藤理沙と戦って勝ち目のある可能性の高いと判断したからだ」

「うちは要らん」
 音々が即答する。
「だってうち、刀は使えんし」
「これで戦う必要なない。ただ、とどめをこれで刺せばいい」
「ちょっといいか?」
 樹華の言葉に割って入るように拓也が声を出した。
「この刀を使う意味はあるのか?」
「二つあります」
 橘花が涼やかな声で答える。
「一つは、この刀なら霊力を存分にふるえるということ。これについては、拓也さんなら良くお解りいただけるかと思います」
「ああ……」
 霊刀を媒体、霊力をエネルギー源として、様々な現象や動作を実現することができる。しかし、使用者の霊力に耐えるだけのキャパシティのない霊刀では、やはり制限も多く、また霊刀そのものが耐えきれずに崩壊することも多い。
 その点では桜花咲夜は、拓也の要求に充分たえる霊刀ではあった。
「もう一つは、これが私たちの分身であるということです。この刀で桜花をある程度以上消耗させられれば……あなた方風に言えばダメージを与えることができれば、それはすなわち桜花の消滅を意味します。この刀以外では駄目なのです」
「桜花の力は強大だ。普通なら致命傷を与えれば通常の武器でも倒せるのだろうが、桜花相手では一時的に弱らせるのが精一杯だろう」
 補足するように樹華が続けた。
「もっとも、桜花咲夜ならば、桜花本体にかすりでもすれば、その時点であいつは完全消滅したんだがな」
「……どういう仕組みでだ?」
 少し頭を抱え気味に拓也が尋ねる。
「この刀と私自身は表裏一体だ。私の存在力がプラス10なら、この刀はマイナス10。分かりにくいかもしれないが、この刀は負の存在なのだよ。だからこそ、どこまでも力を吸収することができる」
「二つ合わせればゼロになるってことか……」
 反芻するように拓也は呟いた。
「そうだ。だから私自身はこの刀に触ることはできない。つまり、桜花咲夜は対桜花用の究極の武器でもあった。だからこそ、桜花はあの刀を手中に収めようとしたのだろう……」
「……やっぱうちは要らん。刃物は好かんし」
 耳くそを指でほじりながら、めんどくさそうに音々が言った。
「じゃあ俺が二刀とも預かっとくよ」
「それでいいならそうしてくれ」
 拓也の言葉に樹華も頷く。
 テーブルの上の短刀を拓也が手に取る。その途端、刀身が鞘ごと伸び、普通の刀程度の長さに変化する。
「なるほど……な」
 その感触を確かめるように、拓也が軽く霊力を込めると、さらに刀身が伸びた。淡い光を放ち、部屋をほのかに照らす。
「わかった。こいつは俺が持つことにするよ」
 込めていた力を鎮め、拓也は二本の刀を腰に差した。
「くれぐれも私たちに向けないでくれよ」
「なら、親子喧嘩はふっかけないようにしな」
 樹華の言葉に、拓也はそう言ってニヤリと笑った。



 やがて夜も更け、23時少し前。
「寝つけん……」
 音々は暇だった。正直、彼女にとってこの時間帯は、寝るにはまだ早い時間だった。
 橘花は樹華のところにこもりっきりだし、小十郎は美樹の手厚い看護を受けている。ああ、看護どころかあんなことやこんなことまで……
 などと考えているうちに、どんどん思考が沈んでいく。
(よぅ考えたら、独り身なんてうちくらいなモンと違うんか?)
