Moonshine <Pray and Wish.>
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Episode 04 祈り、光降る夜


  約束を信じよう。
  それが目に見えないものであっても。
「想いの雪」

 西暦2021年5月10日、月曜日。22時45分。

「や、やっとこれで最後か……?」
 自分を追い回していた敵兵の、おそらくは最後の一人を失神させ、肩で息をしながら音々は呟いた。
(あんにゃろーが、雑魚を全部押しつけよるからや!)
 一対一ではそう簡単にさすがにあれだけ大量の兵士に囲まれていては分が悪すぎる。その結果、逃げては少し倒し、また逃げるという戦略を取る以外方法がなかった。
 おかげで時間を喰いすぎた。しかも、ここが何処だかさっぱり判らない。
「なんでこんなにだだっ広い家なんや……」
 辺りをみまわし、一人ごちってみる。見覚えのあるようなないような景色だ。
 ところどころが術か何かで吹き飛ばされており、原型を留めていない建物もある。
(……そんな派手な術、使ったっけ?)
 思い出してみるが、最初の包囲網を突破するとき以外、これと言って強力な術を使った覚えはない。と言うことは拓也か義体か、あるいはその他の誰かが居るのか……。
「風間ら、無事に来よったんかな?」
 そう呟いた直後、また大きな爆発が起こった。少なくとも今現在、咲夜家と戦っている人間が自分の他にも居ることは確からしい。
 様子を見に行くべきか、システムに向かって晃司と合流するかしばし考え、前者を選択した。と言うより、システムへの道のりが判らないのだ。

 音々が駆けつけたとき、戦闘は既に終わっていた。見覚えのある面々……風間、漣、志帆、由香と、見覚えのない男が一名。
「風間ぁ!!」
「ネオンか、間にあったんやな!」
 満面の笑みを浮かべて風間が音々の肩を叩いた。ついでに肩をもんだ。
「やめい!! ところで師匠は……」
 音々が尋ねた瞬間、風間の表情が曇った。それで全てを察する事ができた。
「……後で聞くわ。それと、そこに居る兄ちゃんは誰?」
「そいつが、桂城潤一郎こと鳳一馬こと樹華。別名、桜の旦那で漣&鳳拓也の親父」
「はじめまして、音々さん。樹華です」
 人懐っこそうに微笑み、樹華が握手を求めて手を差し出した。
「あ、どーも。片桐音々です。みんなには音々って呼ばれてます……」
 なんとなくほのぼのとした気分にさせられつつ、樹華の手を掴む。
 それにしても、なんとなく丁寧な言葉遣いをさせられてしまうのは何故だろう。ぱっと見は、人は良さそうだがうだつの上がらない二流の学者、といった感じなのだが、目には見えない貫禄のようなものがどことなく感じられる。
「ところで、うちの馬鹿息子はどこに?」
「あぁ、あのクソ馬鹿やったら、雑魚をうちに全部押しつけて、彼女と遠くへランでBooooooooしよりました」
 ランデブーという言葉を、妙な発音にブーイングのジェスチャーを加えて表現する。
「あぁ、やっぱり馬鹿ですか。いや、あいつの馬鹿っぷりと無鉄砲ぶり、ついでに突っ走りっぷりと言ったら昔からでしてね。まったくあの馬鹿には困ったもので…」
「あんまり馬鹿馬鹿言わないの!」
 業を煮やした桜が樹華の頭を小突いた。どうやら今は漣ではなく、桜の意識が表に出てきているらしい。
「今頃どっかで愛の逃避行の真っ最中とちゃいます?」
「しょうがないなぁ……。あの甘ったれ小僧を、ひさびさに一発殴ってやろうと思ったのに」
 いったいこの男は、どんな教育を息子にして来たのだろう? と思わずには居られない。
「……どーする? 詩織って子は拓也に連れられてどっかへ行ったから、システムは発動せーへんよ」
「ここまで来たついでだ。システムを派手にぶっ壊して行くさ」
「でも月側のシステムは発動するんやろ? どうするつもりなん?」
「桜花達の目的は地表の破壊やない。あくまでも両システムの発動で、時空転移用の門を開くことや。つまり、片方のシステムを破壊した時点で、もう片方のシステムは用をなくすって事や。なまじ発動してしもうても、桜花ほどの力ならそのほとんどを相殺できる筈や。そうせんかったら、この地区……いや、日本地域全土の人間は死に絶えてまう。咲夜の人間も例外やない。そしたら、再建した祈りシステムを制御する人間がおらへんようになるからな」
「なるほどね〜……ちゃんと考えとったんやな」
「当たり前やろが!! それに今は樹華も居るしな。精人が二人居るんや、裁きシステムの力でも、完全に防げるやろ」
「いや、私の力はあてにしない方がいいよ」
 樹華が肩をすくめた。
「男性体ではあんまり大した力が出せないんだ」
「桜花への牽制にはなるやろ。それに桜・漣、でもってネオンも居る。精人と比べてどの程度のレベルかは判らんが、足しにはなるやろ」
「やっぱ、あんまり考えてへんねんな……」
「戦略ってもんは、大筋だけ考えて置く方がええもんや。その方がゆらぎに対応できる。ガチガチの戦略ってのは偶発的要素に弱いからな」
 風間の言葉はもっともらしく聞こえるが、苦し紛れの言い訳っぽくもある。
「晃司はどこに居る?」
「小十郎と一緒に、システムの方へ向かってるはずやけど……」
「そうか。んじゃ、俺らもとりあえずシステムへ向かおか」


