Moonshine <Pray and Wish.>
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Episode 05 瓦礫に埋もれた楽園


  何もかもを無くした人達?
  否、残されたものはある。
「英雄譚の始まる日」


 西暦2023年11月28日、火曜日。12時05分。
「師匠ぉ……」
 既に義手を切り落とされ、残った左手に刀を握って小十郎は立ち上がった。
「僕があなたを止めるっ!!」
 最後の力を振り絞り、相打ち覚悟で拓也へと突進する。
「無駄だ」
 小十郎の突き出した刀を拓也はあっさりとかわし、自らの刀の柄で小十郎の後頭部を殴りつける。もはや声を発するまでもなく、小十郎はその場に崩れ落ちた。
 その光景を、晃司は地面に這いつくばって見ていた。すぐ隣にはもはや外界のことなど意識しようのない香織が、義体を抱きしめながら幸せそうに笑っている。
 義体は香織を振りほどこうとしてはいるが、理性を失っている香織から逃れきれずにいる。漣はシェラにナイフで足を刺され、気を失ってしまった。おそらくは出血か痛みから来るショックだろうが、放っておけば失血死しかねない。すぐにでも手当が必要だというのに、四肢がマヒして動かない。これもシェラの術のせいだ。漣の意識がないのなら桜が表に出てこれそうなのだが、その兆候もない。
 もはや策も尽きた。シェラの暴走を止めることも、拓也を正気に戻すこともできないまま、自分たちはここで殺されるのだろう。
 自分の無力さに、ふと涙がこぼれた。圧倒的な力の前に、自分のなんと矮小なことか。どんなにあがいても、まるで通用しない。どうにも変えられないのならば、もう死んでしまっても構わない……
 拓也は刀を握ったまま、ゆっくりと晃司へ近づいてくる。その背後ではシェラが妖艶な笑みを浮かべている。
 すまない、拓也。
 もはや声をだす気力もない。
「あなたはあの女の弟です。ならば死ぬべきです」
 シェラの冷徹な言葉が聞こえる。
 家族同然だった一族を、一夜にして皆殺しにされた、可哀想なシェラ。あの時、理沙を止めることができていれば、こんな事にはならなかったのに。
 ごめん、シェラ。
 全てが自分の責任のように思えてくる。小十郎はまだ生きているのだろうか。生きていたとしても、自分の後で殺されるのだろう。香織も、義体とその中に宿っている人格も、愛する漣も。何一つ変えられなかっただけじゃなく、何一つ守れやしない。
 晃司の傍で拓也は立ち止まった。そして、晃司が仰向けになるように爪先で乱暴に転がす。
(このまま殺されるのか……)
 真下から空を見上げながらそんな事を考えていると、拓也と目があった。その拓也の顔に、悲しい表情が浮かぶ。それに何かの違和感を感じた直後、拓也は刀をゆっくりと


 西暦2023年11月27日、月曜日。23時20分。
 晃司を始めとする一同は、大阪地区にある彼の住居に集まっていた。今は各自が、小十郎が昼間集めてきた『黒い魔人』に関する資料に目を通しているところである。
 資料と言っても、ほとんどが小十郎が街の人間に聞いた噂をメモしたものがほとんどだ。あとは不定期に発行されている非公式の情報誌が数冊。月政府による情報統制は未だに続いているため、公式情報はあてにならない。
「正体を知れば、確かに納得はいくけど……」
 三郷で世間から離れた生活を送っていた香織とは違い、晃司や小十郎は『黒い魔人』について、噂程度は耳にしていた。彼はここ半年少しの間に姿を見せ始め、自治領軍をたった一人で壊滅させ続けているのだという。またある時は、その左腕に黒ずくめの女性を抱き、右手に握った刀で自治領軍の兵士を皆殺しにしていた、とも聞いている。だがその正体については、どこかの反政府ゲリラか何かの類が、自分たちの活躍を喧伝するために流した噂だろうとタカをくくっていたのだ。事実、そういう話はたくさん耳にする。
 その名前の由来は、どうやら奈良地区に伝わる民間伝承らしい。ある山に黒い鬼が住み着き、たくさんの侍を喰い殺した。それを白拍子だか巫女だかが調伏した、とかそんな話だ。『黒い魔人』が最初に出没したのが奈良地区近辺だったこともあり、その伝承と拓也のイメージがだぶったのだろう。
 『黒い魔人』は月に一〜二回ほど出没し、自治領軍を壊滅させているのだという。出没場所は広範囲に渡り、先日は新潟地区の方に出没したとの情報もある。
 その正体を知る事になった三郷付近での一件で、進攻中だった自治領軍は拓也の手によって壊滅し、結果として三郷はひとまず安泰ということになった。あれだけの規模の部隊を失ったあとでは、自治領軍もそう簡単には動けないだろう。
 そして今は、義体の設計者である風間の許を訪れる道中、晃司と漣が暮らしている雑居ビルへ立ち寄ったのである。皆が疲れていた上、もともと晃司達は荷物を届けるために三郷を訪れていたので大した用意はしていなかったためだ。
 改めて調べてみると、噂の誇張ぶりがすさまじかった。人を喰うだの悪魔の生まれ変わりだのといったありふれたものから、殺された咲夜家の人間達の怨霊だとか、咲夜家が秘密裏に開発していた人間型兵器だとか、挙げていけばキリがない。間近で目撃した人間は片っ端から殺されているので、遠目に見た人間しか居ないというのも、妙な噂が広がる原因の一つだろう。
「どうするんすか? 晃司さん」
「……どうもしないよ。どうにも出来ない」
 小十郎の質問に対し、ため息混じりに晃司は答えた。
「拓也達の動きが掴めないから、こちらから手出しは出来ない。それに、あいつが自治領軍に敵対しているのなら、少なくとも僕らの敵ではないはずだ。何より僕らには、風間さんに会いに行くという目的もある。あいつらにかまっている余裕はないね」
「そりゃそうっすけど……」
 とは言うものの小十郎はそれ以上何も言えない。晃司の言っている事は確かに正論だ。理に適っていて隙がない。
「ところで小十郎君。風間さんの様子はどうだったんだい?」
「相変わらず老け込んでましたよ。人生を諦めにかかったサラリーマンみたいに」
 小十郎と三郷で会った時、彼は「京都に行っていた」と言っていた。晃司が知る限り、小十郎が京都に行く理由は、京都にいる風間に会いに行く以外にはない。
「そうか……まだ立ち直れないのか……」
 風間の咲夜家への反抗もむなしく、祈りシステムと裁きシステムは発動した。その結果、多くの街が瓦礫と化した。風間の落胆ぶりと自戒の念は激しく、妻の洋子の身柄を奪われた事も加わり、今では月政府の勢力下で従順に働いている。そうすることが復興への近道だと、彼なりに判断したのだ。
 牙は折れた風間だったが、晃司達との親交が途絶えた訳ではない。おおっぴらにではないが、色々と協力もして貰っている。とくに小十郎は、義手のメンテナンスのため、まめに風間の元を訪れているのだ。
「とりあえず今晩はゆっくりと休もう。出発は明日の朝だ」
「今すぐよ! 今すぐにでも、詩織を元通りにしたいのよ!!」
 香織がほとんどわめき声のような叫びをあげる。
「……判った。今すぐに行こう」