 と、食堂の前を通りかかった時、その考えが間違いだったことに気付く。
「お仲間はっけーん!」
 音々の陽気な声に、食堂の片隅でウイスキーを呑んでいたその女性はむすっとした顔を見せた。
「何のお仲間よ?」
 グラスを揺らし、中の氷を軽く回転させながら、その女性――香織は尋ねた。
「独り身仲間」
「やな響きね、ったく……」
 空になったグラスにウイスキーを注ぎながら、香織はぼやいた。
「あなたも呑む?」
「もち!」
 なぜか香織の向かいに置いてあった、誰も使っていないグラスを手に取り、音々も手酌でウイスキーを注いだ。その様子に香織がかすかに「あっ」と声をあげる。
 が、すぐに諦めたように、小さくため息をついた。
「……まあいいわ。乾杯」
「何に?」
「独り身同盟と……あと、詩織の帰還に」
 そこで音々は合点した。
 なぜ、香織の向かいに空きのグラスがあったのかを。
 手に持ったグラスと香織とを交互に見やり、音々は頭を下げた。
「えーと。勝手に使ってもて、ごめん」
「いいのよ、別に」
 微笑み、香織は手に持ったグラスで、音々のグラスに軽く触れた。
「改めて、乾杯」
「……乾杯」
 香織がウイスキーに口をつけるのを確認してから、音々もそれに続く。
「これ、結構な上物やね」
 音々は小さいころから、風間の酒棚からくすねてチビチビと呑んでいたクチである。日本酒とウイスキーなら、そこそこに味はわかるつもりだった。
「この日の為にとっといたのよ」
「酒瓶なんて重いモン、いつも持ち歩いて移動してたん?!」
「うそよ。そういう酒を一本、三郷に置いといたのは事実だけど、これはさっき樹華さんがくれたの」
 詩織の帰還を祝して、一人だけででも祝杯をあげたいと話したら、樹華が秘蔵の一本を分けてくれたのだという。
「私も、桜と漣の肉体の問題が解決したとき、祝杯をあげるつもりだったのさ」
「そんなの、あたしが貰ってもいいんですか?」
 尋ねた香織に樹華は頷き、
「ああ。実はさっきもう呑んじゃってね。実は私は酒は好きなんだが、弱くてね。水割り一杯がせいぜいなのさ。だから新品じゃあないが、コレでよければ」
 そう言ってこのウイスキーを差し出してくれたのだという。
「なーるほど。あの人、カネ持ってそうやもんなー」
 最初の一杯をあっという間に空け、音々は二杯目をグラスに注いだ。
「詩織ちゃんも戻って来よったし、漣ちゃんも肉体を手に入れたし、桜さんも元通りになった……ええ事づくしやね」
「そうね」
 そんな事を言い合いながらも、二人とも解っていた。まだ解決していない問題はある。そしてそれは、解決が非常に困難な問題だ。
「あとは自治領軍を……江藤理沙と桜花を倒せば、全てが終わるのよね」
「そやね」
 音々は力強く頷いたが、香織は少し沈んだ面持ちだった。
 正直、自治領軍との争いなど、香織の眼中にはなかった。ただ詩織が戻ってきさえすれば、それだけで良かった。須賀に来たのも、元々はそのためだったはずだ。今となっては、目的は既に果たしたに等しい。
 ただ、その詩織が拓也の傍らで共に戦うというのなら、その力にはなりたいと思う。しかし自分には、桜花と一体化した理沙と渡り合えるだけの力はない。
「ねえ、あなた。これが終わったらどうするつもり?」
 何気なしに音々に尋ねてみた。
 渡り合えるだけの力を持つのは、おそらくはこの音々と、あの拓也だけだろう。それが少しねたましくもある。
「そやね……」
 意外な質問だったのか、音々は少し考え込んでいるようだった。
「月に行きたい……かな」
「月?」
「橘の家とは縁がないつもりなんやけど、その、えと……姉貴には世話になったから……その礼くらいは言いに行こうかな、て」
 姉貴、という言葉を言うとき、少し恥ずかしげに音々は鼻をこすった。
「その後は、月で暮らしてみんのもええかなー、とか思うし、ヨーロッパの方とか目指してぶらり旅するのも捨てがたいし……あ、でも学校に復学して、一応卒業くらいはしときたいかなー、とか……」
 あれこれとプランを話す音々は、とても楽しそうだった。後から後から飛びだしてくる話を、香織は目を細めながら聞いていた。
「あたしはね」
 話の切れ目を突くように、香織が切り出す。