 西暦2021年5月10日、月曜日。22:55。

 晃司はすぐに見つかった。と言うよりも、システムへ向かう途中だった風間達を、晃司の方で見つけて声を掛けてきたのだ。
「美咲様も一緒でしたか……」
 志帆は美咲がここに居ることを驚いているらしい。
「ま、色々あってね」
 実際はそんなに大したことでも無いのだが、めんどくさかったので美咲はそう答えた。
 そして互いにこれまでのいきさつを話す。
「そうですか……祖父は姉貴に……」
 複雑な表情のまま、晃司はうなだれる。
「……それにしても、別に俺ら待たんでも、先にとっととシステムを壊してまえば良かったのに」
 風間が小馬鹿にするように言った。彼なりに話題を変えようとしているらしい。
「敵の精鋭が立てこもってますからね。さすがに咲夜家の術士の大半を一度に相手には出来ませんよ。内部構造について判るのも、ここに居る中では風間さんくらいですし、確実に中枢施設を破壊しないと……」
「別に俺で無くても、樹華でも十分に判るわ。設計に携わったんだからな?」
「まぁ、それなりには」
 樹華が頷いた。
「どっちにしても、核になる詩織ちゃんは来ないんだから、時間にはゆとりがありますよ」
 晃司が少し余裕気味に言った。そして一同の顔を順番に見回してみる。
 これで咲夜家に対抗する者達のうち、拓也と詩織、それとシェラを除けば、生き残っている者のほとんどが揃ったことになる。
 こうして見れば色々な人間が集まったものだと思う。が、よくこれだけで咲夜家にケンカを売ったものだと呆れたくもなる。
 風間龍成。裁きシステムの設計に関わり、それを破壊する為の戦いを始めた男。
 樹華。桜花・橘花に匹敵する精人であり、拓也の父親。
 片桐音々。橘家の血を引きながらも、風間に育てられ、咲夜・橘の両家と戦うことになった娘。
 咲夜志帆。これまで信じてきた咲夜家に疑問を抱き、離反した女性。
 北嶋由香。志帆に常に付き従うボディーガード。
 咲夜小十郎。志帆の弟。自由を求めて咲夜家から離れた少年。
 咲夜美咲。詩織の双子の妹。詩織に対して姉妹以上の愛情を抱いている。
 神楽桜。本来ならば現在の橘家当主となるはずだった女性。拓也の母親。
 神楽漣。肉体を持たずに産まれてきた、拓也にとっては双子の妹。
 そして自分、江藤晃司。拓也を見いだし、この戦いに巻き込んだ張本人……。
「何を考え込んどるんや、晃司」
 自虐的になりかけた思考を、風間の声が現実へと引き戻す。
「色んな人が集まって来たんだなって、ちょっと感傷に」
「んなこたぁ、全部終わってからにしろ!」
「……さっきの晃司君の言葉だけど」
 不意に樹華が言った。さっき自分たちが歩いてきた方を見据えている。
「どうやら外れそうな感じだ」
 歩いてくる人影が二つ。一人は背が低く、まだ子供のように見える。
「一人は桜花だ。もう一人はおそらく……」
「詩織……」
 美咲がその名を呼んだ。彼女が詩織を見間違えるはずはない。
 二人はゆっくりと、一同の方へと近づいてくる。
「お久しぶりです。晃司さん、美咲ちゃん、志帆さん、由香さん。他の人は……初めまして、ですよね。咲夜詩織です」
「どうして……君がここに居るんだ?! 拓也は……」
 晃司が尋ねる。その声はほとんど絶叫に近い。
「私は、自分の意志でここに来ました。拓也さんにはしばらく眠っていただいてます。桜花様とは、さっき偶然お会いしました」
「何故よ?! 行けば詩織が死ぬことになるのに!」
 美咲が詩織の肩を掴み、激しく揺する。が、詩織は微笑むだけだった。
 決意を固めている。ずっと一緒に居たから判る。もう何を言っても無駄だ。
「どうしてよ………」
 がっくりと肩を落とし、美咲は涙をこぼした。
「私達の勝ちだな」
 と、桜花は樹華に向かって余裕の笑みを浮かべる。
「来たければ来るがいい。お前とて、帰りたいという欲求はあるのだろう?」
「私はこの世界が好きでね」
「ならば好きにするがいい。先に行っておるぞ、詩織」
 一同の間をすり抜けるようにして、桜花はすたすたと先へ歩いていった。
「両システムが正常に発動しても、地表にまったく影響無しと言うわけには行くまい。決して少なくはない人々が死ぬことになる。それでも君は行くのかい?」
