Moonshine <Pray and Wish.>
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Episode 04 祈り、光降る夜


  彼女は光。闇を切り裂く一条の光。
  それは闇を際立たせ、そして自らをも際立たせる。
「崖の底にある心」


 西暦2021年5月8日、土曜日。日が暮れてお腹も空いた頃。

「そろそろ戻らないと間に合わないんじゃないかなぁ……」
 小十郎は漠然とそう感じ始めていた。ジープのガソリンも所々で補充してきているのでまだ充分に有ることだし、今から戻り始めて9日の昼くらいに別府港へ戻れれば、9日の夜には風間達の所へ戻れる。そう、もうタイムリミットが近づいているのだ。
 そろそろ今居る森を抜け、次に音々が目標に定めた別荘地へ到着する。そこで見つからなければ、もう戻るしかないだろう。
 そう思ったとき、ジープの前を何かが横切った。一瞬だったが、女性の姿をしていたように思う。
「ネオン様、今…」
「判ってるわ!」
 乱暴にブレーキを踏み込み、ジープは少し滑り気味にその場に止まる。
 女性の方も、音々達を観察するようにその場に立ち止まっていた。その顔に、小十郎は見覚えがあった。咲夜本家で何度か見たことがある。学校に通う都合で大阪地区のとある屋敷に普段は住んでいたが、時々本家に戻ってきていた。そう、詩織だ……が、ここに居るのは詩織では無いことも知っている。
「義体……」
 小十郎の呟きが聞こえたのか聞こえていないのか、義体はその場に立ちすくんだまま動こうとしない。手には果物の入った袋を持っている。
「鳳拓也の居場所、知ってるやんな?」
 ジープに載ったまま、音々が尋ねた。
「……会ってどうするの?」
「一発ぶん殴る!」
「ちょっとネオン様…」
 小十郎がたしなめようとしたが、義体はあっさりと頷くと、道に沿って走り出した。しばらくして振り返り、こっちへ来いと手招きする。音々がジープのアクセルを踏み込むのを確認し、義体は再び走り出した。今度は先程と比べものにならないほど速い。車でなければ追いつけないだろう。
「この先に、拓也さんが居る……」
 刀をメインに戦い、霊力も使う。そんな拓也の戦闘スタイルは小十郎とほとんど同じものだ。雑誌で読む雇兵に憧れていたこともあり、拓也の存在は小十郎の中ではある種の目標であり、英雄みたいなものでもあった。
 その彼にもうすぐ会える。なんとなく音々に付いてきたものの、僕はどうすればいいんだろう。
 ジープは夜道を突っ走る。五分ほど走った所で、少し開けた所に出た。義体が立ち止まる。少し遅れて、音々の運転していたジープが並んで止まる。
 辺りを見回すが、何軒かの家が建っている他はこれまでと同じような森が広がるだけだ。
「その家の中か?」
「違う……」
 小声で答え、義体は家の玄関を指さした。
「中じゃない……」
 その指の先に、扉にもたれるようにして座り込み、放心したように森の中を見続ける男が居た。何度も雑誌で見た顔なのだが、何か違うような気がする。
 音々がジープを少しだけ動かし、ライトがちょうど男に当たるようにする。
「鳳拓也……」
 それは間違いないと思う。が、あの覇気のなさはなんだ?
「小十郎、ちょっと降りてくれへん?」
「あ、はいはい」
 音々に言われ、小十郎はジープから降りた。
 その直後、音々がアクセルを一気に踏み込む! ジープは一気に加速し、その場からまっすぐ走り出した。拓也めがけて。
「とりあえず死ねぇぇっ!!」
 叫びながら音々がジープから飛び降りた。ジープは玄関口の辺りで炎上し、爆発する。
「む、む、無茶しすぎですよ!!」
「構わん、馬鹿は死んでも治らへん!!」
 よく判らない理屈を放ち、音々は立ち上がった。
 その直後、再び爆発が起こった。と同時に、ジープの残骸が全て消し飛ぶ。家そのものへの延焼はなかったようだ。
 そして、爆発の跡には拓也が立っていた。
「……誰だか知らないが、この程度で俺は死なない」
 脅すような口調ではない。むしろ嘆くような、そんな口ぶりだ。
「せやろな。うちもこの程度でアンタが死ぬとは思ってへんよ」
「誰だ、お前? 俺のことを知ってるのか?」
 腰に下げた刀は抜いていないが、その立ち姿には一切の隙がない。それなのに、なんの意志も感じられない無気力な瞳が不気味に感じられる。
「うちは片桐音々で、そいつは下僕の咲夜小十郎。アンタの話は色々と晃司お兄ちゃんから聞いてる。まぁ言いたいことは色々有るけど、その前に、咲夜詩織さんと何が有ったんや?」
「詩織……」
 名前を呟き、拓也は音々から視線を逸らす。
「あいつは俺に嘘をついていた。俺はその事で彼女に酷いことをした。だから彼女はここを出ていった。それだけだ」
「じゃあ、アンタはここで何をしてるんや?」
「何もしていない。もう、何もしたくないんだ。誰かに利用されるのも、誰かを利用するのも、結局最後に誰かを傷つけることになる……」
 そこで拓也は、逸らしていた視線を義体の方へ向けた。しばらくして、今度は音々の方へ向ける。
「もう、嫌なんだ……」
「なら死ね!!」
 単刀直入に音々は言い放った。
「何かするのも嫌、利用するのもされるのも嫌、したいことがないなら何もするな、何も喰うな水も飲むな息もするな! 資源の無駄遣いや、さっさと死ね! けどな、それやったらなんでさっきの車の突進を術で防いだんや!?」
「……習性だよ」
「じゃあもう一回やったる。アンタが死ぬまでや!」
 そう言うや否や、音々は拓也へと突進した。やや遠目の間合いから、掌底に霊力を込めて拓也に向けて放つ。それを拓也は一歩下がって避けつつ、刀を抜いて下段から音々の腕を斬りにかかる。
「なんで避けるんや!」