「この戦いでは、詩織の盾になりたいの。たとえ傷つき、貫かれても、詩織が守られればそれで本望」
「ちょい待ち!」
 言いかけた音々の口を、香織は自らの口でふさいだ。
「!!」
 とっさに飛び退いた音々は、自分の口を押さえ、声にならない叫びをあげる。
「でもね。もし最後まであたしが生きてたら、あたしも一緒に連れてってくれる? 少なくとも、退屈はしなさそうだし」
「う、ううー。え、ええけど。い、今あんた、うちにナニしよった?!」
「冗談よ。ちょっとしたコミュニケーションってやつ?」
 そう言って香織はクスクスと笑った。
「そんなに顔を真っ赤にして、ひょっとして初めてだった、とか?!」
「ファーストキスで悪かったなー!!」
 ますます顔を赤くし、音々が喚き立てる。その目にはうっすらと涙まで浮かんでいた。
「えーと……ごめんなさい」
 それまでのからかうような口調から一変し、香織はぺこりと頭を下げた。
「ううっ……よりによってオンナに捧げることになるなんて……」
 涙目になりながら、音々はウイスキーをグラスに注ぐ。そのウイスキーのボトルを香織が受け取り、自分のグラスにもおかわりを注いだ。
「で。生き残れたら、あなたに付いていってもいい?」
「さっきみたいんは無しやで?!」
「わかってるってば。もう……」
 からかうように笑いながら、香織はグラスを差し出した。
「約束ね?」
「……ん、ええよ」
 音々もグラスを差し出し、再び軽く触れ合わせる。ガラスの触れ合うチンという音に続き、氷の転がるカランという音が、静かな食堂に響いた。


 夜更けの森の中、三人の精人が集っていた。
 樹華を挟むように桜花と橘花が向かい合っている。
「幽羽、燈月、穂邑……」
 橘花が次々と、自分たちの眷属の名を挙げてゆく。それは橘花の眷属だけでなく、桜花の眷属も含まれていました。
「橘家と昨夜家の争いの中、彼女らも次々と命を落としました。しかし、なぜそのほとんどが相討ちになっているのですか?」
「――判っておるのじゃろ?」
「否定しないのですか!」
 橘花が激高してくってかかろうとしたが、それを樹華が止めた。
「ならば口にしてやろう」
 そう言って、桜花は唇を舐めた。その舌の動きは、見る者に必要以上に卑猥な印象を与える。
「喰ろうたわ。否、我が吸収したと言った方が良い、かの?」
 桜花は満足そうに笑っていた。
「妾がより強い力を得るために。何者にも勝る、そう、この世界で言う鬼の如き力を得るために、妾と汝の眷属、ことごとく妾が喰ろうたのよ」
「やはり――!!」
「ならばどうする。ここで妾と戦うか? 仇を討って見せる気か? それが汝にできると申すか? 笑止笑止!非常に面白きことよ。橘花、そなたも妾の力となるべく吸収してやろうか?」
「そこまでだ桜花」
 樹華が発する威圧感に、桜花の足は知らずと一歩引いていた。だがそれに本人は気付かない。
「お前は討たれるよ。人間の手で、な」
「人間? あんな卑小なものどもに、何ができると申すのだ?」
「歪んだ今のお前には判るまいよ」
 そうして三者の視線が交錯する。
「全ては明日だよ、桜花。もう帰ろう、橘花」
「しかし!」
 食い下がる橘花をたしなめるように樹華は言った。
「あとは音々さんや拓也たちに任せよう。この戦い、幕引きをするのは人間達であるべきだよ」
「おぬし達の用意する幕など、妾が引き裂いてくれるわ!」
 だがその桜花の言葉には耳を貸さず、樹華は橘花の手を引いてその場を去っていった。
 そして桜花は呟く。
「なぜじゃ……なぜ妾は一人になる?」


 翌朝、5時。
 まだ日も昇らぬうちから、音々や拓也を始めとする一同は会議室に揃っていた。ただ、さすがに小十郎は今回は不参戦ということで自室で療養中だ。
「さて。嫌な言い方をするが……」
 一同をぐるりと見渡し、樹華が切り出した。
「ここに集まっている面々が『質』で、他の傭兵諸君は『数』だ」
 いきなりのこの台詞に、それぞれが微妙に表情を変える。
「くれぐれも言っておくが、数を軽視しているわけではない。その数を浪費しないために、資質ある君たちのような者が必要なのだよ」
「で、親父。攫みはその辺でいいだろ、本題に入れよ」