 樹華が尋ねる。意地悪い質問だとは自分でも判っている。
 だが、それでも詩織はこくりと頷き、優しく微笑んだ。
「裁きシステムが発動しないという保証はありません。それに仮に両システムが発動しなかったとしても、それは発動の時期を少し延ばすだけに過ぎません。桜花様が居る限り、このシステムは何度も生み出され、いつかは発動してしまうでしょう」
 それは晃司や風間達もよく判っていた。自分たちのしていることは、問題の先送りに過ぎない。
 詩織の言葉を聞いて風間は後悔していた。自分たちはシステムにこだわりすぎていた。桜花を討つ、という事にどうして頭が回らなかったのか。最初からそれは不可能だと決め込んでいたか、あるいは殺すという事を無意識のうちに避けていたのか。
「後は私に任せてください」
 一人一人の瞳を、ゆっくりと見回しながら詩織は言った。
「誰も死なせはしません。皆さんも、拓也さんも……」
 そして自分の背後を振り返る。そのまましばらく、自分が歩いてきた方を遠い目で見つめ続けた。
「……拓也さんをよろしくお願いします」
 ぽつりとそう呟く。
「父親として、出来る限りの事をするよ」
 樹華がの言葉に、詩織が驚いた表情で振り返る。
「父親?」
「私は鳳一馬。そして桂城潤一郎、その他にもいくつもの偽名を持っている。本名は樹華」
「あなたが……」
「そこに居るのが桜。私の妻で、元は橘家の当主となる女性だった。肉体は持たず産まれてきたせいで、彼女の肉体に宿っている形になっているが、漣という娘もいる。拓也とは双子で生まれたんだ」
 樹華に紹介され、桜が詩織に向かって一礼する。
「良かった……。拓也さんは一人じゃないんですよね」
「……祈りシステムは我々精人の因子を受け継ぐ人間を、精人化する為の機構だ。それによって生まれるエネルギーをどうこうすると言うのは、言ってみればオプションに過ぎない」
「はい」
「最後まで諦めるな。自分の意識を強く持つんだ。君たちのように、精人の因子を受け継ぐ人間にとっては、肉体を失う事がすぐに死に繋がるわけではない。自分の姿を、血肉を、薄れていきそうな意識の中で必死にイメージするんだ。精人としてではあるが、もう一度この地に立てる可能性は決してゼロではないんだ!」
「はい。ありがとうございます」
 気休めでもいい。そうやって励まして貰えることがうれしかった。
「詩織……!!」
 いきなり美咲が詩織の胸に顔を埋めたかと思うと、大声で泣き出した。その髪を詩織が優しい手つきで撫でる。
「なんで、なんで詩織なのよ!! なんであたしじゃ駄目なのよ!?」
「ごめんね。でも仕方がないの……」
 ここに来る途中、詩織は桜花からある事実を聞き出していた。
 それは咲夜家が女系一族であり、親族間で恋愛感情を持つ者が多い理由である。全ては桜花のプログラムした事だったのだ。
 親族間での恋愛に関しては、ある法則があった。それは、霊力の源が同じである、より強い霊力を持つ者に惹かれる、というものである。つまり、咲夜家の人間であれば、自分と同じく桜花を源とする者……つまりは咲夜家の人間で、より強い霊力を持つ人間に惹かれてしまうのだ。
 その理由は、性行為によって互いの霊力を高める際に、相手の霊力が強ければ強いほど効果が大きいためらしい。女系一族であるのもそこに起因している。つまり、男性がオルガズムに達する回数にはある程度の限界があるためだ。また、子供へと霊力が受け継がれるときの効率が、母親の資質次第で大きく変化するという事にも依る。その為、桜花は自分の因子を受け継ぐ人間には、女性が産まれやすいように細工を施した上で自らの肉体を作ったのだ。
 かつて葉雪が詩織に尋ねたことがある。「お前は一族の他の者に欲情しないのか?」と。無い、と詩織は答えた。それは嘘ではない。
 これはつまり今の咲夜家に、詩織以上の霊力を持つ人間が居ないことを示している。そして、祈りシステムの出力及び安定度は、核となる人間が持つ霊力の強さに比例する。だからシステムに掛けられるのは詩織でなくてはならなかったのだ。
「皆さん、色々ありがとうございました」
 深々と一礼し、詩織はシステムへと続く道を歩き始めた。
 誰もその後を追いかけることは出来なかった。