 下段から振り上げられる刀だから、当然ながら刃は上を向いている。踏みつける訳には行かない。音々は間合いを更に詰め、拓也の斬りが有効な間合いからずれた。伸ばしていた右腕で拓也の後頭部を抱え込み、左手でみぞおちへの手刀を突き刺す。
 これは綺麗に決まった。拓也は避けることも防御術で防ぐことも出来ず、呼吸を完全に止められた。
「……ガ……グッ…ガハッ! ハァ……」
 一撃を喰らわせたものの、この態勢から繰り出せる技などそう多くはない。一旦間合いを外そうと音々が拓也から離れた途端、鼻先を何かがかすめた。拓也の刀だ。
(速い!)
 まったくモーションが見えなかった。あと一瞬でも、自分の動きが遅かったら斬られていた。音々が離れる瞬間が、呼吸で読まれていたのだ。でなければこんなタイミングで刀を繰り出せるはずがない。
「……こんな程度で人間は死なない」
 あざ笑うように拓也は言った。
「よう言うわ、あっさりうちにやられたクセに!」
 先程よりも速く一足飛びに間合いを詰め、音々は拓也の懐に飛び込む。そのまま鼻柱に肘鉄を繰り出し、外した。
「え!?」
 詰められた間合いを、拓也は背後に飛んで広げていた。回避と同時に、刀を振るモーションに入っている。
(避けられへん!)
 振り下ろされた刀に意識が吸い込まれていく、そんな錯覚に音々は陥った。ほんの一瞬だ。頭では知覚しているのに、これだけ思う余裕があるのに、身体がついてこない。
 激しい金属音がした。拓也の刃は音々の頭上で止まっている。いつの間にか横に来ていた小十郎が、手に持った刀で拓也の刀を受け止めていた。
「ネオン様! 今が」
「言われんでも判ってる!」
 ちょうど二本の刀の真下に居ることになった音々にとって、今の拓也は隙だらけだった。直角に肘を曲げた腕をいっぱいまで後方に引き、拳を水平に弧を描くように打ち放つ。狙いは拓也の両脇腹。
 だが、拓也の対応も早かった。小十郎に受けられた刀を引き、右手で逆手に持ち替えて己の左側面に刃を垂らす。右はと言えば、左手でいつの間にか抜いていたナイフを、音々の拳の軌道上に切っ先を向けている。まさか刃を殴るわけにもいかず、音々の動きがそこで止まる。
 その音々の足元を、拓也が蹴りで薙ぎ払った。受け身も取れず、その場に転倒する。
「くそっ!」
 音々が態勢を立て直すまでの時間を稼ぐため、小十郎が拓也との間合いを一気に詰めにかかった。手に持った刀に霊力を込め、術を発動する。
「朧牙!」
 自分の持つ刀の幻影を、実際の刀よりも後方に作り出す。と同時に自分の刀は術の効果で隠す。目に見える幻影の刃を防ごうとしても、その頃には本物の刃が相手を切り裂いているという寸法だ。
 だが、拓也は引っかからなかった。
「手口が読め読めだ!」
 見えない筈の本物の刃にタイミングを合わせ、拓也は下段から一気に刀を振り上げた。刃と刃が激しくぶつかり、小十郎の刀を弾き飛ばした。
 そのまま拓也は小十郎の横をすり抜け、今まさに起きあがろうとしていた音々の首を掴み、地面に押し倒した。
「俺に死ねと言ったな……」
 囁くようにそう言いいながら、持っていたナイフを眉間に突きつける。
「音々とか言ったよな。お前は、人を殺した事があるか?」
 答えようとするが、声が出ない。身体の全てが、自分の思うように動かない。顎が、膝が、手が、身体の要所要所全てが震えている。
「人を斬り殺し、刺し殺し、撃ち殺し、殴り殺した返り血を浴びたことがあるか? 人の肉が燃える臭いを知っているか?」
 ナイフの先が、眼と眼のちょうど中間に当てられる。ほんの僅かな面積しか接していないのに、冷たさが直に伝わってくるような気がする。
「殺される側と殺す側の苦しみを知っているのか!!」
 答えられない。何を答えようとしているのかも判らない。
 拓也がナイフを少しだけ浮かし、おでこの辺りにまでずらした。
「ここからゆっくりとナイフを突き刺していく」
 そう言って、切っ先を再び接触させる。
「皮膚を形成する組織、細い血管、そんなのをブチブチと潰しながら、すぐに刃が頭蓋骨に到達する。想像してみろよ、自分の細胞の一つ一つがこんなナイフで破壊されていく様子をよ。そして更にゆっくりと頭蓋骨を貫通させる。たぶん綺麗には突き刺さらず、周囲の骨を陥没させるようにして脳細胞にナイフが到達するだろうな。あとはほとんど力がいらない。お前の脳細胞をゆっくりズブズブとこのナイフが突き進んでいく。さて、どこまで刺さった時点で人間は死ぬんだろうな?」
 そして拓也はナイフを引いた。
「……小十郎、だったか?」
「は、はい!」
 呆然として様子を見守るしかなかった小十郎は、不意に名前を呼ばれて驚いたようだった。
「こいつをその家の中へ連れてけ。いや、やっぱいい……おい!」
 少し離れた所で成り行きを眺めていた義体を拓也は呼び寄せた。
「そいつの着替えを手伝ってやってくれ」
「……判った」
 義体は音々を抱きかかえ、家の中へと入っていった。
 刀とナイフを収め、拓也は一息ついた。
「あ、あの、着替えって……」
 尋ねた小十郎に、拓也は地面のある一点を指さした。ちょうど音々の腰があったあたりに、何か水のようなものが染みた跡がある。
「……ちょっと驚かせ過ぎたみたいだな」
 そう言って拓也は苦笑いを浮かべた。
 最初見たときの無気力な顔、戦っているときの冷たい顔、どちらとも違う。雑誌で見たときと同じ、ごく普通のその辺にいそうな若者の顔だ。
 だがそれは一瞬のことで、すぐに元の無気力な瞳へと戻ってしまった。
「殺す気だったんですか?」
「まさか。そんなつもりは最初からなかったさ。お前が割り込んでくるタイミングとかも全部計算してたし、ちょっと痛めつける程度で済むように苦労したんだからな」