 風間が所長として勤務している研究施設は、旧咲夜本家の敷地内にある。主な研究内容は祈りシステムの解析。と言うより、それしかしていないと言った方が正しい。当然監視の目も厳しいのだが、風間が所長としての権限を悪用しているおかげで、晃司や小十郎は容易に訪問することが出来た。さすがに香織は面が割れている懸念があったので、漣と一緒に車中で待機している。深夜とは言えども自治領政府の膝元だから、用心に越したことはない。
「またやっかいなモンを持ち込んできよったなぁ……」
 私室に持ち込まれた義体を一目見るなり、風間は開口一番にそう言った。
「風間さん、この義体、直ると思いますか?」
「機構そのものはな。けど、それだけやったら美咲ちゃんが納得せぇへんのやろ?」
「ええ……」
 香織はこの義体に詩織が宿っていると頑なに信じている。と言うよりも、それが彼女にとっての生きる希望にも等しい。詩織の意識が回復するのか否かが問題なのだ。
「とにかく調べてみよか。晃司、適当に接続しといてくれ。腕とかのスペアパーツは残ってるやろうから、俺はそいつを捜してくる」
「判りました」
 私室とは言え、設備はかなり整っている。異常箇所の調査やソフトウェアレベルのメンテナンスだけでなく、ハードウェアの修復もある程度なら可能なほどだ。これは所長である風間の部屋だけではなく、研究員の私室の大半に同等の設備が揃っている。それだけ祈りシステムの研究に対し、政府が力を入れているという事だ。
 しばらくして、風間が無数のパーツを台車に積んで戻ってきた。
「まずは腕の付け替えからやな……」
 そうして二時間後、義体の部品交換はおおむね終了し、少なくとも外見だけは元通りの状態にまで復元された。
「さて、外が終わったから次は中身やな」
 風間の手が、キーボードの上を巧みに滑る。
「……ん? んん……」
 一人で悩んだり納得したりしながら、次第に風間の動きに熱がこもっていく。
「見てみぃ、晃司」
 そう言って風間は、端末のディスプレイを指さす。
『Soul Code : Shiori Sakuya』
 そこには、この義体に宿っている存在が詩織であることを告げる文面が表示されていた。
「憑依機構も正常に動作してるな……バグでも無いようやが……」
「じゃあ、本当にこの義体には詩織ちゃんが?!」
「それは目覚めてみないと判らん。ただな……専門的な部分は判らんやろうから簡単に説明するとやな、正常な詩織ちゃんの存在以外に、何か違うものが混じってる。ノイズの類にしては複雑や」
「詩織ちゃんが目覚めないのはそれが理由なんですか?」
「質問ばっかりやなぁ。関連はしてるが、直接的な理由やない。とりあえず、OSをいったん初期化して入れ直せばなんとかなるやろ」
 再び風間の手が端末へと伸びる。
「晃司、メンテナンスハッチの右隅に赤いスイッチがある。それを押しっぱなしにしててくれ」
「はい」
 言われるままに晃司はスイッチを押した。
「そいつは外部からのデータ書き換えを許可するためのスイッチや。今からOSをインストールし直す。スイッチを離した段階で、内部データに変更があれば義体のシステム全てに再起動がかかるようになっとるんや」
「へぇ……」
「よし終わった。離してもええで」
 晃司が手を離すと、義体の内部から微かな高音が聞こえてきた。
「内部で霊子結晶が活性化している音や。もう少ししたら目が覚めるはずやから、外の美咲ちゃん……じゃなくて香織ちゃんか。あの子らを呼んでこい。裏口からやったら問題ないやろ」
 そして、晃司が香織らを呼んで戻ってきたのとほぼ同時に、義体が上半身を起こした。
「ここは……?」
 呟きつつ、彼女は焦点の合わない目つきで、周囲をぐるりと見回していた。
「詩織!! 詩織っ!!」
 香織が飛び出し、義体にしがみつく。
「詩織……! しおりぃ……」
 泣きじゃくりながら、義体の胸に顔を埋め、香織は詩織の名を呼び続けた。
「……しおり……」
 その名を無感動に呟きながら、義体はゆっくりと香織の身体を引き離した。
「えっ……?」
 香織の顔に、明らかに失望の色が浮かぶ。
 そして、彼女は言った。

