Moonshine <Pray and Wish.>
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Episode 04 祈り、光降る夜

 西暦2021年5月10日、月曜日。20時34分。

「詩織様、ここは我々が死守します! 奥の間へ!!」
 促されるままに、詩織は歩みを進める。逆らおうとはしない、従おうともしない。ただ、流れに任せるだけ。
「敵は十人程度だと言うのに、なぜこんなに苦戦するのですか!?」
「奴らが抱えている術者が強過ぎるんです!! 『祈り』まで時間を稼げれば……」
 来るはずがない……
 伝令が走ってくる。
「敵の二人が防衛線を突破!! まっすぐこちらへ向かって………」
 それ以上の言葉は要らなかった。術の発動による爆音、断末魔の絶叫、兵士達のかけ声。それらが徐々に近づいてくる。
 来るはずがない。
「鬼か、でなければ悪魔か……」
 兵の一人が呟く。
 来るはずがない。来て欲しくない。
 ……でも。



  彼は闇。全てを飲み込む深い闇。
  愛も憎しみも真実も偽りも喜びも苦しみも…全てを抱こうとする優しすぎる闇。
「前夜祭」


 西暦2021年5月3日、月曜日。お昼のおやつタイム頃。

 九州諸島。その総面積の九割以上を占める九州島と、その周辺(主に南西)に群がる小さな島々の総称である。月政府に制圧される前までは、ユーラシア大陸との交流の拠点として栄えていた九州島だったが、今はその人口は最盛時の5%にも満たない。
 行けども行けども山の中。見渡す限りが森の中。ジープが放つ騒音が辺りにこだまして、うるさいことこの上ない。
「ネオン様ぁ! あては有るんですかー?!」
「だから、無いって何回も言ってるやろ?」
 九州島への上陸を果たした二人だったが、拓也の捜索は行き詰まっていた。九州島は博多市と別府市を除くほとんどの地域がゴーストタウンと化している。その二つの市にしても、港街にひっそりと住み着く人々が居るに過ぎない。別府で唯一営業している旅館『温泉地獄』に、拓也や晃司達が宿泊していたという所まではすぐに判った。そして峰誼という一族の暮らす集落へ向かったらしい、という事も掴んだが、そこで情報は途絶えた。
「それだけ判れば十二分ッ!」
 そう言って集落のある山へと入って既に十日。その間に、廃墟と化した峰誼の里を見つけたものの拓也の手がかりはまったく掴めずじまい。さらに山の奥へと入り込み、そして二人は遭難していた。
(食い物だけは大量に用意しておいて良かったなぁ……)
 小十郎のリュックの中には、缶詰や真空パック食品を中心に、二人で半月は食いつなげる量を詰め込んである。
「いざとなれば、その辺で肉とか野菜とか果物とか、うちが用意したるのに」
 音々はそう言うが、出来れば肉は遠慮させていただきたいというのが小十郎の本音だ。おそらくは野生の小動物でも捕まえてくるというのだろうが、さすがに殺したての動物を喰うのには抵抗がある。それがエゴだとは判っていても。
 あとは少々の米と飯ごう、そして姉からくすねてきた桜花咲夜。どうせ、刀と霊力の両方を使う人間が小十郎ぐらいしか居ないからいいだろうと思って持ってきたのだが、現在はただの缶切りと化している。最初は寝袋なんかも用意していたのだが、「ええから、入れれるだけ食べ物をを入れとき!!」という音々の指示で即座に処分した。春先とは言っても明け方あたりは寒いのだが、音々が平気だというのだから、男の自分が弱音を吐くわけにはいかない。
 小十郎とは対照的に、音々は実に軽装だ。ライターと地図、あとはサバイバルナイフが数本とビニールシートくらいだ。ビニールシートは雨対策のためらしい。
 こんな調子で見つけられるのだろうか。見つけたものと言えば峰誼の里、あとは月政府軍兵士の腐乱死体くらいだ。今二人が乗っているジープは、月政府軍が残していたものをかっぱらったものだ。
 この兵士達を殺した相手はかなりの手練れらしい。でなければ、相手側の死体も一つくらいは転がっているはずだ。また、弾痕が無いところからして、相手は地球政府軍ではない。月側にせよ地球側にせよ、一小隊の中に銃撃要員・白兵戦要員・術戦要員が混在しているのが一般的な構成である。銃撃要員が口火を切って攻撃をしかけ、敵が防御術を展開した段階で白兵戦要員の登場となる。これが一般的な戦闘スタイルだ。つまり、どの死体にも弾痕が全く無いというのはおかしい。おそらくは、これは拓也という男と逃亡中の義体によるものだろう。
 だが、小十郎達が見つけだした頃には、既に拓也は姿を消した後だった。どこへ行ったかなど見当はつかない。