 やはりそうだったのか、と小十郎は納得した。本当に殺すつもりなら、そのタイミングはいくらでもあった。音々からの脇腹への攻撃を防いだ時だって、わざわざ音々の拳が刃に突き刺さるのを待つ必要などなかったのだ。
「一つ聞きたいんすけど、どうして朧牙の軌道を読めたんすか?」
「あぁ、あれか。発想はいいんだ。ただ、刀の軌跡は隠しても、腕には何の術も施していないから、それで仕掛けと動きが読めた。あれをやるんだったら……」
 そう言って拓也は肘を真上に突き上げた。拳は背中の方に回している。
「こういう感じから相手に対して直角に振り下ろす。そうすれば腕で軌跡を読みづらくなるからな。あるいは、居合い抜きの要領で、ギリギリまで刀を相手の視界から隠すという手も有る」
「凄い…」
 一目見ただけで弱点を見抜くだけでなく、その対策まで考えている。
「強いんすね、拓也さん」
 心からそう思ったのだが、何故か拓也は淋しげに首を振った。
「駄目さ、俺なんて。ところでお前、咲夜小十郎って言ったよな?」
「ウイッス!」
 拓也はしばらく考え込み、
「あの咲夜家の人間か?」
「ウス。志帆って人を知ってると思うすけど、あれがウチの姉っす。ま、今はただの家出少年っすけどね」
「一体何がどうなってるんだよ……。で、お前らは何しにこんなとこまで来たんだ?」
 ちょうどその直後、音々と義体が家から出てきた。顔を真っ赤にしているのが、玄関の蛍光灯のおかげでよく判る。
「あの人が、拓也さんを一発しばくって……」
「しばくって、古典落語で言う『殴る』ってあれか?」
 拓也の問いに小十郎は頷いて答える。
「よう! パンツとズボンは予備が有っただろ?」
 拓也の言葉を無視し、音々は肩を震えさせながらツカツカと歩いてくる。そして、
「やかましいわい! このボケ!!」
 拓也の頬を思いっきり殴りつけた。拓也は少しよろめいたが、すぐに態勢を戻す。
「これで満足したか? 俺を殴りに来たらしいが…」
「やかましい!」
 また殴る。が、今度は拓也は上体を逸らしてそれをよけた。
「いいから事情を話せ。さっき晃司のことをお兄ちゃんとか呼んでたが、お前晃司の妹か?」
「似たようなもんや!」
「さっぱり判らねーじゃないか……おい小十郎、お前が話せ」
 拓也に言われ、小十郎が事情の説明を始めた。途中、音々のツッコミや妨害が入ったものの、それなりに的確な説明であっただろう。
「で、まぁ。その風間さんのとこを飛び出して九州島までやってきた、と。そういう事っす!」
「要するにお前らは、その祈りシステムとやらの破壊をそっちのけにして、俺を殴りに来たってわけか……」
 説明を聞き終えた拓也は、呆れたようにそう呟いた。
「俺を殴って満足したんなら帰れ。してなくても帰れ」
「なんやねんアンタ! 事情はちゃんと聞いたんやろ」
「あぁ聞いた」
 視線を地面に落とし、そっけなくそう答える。
「詩織さんは、このままだと確実に死ぬっす。いえ、意識だけはどこかに存在するかもしれないっすけど……」
 肉体が無ければ死んだも同じだ。一人で誰にも知られることなく、ただ漂うだけの存在が生きているとは言えないだろう。
「あいつがそれを望んでいるのなら、俺にそれを止める権利なんてない」
「権利とかそう言う問題じゃないっすよ!」
「俺はあいつの前に立つ資格なんてない……」
「資格でもないっす!!」
 なおも食ってかかろうとする小十郎を押しのけ、音々が割り込んできた。
「えらい自分勝手な言い分やな。ナルシスト気どりで自分のセリフに酔っとるんとちゃうか?」
 拓也を睨み付け、音々が凄む。だが、拓也は視線を落としたまま、眼を合わせようとしない。
「自分勝手は俺の性分だが、ナルシストじゃないな」
「そんじゃマゾヒストのオナニストやな。そうやって自分を追い込んで、それに浸り込んでる」
 拓也の髪を掴み、無理矢理顔を上げさせる。それでも拓也は、視線を逸らして音々の方を見ようとはしない。
「自分勝手が性分やって言うなら、詩織っちゅう女の人の都合なんか考えるな! ええか、うちは他人の都合なんか知らん! うちのやりたいようにやる! それがホンマの自分勝手っちゅうもんや!!」
 髪を掴む拳に力が入り、拓也の髪の数本が引きちぎられる。が、音々はそれを気にしている様子はないし、拓也の方でも顔色一つ変えようとはしない。
「そうやって何でもかんでも他人のせいにするな! 他人に任せるな! アンタがやりたい事をやりたいように、好き勝手に思う存分やればええやろが!! 権利? 資格? そんなの誰が決めた!? 自分で勝手に他人の事を決めつけてるだけやろ!! アンタ自身が思うことは何も無いのんか!?」
 音々は髪を掴んだまま、拓也の頭を激しく揺さぶる。その手を拓也が掴み返した。
「……俺に何の相談も無しで、勝手に死なれてたまるか」
 小声でそう吐き捨てる。その言葉を聞き、
「それがホンマの自分勝手っちゅうもんや」
 満足げに音々がニヤッと笑った。
「色々と言いたいこともある。行くしかないだろ」
 やっと視線をまっすぐに向け、拓也は宣言した。
「でも、ジープはさっきネオン様が……」
 もはや部品のかけらしか残っていない。徒歩でここから別府港へ向かって居ては、とても5月10日に間に合わない。
「何よ!? うちが悪いって言うわけ!?」
「別にそういう訳じゃ…」
 小十郎はそう言ったが、
「後先考えないお前のせいだ」
 拓也はすっぱりとそう言い切った。音々は再び顔を真っ赤にして拓也を睨み付ける。
「どうするっすか?」
「この辺りに車は無いしな……」
 二人が途方に暮れかけたとき、義体が口を開いた。
「家の裏にリアカーがある」
「リアカーってお前、そんなもんどうするんだよ?」
「私が引く」
 拓也の疑問に対し、義体はあっさりとそう答えた。