「拓也さんに逢いたい……」

「君は……詩織ちゃんなのか?」
 おそるおそる、晃司が尋ねる。
「判らない……頭が混乱していて、何も思い出せないんです。ずっと暗闇の中にいて、何も見えなくて、聞こえなくて。でも、ずっと拓也さんに逢いたいと思い続けてました。そしてもう一人、逢うべき人が居る……」
「もう一人?」
「判らない……何も、何も判らないんです……」
 そこで風間が手をパンパンと叩いた。
「話はそこまでや。目覚めたばかりの彼女に負担をかけるのは良くないやろ」
「待って。風間さん」
 漣が手を挙げ、返事を待たずに義体の許へと歩み寄った。
「はじめまして。江藤漣です。拓也は私の兄です。好きな食べ物はハヤシライスで、嫌いな食べ物は塩辛です」
「えっと……」
 唐突な会話にとまどう義体。そんな義体の瞳を、漣はまじまじとのぞき込んでいた。
 そしてニコリと微笑む。
「必ず、兄さんの所に連れて行ってあげる」
「あ……」
 義体は、目覚めてから初めて微笑んだ。
「……ありがとう」

 義体だけを残し、一同は施設の片隅にある休憩所でテーブルを囲んでいた。
「結局、あれは詩織じゃ無かったってことよね……」
 諦め気味に香織が呟く。
「どうだろう? 詩織ちゃんじゃなかったのなら、どうして拓也の名前を知っていたんだい?」
「記憶喪失ってこと? あたしのことは忘れてても、あの人殺しのことはしっかりと覚えてるってわけ!?」
 晃司の言葉に、香織がくってかかった。が、風間は「うーん」と唸りながらも頷いていた。
「可能性は高いな。そしたら、あの正体不明の混じり物が原因か……?」
「……あの人は私と似てる」
 ぼそりと漣が呟いた。
「似てるってどういうことだい?」
「一つの身体の中に、二人いるの。でも、二人合わせてちょうど一人分くらい」
「他の魂と混じって憑依してるってことか!? んな事があり得るんか!?」
 風間が否定するかのように大声をあげた。が、漣は静かに頷いた。
「だって、詩織さん用の義体に宿る事の出来た人が居た。その人なら、そういう事が出来てもおかしくないと思う……」
「そうか!瑠璃奈だ!」
 晃司もその可能性に気付いたようだった。
「元々義体には、瑠璃奈が宿っていた。そこに詩織ちゃんも宿ろうとして、二人の魂が混じってしまった。そう考えればつじつまは合う!」
「それはこじつけや! 人間の魂なんてそんなに簡単に計算できるモンやない!」
「……魂は生きてるから。意志を持ってるから。だから私もここに居られるから。だから……」
 漣が言う。確かに彼女の身体には、桜と漣の二人分の魂が宿っている。ここに一つの実現例がある以上、風間もそれ以上は言及できなかった。
「でも、私たちは合わせると二人だけど、あの人は合わせて一人分にしかならないの。もう一人分は……」
「『祈りシステム』で精人化したときに自分を制御しきれず、消滅した……と考えるのが一番無難だろうね」
 晃司がため息をついた。
「それでも詩織が生きている事には違いないんでしょ!?」
「でも、彼女は僕らの知っている詩織ちゃんとは違う。そう考えるべきじゃないかな。たとえ拓也の事は覚えていたとしてもね……」
「わかんない! そんなの、わかんないよ……」
 吐き捨てた言葉の語尾は弱々しく、香織はうつむいて嗚咽を漏らし始めた。
 誰もが戸惑っていた。今、目の前にいる存在は詩織なのか、あるいは瑠璃奈かまったく別の人格か……これまでにないケースだけに、どう解釈していいものかどうかが判らないのだ。
 誰もが言葉を失っていた中、漣がぽつりと呟いた。
「彼女を、兄さんが見たらどう思うんだろう?」
「拓也か……」
 その名を呟き、晃司は考え込んだ。
 今の拓也の狂気は詩織の死に端を発している。そこにシェラが付け込んでいるのだから、僅かでも可能性があることを知らせられれば……
「拓也? あいつ、生きとったんか?!」
「あ、ええ。それが……風間さん、黒い魔人って知ってますか?」
「あぁ、名前くらいはな。まさか、あれの正体が樹華の息子や言うんか?!」
「そのまさかです」
 ため息混じりに答える晃司。
「ついでに言えば、シェラの操り人形になっちゃってますよ」
「シェラ嬢ちゃんか……峰誼家が皆殺しにされたってのは聞いたが、むぅ……」
 倭高専在学中のシェラは、風間家の居候として共に暮らしていた。音々や漣ともうまく馴染んでいただけに、風間にとっても他人事ではない。
「可哀想だとは思うが、今の俺には何もしてやれんなぁ……」
 がっくりと肩を落とし、風間は手近な椅子に座り込む。そんな風間に晃司が詰め寄り、胸ぐらを掴んで強引に引き寄せた。
「風間さん! 事態はまた動き出してるんですよ!! いつまでこんな所でくすぶっているつもりなんですか!!」
 叫ぶ晃司の手を引き剥がし、風間も怒鳴り返す。
「仕方ないやろが!! 洋子を人質に取られて、何が出来るいうんや!?」
「助け出せばいいと、昔の貴方なら言いましたよ!!」
「春日の爺さんが死んだ今、俺に何が出来る!?」
 風間がブレインで、春日が手足。二人は長年、そうやってシステムの周囲を暗躍してきた。だがその片方は既に亡く、その目標も失敗に終わった。
「貴方は祖父に会う前から、既に事を起こしていたじゃないですか!」
「やかましい!! 俺はそもそもあのシステムを壊したかっただけや! それが失敗した今、俺にはもう力は無い! だったら、自治領の復興に手を貸す方がマシや!!」
 復興という一言に、晃司は返す言葉を失った。
「いいか、今の自治領を立て直すために最短の道はなんや? 理沙の率いる現行政府を倒す事か? 違う! これ以上の波風を立てないよう、そして領民の生活を安定させることや!!」
「でもそのために、咲夜家の人達を悪役に仕立てて皆殺しにしようとするのは間違っている!!」
「この事態を引き起こした連中を糾弾するために、スケープゴートは必要やろが!」
「……それが貴方の本音なんすか。風間さん!」
 それまで事態を傍観していた小十郎が、拳を握りしめて風間を睨み付けていた。
「貴方は姉が咲夜家から抜けるために協力してくれた。咲夜家の人間である僕に、こんなにいい義手も用意してくれた。貴方は、家系ではなく人間そのもので人を見る人だと思っていたのに……」
「……俺個人としては今だってそう思ってる。けどなぁ、大衆には仇が必要なんや!」
「もういい!!」
 晃司が絶叫にも近い声をあげた。
「僕はこれ以上、貴方に失望したくないんです」
「すまんな。『村』への支援が、今の俺に出来る精一杯や……」
 それ以上は会話もなく、一同は風間の研究所を離れるほかなかった。