 既に死体の群れを見つけた回数は四回。次を見つけたら、見つけた死体の総数が200を突破しそうだ。これを無傷でやってのけたというのなら、いくら義体と二人でやったとしても凄腕とかいうレベルじゃない。
「言うても、だいたい見当はついてきたんやけどね」
 音々の言葉で考えが停止した。
「へ?」
「これまで四回、拓也が潜伏していた場所周辺の地形、それらを繋ぐルート、月政府軍の駐屯地、付近の住宅地とか……まぁ色々と分析材料は有るから。でなきゃ、こんな広い島で、こんなにポンポンと調子よく潜伏跡を見つけられる訳がないやろ?」
「ちゃんと考えてたんですねぇ…」
「最初の死体を見つけるのが早かったんは、まぁラッキーやったけどな」
 やはりそれほど深く考えていたわけではないらしい。


 西暦2021年5月5日、水曜日。朝。

 日差しが暖かい。鳥のさえずる声と、この家に住む人間が出す音以外、なんの音も聞こえない。喧噪もなく、電車の音も車の音もない。
 春の陽気に身を任せて、まだしばらく眠っていたい……
 甘美な誘惑が志帆を包み込む。そうしたところで咎める者は居ないだろう。だが、傍らで眠っていた筈の由香は既に起きてしまっているようだ。自分だけがこうしているわけにもいかない。
 なんとかベッドから抜け出し、衣服を選びながらこれまでの事を振り返ってみる。
 九州で晃司から風間達の存在を聞かされ、京都にある咲夜本家へ帰還する前に倭高専へ立ち寄った。
 そして祈りシステムの全貌を知った。最初は、人間を精人へ限りなく近づけることで、人為的に霊力を強くするためのシステムだと思っていた。いや、少なくともそう聞かされていたのだ。実験的に精人化させられた者達は、軍の術士部隊に編入され、大きな戦果を挙げている。システムによって地球政府軍の術士部隊の力は、現状よりも遙かに強くなり、月政府軍――橘家との決戦における切り札となる筈だった。ここまでが志帆の知っている祈りシステムの存在意義だった。
 後に晃司から聞いたことだが、拓也が初めて詩織と出会ったときに戦った月政府軍の兵士達の中にも、月側の裁きシステムの運用実験として精人化させられた者が混じっていたらしい。同様のシステムは月側でも開発されていたのだ。
 ただの霊力強化システムではない。その実体は、人が存在し続けようとする力、すなわち肉体の存在を犠牲にして発動する、惑星さえも破壊しうるだけの威力を持った霊力兵器だったのだ。魔導工学の権威として、風間の事は志帆でも知っていた。システムの開発にもかつては大きく関与していたとも。
 最初は信じられなかった。だが、風間による説明は、魔導工学に関しては素人の志帆が聞いても充分に納得のいくものであった。
 それでも、咲夜家への忠義を捨てるわけにはいかなかった。それが彼女のこれまでの人生そのものであったし、桜花にはもっと深い考えがあると信じていたからだ。そして彼女には、咲夜近衛隊の隊長という役目があった。咲夜家発祥の昔から、一族から選りすぐった精鋭によって桜花と当主を守り続けてきた歴史ある部隊。血の滲むような努力の末に、この若さにして掴み取った栄光。今はただの傭兵部隊に成り下がったとは言え、それでも伝統は守らなくてはいけなかった。愛する由香と共に。
 咲夜家に戻った志帆を待っていたのは、咲夜近衛隊の隊員補充だった。人工知能搭載型の義体が、十数体。彼女らは志帆の指示など必要としない。志帆よりも強い。志帆よりも忠実で、私情など抱かない。
 そんな中、風間が咲夜家を訪れた。詩織用と美咲用の義体の開発に協力していた事もあり、咲夜家には割と自由に出入り出来る立場だったらしい。システムの発動によって精人化した詩織、もしくは美咲が宿るために開発されたかりそめの身体。義体はその為に存在していた。
 精人としての本能を持たない詩織や美咲が、桜花達のように自らの霊力を使って肉体を形成することは不可能だろう。風間の理論によれば、その場に存在し続けようとする力を失い、システムにかけられる者の存在はこの世界から失われることになり、おそらくは意識だけの存在として、我々の概念とは違う時間を漂う存在になるだろう。だが身体を用意してやり、それに宿るだけであれば存在を保ち続ける可能性は高くなる。身体こそが、この世界に留まるための絆なのだ。
「確かに不可能なことやない。が、成功するのは一割以下やな」
 自分自身としての意識を保ち、この世界に留まっているうちに、義体への同化を完了させなくてはいけない。しかし、そんなノウハウなどどこにもない。全ては、被験者の意志次第なのだ。