 西暦2021年5月9日、日曜日。夜。

『大阪南港行き最終便、まもなく出航いたします。大阪南港行き……』
 そのアナウンスを聞きながら、乗船券売場担当の新井秀作は、手元に残った書類の整理を続けていた。今日は職場の同僚と飲みに行く約束がある。これ以上の残業はごめんだ。
 残りは明日にしてしまおう。そう決めた直後、扉が激しい音をたてて開いた。
 これは何かの見間違いか? それとも暴力団の嫌がらせか?
 待合所のベンチをなぎ倒しながら、女性に引かれたリアカーが屋内に乗り込んできた。そのまま、新井が居る乗船券売場の窓口へとリアカーを横付けする。
「大阪行き、四枚だ」
 リアカーの荷台に乗った、若い傭兵風の男がそう言って現金を差し出した。言われるままに乗船券を四枚発行し、男に手渡す。男はそれを受け取ると、リアカーから飛び降りて乗り場の方へと歩み去った。一緒に乗っていた男女と、リアカーを引いていた女性もそれに付き従う。
 後には、所々が壊れたリアカーがぽつんと残された。

 船は別府港を離れ、夜の瀬戸内海へと向かう。
 小十郎はデッキに上がり、遠ざかる九州島の夜景を眺めていた。
「広いよなぁ……」
 あれだけ広い中で、よく拓也を見つけられたものだ。音々は何か計算していたようだが、偶然の作用が無かったとは言い切れない。
 明かりが小さくなっていくのをボーッと眺めていると、背後で足音が聞こえた。
「よう、何してるんだよ」
 振り返ると、拓也がこちらへ歩いてくるところだった。
「色々考えてたんすよ」
「ふーん。それにしても、ギリギリで間に合ったよな……」
 しみじみと拓也が言う。
 まさか本当に間に合うとは思わなかった。義体はリアカーを引きながら、ほぼ24時間を走り続け、この大阪行きの最終便に間に合わせたのだ。さすがに疲れたのか、今はぐっすりと眠っている。
「あの人、何者なんでしょうね?」
「詩織の話じゃ、桜花が二十年くらい前に産んだ、瑠璃奈って娘が宿っているらしいんだけどな。本人は違うって言ってる」
 小十郎が瑠璃奈の存在を知ったのはつい最近のことだ。その存在は咲夜家内部でもトップシークレットで、小十郎のような「その他大勢」に知らされる事は無かったのだ。
「よく判んないっすね……」
「俺はどうも嫌われてるらしいけどな」
 拓也は苦笑する。
「そういや、詩織にはやけになついてたよな……」
 拓也の前で見せる表情と、詩織の前で見せる表情はほとんど別人のようだった。顔の作りは二人ともほとんど同じだったのだが、そこに浮かべる表情は似てはいるけれども違う。あの二人が一緒にいるのはなんとも不思議な光景だったように思う。
「ところで拓也さん、ちょっと手合わせして貰えないっすか?」
 腰に差した刀を少しだけ抜き、刀身を見せる。今まで拓也は気付かなかったのだが、よく見ると刀は二本あるようだ
「ああ、いいぜ。でもお前、二刀流だったのか?」
「あ、これすか? 違うんすよ。姉上が咲夜家からちょろまかしてきた桜花咲夜って霊刀なんすけど、どーせ誰も使わないから僕が使おうと思って」
「ふーん……ちょっと貸してくれよ」
「いいすよ」
 小十郎が桜花咲夜を拓也に手渡す。
「霊刀って初めてなんだよな……」
 柄を右手で握り、霊力を集中させる。するすると刀身が伸び、普通の刀の三倍くらいの長さにまで伸びる。
「っとと! 加減が難しいなぁ」
「やっぱ凄いっすね! そんなに長い刃を出せるなんて」
「そうなのか?」
 なんとかコツを掴んだらしく、普段使っているのと同じくらいの長さに刀身を調節する。
「へー……見た目より軽いが、軽すぎるって程でもないな。これなら…」
 桜花咲夜を右手に持ったまま、左手で愛用の刀を抜く。
「え? 拓也さん二刀流出来るんすか?」
「二刀流って訳じゃないが、状況に応じて左右それぞれの手で獲物を扱えるようには鍛えられている。俺の師匠は厳しくてね」
 そうだ、理沙の真意も判らないままなのだ。
 だが、それらの全てが『祈りシステム』とやらに集まってくる。そんな予感がする。
「へー、それじゃ僕も拓也さんの事を師匠って呼んでいいすか?」
 小十郎が刀を構え、間合いを広めに取る。
「……勝手にしろ。さぁ、どこからでも来い!!」
「よっしゃぁ!! 行くっすよ!」
 人差し指を立て、一文字ごとに拓也の方をそれで指さす。
「いきなり必殺ロケットフィンガー!!」
 拓也を指さしたまま、小十郎の右腕が勢いよく射出された。さすがに予想していなかったのか、避けるタイミングが遅れる。
