Moonshine <Pray and Wish.>
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Episode 06 リターン・オブ・ドリフター○


  笑いの基本はボケと突っ込み。
  まずはトークから覚えよう。
「ドリフ大爆走 '23」


 事の発端は、音々が地上へ帰還した日から約三ヶ月前の事になる。
 西暦2023年9月1日、金曜日。

 雨が降っていた。
 音々がこの地に来てもう二年以上経つというのに、いまだにこの雨に慣れることは出来ずにいる。この、人工的な雨には。
 月面の居住可能エリアは、無数に設置された巨大な地下建造物やドーム状の建物が、それぞれに連結されて構成されている。その多くの天井の一面に、天候を表現するためのスクリーンが設置されいて、晴れの日は青空を、曇りの日は曇り空を映しだしている。そして、今日のような雨の日には、さらに暗い曇り空とともに、雨を模したシャワーが降り注ぐようになっているだ。むろん、天候や四季によって気温を調整することも忘れてはいない。天気予報も2割前後の確率で、意図的に外している。出来る限り、人工的さを感じさせないようにする工夫らしい。
 そういったシステムの全てが、ずっと地球で暮らしてきた音々には、どうにも偽物のように感じられるのだ。中でもこの雨は好きになれない。
「なんかもう、腹立つー!」
 一人毒づきながら、音々は地下街へ降りることにした。雨の振っているエリアが既に地下施設の中なのだから、更に下層の雨の届かないエリアと言うべきなのだが、住民の間では「地下」で通っている。
 回り道になる地下街を抜け、少し雨に濡れながら、音々の住んでいるマンションに到着した。10階建の2階、部屋のプレートには「桜井」と書かれている。
 現在の音々の戸籍上での名前は「桜井音々」。無論、正規のものではなく、樹華が用意したものだ。部屋は樹華が鳳一馬名義で持っていたものを、名義変更して譲り受けたものである。当初は怪しまれないように鳳姓を名乗るように勧められたのだが、それだけは絶対に嫌だと固辞した。今の桜井という姓は適当に考えたものだ。
 部屋は広めの2DK。かつて、樹華が桜とともに暮らしていた住居でもある。
 生活費として樹華からかなりの額のお金をもらってはいるが、普段遊び歩いているわけではない。昼間は大学に通い、週に二回だけだがアルバイトにも行っている。
 橘花に逢うようにと勧められていたものの、それは容易ではない事は言った樹華も音々自身も承知していた。そこで、こうやって月の社会に馴染みながら、橘家について探りを入れることにしたのである。
 そうして判ったことは、橘花は現在権力を放棄した上、どこかに幽閉されていることくらいだ。精人である橘花の力をどうやって抑えているのかは判らないが、まともな事態とは思えない。樹華に相談したいところだが、連絡先が判らない以上は手の打ちようがない。
 部屋に戻ってテレビのスイッチを入れ、愛用のソファに寝そべって一息つくと、急に一日の疲れが襲ってきた。テレビ画面では、新作ゲームのCFが流れている。こういうのを見ると、月は平和だと思う。地球相手に戦争をしていたとは思えないほどの平和っぷりだ。
 日本地区のあちこちが、戦争による被害を受けていたのとは大違いだ。

「うちの大事な人間は、みな死んでいきよる………」

 ふと、嫌な事を思い出した。「嫌」というのは違うかもしれない。苦い思い出だ。
 「光の夜」の後、音々は倭高専へと向かった。どの程度の被害だったのか、友人達は無事なのか、それが気掛かりだったのだ。
 今にして思えば、虫の知らせというやつだったのかもしれない。
 「光の夜」の影響で建物は崩壊していたが、怪我人はほとんど居なかった。そしてこの時、音々は弓崎香の死を知った。それも、橘家の襲撃が原因だということが、ショックを何倍にもしていた。
「死傷者はほとんど出んかった」
 と風間は言った。まぁ多少は出たのだろうとはその時にも気付いていたが、その程度で済んだのなら万々歳だと思った自分を恥じた。詳細を伏せていた風間を恨み、すぐに気遣いだった事に気づいた。
「うちの大事な人間は、みな死んでいきよる………」
 春日の爺さんも、香も。
 人が一人死ぬという事の重みを、いやというほど思い知らされた。単に数字の問題ではないのだ。自分の身近な人間を失って、初めてそのことが判った。