 ただ、そういう可能性を用意しておくことで、システムにかけられる人間の雑念を取り除く。成功すればそれで良い。それが桜花の情けであり、自らの義体を用意するための実験であり、そして新たな近衛隊を用意するための下準備であった。
 そして、由香と二人で咲夜家を出ることを決めた。が、近衛隊の隊員補充以来、志帆への目は常に光っている。もしかすると桜花や静香は、志帆の迷いに気付いていたのかもしれない。
 策は春日老が用意した。風間が義体の開発に関与していた事を利用し、義手もしくは義足が必要だと周囲に思わせるような状況を用意し、それを利用して二人を連れ出す。無論、そんな状況は偽装で構わない。
 しかし、それを小十郎が聞いていた。
「姉上、やるからには徹底しないと」
 そう言って彼は自らの右腕を提供した。
 そして外部の仕業と偽って小十郎の右腕を切断、何喰わぬ顔で志帆は風間を招聘し、義手の取り付けをさせた。そして四月の初めに、風間の手引きで潜入した春日によって志帆・由香・小十郎の三名は咲夜から脱走した。風間は
「わ、私が行ったらいきなり誰かに殴られて気絶して……」
 と被害者ぶるために、咲夜家に残った。春日によって気絶させられたのは事実だし、もとより義体の開発に大きく貢献した風間の言葉だ。彼が精人と敵対していることを咲夜家は知らない。言葉を疑う者は居なかった。
(――と言うより、私たちはすでに不必要な存在だったのだろう)
 そう内心で呟いた頃、ちょうど着替えが終わった。
 妹の真琴は咲夜家に残っている。黙って出てきた訳ではない。一緒に脱走しようとしたのだが、内部から何か手助けをすると言って彼女は残った。監視がつくようにはなったが、それ以外は無事に過ごしているらしい。
 階段を降りると、由香がリビングで柔軟体操をしていた。彼女の日課だ。
「皆さんは?」
「晃司くんと風間さんはシステムの偵察に行くって、春日爺ちゃんと京都へ行ったよ。洋子さんは、山を下ってお買い物」
 漣の声が台所から聞こえてきた。料理中らしい。
 京都地区郊外の山中にシステムは建造されている。そこへ至る道は地球政府軍によって封鎖されており、真正面から攻めることは難しい。悟られぬように進入し、そしていきなりシステムを叩くのが一番確実な作戦であった。その最適な経路を調べるため、部隊の配置やルートを調べるべく、志帆達は京都へ足を運んでいる。と言っても発見されぬよう少人数で行くに越したことはないし、ここに残って漣の護衛や音々達の帰りを待つ人間も必要だ。いつも偵察は春日老を中心に二〜三人で行っている。
 とは言え、新参者の志帆と由香に漣を預けるあたり、信頼されているのか或いは人がいいだけなのか、志帆は判断に悩む。
 などと考えて気付いた。この三人(厳密には桜も含めて四人だが)で過ごすのは初めてなのだ。咲夜家が女系一族である上に閉鎖的な環境である事もあり、小十郎と父親以外の男性とは近衛隊に入隊するまで話したことさえ無かった。男性が嫌いという訳ではないが苦手意識はある。それは風間達に対しても同じ事で、常に多少の緊張感がある。こんなのだから男の恋人が出来ないのだろうと小十郎に言われるが、別に欲しいとは思わない。由香がいるからそれでいい。
 今日くらいは羽を伸ばしてもいいだろう。システムの発動の日は五日後に迫っているのだから、最後に息抜きというのも悪くない。
「由香さん、お茶にしない?」
「そうですね。すぐに煎れてきます」
 由香は柔軟体操を中断し、台所へと向かった。
「漣ちゃんも飲む?」
「うん!」
 そんな会話が聞こえてくる。
 漣は不思議な子だ。学校に通っていないせいか、世間慣れしていないところや、常識外れな行動をすることはあるのだが、人とのコミュニケーションが苦手というわけではない。むしろ、誰とでもすぐに打ち解けてしまうほどだ。いつも笑っているようだが、喜怒哀楽の怒・哀がないわけではない。一度、彼女が言った事がある。
「つらいって思ったらつらくなるし、淋しいって思ったら淋しくなると思いません?」
 きっと、いい育てられ方で育ってきたんだろう。
 その漣が宿る肉体の持ち主、桜の方と話したことはない。夜中と早朝にだけ意識が表面に出てきているらしいのだが、実際には漣の睡眠を妨げないように、早朝にしか桜としての行動をしていない。それもごく短い時間だけだ。
 志帆が朝に弱いせいもあり、起きてくる頃にはもう漣が目を覚ましている。
 時計の針は11:30少し前を差していた。咲夜家を脱走し、任務に追われることがなくなって初めて、自分がこんなに朝に弱いことを思い知った。起きて少ししたら昼食。明日は早く起きようと思っても、実現したためしはない。最近では開き直って、昼寝もしたりするほどだ。元々少食な上、太りにくい体質だからいいようなものの、そうでなければ体重の2〜3kgくらいは増えていても不思議ではない。