「な、なんだよその非常識な攻撃は!」
 体勢を後ろに崩しつつもなんとか避けきったものの、その間に小十郎が間合いを一気に詰めてきていた。射出した右腕も、ワイヤーを巻き取って元通りに戻っている。
「不意打ちは初っぱなに限るんすよ!」
 体勢を立て直すところを狙って小十郎が刀を繰り出す。が、拓也は後ろに倒れるに任せるだけだ。
 小十郎の刀が空振りする。その時、ほとんど仰向けにまでなっていた拓也が、ビデオの巻き戻しでも見るように、倒れたときとほぼ同じ軌道で立ち上がった。
「よう!」
 小十郎と鼻先がくっつきそうなくらいに近づき、拓也はニッと笑ってみせた。気が付けば、左手に持った刀を小十郎の首筋に添えている。
「ど、どうやって……」
 尋ねながら、その仕掛けに気付いた。拓也は自分の後ろに桜花咲夜を構え、その切っ先を甲板に突き刺している。おそらく、倒れながら刀身を限界近くまで短くし、切っ先が突き刺さると同時に一気に伸ばしたのだろう。
「なんで初めて霊刀使うのに、そんな使い方できるんすか!?」
「発想は常に柔軟に、って事さ」
 添えていた刀を鞘に戻し、拓也は小十郎の肩を叩いた。
「それにしても、その腕はいったいなんなんだよ…」
「あぁ、これっすか? 色々有りまして」
「色々あるのはいいんだが、そうやってミサイルみたいに打ち出せるのは何故なんだ?」
 魔導工学の発展した今日、義手自体は珍しいものではない。だが、こんなオプションを付けている奴はそう居ないだろう。
「設計者の……風間さんの趣味っす!」
「風間って、さっきのお前の話にでてきた奴か?」
 小十郎や晃司達のリーダー格であり、魔導工学の権威、風間龍成。話を聞く分にはかなりの大物か馬鹿野郎だが、こんな物を作るんだから、どうも後者の色合いが強そうだ。
「ところで小十郎」
「おいっす!」
 不必要に元気よく返事をする小十郎に、思わず一歩たじろぐ拓也。が、すぐに気を取り直し、
「この刀、くれ!」
「えーっ!! 何言ってるんすか!?」
「いやさ、普通の刀だと俺の霊力に耐えきれなくて、砕け散るか強度が落ちるか、或いはすぐにボロボロに刃こぼれするかって具合でさ。一本欲しかったんだよな、霊刀」
 手に持った桜花咲夜の長さを短くしたり伸ばしたりして遊びながら、拓也はさらりとそう言った。
「……別にいいっすけど……」
 これだけ自在に霊刀を扱えるのだ。どうせ盗んできたものだし、それだったら拓也が持っていた方が有意義というものろう。
「え? マジ? いやー、俺はいい弟子を持ったよ! うんうん……」
 小十郎の腰から鞘を奪い、桜花咲夜をそこに刺す……と言うよりも、くっつける。桜花咲夜は霊力を込めないと刀身が無いに等しいから、鞘に収めるということは出来ない。が、どうも鞘の方にも術が施されているらしく、鞘と柄とが吸い付くようにくっついた。磁石がくっつくのと似ている。
「今までは、行く先々で刀を補充してたんだ。時には殺した奴から奪ったりしてさ。霊刀ってなかなか市場に出回らないからな……」
「まぁ、ここまで自在に伸びたり縮んだりできる霊刀はそうそう無いっすけどね」
 桜花咲夜の刀身は、精人に近い原理で存在している。精人が自らの力で肉体を産み出すように、この刀は持つ者の霊力で刀身を産み出すのだ。人間の肉体と違って構造がシンプルだから、肉体を産み出すのに比べれば少ない霊力で刀身を出すことが出来る。
 が、小十郎はそこまで知っている訳でない。せいぜいが普通の霊刀とは違う、という程度だ。拓也にいたっては霊刀に関する知識自体が少ない。
「ところで小十郎。一つ聞きたいんだけど、いいか?」
「なんすか?」
「なんでお前、あいつに付いてきたんだ?」
 あいつとは言うまでもなく音々のことだ。
「勢いにつられて、ってのが一番大きいんすけど……今思うと、咲夜家の人間から離れてみたかったってのが一番大きいっすね。姉上も一応は咲夜家の人間だし」
「ふーん。お前、今何歳だっけ?」
「17っすよ」
 と言うことは、拓也よりも4歳年下になる。
「……俺が一人で生活するようになったのも17歳の時だったよ。父親が死んでな」
「死んだ?」
「飛行機事故さ」
 気が付けば、あれからもう四年になる。父親と過ごした日々が、もう遠い昔の事のように感じる。
「ま。親元からも姉貴からも離れてみるのはいいことさ。それで今まで見えなかったものが見えてくるって事もある」
「そういうモンすかね?」
「そういうモンさ」