 西暦2021年5月10日、月曜日。23:25。

 詩織が去ってしばらくの後。顔面は蒼白、足取りはよろよろ、それでもなんとか晃司達の方へ走って来る人間が居た。
「拓也……」
「晃司、詩織はどこへ行った!?」
 力つきたのか地面に片膝をつき、頭痛をこらえるように額に手を当て、拓也は尋ねた。
「彼女は行ってしまったよ」
「なんで止めなかったんだ!」
「勝手な言いぐさだな、拓也」
 懐かしい声に拓也がピクリと反応した。
「親父……」
「あの子を止められなかったのは晃司君ではなく、お前だろう」
 その通りだった。九州での逃避行の日々から去っていった詩織も、ついさきほどまで側にいた詩織も、止められなかったのは拓也自身だ。
「それに、もう……間に合わない」
 既に山全体がほのかに光を発し始めている。祈りシステムが稼働を開始しているのだ。
「彼女にも言ったが、精人としてではあるが意識と存在を保ったまま戻ってくる可能性は決してゼロではない。今はそれに賭けるしかないだろう。あの子の……お前への想い次第だよ」
 樹華の言葉に拓也はうなだれるしかなかった。自分がそんなに想われているという自信など、どこにもなかった。
「拓也、行こう……。ここは危険だ」
 晃司がそう言った時、それまでじっとしていた桜が動いた。
 ゆっくりと拓也に近づき、その前に立つ。その姿を、片膝をついたままで拓也は見上げた。
 純白の肌と髪、そして緑色の瞳。全てが異様と言えば異様なのだが、どこか懐かしさを感じるのは何故だろうか。
 拓也を見て、桜は寂しさと愛しさの混じった微笑を浮かべた。
「久しぶりね、拓也……あなたは覚えていないでしょうけど」
「彼女は桜……お前の母親だよ」
 樹華が拓也に告げた。
「私の中にもね。肉体を持たずに精神だけで存在している女の子が居るの。名前は漣って言ってね、あなたにとっては双子の妹なのよ」
「俺の……妹?」
 実感がわかない、と言いたげに拓也が呟く。
「漣がね、話があるんですって」
 桜がそう言った直後、どことなく彼女の顔つきが変わった。先ほどまではどこか柔らかい印象があったが、今は覇気に近いものを感じる。
「はじめまして、兄さん」
 そう言って漣はにこりと微笑んだ。やはり先ほどまでとは違う。
「……行って、兄さん。詩織さんが待ってるから」
「え……」
「追いかけてあげて」
 それだけを言うと、漣はいきなりその場に倒れ込んだ。樹華が慌てて駆け寄る。
「……無理に意識を表に出したせいだな。桜もちょっとショック状態で目覚められないようだ」
「ごめん……」
「謝ることはないさ。で、どうするんだ?」
 言葉で答える代わりに、拓也は再び立ち上がった。