 他人の目が気になると言うよりは、あまり自分のたるんだお腹を見たくないと言う方が大きい。自己管理が出来ていないと言われるのもしゃくだ。
(ちょっと運動でもしようかしら……)
 そう思ったとき、電話が鳴った。取っていいものか一瞬悩んだが、
「あ、漣が出るー!」
 と言うのでそれに任せる事にした。その直後、由香がお盆を持って戻ってきた。いつもの紅茶の香りが漂ってくる。
 煎れたてだからかまだ少し熱めの紅茶を一口すすり、窓の外の景色をぼんやりと眺める。
 キャッチボールくらいなら出来そうな庭と、その向こうに広がる森。端から見ていれば、どこかの金持ちがペンションに避暑に来ているように見えるかもしれない。
「平和ね……」
「そうですね」
 不意に出た言葉にも、由香は律儀に返事をする。
「嵐の前の……って言うものかもしれませんね」
 由香の言葉には、これから来る決戦を覚悟しきったような響きがある。
「由香さん、後悔してない?」
「私は志帆様の行くところに付いていくだけです。それ以外に望むことなど、何もありません。後悔なんてするはずがありません」
 真顔で真剣に、だけどどこか暖かみを帯びた口調で由香は言った。まるで愛を語るかのように。
 少し温度が下がり、程良い熱さになった紅茶をまた一口すする。
「……由香さん」
「はい」
「愛してるわ」
 そう言って、穏やかに志帆は微笑む。
 何度彼女にこの言葉を言っただろう。だが、何度言っても言い足りないのだ。
 そして、いつものように由香が答える。
「私の心もこの身体も、全てが志帆様のために……」
 そう言って、同じように由香も微笑んだ。
「漣ちゃん、遅いわね。ちょっと様子を見に行ってみましょう」
 席を立った志帆の後を、当然のように由香が付いて歩く。

 玄関口の電話機の前で、漣は立ちつくしていた。
「漣ちゃん?」
 志帆が声を掛けた瞬間、漣は肩をびくっとさせたかと思うと、両膝をその場につくようにしてその場に崩れ落ちた。
「あ……」
 何か声をあげ、志帆達の方を振り返る。
 漣は涙を流していた。
「……あれ?」
 呆然とした様子で、と言うよりは寝ぼけているかのように目をパチパチさせている。何が起きたのか把握出来ていないようでもある。
「漣ちゃん、どうしたの?」
「判らない。男の人の声がして、急にママが目を覚まして……」
「ママって、桜さん?」
 志帆の問いに漣は頷く。
 何が起きたのだろうか。


 西暦2021年5月5日、水曜日。昼。

 京都地区、咲夜本家近くの山中にて。
 春日老、晃司、風間の三人は咲夜家に潜入して情報を集め、ちょうど脱出したばかりだった。
 真琴の話では、本物の咲夜詩織が戻ってきたらしい。前に戻ってきていたのは実は美咲の方だったと言うのだ。この二人が咲夜家を出たのも、全て詩織と静香の間で取り決められた約束に基づいてのものだったのだという。4月いっぱいの猶予期間、それが母親として静香が詩織に与えた最後の贈り物だったのだ。
「それなら納得がいく。いや、それでも……」
 晃司は呟き、拓也の事を思い出していた。
 それでも、拓也なら逆らうだろうと思った。詩織に与えられた運命に。
 拓也が詩織のことをどう思っていたのかは判らない。詩織への不信感を晃司に漏らしたりもしていたが、彼女のあの真っ直ぐな想いはきっと拓也へ伝わるだろう。そうすれば、どうして詩織が拓也の前で自分を偽らざるを得なかったか、拓也にも判るはずだ。そう信じたかったし、信じていた。
 拓也は詩織の想いを受け止めようとはしなかったのだろうか。或いはその前に、詩織の拓也への想いそのものが失われてしまったか。
 だから詩織は一人で咲夜家へ戻ってきた。そう考えないと筋が通らない。拓也が応えていたら、きっと詩織を一人で行かせはしなかったはずだ。
「音々ちゃんはどうしてるのかな……」
「何をブツブツ言ってるんや、晃司君」
 山道を下りながら風間が言った。
「風間先生は、音々ちゃんが心配じゃないんですか?」
「心配言うたら心配やけどな。それ以上に、この大事な時やねんから……はよ帰って来いって思っとるわ」
 口ではこう言っているが、一番心配しているのは風間だろう。判ってて聞いたのだ。
「そうですね」
 だからそう答える。この呼吸、晃司が風間の元を去った頃とまったく変わらない。この居心地の良さを放棄してまで、どうして理沙に付いて行ったのだろうか。答は明白だ。自分の姉が狂気に走るのを止めたかったのであり、狂気に走らないと信じたかったからだ。相反しているかもしれないが、それが本心だった。
「爺ちゃん……」