 晃司達が部屋に戻った頃には、既に空が白み始めていた。
 漣は義体を伴って食事の準備に取りかかり、他の皆はそれぞれに身体を休めている。しかし、その表情は一様に重い。
 これから先の方策を考えてみる。拓也と義体とを引き合わせるとして、だからどうなると言うのだろうか? 風間の言うとおり、今の自治領をいい方向へ向けるためには、理沙に協力するのが良いのかもしれない。
(けど、あいつは僕の友達だ……)
 そして今、その友達が苦しんでいるのを助けてやりたいと思う。かつて、友達であるはずの拓也を利用しようとしていたのは事実だ。その借りをここで返したい。
 その時、小十郎の持っている携帯電話が音を立てた。メール着信だったらしく、小十郎は電話機を片手でちまちまと操作している。
 だが、そのメールを読み進めるにつれ、その表情は険しいものへと変わっていった。
「晃司さん、やっかいな事になりましたよ……」
「どうしたんだい?」
 晃司の問いに対し、小十郎は小さく深呼吸をしてから、つぶやくように答えた。
「自治領軍が……『村』へ侵攻を開始したらしいっす」
「村? さっき、風間さんも言ってたけどなんの事?」
 言葉の意味が判らない香織が尋ね返す。
「……狩りから逃れた咲夜家の人達が、一所に集まって隠れ住んでいる村があるんだ。樹華さんの力で、自治領軍が使うセンサーには引っかからないはずだったんだけど、とうとう見つかったらしいね」
「まさかあいつ、密告したんじゃ……」
 香織の言葉に、晃司は首を振った。
「それはない。それはないと思いたい……」
 少年時代からずっと共に過ごしてきた、兄とも父とも思っている男が、そんな男だとは思いたくない。
「場所はどこなの?」
「奈良地区南部の山の中だよ」
「京都の基地から出撃したらしいすから、今から急いで戻れば間に合うじゃないすか!!」
「……行こう。みんなを放っておく訳にはいかない」