 西暦2021年5月10日、月曜日。朝。

 詩織にとって最後の朝が訪れた。
 寝起きでぼんやりとした頭で窓の外を見ると、太陽が燦々と輝いている。この太陽が沈めば、もうこの光を浴びることもない。
 咲夜本家に戻り、この部屋に軟禁されてからちょうど6日が過ぎた事になる。その間、会った人間と言えば静香と桜花だけだ。
 静香には、未練が無いかと問われた。未練はない。家からの束縛を離れ、自由に世間を見て回りたいという願いは叶った。この人のために死んでもいいと思える人に出会えた。もう、思い残すことは何もない。有ったとしても、あの人を救うためになら全てを無くしても構わない。
 桜花からは『祈り』での手順や諸注意を聞かされた。祈りシステムは、コアとなる人間の意志によってその発動効果が大きく変わる。邪念を持つことは許されない。月側の裁きシステムから放出されるエネルギーに真正面からぶつかり、弾き返すでも弾き飛ばされるでもなく、ただぶつかった状態を維持すること。それが桜花からの指示だった。
 その後はずっと一人だった。部屋の前に護衛兼見張りの義体が立っているが、話しかけても何も答えない。義体というからにはオリジナルの人間が居るのが普通なのだが、見たことのない顔だった。桜花にそれとなく聞いてみたのだが、この義体にはオリジナルの人間は居ないらしい。となると、義体と言うよりはアンドロイドと言った方が正しいかもしれない。
 思い残すことが一つだけあるとすれば、最後にもう一度だけ美咲と話がしたかったということくらいだろう。静香から、美咲が戻っている事は聞いていたが、面会は拒否された。会いに行きたいのだが、この部屋から外へ出ることは許されていない。
 拓也さんはどうしているのだろうか。と一瞬考え、すぐにそれを振り払った。考えてはいけない。考えると未練が産まれる。
「夜明けの空は…」
 思考を切り替えようと、歌を口ずさんでみる。
 拓也や義体との逃亡生活中、潜伏していたとある家にピアノが置いてあった。その側に置いてあった楽譜に書かれていた歌だ。
 学校に行っていた頃、生徒が自由に使えるピアノがあって、時々そこで練習していた事があるので、多少ならば弾ける。そんな事を思い出しながら、懐かしくて弾いているうちに好きになった歌だった。

 夜明けの空は紫色をしている
 夕暮れの空はオレンジ色をしている
 昼と夜との境目 色が空に滲んでく
 あいまいな黄昏 光と闇のハーモニー
 声も人も思いも命も みんな街に溶けていく
 冷たい肌 暖かいキス 星が地球に降りてくる
 このグラデーションで夜が終わり
 このグラデーションが朝が始まる
 このグラデーションで夜が始まり
 このグラデーションが昼が終わる