 なんとなく、春日を呼び止めた。
「なんじゃ?」
「姉貴は何をするつもりなんだろう。あのシステムを奪ったとして、その先に」
「判らん。判らんがな、お前がそれを気にする必要はない。責任を取るのは儂のような年寄りの仕事じゃ」
 晃司の言葉を遮り、春日老は言った。その言葉には悲壮感が漂う。
「爺ちゃん、死ぬつもりじゃないよね?」
「あんな青二才に殺されるほど、落ちぶれちゃおらんよ」
 余裕さえ感じさせつつ、春日老は言う。本心ではないだろう。自らの老いと理沙の才能、彼自身が一番良く知っているだろう。
 拓也ならどうだろうか。一度は理沙に完全敗北を喫したが、あの時はまともな精神状態ではなかった。ベストコンディションで挑めば望みがないとは言い切れない。霊剣術だってある。
 次に音々ならばどうか。こちらは勝てない気がする。精霊術は、対精人用として使うときに最大限の威力を発する。剣技がメインで、魔術はサポートに過ぎない理沙相手ではいささか分が悪い。接近戦にしても、理沙や拓也と違い、相手を殺す為の攻撃は出来ないであろう。
 拓也に頼みたかったのはそれなのだ。音々の歩む道の、暗い部分を彼に引き受けて貰いたかった。そんなことを易々と言えるものではない。そしてタイミングを計りすぎ…
(駄目だ、また思考が行き詰まる)
 自分を責めたって仕方がない。今は目の前の事だけを考えていればそれでいい。
「何ボヤッとしとるんや、晃司!」
 風間の声で我に返った。声のした方を見ると、風間はずいぶん先を歩いている。春日老も同様に立ち止まっていたのだが、こっちはおとがめ無しだ。
「……若輩者はつらいなぁ」
「あと四十年もすれば立派な年寄りじゃろうが」
 そう言って春日老は晃司の背を叩いた。


 西暦2021年5月6日、木曜日。朝。

 昨夕、風間達が戻ってきたときには、漣は既に眠っていた。
 電話がかかって来たということは志帆から聞いたが、その後しばらくして眠ってしまったらしい。
 そうして目が覚めないまま夜が明けた。一同が全員、漣の部屋に集まっている。
「理由は色々と考えられる。まったく別の人格が二つ、一つの身体に存在することに無理が生じて来たんやないかとか、肉体を持たずに生まれてきた漣とこの世界との繋がりが薄れて来たんやないか、とかな」
 珍しく深刻な表情で風間は言った。確かにどちらの理由ももっともらしい。
 深刻と言えば晃司の方が深刻だろう。ほとんど死にそうな顔をしている。漣よりも、こっちのほうが病人のようだ。昨夕帰宅して以来、一睡もせずに漣に付き添っていたため、眼の下に出来たクマが、さらに悲壮感を煽っている。
「熱は……」
 洋子が漣の額に手を当てる。
「無いようね」
 そう呟いた直後、漣がその眼を開いた。
「洋子…」
 口調が漣のものとは微妙に違う。
「桜?」
 小さく頷き、桜は上体を起こした。
「どうもご心配をお掛けしました……」
「その喋りは桜さんやな。いったい、何が起こってる? 漣は…」
「漣の意識は目覚めています。が、少しお願いして今は私の意識を表に出させてもらってます。眠っていたのは、私たちの意識にかかる負担を少なくするためで、さきほど風間さんが言っていたような事ではありません」
 その言葉を聞いて、晃司が大きく溜息をつく。張りつめていた気がゆるんだようだ。
「てことは、寝てても意識ははっきりしてたワケやな?」
 風間の問いに桜は首を振る。
「眠りから覚めたのはついさっきです。ただ、漣と話をしていたので……」
 その分、意識の目覚めと肉体の目覚めに時間差が出来た、という事だろう。
「で、何が」
「誰か来る……」
 最初に春日が動き、やや遅れて由香、晃司、志帆も身構えた。少しして玄関の戸が開く音がし、廊下を歩く足音へと変わる。
 足音はゆっくりとではあるが、皆が居るこの部屋へと向かっているようだ。由香はナイフを抜き、晃司は拳銃を部屋の入り口へと向ける。
「武器をお収めください」
 桜が言った。
「あなた方の敵ではありません」
 来訪者が誰なのか、彼女は知っているのだ。昨日の電話はこれを告げるものであり、ずっと眠っていたのはこの為の準備だったのだろう。が、素直にそれを聞き入れるほど晃司達はお人好しではない。二人とも迎撃態勢を崩そうとはしなかった。
 足音は次第に近づいてくる。
 そして、彼が姿を見せた。
「やあ風間。久しぶりだね」
 不健康そうな色白の肌。173センチの風間よりも頭2つ分は高い身長。男にしては長めの髪と、穏やかな目つき。風間の記憶と違うのは服装だけだ。今は晃司と似たような、ごく一般的な雇兵スタイルをしている。
(俺はこの男を知ってる。だが……)
 なんだ、この違和感は?