 絶望していた音々の前に現われたのが樹華だった。そして半ば無理やりに月へ行くことが決まり、今に至っている。

 テレビでは夕方のニュースが流れている。なにかの税率が引き下げになるらしい。
『……橘大統領は次のように語りました』
『戦争の終結により……』
「うわ! やな奴が出てきよった!」
 テレビでは、今や月政府の大統領となった橘華音のインタビュー映像が流れている。戦争の終結に貢献した術者の一族として、橘家の存在が広く知られるようになった中、とりわけ目だったのが華音である。終戦後すぐに行われた大統領選に圧勝して以来、次々と斬新かつ素晴しい政策を執り行い続けている。支持率が9割を超えるのも頷ける。
 全てがいい方向に向かっている。月に来て以来、つくづくそう思わずにはいられない。戦争によって疲弊した経済は、終戦によって一気に息を吹き返した。人々の顔には笑顔があふれ、もう身内の戦死通知に怯えることもない。日本自治領では咲夜家の残党狩りが行われているようだが、それ以外の地域では急ピッチで復興が進んでいる。もうあと何年かすれば、建物等に関しては開戦以前のような状況に戻ることだろう。そうして後世では、復興に大きく貢献した名大統領として華音の名が残るに違いない。
 今テレビで言っている減税にしても、戦争につぎ込んでいた分の予算が浮いたために行われたようなものだ。この状況で橘花に逢って、何になるというのだろうか? 樹華からは、橘花を日本に連れてきてほしいという依頼しか受けていない。何か考えでもあるのだろうか。
『……はい、橘大統領のインタビューでした。橘大統領については、この後の特番のほうもご覧下さい。では次のニュースです……』
「特番〜? 大統領の特番って、何やらかすつもりやねん?」
 テーブルの上に置きっぱなしにしておいたテレビ情報誌のページをめくってみると、たしかに今日の20時から特番が組まれている。
『橘華音大統領スペシャル! 〜その生い立ち・術者としても超一流!・生中継でご自宅拝見!・その支持率のひみつ!・家族へのインタビュー…etc.〜』
「な、なんちゅうテレビやねん……」
 これじゃまるで芸能人か何かみたいではないか。頭を抱えているうちに、ふと脳裏をよぎる考えがあった。
「……自宅の生中継?」
 ということは橘家の本家ということだろうか? 実のところ、橘家の本家が月のどの辺りにあるのかまでは判っていたが、通常の居住ブロックとは連結されておらず、潜入できずにいたのだ。何かが判るかもしれない。
「見てみる価値があるかもしれんなぁ……」
 テレビは点けっぱなしにしたまま夕食を簡単に済ませ、洗濯物などを片付けていると、
『橘華音大統領スペシャル!!』
 という威勢のいい司会者の声とともに、ファンファーレが鳴り響いた。
「お、始まったみたいやな」
 シャツをたたんでいた手を止め、音々はソファに腰掛けた。
 番組の冒頭は出演者の紹介が続いた。芸能人や評論家等に混じって、橘家の術者が数名。それが終わると、ようやく本編が始まる。
『まずは橘華音大統領の、生い立ちから見てみましょう!!』
 小さい頃は歌を歌うのが大好きな幼稚園の人気者。小学校から始めたピアノは、今でも得意らしい。中学校の頃に、火事を術で消したことで表彰を受けた。高校の頃は生徒会長を努め、この時に実施した校則改正は他校がこぞって真似をしたほど。でもプライベートでは明るくはきはきとした性格でクラスの人気者で……
「ウソくさーーーー!!!」
 いかにも嘘臭い。明らかに捏造としか思えない。
 そういったつまらないコーナーが催す眠気と戦っているうちに、ようやく目当てのコーナーが始まった。
『大統領が案内する、お家拝見コーナー!!』
 橘家は旧入植者居住区、通称・旧地区と呼ばれるエリアにある。これは現在の居住区を工事する労働者が寝泊りするために、先行して建築されたドームのことである。現居住区が完成して以後は、そこに住んでいた者達の大部分が去って行った。理由は単純で、現居住区と旧入植者居住区はまったく連結されていないため、生活の便が悪すぎるためだ。
 今では橘家だけがそこに残っている。こちらの理由も単純で、外部からの接触を絶つためだ。おそらくは、意図的に非連結の地区を作ったのだろうと音々は読んでいる。
 画面に華音が映し出された。
『大統領、お忙しい中ありがとうございます』