 なんだかよく判らない歌詞だけど、なんとなく好きになった歌。旋律はどこかもの悲しげだけど、なぜだか懐かしくも感じる。
 歌って不思議なものだと思う。歌詞と曲、二つがそろって初めて表現できる世界がそこにある。この歌だって、歌詞はいまいちよく判らないけど、曲と合わせることで情景が目に浮かんでくる。
 日の昇り始めと、沈みきる寸前。そんな時間の空の色。青空とも夜の闇とも違う独特の色合い。方角によってもまったく違うグラデーション。陽が沈むことで見えてくる、ずっとそこにあった筈の星々。
 そう、拓也さんの腕に抱かれて見たあの空と同じだ。
「あっ……」
 もう泣かないって決めたのに。
 涙が止まらない。もう泣いちゃいけないのに。
 こらえていた想いがどんどん溢れてくる。逢いたい。逢ってちゃんと謝りたい。嫌われるためでなく、許されるために。そして、私を
「駄目……駄目なの……」
 それ以上は考えてはいけない。でも。
「……逢いたい。逢いたいよ……」
 連れ去って欲しいのに。

 同じ頃、美咲は牢獄の中にいた。
 詩織の帰還と同時に正体は皆に発覚。その時点では扱いは変わらなかったのだが、詩織の元へ行こうと脱走を図ったが失敗。そんなことを何度か繰り返しているうちに牢獄行きとなったのだ。
 術士が交代で数名ずつ、美咲の術を封じ込める防御術を常に展開している。これを破るのは容易ではない。既に何度か試みて、それは思い知らされていた。
 日に三度、決められた時間に運ばれてくる食事のおかげでだいたいの時間は把握している。チャンスは今日しかない。なんとしても詩織をシステムにかける訳にはいかない。
(……時機を待つんだ)
 祈りシステムは、桜花や静香を始めとした咲夜家の術士のほとんどを動員して発動する。確かに核となるのは詩織だが、それをサポートする者は必要である。つまり、今防御術を展開している者達もそちらへ回る可能性が高い。今はそれにかけるしかないのだ。
(あたしが助けてあげる。あたしがあなたを……)


 西暦2021年5月10日、月曜日。15:16。

 奈良地区南部の某山中。
「やっと戻ってきた……」
 車を止めて音々が呟く。ちなみにこの車はレンタカーで借りてきたミニバンだ。
 今朝のうちに大阪地区へ入港したのだが、地球政府軍による交通規制が行われていたため、春日の別荘に到着したのがこの時間になった。
 車の到着は中の人間にも判っているはずだ。だが誰も出てこないところを見ると…
「もう行ってもうたんか?」
 四人は車を降り、家の扉を開く。静まり返った屋内に人の気配は感じられない。
「風間ぁ! 晃司お兄ちゃん!!」
 音々の声が室内に響きわたる。少し遅れて、奥から足音がした。
「……拓也……」
 姿を見せたのは晃司だった。心なしかやつれて見える。
「よう晃司、珍しくしけた面してやがるじゃないか。まぁちょっと来いよ」
 平然とした顔でそう言うと、拓也は晃司を手招きした。呼ばれるままに近づいてきた晃司を、拓也は思いきりぶん殴る。その衝撃で壁に打ち付けられた晃司は、そのまま床に倒れた。
「よしよし、避けないとはいい心がけだ」
「ちょっとアンタ! 晃司お兄ちゃんに何すんのん!」
「これでチャラにしてやる」
 怒鳴る音々を無視して拓也は口元に笑みを浮かべた。そして晃司に手をさしのべる。
「……そのうち、お釣りを払わせて貰うよ」
 拓也の手を掴み、晃司は立ち上がった。
「大まかな事情は小十郎から聞いている。風間とかいう奴とかはどこだ?」
「風間先生達は先に咲夜家へ向かったよ。夕暮れ時に西側から忍び込むことになっている。太陽を背にして、少しでも敵の眼をくらませるつもりだって言ってた。奥さんの洋子さんは、大阪地区の友人の家に避難している。僕は音々ちゃん達が戻るかもしれないと思って、今までここで待っていたんだ」
「そうか……。まぁ、あいつらはあいつらだ」
 そこで拓也は一同を見回した。
「いいか、晃司、音々、小十郎、それとお前も。俺達でやるんだ。祈りシステムをぶち壊し、必ず詩織を助け出す。力を貸してくれ」
 晃司が、音々が、小十郎が、義体が、それぞれに頷く。
「晃司、策は有るか?」
「風間先生達が西から行くなら、僕たちは東から行こう。敵の兵力がどちらかに集中すればそれで陽動になるし、そうでなくても分散させることは出来るからね」
「よし、それで行こう」
「あ、ちょっと待って……」
 玄関の扉に手を掛けた拓也を晃司が呼び止めた。
「君の父親、鳳一馬さんは生きている」
「……なんだって?」
 拓也がドアノブを握ったままで硬直する。
「そして、彼こそが樹華だったんだ。君の母親も、妹も生きている」
「…………」
 音々も小十郎も、そして義体も絶句している。
「く、詳しい話は車の中で聞くっ……」
 内心の動揺を隠せず、拓也は早口でまくし立てた。