 その正体にはすぐに気付いた。彼は、風間が最後に見た20年前と同じ姿でそこに立っていたのだ。
「桂城、潤一郎……」
 何故だ?
「それは20年前の名前だよ。その後、私は鳳一馬と名前を変え、今は偽名は使っていない」
「樹華……」
 晃司が呟く。
「そう、私が樹華だ」
 潤一郎――樹華はそう呟き、なぜか淋しそうな笑みを浮かべた。
「拓也はやはり、樹華の子だったというわけですね」
 拳銃をホルスターへ戻し、晃司が尋ねた。葉雪は「樹華は拓也の母親ではない」と言ったのだ。それはただの言葉のトリックでしかなかった。精人が男性体をとることはないと決めつけていたのが間違いだったのだ。
「そうだよ、江藤晃司君。君と拓也のことは、雑誌でよく拝見させて貰っていた」
「どうして拓也の前から姿を消したんですか?」
「拓也を巻き込まないため……だね。私の身体はこのとおり老いを知らない。あいつを騙すのも限界に近づいていた。精人の存在を知れば巻き込まれない訳にはいかないから。
 それに、桜花と橘花に、私に子供が出来た事を知られる訳にもいかなかった。拓也の霊力が活性化していけば、いずれ奴らの知るところとなる。その時に私が側にいては、拓也が私の子だと知られてしまう。そうすれば奴らは拓也の正体に気付き、必ず命を狙っただろう……」
 それでもギリギリまでは、自分の息子として育てたかったのだろう。事情を話す樹華の表情からは、そんな感情が読みとれる。
「葉雪があそこまで執拗に拓也を求めた訳は、やはり同族だから……」
「やはりそうなったのか……。あの二人と拓也を引き合わせたくはなかったのに……」
 そこで溜息を一つつき、
「君の推論は、たぶん少し間違っていると思う。我々精人とその末裔の者達には、同族間で精神を同調させることで霊力を高める事が出来る。手っ取り早いのがセックスだ。が、それにも条件がある」
「条件?」
「そう、力の弱い者が強い者に惹かれるんだ。力の強さと言っても、単純に一口でくくれるものではない。何に作用する力であるとか、その用途や属性によって多種多様に分類される。つまり、互いに無い力を補いあったり、ある力が強い者が相手のその力を引き上げたり、そういう作用さ。単純に同族間であればいいというものではないんだよ。
 葉雪と拓也の場合は、おそらく長年の封印によって弱っていた自分の力を、拓也の力で引き上げようとしたんだろうね。拓也にしてみても、自分の知らない力を持つ葉雪から、そういった部分を分け与えて貰っていたんだろう。そうして自分の力が急激に成長していくのは、麻薬のような快感を与える。自分の知らなかった世界が目の前に開くんだからね。けれど、その間の拓也の精神状態は、かなり危険なものだっただろう」
「確かに……」
「雪菜はまだ節度を知っているが、葉雪はあのとおり容赦のない子だからね。葉雪は攻撃術を、雪菜は防御術を、消滅してしまった峰誼は精神に作用する術を得意としていたんだが、葉雪は峰誼と接触することでその力を吸収していたんだ。拓也を呼び寄せたのはその力だろう」
「じゃあ最後に、貴方はどうして男性体をとっているんですか?」
 晃司が知る限り、精人が男性体を取ることには何のメリットもない。とくに男性体の精人が子供を作るということは、へたをすれば自らの消滅を招くことになる。
「昔は私も女性体だった。けど、彼女に出会ったからね。三年がかりで男性体へと肉体を変貌させた」
「でも、男性体になりきる前から口説かれてましたよね」
 そう言って、桜が懐かしそうに笑う。
「桜、あなた記憶が……」
 洋子の問いに桜は頷く。
「全部思い出しました。最初はなんとなく、樹華のことはオカマみたいな人だと思っていましたわ」
「それを言われると辛いなぁ……」
 照れくさそうに、樹華は頭をぽりぽりと掻く。その姿には何の威厳も感じられない。
「でも、春日さんの息子さんと拓也が一緒に居ると知ったとき、私は覚悟を決めました。運命という言葉は嫌いですが、やはり巡り合わせというものは有るようですね。で、拓也と音々さんは何処に行ってるんですか? ここには居ないようですが……」
「それは……」
 晃司が事情をかいつまんで説明する。
 最初は興味深げに聞いていた樹華だったが、次第にその顔が情けないものに変わっていき、最後にはほとんど泣きそうになっていた。