『フフフ。実は私の知らない間に、この話が決まっちゃっててビックリしたわ。知ってたら、恥ずかしいからお断りしたんですけど……』
『何をおっしゃいますか! 立派な豪邸じゃありませんか』
『いえいえ。大きいだけで不便ですよ……』
 建物そのものは咲夜家と似たような和風の建築様式だ。カメラは質素ながら品のある門をくぐり、広々とした中庭を映しだした。
『広い庭ですねぇ!!』
『一族が多いものですから。新年の集まりなどに備えて、広くないと困るんですよ』
 恐らくは嘘だ、と音々は思った。これはある意味で、学校の運動場みたいなものだろう。術者等の戦闘要員の訓練用スペースとして、庭を広くしてあるのだ。建物の回りにも、そういったスペースは用意してあるはずである。
 カメラは玄関口に到着した。物腰の柔らかい初老の女性が出迎える。
『華音の母の美里です。よろしくお願いします』
『いえいえこちらこそ!』
「嘘や!」
 音々の母でもある美里には、前に逢ったことがある。時間が経って印象が変わるということはあるだろうが、いま映っているこの女性は明らかに偽物だ。似ていなくはないが……
 考えこんでいるうちに、画面は華音の自室を映していた。自室というよりは書斎に近く、机の他には、たくさんの本の並んだ本棚と、床の間に飾られた掛軸や日本刀以外にはこれと言って物が置かれていない。
『寝泊りもこちらでされているんですか?』
『寝室はこの隣です。服なんかもそちらに全部まとめてます』
『見せていただく訳にはいきませんか?』
『それだけはご遠慮してください』
 口元で笑いながらも、目は怒っている。案外、知らない間に決まっていたというのは本当かもしれない。
 カメラは次の撮影場所であるキッチンへ向かうために移動中だ。時々、廊下から見える庭の景色や、置き物などをズームしたりし、その度にアナウンサーの質問と華音の解説が入る。と、その前を、少女を連れた中年の男性が横切った。男はひょろりと背が高い他には影が薄かったのだが、少女は透き通るような白い肌と漆のような黒髪が印象的だった。どこか陰のある美少女という言葉がこの上なく似合う。
「……橘花!?」
 テレビの前で、思わず音々は声をあげていた。地球を発つ直前、樹華に聞いた特徴そのままだ。
『と、父さん! どうしてこんな所に……』
「父さんって、あれがうちの親父!?」
 慌てて飛び出してきたスタッフだか橘家の人間だかが、突然の乱入者をどこかへ連れていってしまった。
『可愛いお嬢さんでしたね。大統領の親戚か何かの娘さんですか?』
『え、ええ。姪っ子ですの』
 華音のぎこちない口調に、音々はあの少女が間違いなく橘花だと確信していた。
 大急ぎで荷物をまとめ、音々はすぐさま外に飛び出して愛用のスクーターにまたがった。ちなみに排ガス規制の厳しい月面では、ガソリン車の走行は禁止されている。このスクーターにしても、霊水晶と霊力もしくは魔力との併用で動作する仕組みになっている。
 旧地区へ向かうためのルートは限られている。月面へのゲートがあるポイントと言えば、外部への増設工事中のエリアは当然月面へ繋がっているし、空港では旧地区への定期便も運行している。あとはメンテナンス用のハッチからも月面へ出られるだろう。
 それらの中でも、さきほどのテレビ画面から推測される取材スタッフの人数や、テレビ局へのアクセスを考えると、
(空港やな、たぶん)
 自ずとそこに絞られる。工事中エリアを大人数で移動するのは危険が伴うし機密保持の問題もあるだろう。メンテナンス用ハッチは外壁部分に点在しているため、テレビ局から離れすぎている。
 今から向かえば、撤収してきた取材スタッフを乗せた、月面走行車の到着に間に合うかもしれない。そうすればいくらでも潜入する手段はある。旧地区への出入りには許可証が必要なため、今まではそこまでのリスクは負わないようにしてきたのだが、捜していた橘花がそこに居ると判ったのなら話は別だ。ついでに父親を一発殴ってくるのもいいかもしれない。
 とにかく、テレビ撮影絡みで少しでも混乱が生じているのなら乗じる隙はあるはずだ。

 空港内部への潜入は決して容易ではなかったが、特に何事もなく成功した。月面走行車の乗降口付近まで到着すると、音々は物陰に隠れて様子を伺うことにした。
 腕時計のデジタル表示は21時30分ちょうどを示している。とりあえず、じっくりと辺りを観察してみることにした。