 西暦2021年5月10日、月曜日。18:45。

 祈りシステムは、咲夜本家のある山中に敷設されている。
 その中心であり、システムの9割を占める『祈りの間』と呼ばれる機構は山頂に築かれており、あとは詩織の到着を待って発動するだけとなっている。
 要はそれを破壊すればいいのだ。祈りと裁き、両方のシステムを同時に発動させることにこだわっているのだから、片方でも破壊すれば発動は止められる。風間はそう推測し、この日に備えてきていたのだ。樹華の話によって、桜花と橘花の目的が判った今となっては、その推測は確信に変わっていた。そして、一度破壊してしまえば、また同じシステムを作り出そうとするだろうが、その為には風間クラスの学者や技術者が大勢必要になる。だが、かつてシステムに携わった技術者の多くは、風間と同じようにシステムの構築に協力したことを後悔している。風間の根回しもあるし、彼らは手を貸そうとはしないだろう。魔導工学の最高権威である風間に逆らおうものなら、彼らの学者・技術者としての未来はそこで失われる事になるからだ。
 そうすれば、あとは裁きシステムの破壊にかかればいい。それで全てが終わる。
「風間さん、どうしたんじゃ?」
 春日の声で、風間は我に返った。
「ちょっと考え事しとりましてな」
「余裕じゃのぉ……」
 風間達は今、咲夜本家がある山の森の中を、山頂へ向けて昇っている。まともな道は警備が厳しいため、森を突っ切るしか方法がないのだ。それでも時折、見張りに発見されては、通報される前に春日や由香が殺している。無闇な殺生は避けたかったが、僅かなミスも許されないのだ。
「漣、大丈夫か?」
「うん。平気だよ、父さん」
 樹華が漣に声を掛けた。桜は再び、身体の主導権を漣に預けてある。漣が起きたままで桜が表に出てくると、漣の消耗が激しいからだ。
 その時、先導していた由香が立ち止まった。
「……しまったな」
 春日も呟く。やや遅れて志帆も気付いたようだった。
 完全に囲まれてしまっている。
「ここから先は乱戦になるな。風間さん、儂から離れんようにな」
「了解。頼んますよ、春日さん」
 一方では、樹華が漣をかばうようにして刀を抜いた。志帆も由香も、各々の武器を手にしている。
「発動までに間に合うんか……?」
 風間の口から、そんな言葉がこぼれ出た。


 西暦2021年5月10日、月曜日。19:00。

 月の首都であるエリア00。
 裁きシステムはここに設置されていた。
「あなた達、こんなことをしてどうなると思っているのですか……」
 そう尋ねた14〜15歳ほどの少女、彼女が橘花である。おかっぱの黒い髪は、黒い瞳と相まって、まるで日本人形のようにも見える。質素なワンピースに身を包む彼女には、桜花のような威厳は感じられない。
 彼女を取り囲む六人の女性。そのうちの二人は美里と華音である。
「今ならまだ間に合います、桜花に事情を伝え……」
「橘家は既にあなたのものではない」
 橘花の言葉を遮って、美里が告げた。
「裁きシステムは、我々が有効に使わせていただく」
 橘家は咲夜家ほどには血の濃さを偏重しなかった。血の濃さによる霊力の強さよりは、一族の協調による霊力の結束を重視したのだ。近親婚もあまり多くない。
 その為、裁きシステムは祈りシステムとは違い、六人の人間が必要となる。精人化する人間が五人、そしてそれを制御・集中する人間が一人。
 協調を重視する橘家では、当主を中心とした家長会と呼ばれるグループによってその方針が決められる。その当主も血によって選ばれる訳ではなく、当主が定年などで引退する際に家長会のメンバーによって推薦される事で決められる。家長会のメンバーの人選も同様だ。
 その家長会のメンバーが、ここに集まっている六人であった。いわば、橘家のトップ集団である。
「あれは制御をし損なえば、月も地球も破壊しかねないものです。そうなれば……」
 橘花のその言葉を手で制し、美里は首を振った。
「なりませんよ。華音がきっとうまくやってくれるでしょう。私が消えた後の当主には華音が、他の家長会のメンバーも既に人選は終わっています」
 いつからこんな事になったのだろうか。橘花は自分の過去を振り返っていた。
 あの時だ。樹華に、自分たちのしていることを辞めようと止められた時。あの時はその言葉を聞き入れず、桜花と共に峰誼を滅ぼしたりしたが……あの時から、心のどこかで疑問に思っていたのだ。
 だから支配するのではなく、同じ視点で一族と接することにした。そうすることで、ただの駒だった彼女らに愛情も湧いてきた。今ならば樹華の気持ちも判らなくもない。
 でもシステムの構築はやめようとしなかった。自分の存在は、一族にとって枷になる。直接的に恐怖の対象であり、また選民意識を持たせる要因ともなりうるからだ。だからこの世界から去ろうと思った。その為にはシステムが必要だからである。
 今だって、彼女らを力で支配することはたやすい。しかし今の橘花にそれはできない。たとえ自分に背こうとも、彼女らは橘花にとって大事な娘だった。
 橘花の心を知ってか知らずか、華音は口元に冷たい笑みを浮かべた。
「我々が、咲夜家を倒して覇者となるために………」

To be continued.
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