 そして一言。
「……あの馬鹿息子……」
「アンタの教育が悪いからやろ」
 憮然とした表情で風間が言い放つ。
「息子の人生は息子のものですよ。親が責任を持つ必要はグフッ!」
 桜に枕を投げつけられ、樹華の言葉はそこで遮られた。その様子に、由香が思わず吹き出す。
「それにしても、拓也が咲夜家の……あの詩織ちゃんとくっつくとはね。いやはや、人の縁なんてどう転ぶか判ったもんじゃないなぁ」
「ところで樹華さん。漣……さんの事を聞きたいんですが」
 笑うのをこらえつつ、再び晃司が切り出した。
「どうして漣がああいう形で産まれたか、だね?」
「……はい」
「それを話す前に、精人が子供を作るために必要な『子供喰い』と呼ばれる術……と言うよりシステムについて話す必要がある」
 子供喰い。あまり良い響きではない。
「私を含め、精人というのは本来肉体を持たない存在だ。今のこの肉体だって、自分の力で作り出しているようなもので、いわば偽物の血肉に過ぎない。だからこそ男性体から女性体への変化なんてこともできるんだけど……。
 それはさておき、子供を作るということはもう一つの命を産み出すことだ。これは凄く大変な事なんだよ。私たちにしてみれば、自分の肉体と別にもう一つの肉体を作り出すようなものだ。はっきり言って無理だね」
「そこで、その……子供喰い、ですか?」
「そう。風間の理論にもあるけれど、肉体がそこに存在しようとし続ける力、私たちには本来その力がほとんど無い。だから別の力をそこにつぎ込むことで代用しているわけだ。存在を維持させようとすればその方法しか無いからね。けど、男性体なら体内に精子を作ってから射精して相手の女性の胎内で受精させるまで、女性体なら相手の男性が射精する寸前から自分の胎内で受精させるまで、どっちにしても受精するまでの短い間さえ存在を維持できれば、あとは相手の精子なり卵子が持っていた『存在し続ける力』に頼る事が出来る。その短い間を維持する為にだけ、違うところからその力を奪い取ってくることが出来るのさ」
「それが子供喰い……」
「……そう。と言っても実際に子供を喰う訳じゃない。過去か現在か未来か、いずれにしてもどこかの世界に生きている存在から『存在し続ける力』を根こそぎ奪い、自分の子作りの為に使うのさ。奪われた方は、その場で『存在し続ける力』を失ってしまい、その存在が全て消滅してしまう。『存在し続ける力』が無くても存在できるのは精人くらいさ。
 どんな存在から力を奪うのかは判らない。人間であることだけは確かだけれど、どんな時期から奪うのかはサッパリね。10歳の子供かもしれないし、80過ぎのお爺ちゃんお婆ちゃんかもしれないし、生まれた直後の赤子かもしれない。どっちにしても、誰かの子供を奪うことには違いがない。だから私たちはこれを子供喰いと呼んでいる。だから、私は桜花や橘花と違い、子供を作ろうとしなかったんだ。桜に出会うまでは。
 そうして私は、誰かの子供を喰うことを覚悟で子供を作った。だが、その子供が双子だとは思わなかった。拓也は『存在し続ける力』を充分に持って産まれてきたが、漣はそうではなかった。精人化し、消滅しようとした漣を、桜が救った。自分の中に漣を取り込んだんだ。けど、それが原因で桜は記憶の一部を失ってしまった」
「昨日のあなたからの電話がきっかけで、全てを思い出せました。私は本来なら、橘家の当主になるはずだったんです。でもそれが凄く嫌だった。それが、樹華に会って……」
 穏やかに微笑み、桜が言った。
「橘家の!? てことは、あの美里とかいうキッツい女は……」
「……美里は私の妹です」
 風間の言葉に、桜は苦笑気味に答えた。
「橘家では、私は裁きプロジェクトの実験中に死んだと思っている筈です。だから、私が出ていけばきっと驚くでしょうね」
 悪戯っぽく桜は笑う。
「桜の外見の変貌の理由の一つは、私の子供を身籠もったことで、彼女自身が精人に近づいたこと。もう一つは精人化した漣を取り込んだことで、さらに精人へ近づいたこと。二人の分離は、漣が自分の肉体を形成する術を覚えれば可能だ」
 樹華は晃司に向かってそう言った。おそらくは、漣と晃司の関係にもそれとなく気付いているのだろう。