「まあ待て。いいか、例えば味方の誰かが獅子奮迅の活躍をする。それだけで敵は畏怖し、味方は鼓舞される。この違いは大きい。たった一人で敵を敗走させ、少数が多数を掃討する戦へと戦局を変えることだってできるのだ」
「樹華さん。それは極論ではないですか?」
 右手を挙げ、晃司が異議を唱える。
「そう、極論だ。しかしそれを為すための力が充分に足りていれば、極論とて現実になり得る。しかし、いくらここに集まったメンバーが強力とは言え、カバーできるエリアには限りがある。したがって、須賀の傭兵をいくつかに分ける際、ここにいる面々もそれぞれに分散させる必要がある」
「理屈はわかった。そのチーム分けをしようという訳やな?」
 腕を組みながら音々が尋ねた。
「そうだ。しかし我々も数がそう多いわけではない。そこで部隊は大きくわけて四つ……」
 答えつつ、樹華は部屋中央のテーブルに須賀周辺の地図を広げた。
「東西の林道防衛にそれぞれ一部隊、須賀の非戦闘員は我々が今いる研究所に退避させるとしてその防衛に一部隊、それとは別に須賀の防衛に一部隊……これは南北の森林部からの奇襲攻撃に備える意味もある」
「いや、部隊を分けるのは三つでいい」
 拓也がぶっきらぼうに言い放ち、西の林道を示すライン上にどこからか取り出した硬貨を二枚置いた。
「こいつを俺と詩織だけで引き受ける」
「しかし……」
「敵に圧倒的恐怖を与えるやり口は俺の十八番だ。任せとけ」
 何か言いかけた樹華を制し、拓也はきっぱりと言い切った。
「わかった。では他だが……得意不得意に合わせ、各自希望があれば言ってくれ」
「じゃ、僕は須賀の防衛に」
 晃司も拓也にならい、硬貨を一枚取り出して須賀の中央部に置いた。
「市街地戦は得意だからね」
「こんな田舎で市街地戦もないがね」
 樹華が笑い、自らは研究所上に硬貨を置いた。
「正直、私は守られる側と言ってもいいからね。漣と桜はどうする?」
「私は晃司くんの側に」
 漣が硬貨を取り出し、晃司の置いた硬貨の上に重ねて置いた。漣の実戦能力については桜からいくらか聞いている。『光の夜』以降、晃司と行動を共にしてきた間、漣の的確なサポートで何度も窮地を脱したと聞いている。少なくとも足手まといにはならないだろう。
「私は……」
「うちとメパンチは研究所ボーエーっ」
 桜の言葉を遮って割り込んだ音々が、硬貨を二枚、研究所の上に置いた。
「いわゆる最終防衛ラインが、ここなんやろ?」
「そうだな。一般人が殺されるようでは、敵を撃退できても我々の負けだ……」
「なら、うちらはそこに居座ることにしとくわ」
「仕方ないわね……」
 ため息交じりに、桜は硬貨を東の林道に置いた。
「誰も行かないなら、私が行くわ」
「すまない。で、香織さんは?」
 最後に残った香織に対し、樹華が尋ねた。
「あたしもそこにしとくわ。それでも東側の林道が一番手薄には違いないでしょ?」
「ありがとう。とりあえず、これでまとまった訳だ」
 ほぼ全部隊に二人ずつ。良く言えばバランスがよく、悪く言えば戦力の分散だが――贅沢は言っていられない。おそらくは現時点で打てる最善の手だろう」
 そう言いながら、樹華の脳裏を嫌な予感がかすめる。
(しかしこれでは……もし東の林道に理沙か由香が現れた時、対処できるだろうか?)
 桜も香織も、術者としては有能だが、近接戦闘向きではない。その場合の対処が不安材料ではあるが、幸か不幸か東の林道から敵の大軍が進撃してくるとは考えづらい。本陣は西にあるという報告があるため、樹華は最悪の場合の退路を東に設定していた。もちろん敵もそれは予測済みだろう。東へも部隊を配置しているはずだが、それはあくまでも退却戦になってからの話だ。その部隊が侵攻戦に参加するとは考えにくい。そう考えれば、東は比較的、攻撃の手は緩いと思われる。何かあっても、須賀防衛の晃司が駆けつけるだろう。


 そうしてミーティングが終わった後、拓也の肩を背後からぽんと叩く者がいた。
「お兄ちゃん」
 振り向くとそこに漣が立っていた。
「あ……。あー。ああ、うん。なんだ?」
 呼ばれ慣れていない名称にしばらく戸惑いつつ、拓也は頭を掻いた。
 考えてみれば、こうやってじっくりと対面するのは初めてだった。前に会ったのは『光の夜』の時で、ほとんど会話も交わしていないに等しい。自分に妹がいることを知ったのもその時だ。