 ゲートの改札口には係員が座っている。まだ最終便が到着していない証拠だ。取材スタッフと入れ替わりになれればベストだが、そうでなくても便が到着しさえすればそれでいい。外部からの潜入を防止するため、運行終了後の月面走行車は全て旧基地側の車庫に入ると聞いたことがある。
 しばらくして便の到着を知らせるメロディが流れ始めた。
『まもなく、旧地区からの月面走行車が到着します。なお、本日はこの便が最終便となっておりますので……』
 エアロックの開閉音や減圧・昇圧が行われる音に続いて、ほとんど観光バスのような外見の月面走行車が乗降口に到着した。中からぞろぞろと取材スタッフが下車してくる。
「……そろそろ準備しとこか」
 精神を集中させ、周囲の空気の流れを読み取る。と同時に霊力を用いて、ほんの僅かに風を起こす。そうして出来た空気のゆらぎを元に、今度は精霊術で空気を圧縮した塊を作り出す。一つ、二つとその数を重ねていき、四つほど作ったところで風を止める。最後に、自分の周囲の空気を半径2m程度の球体で固定し、準備は整った。
(酸素ボンベと宇宙服、一丁あがり……っと)
 内心で呟きつつ音々は月面走行車に近づき、その屋根にこっそりと登った。あとは身を伏せて見つからないようにしつつ、周囲の様子を伺う。
 取材スタッフは手際良く荷物をまとめ、足早に乗降口から去っていく。皆、早く帰りたいのだろう。最後の一人が完全に姿を消すと同時に、再びメロディが流れ始めた。それに伴い、月面走行車のエンジンがかかる。出発準備が整ったことを知らせるメロディだったのだろう。
 やがて、ゆっくりと月面走行車が走り始めた。第一エアロックを通過し、減圧室に入る。掃除機にも似た音とともに、周囲の空気が失われていく。が、音々の周囲だけは、精霊術により空気が固定されたままである。
(集中が途切れたら、空気はいっぺんに無くなってまうからな……)
 完全に空気がなくなると、第二エアロックが開き、外に広がる月面の景色が視界に飛び込んでくる。周囲がライトで照らされているため、振り返ってみると、今まで自分がいたエリアの外壁もよく見える。これだけ巨大な建造物を、よくもまぁこんな場所に作ったものだ。空気もなく、昼夜の温度差も激しく、はっきり言ってまともな人間の住める世界ではない。
 月面の開発事業の裏にも、橘家と咲夜家が大きく関わっていたらしい。両家が存在しなければ、人類の文明の発展は一〜二世紀分は遅くなっていた事だろう。しかし、戦争を引き起こしたのがこの両家であることも事実だ。
 あれこれ考えているうちに、月面走行車は旧地区へ到着した。空港から出発した時とは逆の手順を経て、月面移動車は内部へと入ってゆく。
(ここが旧地区かぁ……)
 どことなく病院を思わせる小奇麗な内装や、ところどころに設置されている真新しい機材がやたらと目につく。旧地区という名前から、もっと古くさい設備を想像していたのだが、これではまるで何かの研究所みたいだ。
 月面移動車は建物内部を移動して、どこかの駐車場で停車した。それからしばらく後、月面移動車のドライバー達が立ち去るのを足音で確認し、音々は車の屋根から飛び降りた。
「そこまでだ!」
 駐車場に女性の声がこだました。と同時に、あちこちから武装した兵士達が姿を見せる。人数にして十人前後だから、一小隊程度だろう。
「どうやって生身で侵入したのかはしらんが、ここに潜入して生きて還れるとは思うな!」
 隊長とおぼしき中年の士官が、ライフルを構えて一歩進み出た。制服のせいで判りづらいが、声からすると女性らしい。
「あ、いや、その……」
 わざとらしく音々は口ごもり、
「テレビ局のADなんすけど、さっき財布を忘れちゃって……」
「どこの世界に、忘れ物を取りにいくために、月面移動車の屋根にへばりついて戻る奴が居るか!!」
 激高し、士官は音々の眉間に銃口を向ける。
「いや、ココ! ココに居ますよー!!」
 自分を指差し、わざと標準語でおどけて見せる音々。ついでにスマイルも忘れない。
「我々を馬鹿にするのか!! 総員、撃てっ!!」
 号令とともに、無数の銃声とともに一斉射撃が行われた。が、その全てが音々の張った防御結界に弾かれる。
「しまった術者か! 対術者戦闘用意!!」
 士官はすぐに命令を発したのだが、
「遅いわ、あほ」
 一瞬で間合いをつめてきた音々の飛び蹴りを後頭部に食らい、うめき声を発する間もなく気絶してしまった。