 西暦2021年5月10日、月曜日。23時40分。

 半径2メートルほどの半球状のドーム。ここが祈りシステムの中心部である。詩織は今、全裸でそこに立っていた。
 ドームの外殻は透明になっており、外の風景はよく見える。ドームの外には咲夜家から集まってきた大勢の術者が、一種のトランス状態で術に取り掛かっている。
 システムが発動して、肉体を失ったらどうなるのだろう?
 祈りシステムの実験のために、ある程度の霊力を持った人間が、軍から実験台として何度か連れてこられていたのは知っている。それは肉体の存在を完全にゼロにするのではなかったが、それによって半精人化することには成功していたらしい。彼らは並の術者よりも強い霊力を得ることには成功した。が、外傷などによって肉体の存在力が低下すると、致命傷には至らなくとも肉体が消失してしまう事となった。詩織が知っているのはここまでだ。
 かつて、拓也と詩織が初めて出会った時、拓也が倒した月政府軍の兵士の中に、同様に実験台にされた兵士が混じっていた。拓也によって外傷を与えられたその兵士は、空気中にかき消えるように消えていったのだと言う。その話を拓也から聞いたとき、祈りシステムの詳細を知らない美咲は、桜花や橘花クラスとはいかなくてもその部下クラスの精人だろうと推測していたが、詩織は違った。その正体を実験台だろうと推測していたし、それは的中していた。
 自分もそうなるのだろうか。もしそうなるのなら、拓也さんの側を取り囲む空気になりたい。
 半球状のドームがぼんやりと輝きだした。するべき事は判っている。エネルギーとなって空へ飛び出したら、同様に月からこちらへ向かってくるエネルギーと正面からぶつかり合う。詩織が留意することは、正面からぶつかり合う為の起動修正。それだけだ。後は桜花と橘花がうまくやってくれる。
 ドームから発される光が強くなってきた。いや、光っているのはドームだけではない。詩織自身の身体もぼんやりと光っている。
 心残りというか、一つだけ申し訳なく思うことがある。ほとんど罪悪感にさえ近い。
 お腹に宿った新しい命のことだ。
 妊娠を確信したのはここ一週間ほどのことだ。生理が遅れている……とは思っていたのだが。下腹部から、明らかに自分のものではない霊力を感じ始めていた。か細いが、確かに「ここに居る」と主張する小さな命。
 拓也が言ったからではないが、女の子じゃないかという予感がする。そうしたらこの子は……
 その時、ある言葉がオーバーラップした。
(…が…………ま……)
「あ!」
 思わず声が出る。そして全てを悟った。なんという勘違いだったのだろうか。
「そっか……私、お母さんになれるんだ……」
 だんだんと意識がぼやけてきた。恐怖はない。むしろ、心はとても満ち足りていた。
 視界の片隅に拓也の姿を見たような気がした。こちらへ向かって走ってくるように思える。
「詩織!!!」
 声が聞こえたのかもしれない。
 大丈夫。もう一度逢えるから。心配しないで。
(待っていてください……)
 まばゆい光の中、拓也は確かにその声を聴いた。


 西暦2021年5月10日、月曜日。23時45分。

 一条の光が天に昇った。それと同時に、月から大地へと同様の光が射し込んでくる。
 あの光を受け止めなくては……
 軌道は大きくずれている。光と化した詩織は文字通り懸命の意志で、自らの軌道を大きく修正する。
 しかし、月からの光の方でも、詩織から離れるように軌道を逸らしていく。ついに二つの光はすれ違ってしまった。
 このままでは、月から放たれたエネルギーで、地表は壊滅的な打撃を受けてしまう。
 そう察した詩織は、軌道を180度曲げて、月からの光を追いかけた。
 数秒後。二つの光がぶつかり合った。ほんの一瞬だけ空が激しく輝き、すぐに元の闇夜へと戻った。
 京都の街で歓声が上がる。噂は本当だったのだ。俺達は救われたのだ、と。
 しばらくして、空から降ってくる何かがあった。