 不眠不休で車とバイクを走らせて『村』に到着すると、咲夜家の人間が一同に集まって陣を張っていた。術が使える者を中心に据えて守るようにしつつ、それ以外の者が各々に武器を手にしているの。咲夜家の者は女性の方が霊力が強いため、術者の女性を武装した男性が守っているとも言える。
 術者の一人が、小十郎の許に駈けよってきた。
「おかえりなさい小十郎くん!」
 この村でのリーダー格である小十郎の帰還に、その術者は安堵の表情を浮かべた。晃司も何度か顔を見た事がある。たしか咲夜美樹という名で、術者グループのまとめ役だったはずだ。
「晃司さんは、他の皆さんを僕の部屋に連れて行って休ませてあげて下さい。美樹、現在の状況を報告してくれ」
「はい!」
 話し込んでいる二人を横目で見つつ、晃司は再び車を走らせた。散り散りになっていた咲夜家の人間を集めて回り、こうして村としての体裁を整えるまでに至ったのは小十郎の功績が大きい。むろん、樹華によるセンサー回避や風間の支援があってこそだが、その協力を取り付けたのは小十郎だ。
 目標と住む所を一度に失い、自治領中から追われる立場になった現在の咲夜家において、小十郎が実質的な中心人物となっていったのも当然といえるだろう。最近ではその若さに似合わず、風格さえ感じるようになってきたと晃司は思う。
 村が発見された時に備え、樹華からの指示は受けていた。まず、樹華の施した結界を突破して、センサーによって村内の術者が発見されることはありえない。発見される要因があるとすれば、咲夜家当主クラスの術者によって結界そのものが発見されるか、そうでなければ内通者による情報漏洩や目視による発見の術以外の要因だ。
 だが前者は、橘家当主の霊力は単独では咲夜家当主より劣るため、詩織が行方不明になっている現在、可能性としては極めて低い。内通者の可能性は否定できないが、最も高いのは単純に発見されたというケースだろう。
 この場合はどうするか? 逃げるのである。樹華による結界はこの地だけではなく、自治領各地に点在して施されているのだ。その場所は晃司と小十郎、そして桜だけが知っている。したがって、自治領軍の侵攻に対し、小十郎たちがとるべき戦術は可能な限り戦わずして撤退することとなる。
 それにしても、実際に咲夜家の人間と接してみると、それまで彼女らに対してやはり偏見の目を持っていた事を思い知らされた。いや、桜花を頂点とした強固なプラミッド型タテ社会であることには違いなく、ある種の宗教色も強いのだが、それはあくまでもピラミッドの上層を中心とした話だ。彼女らは産まれた頃からそういうシステムに組み込まれて育てられてきたものの、下層の術者やその他の人間たちになればなるほど外界への憧れが強い傾向がある。
 その典型的な例が小十郎だ。術者としての才覚には恵まれなかった上に、女系一族である咲夜家において彼の立場は限りなく底辺に近かった。咲夜家が一族専用の教育機関を有している事は晃司も知っていたが、そこでは霊力の強さによるクラス分けと、露骨な女尊男卑が平然と行われている事を聞かされた時は嫌な気分になったものだ。
 だが、そういった背景があったからこそ、皆の不満も溜まっていた。寮を抜け出して繁華街へ遊びに行ったり、所有の禁止されているテレビやラジオを持ち込んだりするにつれ、外への憧れは強まっていく。
 今こうしてこの村に集まっている、咲夜家から離反した者の大多数が、そういった想いを抱いていた若者たちである。年配の者は咲夜家への忠義心か信仰心か、桜花を捜して散り散りになっていった。そして、自治領軍に捕えられる咲夜家関係者の多くは、そういった者たちだ。
 支配力が強力過ぎて咲夜家から逃れることは叶わぬものの、それが無くなった今となっては、どこにでも居るような若者たちに過ぎない。咲夜家で虐げられてきて、今も追われる立場にあるからこそ、結束は強い。
 漣たちを小十郎の部屋へ残し、晃司が小十郎の所へ戻ると、先ほどまで集まっていた者たちが居なくなっていた。
「二時間後に避難開始っす。今、大急ぎで撤収作業中すよ」
「小十郎君は準備しなくていいのかい?」
「僕はいつもあちこち飛び回ってますからねぇ。あまり荷物を持たないようにしてますから」
 少し疲れたのか、地べたに座り込んで小十郎は言った。
「そうだったね。それにしても二時間じゃ、休んでる暇もないな」
「かもしれないっすね。けど、香織さんと義体の事はまだ伏せておいた方がいいかと思って……」
 かつて咲夜家の次期当主候補だった美咲と詩織。美咲は香織と名を変え、詩織は義体に宿っている状態で、昔の記憶もなければ本当に詩織なのかどうかも判らない状況だ。とは言え、かつて支配者階級に位置していた者の登場は、村の皆に動揺を招きかねない。
「そうか。そこまでは気が回らなかったな」
「移動はトラック中心になりますし、その時のお二人は晃司さんの車っすからね。次の村に到着してから、みんなに事情を説明しますよ」
 それを聞いて晃司はしばし考えこむ。
「……二人が皆から嫌われていた、って事はないかな?」
 詩織は人当たりが良さそうだからあまり心配していないのだが、香織の方には少々不安がある。
「多少の先入観は持たれてるかもしれないっすけど、その辺はなんとかなると思うんすよ。それよりもむしろ詩織さんの方が……」
 そこで小十郎は言葉を濁した。
「詩織ちゃんが、なんだい?」
「……『光の夜』っすよ」
 その言葉を聞いて晃司も納得した。詩織はある意味で「光の夜」を引き起こした張本人とも言える。それを小十郎は危惧しているのだ。
 詩織がシステムを発動させなければ裁きシステムの放出したエネルギーの直撃で、さらに事態は深刻になっていただろう。だがそういった事は、あの場所にいた当事者たちしか判らない事だ。その辺りの事情を判っていたからこそ晃司は、詩織に対して村の者たちが悪印象を持っている可能性に思い至れなかったのだ。それに気づいた小十郎に対し、晃司は素直に感心していた。
「その辺をどう説明するかが、悩みどころっすね……」
「……僕も考えとくよ。でも最悪の場合、逢わせないままに立ち去った方がいいのかもしれない」
 それはとても寂しいことだとも思うのだが。
「晃司さん、戦闘要員の配備はどうしたらいいと思います?」
「三割を先頭、六割を殿に配備。地理を考えると側面からの攻撃は無いと思うけど、念のために一割を中央辺りに。僕らは最後尾が無難だろうね」
「了解っす。そういう風に手配しておきます」