「隊長!!」
「……これが23年ぶりに里帰りしてきた身内への歓迎かいな」
 ぼやき口調で呟き、音々は改めて身構えた。
「一つだけ聞かせてくれへん? なんで侵入がバレたん?」
「馬鹿かおまえは! 監視カメラに映ってた事に気付かなかったのか!?」
 なるほど。言われてみればその通りだ。
「まぁ見つかったモンはしゃーない。さ、どっからでもかかってきぃや!!」
 しかしそう言っておきながら、音々は相手がかかってくるのを待たずに動きだした。ライフルを向けている兵士の一人を、照準を定めてくる前に殴り飛ばしてライフルを奪う。
「武器ゲット〜!」
 と嬉しそうに叫び、天井やら周りの車やらに乱射する。
「く、狂ってやがる! 早く取り押さえるんだ!!」
 そう叫んだ兵士の前に、音々はツカツカと歩み寄り、
「狂ってるって、無茶苦茶言いよるなぁ……」
 ぼやくや否や、持っていたライフルで脳天を殴りつけた。と、そこで気がついたのだが、兵士の数が明らかに減っている。逃げたか、あるいは増援を呼びに行ったかは判らないが、あまり長居はしないほうが良さそうだ。
 剣を持って音々に斬りかかってきた兵士の一人の腕をひねり上げ、剣を奪って遠くに放り投げる。武器を奪われて死を覚悟したのか、愕然とした表情の兵士の首根っこを掴み、
「ダイトーリョーに言っときや。片桐音々が里帰りに来たってな!!」
 と言って凄むだけ凄み、後はその場に背を向けて全力で逃げ去っていった。

 駐車場の非常口から外に出ると、だだっ広い公園が広がっていた。
 よく目をこらすと、遠くの方にそびえる木々の間から、建物の光がちらほらと見て取れる。
(んー、とりあえずあっちの方へ行ってみよか)
 追手を気にしつつ、茂みの中に隠れるようにしながら音々は進んでゆく。案の定、数分もすると、音々を捜しにきた警備員だか兵士だか判らない連中が、懐中電灯をかたてにあちこちをうろつき始めた。
(……急いだ方が良さそうやな)
 小走りに茂みづたいに進む音々。なんとか見つからずに公園を抜けると、目の前に巨大な屋敷があった。つい先ほど、テレビで見たばかりの家だ。
「これが橘家……」
 自分の産まれた家かと思うと、つい言葉が口をついて出た。
 幸か不幸か、玄関も裏口も無い塀の前に出たようだ。横手に回れば入り口があるのだろうが、なんとなく面倒くさい。
(ええわ。この塀を飛び越そか!)
 周囲を見回して、まだ追手がここまで来ていない事を確認し、霊力を脚部全体に集中させる。
「よっ!と」
 小声で発したかけ声とともに、霊力で得た瞬発力を併用したジャンプで塀を一気に飛び越し、妙な感触とともに着地した。柔らかいような固いような、まるで生き物を踏んずけたような……
「痛い……」
「げっ!?」
 慌てて飛び退くと、そこに黒髪の少女が倒れていた。街灯のささやかな光でも充分に判る白い肌。
(まさか……)
 嫌な予感を覚えつつ、じっくりと観察していると、少女は鼻を押さえながらよろよろと立ち上がった。
「痛いです……」
「まさか橘花!?」
 少女はこくんと頷いた。が、
「痛い……」
 同じような事しか言わない橘花に、音々の苛立ちは早くも限界点に達した。
「ああもう一回言うたら判る!!」
 いきなり怒鳴った音々に、橘花は一歩後ずさった。が、音々はそんな事は気にせず、借金を頼む貧乏人の如く手を合わせ、
「痛かった? ゴメン!!」
 謝ってるんだか怒ってるんだか判らないような口調で、思いっきり頭を下げて拝み倒した。
「はい。もういいですよ、音々」
「ちょい待ち。なんでうちの名前をアンタが知ってんの?! うちら、これが初対面やろ?!」
「違うよ。音々が産まれた時、私も傍に居たから」
 そう言って、橘花はにこりと微笑んだ。
「……いや、そない言うたかて、もう二十年以上前の話やろ?」
「でも霊力の感じで誰が誰かは判ります。それに、この家の人はみんな私の子供ですから、みんな覚えてる。音々の事もよく覚えています」
「子供ねぇ。ま、確かにそうやわな」
 厳密に言えばひいひいひいひい…………孫という事になるのだろうが、いちいち数えていればキリがない。
「で、なんでアンタはこんなトコに居るわけ?」
「音々が来たから……」
「うちの霊力を感じたった事?」
 音々の問いに橘花は頷いた。
「む〜。よぉ判るもんやなぁ。で、どうすんの? うちの事、捕まえて華音あたりに突き出すんか?」