 しかも、前に会った時とは姿形も変わっている。正直、彼女が妹であるという実感は薄い。だが、実感は薄かろうが事実は動かない。
「えーと。お兄ちゃん」
 繰り返すように漣は呼びかけた。
「お、に、い、ちゃん」
 いつの間にか背後に回っていた晃司が、拓也の耳元で茶化すようにささやいた。
「黙れこのヤロ」
 肘鉄を食らわそうとするが、それよりも速く、晃司はサッと飛び退いていた。
「照れるな照れるな」
 そう言って、小馬鹿にしたように笑う。
「おはなし、いい?」
 そんな周囲に動じた様子もなく、漣はきょとんとした表情で拓也に尋ねた。
「あ、ああ」
「ずっと、会いたいって思ってた」
 そう言って、漣はまるで子供のような純粋な笑みを見せた。
「どんな人かなって、ずっと思ってた」
「悪い評判ばかりでがっかりしたか?」
 やや自嘲気味に、拓也は言った。だが漣は首を振り、
「優しい人でよかった」
 そう言って、拓也の瞳を正面からじっと見据えた。
「優しい? 俺が?」
「うん。とても」
 意外そうに驚く拓也に、漣は迷いなく言い切った。そして今度は詩織の方に向き直り、頭を深く下げる。
「身体、ありがとうございます」
「そのお礼は……」
 そこまで言って、詩織はうつむいて言葉を切った。
「……もう少し先に、あの子にお願いします」
 そして顔を上げにこりと微笑んだ。何のことだか解らない拓也と晃司は顔を見合わせたが、漣はその意を了解したのかこくりと頷いた。
「はい。でも、詩織さんにもありがとうが言いたくて」
 そう言うと、漣もまた、先程の詩織と同じように視線を落とした。が、すぐに顔を上げ、右手を差し出した。
「お兄ちゃんを、よろしくお願いします」
「はい」
 差し出された手を詩織が握りかえす。
 かつて瑠璃奈のものであった漣の肉体は、確かに詩織に似ている。しかしこうして二人並んでみると、その造形は微妙に異なる。どちらかと言えば姉妹のようだ。
「今度はゆっくりと、みんなでお茶でも飲みたいですね」
「いいですね」
 詩織の提案に漣が頷く。
「みんな、無事でいられるように……」
 漣は詩織の手を両掌で包み込むように握り、そのまま胸元へ引き寄せた。そして、祈るように瞳を閉じる。
「護ります。きっと」
 それはとても厳かな光景だった。
 しかし、それをぶち壊すかのような音が、どこか遠くから聞こえ始めていた。それに気付いた拓也と晃司の顔に緊張が走る。
「……航空機?!」
「ああ、間違いない。まさか上から来るか?!」
 拓也の驚きようも、もっともな話だった。もともと、長期化し過ぎていた戦争の影響で、コストの極めて高い航空機はあまり用いられなくなっていた。それでも空挺部隊や輸送部隊など、ごく一部では運用されてはいた。
 だがそれさえも、大部分が『光の夜』の影響で損壊していたはずだ。とても実践に導入できるだけの数が揃っているとは思えない。だいたい、これまで自治領軍が航空兵器を戦場に投入した例はなかったはずだ。
「隠し球かよ……ったく!」
 拓也が毒づく。音は急速にどんどん近づいてくる。音の大きさから察するに、かなりの規模の数だ。
「とりあえず外へ出よう!」
 晃司の言葉に一同は頷き、研究所の外へ駆け出した。既に異変に気付き、外へ出てきている者もいる。
「何やっちゅうんや?!」
 拓也達より少し遅れて外へ出てきた音々が、空を見上げて叫んだ。
 すでに目視できる程の距離を、無数の輸送へりが飛んでいる。それらは瞬く間に須賀の上空に達している。
「爆撃じゃない……空挺部隊か!」
 やがて、上空からパラシュートで落下してくる人影が見えた。しかしそれは一つだけで、それに続いて部隊が降下される気配はない。
 外へ飛びだしてきていた傭兵の一人が、ライフルを構え、降下してくる兵士に照準を定めた。
「待て!撃つんじゃない!様子を見るんだ!」
 同じように外に出てきていた樹華の声に、その傭兵は頷いたが、狙いを外そうとはしなかった。
 皆が注目する中、その降下兵は研究所のすぐ側に着地した。地面に広がったパラシュートの下から這い出てき若い兵士は、白い手旗を振りながら叫んだ。
「待て!我々は敵ではない!片桐……片桐音々という人はいるか?!」
「うちや」
 人波をかき分け、音々が前に歩み出る。