 それからきっかり二時間後、撤退が開始された。目的地は三重地区の鈴鹿山脈。移動手段は大小さまざまな車種が入り交じった多数のトラックが大半で、他には各自が所有している乗用車やバイク等がちらほらと見られる程度だ。
「偵察班が仕入れてきた情報では、軍の到着は昼頃だって話っすからね。このペースなら楽勝で逃げきれますよ」
 バイクに乗った小十郎が、晃司の乗る運転席の窓越しに話しかけてくる。
「僕もそう思うけど油断は禁物だよ」
 かつては交通量も多かったであろう、森を一直線に突っ切る幹線道路。発見はされにくいのかもしれないが、奇襲を受けやすい地形であることも確かだ。
「そりゃそうっすけど……」
 そんな会話を交した数十分後。彼らはまったく予想していなかった事態に遭遇する。第一報をもたらしたのは、先頭集団に居たはずの美樹だった。スクーターで逆走してきた彼女は、小十郎に併走するようにUターンし、開口一番後叫んだ。
「小十郎くん!! この先で戦闘が!!」
「戦闘? いったい何が……」
「判らないの……片方は自治領軍の偵察部隊みたいなんだけど、三人を除いて全滅しちゃってる。でも、そのうちの二人が……」
 そこで美樹は口ごもった。
「二人が?」
「……志帆さんと由香さんなの」
「姉上が!?」
 小十郎が驚きの声をあげた。美樹がつらそうに頷く。
「その相手は二人。男一人女一人で、二人とも黒い服で、まるで……」
「黒い魔人!! 晃司さん!!」
 窓越しに晃司に呼びかけると、晃司は複雑な顔で頷いた。
「あぁ、聞いてる。美樹ちゃん、前にいる連中に後退命令を出すんだ。僕らも……今すぐ行く!!」
 そうして晃司らが駆けつけた時そこに立っていた五人の人間は、皆が晃司の見知った顔だった。拓也、シェラ、志帆、由香、そして
「姉貴!?」
 江藤理沙がそこにいた。
 拓也と理沙は、それぞれが刀を手に向かい合っている。
「晃司、アンタが咲夜家に絡んでいたとはね。」
 そう言う間も理沙は、拓也から視線を離さない。
「でも正直言ってね。今回の目的は咲夜家なんかじゃないの。あたしが用があったのは、こいつよ。ま、ちょうどいい所に来たじゃない。これからこいつを殺すから」
「らしいぜ、晃司」
 前に逢ったときと同じように、拓也は左右の手に一振りずつの刀を握っていた。そのうちの一刀の切っ先を理沙へと向ける。
「そう拓也さん。その女を殺す、です」
 唇を噛みしめ、憤怒の形相で理沙を睨み付けていたシェラが絞り出すような声を出す。
「あぁ判ってるよ詩織……」
 拓也が行動に移ろうとする寸前、
「拓也!! 詩織ちゃんはここにいる!! お前の側にいるのはシェラだ!! 詩織ちゃんじゃないんだよ!!」
 晃司は叫んだ。そして義体の手を引っ張って、拓也に見えるようにその姿を見せる。
「詩織……?」
 拍子抜けしたように拓也がその名を呟き、切っ先を下げる。
「拓也さん……」
 義体は晃司の手から抜け出し、拓也の方へと一歩ずつ近づいていく。だが、二人の間に理沙が立ちはだかった。
「感動の再会をしたければ、あたしを殺してからにしなさいよ」
「理沙……殺す……」
 再び拓也が刀を構え、そして二人が同時に動いた。

 それとは少し離れた所で、志帆と由香、そして小十郎が向かい合っていた。
「姉上、どうして自治領軍なんかに……」
 顔面を蒼白にしながら、小十郎が尋ねる。
「これがこの地域にとって、一番いいと判断したからよ。戦争はもう終わったのよ。あとは敗者に制裁を下すことで責任を押しつけると同時に民衆に判りやすい善悪の構図を作り出し、その後はカリスマ性を備えた英雄の元でこの地域は統治されるべきだわ!! 」
「姉上、貴方は間違っている!! 間違ってる……」
 そう叫びながら小十郎は涙が止まらなかった。
「それじゃ、桜花とやってることが同じだよ……。咲夜家という組織は悪だったのかもしれないけど、そこに居た人々が悪だった訳じゃない……」
「……判ってるわ。でも私にはこういう生き方しかできない。結局、自分より圧倒的に強い人間に依存しないとダメなのよ! 桜花様から離れて、そのことをよく思い知らされたわ……」
 小十郎と同様に涙を流している志帆の肩を、由香がそっと抱きしめた。
「小十郎君。志帆様を責めないでやってくれ。少なくとも、この地域……自治領がいい方向に向かう手助けにはなっている」
「その為に、咲夜家のみんなを……同じ血を引くみんなを殺せるって言うんですか!?」
 これには由香は何も言えなかった。
「……その犠牲に見合うだけの事を、あの人ならやってくれる。理沙ならきっと」
「姉上。やはり貴方は間違っている……」
「そうかもしれない。その時は、私なりの方法で必ず責任はとるわ」