 この問いには橘花は首を振った。
「そんなことはしません」
「じゃあどないすんの?」
「は……」
 何かを言いかけて、橘花は口ごもった。音々は苛立たしそうにため息をつき、
「なぁ、どないすんの?」
 さっきよりも強めの口調で聞き直す。
「……は、話相手になってくれませんか?」
「話相手? ええけど、あんた友達おらへんのかいな。そうでなくても、家にはたくさんの人間がおるやろうに」
「私は嫌われてますから……」
 少しうつむき、寂しげに呟く橘花。黒い髪が、彼女の表情を隠すように揺れた。
 そんな橘花の頭を音々は優しく撫で、そしてぶっ叩いた。
「暗いやっちゃなぁ! そんなんやったら嫌われてもしゃーないやろ」
「……その通りですね。私もそう思います」
「あかんあかん!! そんなんじゃ何も変わらへんで。ん〜……」
 しばらく音々は考え込み、やがてポンと手を叩いた。
「よし決めたハイ決めたもう決めた!!!」
「何をですか?」
「うちとアンタとでお笑いコンビを組む。コンビ名は『コンソメパンチ』や!!」
「お、お笑い……ですか?」
 そのまま橘花は絶句する。
「せや、お笑いや!! お笑い言うても馬鹿にしたらアカンで。漫才もやればコントもやるし落語かてやる。相手を笑わせるためなら手段を選ばない真のプロフェッショナルによる総合芸、それがお笑いや!!」
 やたらハイテンションな音々と、まるで状況に付いていけていない橘花。
「……と、とりあえず私の部屋まで来ませんか?」
「違う! その発音はなってない!! お笑い芸人たるもの、関西弁を使えな話にならんで!!」
 いきなり怒鳴りつけ、橘花の眉間にチョップを喰らわせる音々。
「まず、『わたし』のアクセントは『し』のトコや!」
「わ、わたしの部屋まで来ませんか?」
「ん。まぁええやろ。んじゃ行こか」
 人目をはばかるようにしながら、二人は離れにある橘花の部屋へと向かった。離れは平屋だが、割と広めの和室が三室ある。
「ここに一人で住んでんの?」
 一人で住むには広すぎると思ったが、橘花はあっさりと頷いた。
「見た目よりは手狭ですから」
 ここで再び音々のチョップが炸裂した。
「違う!! 『ですから』じゃなくて『やから』や!!」
「は、はぁ……。見た目よりは手狭……やから?」
「む。よいよい」
 中に入ると、橘花が手狭と言った理由がわかった。三室のうち、二室までが、無数の本やCD・DVDの類で埋まっている。中には、今では過去の異物と貸したレコード盤もちらほらと見える。残る一室が、いわゆる橘花の私室らしい。
「これ、全部アンタのものなん?」
「はい」
 またチョップを喰らうことを恐れてか、余計な付けたしをせずに橘花は頷いた。
 橘花の部屋には、ベッドとテーブル、あとはかなり本格的なオーディオシステム一式、そしてそこに繋がれているゲーム機とそのソフトが置かれていた。テーブルの周りには本が積み上げられているが、純文学もあれば漫画本もあり、いまいち趣味が読めない。
「着替えはどこにあんの?」
「ベッドの下の引き出しの中……」
「ふーん……」
 生返事を返しながら、ゲームソフトを漁ってみる。ファンタジー系のロールプレイングゲームや恋愛シミュレーションゲームばかりで、アクションゲーム等の反射神経を要するものはまったくない。
「ひょっとして、橘花ってニブいんとちゃう?」
 その問いに橘花はしばらく考え込み、
「あんまり器用じゃないです」
 そう答えた直後、音々のチョップがまたもや炸裂した。
「『じゃない』やなくてぇ、『やない』って言うの!」
「……器用やないです」
「それでええんや。それにしても、俗っぽい部屋やなぁ……」
 あきれ口調で音々は呟く。これじゃまるで、オーディオマニアか何かの部屋みたいだ。置いてあるゲームの量もかなりのものだし、本の量はさらに多い。他の部屋には各種AVソフトが多数……
 そこで音々はある言葉に行き当たった。
「まさか、おまえはオタクかぁぁぁぁっ!?」
「はい。そうだと思います」
 照れ笑いを浮かべる橘花。なぜだか妙に嬉しそうだ。
「だって外には行かせて貰えませんから……」
「それを言うなら『行かせてくれへん』か『行かせて貰われへん』って言うんや。まぁ、それはともかくとしてやな……」
 何かがおかしい。橘花と言えば、言わば橘家のボスであるはずだ。それが「嫌われている」のはともかくとして、「話相手がほしい」だの「外へ行かせて貰えない」というのは妙だ。