「命令書を読み上げる!本日ゼロロクマルマルをもって、統合政府は日本自治領主、江藤理沙を反逆の意ありとして出頭を命ずるとともに領主の任を解く!これに応じない場合、統合政府軍第一大隊は片桐音々を司令官とし、日本自治領軍を反逆者として鎮圧にあたる!この際、片桐音々を臨時の大将待遇として迎え入れるものとする!以上ッ!片桐大将閣下、着陸許可をお願いします!!」
「あ、はあ」
 拍子抜けした表情で音々が頷くと、若い兵士は懐から通信機を取り出し、何事かを告げた。その直後、上空に待機していた輸送ヘリが次々と降下し始める。
「な、何が何やって言うんや……?」
 続々とヘリが降下してくる様を、皆はただ呆然と眺めていた。中からは武装した政府軍兵士がぞろぞろと現れ、規則正しく整列していく。
「一個師団で……何人居るんだよ?」
 拓也が晃司に尋ねた。
「月政府軍の場合……基本的には8人で小隊、12小隊で中隊、6中隊で大隊。師団が4大隊をもって構成されるから、つまり2304人……。ただしこれは単純に歩兵の数を数える場合だから、実際にはもっと規模は大きいんだろうけど……」
「それが完全武装してるってのか。これが援軍だってぇのかよ?」
 須賀の傭兵達がせいぜい150人前後。咲夜の術者勢を合わせても200人を少し越える程度だろう。その10倍もの数ということになる。
 そんな兵士の中から、一人の女性が歩み出てきた。その姿に見覚えのある音々が目を見張る。
「華音?!」
「姉上か大統領か、あるいは華音さんか華音様と呼びなさい」
 統合政府大統領、橘華音はそう言って長い髪をかき上げた。
「これだけあれば、あの女……江藤理沙の率いる軍勢に対抗できるかしら?」
「数は……数は充分やろうけど、でもホンマに味方なんか!?」
「もちろんよ。この軍勢、正直言って橘家の私兵と思っていただいて結構よ。つまり橘家当主であるこの私の妹の貴女、そして前当主候補だった神楽桜さん、この二人にの命令には忠実に従うわ」
「しかし相手は桜花だ」
 樹華が割り込むように言った。
「皆殺し、ということもあり得るんだぞ?」
「それでも、私たち人間が真に精人から独立するためには戦わなければならない相手だわ」
 毅然とした態度で華音は言い放つ。
「第三のシステムの発動は、こちらでも観測したわ」
 願いシステムについて、華音はそう言った。
「あれを江藤理沙に奪取されちゃ困る。だったらそれを狙いに来る江藤理沙を叩く。そのために彼女と対等に戦える人間を、心置きなく動かす。それには手数が必要ではなくて?」
「利害は一致している、というわけか……」
 樹華の呟きに、華音は無言で口の端を上げた。
「だが一つだけ頼みがある。彼らにも、これまでここで戦ってきたプライドと地の利がある。最前線はこちらで引き受けるから、この軍は後詰めにあたってくれ」
「須賀の街の防衛はともかく、あのシステムの防衛も我々にしろということかしら?私があれを奪取しないという保証はなくてよ?」
 意地悪く華音は言う。が、樹華は嘆息気味に肩をすくめた。
「あれは兵器が欲しい馬鹿か、ゲートを開きたい精人か、私のような特別の理由がある人間にしか用のないデカブツだ。君には邪魔でこそあっても、必要はないだろう?なら、今は信用できる。それに………」
 樹華の視線が鋭いものとなり、華音を見据える。
「我々を敵に回したくはないだろう?」
 その殺気立った態度に、華音は知らずと冷や汗を流す。
「我々を第二、第三の江藤理沙にしたくはないんじゃないか?」
 それは明確な脅迫だった。
「……ごもっとも、ね」
「もっとも、こちらにそんな野心を持った人間はいないよ。ただ、極端に復讐心に長けた奴はいるがね。あまり刺激しないことだ」
 拓也の方を一瞥し、樹華は念を押すように言った。
「ご忠告感謝するわ。江藤理沙の再来も、あの悪名高い黒い魔人の復活も、こちらとしては迷惑甚だしいものですから」

 こうして、音々達の下に予期せぬ援軍が到着した。
 最後の戦いの幕が上がろうとしていた。
 後にこの戦いはこう呼ばれるようになる。
 勝者の居ない戦争、と。


To be continued.
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