 西暦2023年11月28日、火曜日。11時40分。
 理沙と拓也の応酬は続いていた。
 スピードでは互角、剣技では理沙がやや勝るが、瞬間的な反射速度では拓也の方が勝る。だが二刀流を活かした変則的な動きに翻弄され、理沙の方がやや不利にも見える。
「デスクワークのやり過ぎで、身体がなまったかしらね……」
 理沙は己の刀で拓也の刀を弾き、360度水平に回転して胴を薙ぐ……と見せかけて、足払いを仕掛けた。それに対応して拓也は右手の刀を地面に突き刺す。足払いの軌道上に刃が向けてあるため、そのまま蹴りを繰り出すと理沙の足に刃が突き刺さる。
 すんでの所で理沙が足を止めた。その肩口めがけ、拓也のもう一本の刀が振り下ろされる。
「くっ!」
 それをなんとか刀で受け流し、理沙は後方へ跳ね飛んだ。しかし、次の瞬間には足首に激痛を感じてバランスを崩す。
「理沙さん、あんたこんなに弱かったのかよ……」
 地面から引き抜いた拓也の刀が、元の三倍くらいの長さにまで伸びて理沙の足首をかすめていた。
「霊刀か……!」
 その刀に晃司は見覚えがあった。かつて志帆が盗み出し、小十郎を経て拓也の手に渡った霊刀、桜花咲夜。咲夜家の当主の証でもあり、桜花の分身とも言われる逸品である。
「弱いなぁ。弱すぎるよ。散々俺に講釈をたれておいて、ちょっと間が開けばこんなもんか。弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱いっ!!!」
「さぁ拓也その女を殺せ!!殺せ殺せ殺せ!!」
「弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い!!」
 シェラと拓也の絶叫が重なる。
 拓也は桜花咲夜を元の長さにまで戻し、ゆったりとした動作で振り上げた。だがその直後、どこからか飛び出してきた由香が猛スピードで間に割って入る。
「うぉぉぉぉぉっ!!」
 そのままタックルで拓也を吹き飛ばし、理沙をかばうように立ちはだかる。
「くっ……確か、北嶋……由香?」
「理沙は殺させないわ」
 そう言って睨み付ける由香の背後で、志帆が理沙の手当をしている。
「傷は浅いわ。すぐに治療術を施せば……」
「邪魔をするな志帆!」
「ダメです。ここはいったん退くのが得策です。由香!!」
 志帆の呼びかけに由香は頷き、理沙の身体を担ぎ上げた。その意図に気付いたシェラが叫び声をあげる。
「拓也さん! 逃がさない!」
 だが拓也が反応するより早く、理沙を担いだ由香と志帆は、一目散に背中を見せて逃げ出してしまった。
「拓也さん!」
「この場は追わない方がいい……」
 後に残された晃司達の方に視線を送りつつ、拓也はそう答えた。
「拓也、もうやめよう。詩織ちゃんはここにいる。記憶は失ってしまっているけど、そんな事は問題じゃないだろう?」
 義体の中にいる存在が本当に詩織なのかどうかは自信がないが、今はこう言うほかになかった。
「シェラの私怨につきあう必要はないんだ。少なくとも今の君は、シェラの操り人形でしかないよ!」
「……シェラ……」
 ぼそりと拓也が呟き、
「あはははははははっ! 詩織っ! 詩織! しーおーりぃぃぃぃっ!!」
 突如響き渡った奇声に、誰もがビクリとして驚いた。
 声のした方向を見ると、香織が義体を押し倒し、その身体にしがみついている。
「しおりぃ、しお、しおり、しおり。あたし、あたしよ、みさき。しおり」
 その目は明らかに正気を失っている。
「……まさか!」
 ある可能性に気づき、晃司はシェラの方に向き直った。
 シェラは口の端を上げて、不気味な笑みを浮かべている。
「傷を持つ人間は、操りやすいです」
「しーーーおーーーーーりーーーーー。大好き、好き好き、好き!好き!愛してる!」
「拓也さん。そこにいる人形を壊す、です。私はここに、居る」
 あくまでも穏やかな口調で、シェラが命じた。
「あぁ、そうだな。偽物なんて要らないんだ……」
 拓也が刀を構え、そして一気に振り下ろす。その刃を、間に飛び込んできた小十郎の刀が受け止めた。
「師匠! やめてください!! それだけは絶対にダメっすよ!!」
「……邪魔だ」
 小声でそう言うと、拓也はもう一方の刀で小十郎の右腕を切り落とした。鈍い金属音とともに小十郎の義手が地面に落ちる。
「痛っ!!」
 風間製の義手は痛覚も再現しているが、ある一定以上の感覚は遮断する仕組みになっている。そのため、痛みは一瞬で済んだが、これで小十郎の右手は使えなくなった。
「し、師匠……」
 何事かを言おうとした小十郎の鳩尾に、拓也は膝蹴りを喰らわせた。二度、三度と容赦なくそれを続ける。
「やめろ拓也! 僕が君を止める!!」
 懐から拳銃を抜き、晃司が拓也に突進した。
「あぁ、来いよ晃司!! 俺を止めるだと!?」
 ぐったりとしている小十郎を地面に放り捨て、拓也は両手の刀を下段に構える。
 もう一歩で拳が届こうかという間合いで、晃司はいきなり軌道を変えた。拓也を中心とした円軌道を描き、拓也の背後へと回る。この間合いなら防御結界も役に立たない。拓也の肩を狙って晃司は拳銃を構えた。
「殺しはしない!」
 晃司が引き金を引くのと同時に、拓也の身体を銀色に輝く包帯のようなものが包み込んだ。晃司の撃った弾丸はそれに弾かれ、拓也には届かない。
「……なに!?」
「霊刀にはこういう使い方だってあるんだぜ……」
 包帯のように見えたのは桜花咲夜だった。伸びるだけではなく、変形までするとは思わなかった。
 拓也は掃除機のコードでも巻き戻すかのように桜花咲夜を元の形に戻し、そのまま晃司の持っていた拳銃の銃身を切り落とした。
「これでお前の武器はなくなったな。術じゃ今の俺には勝てないぜ」
 晃司がその言葉にひるんだ直後、急に手足の力が抜けた。力どころか感覚さえなくなっている。
「シェ……ラ……?」
 これもシェラの術なのか?
 その疑問を肯定するかのように、シェラがにまりと笑っていた。
 