 そもそも、元から変だとは思っていたのだ。橘花が権力を失ったという話は、前にどこかで聞いていた。だが、実際にそんな事が有り得るのだろうか? 精人としての力を失ったのならともかく、通常ならば逆らえる相手ではないはずだ。
「なぁ橘花ちゃん。アンタって、今の橘家ではどういうポジションにおるわけ?」
「……子離れされて一人ぼっちになった母親、ってところでしょうか。もう私なんて要らないって皆に言われたけど、皆の傍を離れたくないからここにしがみついているんです」
「よぉ判らんけど、クーデターみたいなモンでもあった訳?」
「そう解釈してくれても構いません。桜花に言われるままに『裁きシステム』を作り始めたんですが、なんだか嫌になってやめようとしたんです。そうしたら、その当時の当主たちに『あなたなんて要らない』って……」
「嫌になった、ねぇ」
 落ち込む橘花とは対照的に、音々はまだ納得できずに考え込んでいた。
「質問が二つある。まず、あのシステムを作ったのは、アンタや桜花らの帰巣本能を満たすためやったはずやな? そしたら、なんでアンタはそれが嫌になったんや? これが一つ目」
「その通りです。帰りたいという思いはずっとありました。でも、自分の子供たちが育っていくのを見るにつれ、この世界に愛着が湧いてきたんです。ふと気がつけば、その本能が薄れている自分に気がつきました……」
 言われてみれば、樹華もそんなことを言っていたような気がする。
「まぁええやろ。んじゃ次、あんた程の力があれば、橘家において権力を失うなんてことは無いはずや。逆らう奴にはお仕置きしてまえばいいんと違うんか?」
「そんな事しても、虚しいだけですよ……」
 そう答え、橘花は微笑んだ。どこか悟ったような寂しげな笑みに、彼女の生きてきた時間の長さと重みを、音々は感じていた。
「三つ目になるけど聞かせてくれへんか? 橘花ちゃんは、これから何をして生きてくつもりや?」
「そうですね。ここで、子供たちの盛衰を最後まで見定めようと思います。それが親としての責任でしょうから……」
「寒い人生やなぁ……。構へん構へん! んな責任、まったくもって必要ナッシング!!」
「でも……」
「やかましい!! アンタの人生、うちに当分預けてみ。さっきも言うたやろ、お笑いコンビ『コンソメパンチ』の結成や。ぐだぐだ言わんと、うちに万事任せとけばええんや。悪いようにはせぇへん」
 まるで詐欺師のような口調でまくしたてる音々。だが、やたらテンションの高い彼女とは裏腹に、橘花はうつむいたまま黙り込んでしまった。音々はそんな橘花のあごを掴み、ぐいっと上に引き上げる。
 そしていきなり口づけをした。
「んっ?!」
 橘花は驚いて払い除けようとするが、音々はそんな橘花を強く抱きしめて話さない。
「コンビ結成を祝して、誓いの盃代わりのチュウや。四の五の言わんと、うちに着いてこい! 外も結構オモロイで!!」
 しばらく呆然としていた橘花だったが、やがて我に返ると、ゆっくりと深く頷いた。
「よっしゃ、これでアンタはうちの相方で相棒や。うちがコンソメパンチの『コンソ』で、アンタが『メパンチ』。はい決定!!」
「な……なんだかそれ、凄くイヤです!!」
「んじゃうちが『コンソメパ』で、アンタが『ンチ』でええんか?」
「それも嫌ですっ!」
 露骨にいやがる橘花。だがそんな彼女の様子に、音々はニヤニヤと笑っていた。
「よっしゃ。初めてにしてはなかなかナイスなツッコミや。ええ感じやねぇ……」
 そう言うと、満足そうに橘花の髪の毛を乱暴にかき乱した。
「ほんじゃ、さっそくデビューと行こか! さっそくネタ合わせや……」

 突然起きた爆発音に、橘家中が騒然としたのはそれから十分後のことだった。
「何が起きているの!?」
 耳鳴りで痛む頭を押さえながら、華音は誰にともなく大声で尋ねた。
「橘花様の庵が爆発した模様です!!」
「さっき言っていた侵入者の仕業か……!」
 咲夜家との戦争が、完全勝利に近い形で終結した今、橘花の存在価値は無いに等しい。しかし、桜花の生死が定かでない以上は対抗できるカードを残しておく必要はある。
「賊の発見と、橘花様の救出を急げ! 私は庵へ向かう!」
「はっ!!」
 華音の号令の下、側近達が一斉に散っていった。