 最初は季節外れの雪だと誰もが思った。



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  未来へとつながるものがある。
  つなげてくれるものが、そこに。
「光降る夜」


 だが、よく見ると雪の一粒一粒がほのかに光を発している。次第に光は強く、光の雪は光の雨へと変わっていった。
 一人の少女が、月の光が降ってきたんだと呟いた。
 降り注ぐ光はますます強くなり、大地を包んでいく。
 やがて建物が崩れ始めた。ある建物はバラバラに、またある建物は砂の城が崩れるかのように細かい塵となって風にかき消えていった。
 光に飲み込まれた人々が次々と消えていく。だが、誰も断末魔の悲鳴をあげる者は居ない。赤子でさえも泣かない。それどころか。安心しきっているかのように微笑んでさえいる。

「何が起きたんだ……?」
 光が降る空を見上げ、晃司が誰にともなく尋ねた。
「月側の『裁きシステム』の方が、照準をずらしよったんや。精人に道を開くのではなく、首都を……そしておそらくは昨夜家を壊滅させるための兵器として使うために。その理由は判らんがな」
 風間が冷静な口調でそう分析する。
「あの娘は『裁きシステム』から地表を守るために、自らの軌道を変えて迎撃に入ったんや……」
「じゃあこの光は……」
 そう呟く間にも降り注ぐ光はますます強くなり、晃司達をも包んでいく。あまりの眩しさに、自分の姿以外の全てが見えなくなっていく。
(どうして自分の身体は見えるんだろう?)
 その疑問はすぐに解決した。晃司自身の身体も光っているのだ。次第に光は強くなり、身体が光の中に溶けていく。どう考えても異常なのに、不思議とおだやかな気分でさえある。
(母親の胎内って、こんな感じなのかな……)
 その思考を最後に、意識さえも光の中にかき消えていった。

 その夜、京都地区を中心に日本地域を包んだ謎の光は、同地域の建造物の約8割を壊滅させた。被害はユーラシア大陸にも及んだという。
 しかし、奇跡的にもこの破壊を直接的な原因とする死傷者は一人も出なかったのである。彼らのほぼ全てが、光に包まれて以後、目覚めるまでの記憶を失っていたのだ。夜明けとともに意識を取り戻した者達は、ある者は瓦礫の山の上に、あるカップルは二人で手を繋いだまま海岸に、ある家族は揃って山の頂に……まったくの無傷で倒れていたという。
 さらに驚くべき事がある。彼らのうち、怪我や病に苦しんでいた者達の多くが、その症状が完治とまではいかないまでも、大幅に回復していたのだ。また、自然物には一切の影響を与えなかったどころか、「光の夜」以後は成長が活性化したという。

 そんな中、一人の男を背負って歩く女性が目撃されていた。
 日本地域には珍しい、浅黒い肌の女性である。
 女性はシェラ・峰義であり、背負われている男は鳳拓也だが、目撃者の中にそれを知る者はいない。彼の目は開かれてはいたが、その焦点は定まっておらず、死体のようにさえ見える。
 シェラは拓也を背負ったまま、何処かへと姿を消した。

 この夜は後に「光の夜」と呼ばれるようになる。
 そして、夜明けと共に訪れたのは、帰るべき家を失った人々と、混迷の始まりだった。
 江藤理沙の行動は早かった。かねてより集結させていた部隊によって混乱を収拾すると共に治安を確保。そんな状況に惹かれて集まった人々を掌握。また、各地に散らばっていた地球政府軍が続々と彼女の元に集結。こうして彼女は、政府機能を失った首都・日本地域を実質的統治下においたのである。
 理沙はこの「光の夜」の原因が咲夜家にあると発表。と同時に同家が「桜花という名の化け物と、その血を引く一族」だと定義した。
『こんな目に遭ったのは咲夜家のせいだ』
 その言葉の下に、人々による咲夜家狩りが始まったのである。