「師匠ぉ……」
 既に義手を切り落とされ、残った左手に刀を握って小十郎は立ち上がった。
「僕があなたを止めるっ!!」
 最後の力を振り絞り、相打ち覚悟で拓也へと突進する。
「無駄だ」
 小十郎の突き出した刀を拓也はあっさりとかわし、自らの刀の柄で小十郎の後頭部を殴りつける。もはや声を発するまでもなく、小十郎はその場に崩れ落ちた。
 その光景を、晃司は地面に這いつくばって見ていた。すぐ隣にはもはや外界のことなど意識しようのない香織が、義体を抱きしめながら幸せそうに笑っている。
 義体は香織を振りほどこうとしてはいるが、理性を失っている香織から逃れきれずにいる。漣はシェラにナイフで足を刺され、気を失ってしまった。おそらくは出血か痛みから来るショックだろうが、放っておけば失血死しかねない。すぐにでも手当が必要だというのに、四肢がマヒして動かない。これもシェラの術のせいだ。漣の意識がないのなら桜が表に出てこれそうなのだが、その兆候もない。
 もはや策も尽きた。シェラの暴走を止めることも、拓也を正気に戻すこともできないまま、自分たちはここで殺されるのだろう。
 自分の無力さに、ふと涙がこぼれた。圧倒的な力の前に、自分のなんと矮小なことか。どんなにあがいても、まるで通用しない。どうにも変えられないのならば、もう死んでしまっても構わない……
 拓也は刀を握ったまま、ゆっくりと晃司へ近づいてくる。その背後ではシェラが妖艶な笑みを浮かべている。
 すまない、拓也。
 もはや声をだす気力もない。
「あなたはあの女の弟です。ならば死ぬべきです」
 シェラの冷徹な言葉が聞こえる。
 家族同然だった一族を、一夜にして皆殺しにされた、可哀想なシェラ。あの時、理沙を止めることができていれば、こんな事にはならなかったのに。
 ごめん、シェラ。
 全てが自分の責任のように思えてくる。小十郎はまだ生きているのだろうか。生きていたとしても、自分の後で殺されるのだろう。香織も、義体とその中に宿っている人格も、愛する漣も。何一つ変えられなかっただけじゃなく、何一つ守れやしない。
 晃司の傍で拓也は立ち止まった。そして、晃司が仰向けになるように爪先で乱暴に転がす。
(このまま殺されるのか……)
 真下から空を見上げながらそんな事を考えていると、拓也と目があった。その拓也の顔に、悲しい表情が浮かぶ。それに何かの違和感を感じた直後、拓也は刀をゆっくりと下段に構え、そして空から真っ逆様に振ってきた少女の頭突きを喰らった。
「ぐっ!? な、何が……」
 空から振ってきたその少女は、そのまま地面に倒れ込んだ。年の頃は14〜15歳と言ったところか。髪はおかっぱで、病的なまでに白い肌と漆黒の髪の毛が対照的だ。
「ちゃ……」
 何か怖いものでも見たかのように震えながら、少女は口を開いた。
「……ちゃんちゃかちゃんちゃんちゃっちゃっちゃぁぁ……」
 妙に軽快なリズムを口ずさみながら、彼女の霊力が一気に高まっていく。
「な………」
 あまりにも唐突な出来事に拓也が驚いた瞬間、空が曇った。
「なんだ?」
 空を見上げた拓也が見たものは、
「スペースコンソメぱーーーんち!!!」
 眼前にまで迫った人間の拳だった。避けられるわけもなく、拓也は地面に叩きつけられた。と言うよりはむしろ、地面に全身がめり込んだ。
「うーん、大気圏突入コンソメパンチの方が良かったやろか?」

 ぶつぶつ呟きながら、片桐音々がそこに立っていた。

To be continued.
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