 橘花の住む離れの前には、既に大勢の人間が集まっていた。燃えさかる炎を消すべく尽力しているが、なかなか火勢は収まりそうにない。
「くっ……このままでは空気が……」
 気密の保たれている各エリアだが、それは同時に換気が困難であることにも繋がる。換気用の圧縮空気の備蓄は充分にあるが、しばらくは旧地区全体が煙臭くなってしまうことだろう。
 考えているうちに再び爆発が起きた。
『チャンチャカチャンチャンチャンチャンチャ〜〜ン!』
 そして、どこかで聞いたようなメロディを奏でる、どこかで聞いたような二人の声。
「何事だ!?」
 動揺していたのは華音だけではなかった。辺りの者はみな、声の主を捜すようにキョロキョロと辺りを見回している。
 その時、炎の中に小さな竜巻が起きた。竜巻は炎を吹き飛ばし、その中心に並んで立っていた二人の姿が皆の目にくっきりと映った。言うまでもなく、音々と橘華である。
「き、貴様はっ!! 」
 華音の反応など気にせず、向かって右に立っている音々は右手を、左に立っていた橘花は左手を、それぞれ拳を握って前に突き出す。
『コンソメぱーんち!』
 三度目の爆発が、二人の背後で起きた。
「いやいやいやいや、ついにやって参りました初舞台。こんなに大勢のお客さんに来て貰えて、新人お笑い芸人冥利に尽きるってモンですなぁ」
「はぁ。そうでんなぁ」
「ま、これもひとえにうちの人徳って奴やと思うんやけど、アンタはどう思う?」
「はぁ。そうでんなぁ」
「そう言えば自己紹介がまだでしたなぁ。うちら二人で『コンソメパンチ』。うちが『コンソ』でこいつが『メパンチ』」
「そ、それ、イヤやって言うたやないですか!」
「んじゃ、うちが『コンソメパン』でアンタが『チ』」
 華音のすぐ横にいた術者の一人がぷっと吹き出した。
「そ、それもイヤ!!」
「しゃーないなぁ。んじゃうちが『コメパンチ』でアンタは『ンソ』な」
「むっちゃ判りにくいやないですか!!」
 橘花が音々の頭にチョップを入れた。
「まぁ自己紹介はその辺でいいとしてや」
「は、はぁ。そうでんなぁ」
「貴様らぁぁぁっ!! そこで何をしている!!」
 華音の怒号が、辺りに響き渡った。
「なんや、これからが面白いトコやのに……」
 ニヤニヤと笑いながら音々が答える。
「貴様が侵入者か……! これだけの事をしておいて、ここから逃げられると思うな!!」
「里帰りやん、おねえさまーん」
「きっ、貴様に姉呼ばわりされる覚えはないっ!!」
「いやーん、冷たいわーん……」
 音々は腰ををクネクネと動かしている。どうやら、しなを作ってるつもりらしい。
「……あの馬鹿女を捕えろ!! 殺しても構わん!!」
「数を揃えれば勝てる思うんか? うちに神霊術が効かへんのは、前の時によぉ判ってるんとちゃう?」
 そう言って音々はにんまりと笑う。
「くっ……あの、宇宙風水なんとかという術か……」
「宇宙風水? 何それ?」
「とぼける気か!」
「んー……? 覚えてへんけどなぁ」
 音々が頭を抱えていると、二人を取り囲んでいた術者の一人が何かの術を放った。その術に対し、音々は背後で燃える炎を用いて精霊術を発動させる。
「紅の大砲!」
 二つの力がぶつかりあい、相殺しあって消えた。
「そ、それが宇宙風水なんとかじゃなかったのか!」
 華音が叫ぶ。
「……あぁ、なんか言った覚えがあるわ。そんなダサい名前はどうでもいいからよく覚えとき。これは、うちら人間が神霊術に対抗するために編み出した術、その名も精霊術や!!」
「精霊術……」
「ちなみに、こういう事も出来るで」
 意地悪く微笑み、音々は術を発動させた。
 だが、何かが起きる気配はない。
「ふん! こけ脅しか!!」
「あんまり叫ばん方がええで。酸素がもったいないから」
「な、なんだと……?」
 そこで華音は異変に気付いた。妙に息苦しい。いくら炎のせいで酸素が消耗してきているとは言え、まだまだ余裕はあるはずだ。
「アンタらの顔の周囲に、空気の流れを止めるための膜を作ったんや。ま、完全密封の金魚鉢をかぶってるようなモンやな」
「きっ、きさ……ハァハァ」
 酸素が足りないせいか、だんだん意識が朦朧としてくる。視界がだんだん暗くなり、
「んじゃ、うちらは帰るから。ばいばーい!」
 やけに陽気なその声を最後に、華音は気を失った。

To be continued.
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