 一方、日本地域以外の地球各地では、月政府軍による一斉侵攻が始まっていた。首都崩壊により中央指令部を失った地球政府軍は次々と降伏。戦況は一気に月政府側へと傾いた。わずか一年で、日本地域を除く全ての地域を制圧するに至る。その段階で月政府は、江藤理沙率いる暫定政府と講和。
 両者の間には「光の夜」以前から密約があったのだ。だからこそ「光の夜」が咲夜家によるものだと発表したのだ。
 こうして理沙は日本自治領の領主として正式に認可され、長年続いた戦争は月政府が地球全土を支配下におくという全面勝利の形で終結した。

 さらに一年――「光の夜」から二年が経過した。
 戦争終結以来、各地から送られてくる支援物資により、日本自治領の復興が始まっていた。だが、地域一つをまるまる造成し直すのは並大抵のことではない。未だ日本自治領の六割以上は手つかずのままであった。
 とは言え、世界はおおむね平和だった。小さな内乱こそいくつか起きたが、すぐに鎮圧された。人々はもう戦争など望んではいない。長年戦地だった地域も、今では人々が手を取り合って復興に励んでいる。
 月から多くの人々が地球へと移住してきたが、彼らも征服者ではなく、よき隣人として地球側の人々と接している。戦争が終わって以来、ほぼ全てのことが良い方向へと向かっているように見えた。

 だがただ一つ、日本自治領に関してだけは、厳しい入出領制限が行われていた。
 戦争犯罪人であり、人々を惑わす悪魔とされる、咲夜家の人間を全て処分する日まで、その入出領制限は続くのだ。「光の夜」以来、咲夜家の術者の力は大きく低下した為、彼女らはすでに「屈指の術者」ではなくなっている。その気になれば、誰にだって彼女らを狩る事は出来た。
 その上、月政府――橘家によって、咲夜家の術者の持つ霊力を検知するセンサーが開発された事もあり、咲夜家狩りはますます猛威を奮っていた。
 日本自治領だけが、未だに戦場だったのだ。

 某所。
 大勢の武装した男達が、一人の女性を取り囲んでいた。武装とは言っても、ある者は重火器や刀剣と言った本格的な装備を身につけているが、またある者は金属バットにヘルメット姿という、何か勘違いしているとしか思えないような姿であったりもする。人数にして十数名は居るだろうか。
 女性は身体のあちこちに痣や出血の跡があり、その顔には明らかに恐怖が刻み込まれている。
 男達の目は皆ギラついており、そこには怒り、悲しみ、目的意識、性欲、狂気……様々な感情が入り交じっていた。
 その中でもまだ若い、下っ端と思われる男が飛び出してきた。
「コイツ、咲夜家の奴なんだろ? 殺していいんだろ?」
 手に持ったナイフを握りしめ、よだれを垂らしながらやけに甲高い声で尋ねる。
「まぁ待てよ、その前に……」
 リーダー格の男がにやにやしながらベルトを緩め始めた。すでに女性の顔は青ざめていたが、それに加えて恐怖のあまり痙攣を始める。
「術を使われたらたまらんからな、とりあえず口を塞いでおけ」
 術の発動には必ずしも発声が必要というわけではない。が、集中の一環として発声するように習慣づけられていた彼女らに対し、口を塞ぐというのはそれなりに有効な術対策であった。もっとも、ここまでパニック状態に陥っていれば術など発動させようがないのだが。
「皆で輪姦(まわ)して、その後で殺してやる」
「わ、わたっ、わたしが、何をしたん、ですか……」
「貴様らのせいで、俺の女房と腹の子供は死んだんだよ!!」
 「光の夜」による直接的な死傷者は出なかった。だが、その後の食糧難や暴動による死傷者は、日本地域の人口の約二割にも上ったと言う。また、急激な環境の変化に着いていけず、精神に変調をきたした者も少なくはない。
「あとはお前の死体を軍へ届けりゃ賞金さ。そうしてお前らを皆殺しにすりゃ、この自治領から外へ出られるんだ」
 各地で一週間に2〜3人は、こうして殺されたり、あるいは捕らえられたりした咲夜家の術者が軍施設へと運ばれてくる。さらにその倍以上の、咲夜家とは無縁の女性が同様に運ばれてくるのだ。無論、生きて連れられて来る者達も、決して五体満足で連れて来られる訳ではない。

 ある者は言った。
 日本自治領は戦場なんて生やさしいものではない。地獄だと。

To be continued.
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