「一つ聞きたいんじゃが、ならばどうして桜花や橘花は子供を乱造しない? その方があやつらには都合がいいじゃろうに、儂の知る限りでは桜花は二人しか子供を産んでおらん。橘花に至ってはここ十年ほど情報が途絶えておる」
 それまで黙っていた春日が質問する。
「子供喰いは『存在し続ける力』をどこかから調達してくる術だ。肉体と違って純粋な力は、時間や空間の制約をあまり大きくは受けないからこそ出来る芸当なんだ。けれども、時間を超えさせる術だからね。私達精人にしても、並大抵の消耗じゃ済まないんだ。その力を蓄積するのに必要な時間が、およそ二千年。だから子供をたくさん作ることは出来ないんだよ」
「俺からも聞きたいことが有る。潤い……やなくて樹華」
 風間が手を挙げた。
「20年前、裁きプロジェクトに参加していたのは何故や?」
「桜がそこに居たからさ。それと、システムの完成度を見たかったというのもある」
 桜のためにわざわざ女性体から男性体へ変化したくらいだから、後者はおまけのような理由だろう。地球にも同様のシステムはあったのだから、わざわざ月まで行く必要があったとは思えない。
「じゃあ、あのシステムの最終目的、それとお前の目的はなんや!?」
「……あのシステムは門を開くためのもの。システムに掛けられる者の『存在し続ける力』を抽出し、祈り・裁きの両システムから放出、互いにぶつけ合うことで生まれたエネルギーを使って私たち精人が生まれた世界への門を開くためのもの」
「それは何の為なんですか?」
 晃司が問う。
「それが精人の本能だからさ。君たち風に言えば、帰巣本能と呼ばれるものに近い。何故と聞かれても困るけど、そういう本能なんだ。私たちはいずこかの世界で何体かの個体でまとまって発生し、無限に存在する平行世界を漂い続ける。生まれた場所から遠ざかるようにね。そして成長するに従い、遠ざかる速度が低下する。それが止まったときから、私たちの故郷への旅が始まるんだ。その世界に適合するように自らの肉体を作り出し、そこで自分の力を受け継ぐ子供を作る。そうやってその一族を発展させ、それらの力を借りて門を作っては次の世界へ旅立つ。葉雪たちは、その旅の過程で生まれた第二世代の精人というわけさ。何度も何度も門を開くことを繰り返し、私たちはこの世界へとやってきた。戻ったところで、何があるのか判らない世界へ戻るためにね。そうしている内に、いつの間にかルールが出来ていた。大まかに言えば、それぞれの世界の公転周期で約二千年間、桜花と橘花が一族を栄えさせ、その他にも定めたルール違反が無いかを私がチェックする。さて、文明の発展に一番手っ取り早い方法は?」
「……戦争、ですね」
 晃司の答に樹華は苦笑いを浮かべて頷いた。
「この構図は実に都合が良かった。門を開く為には、『存在し続ける力』以外にも多大な力を放出する必要がある。それに必要なシステムを、対戦相手の一族を滅するための兵器として位置づければいいんだからね」
 そう語る樹華の口調は軽い。だがその瞳は、自らを含む精人がこれまでにしてきたことを自嘲するかのように晃司には見えた。
「シェラ……峰誼家の末裔の女性から、あなたは桜花と橘花を止めようとしたと聞きました。それは何故ですか?」
 そう樹華に尋ねながら、シェラの事を思い出す。彼女は今、どうしているのだろうか。故郷を失い、一族を皆殺しにされ、理沙への怨みを抱いて消えたシェラ。どうして彼女が去るのを止められなかったのだろうか。
「本能を失ったんだよ。いや、別の本能に目覚めたと言った方がいいかもしれない。私は子供を作ろうとはしなかったが、峰誼や葉雪はそうではなかった。彼女らの子供、そのまた子供……そうして育った一族を見ているうちに、この世界に愛着が湧いてきたんだ。それまでにも育てた一族はあったけど、そんな感情を抱いたのは初めてだった。だから二人を止めようとしたんだけど、そのせいで峰誼は……」
「つまり、お前の目的はなんなんや!?」
 風間が再び同じ問いを投げかける。
「20年前に言ったとおりだよ。私はあのシステムを破壊し、桜花と橘花のしようとしていることを辞めさせたい。この命に代えてもだ。その為に風間達の力を借りたい」
「……判った、樹華。俺達もアンタの協力が欲しい」
 風間が手を差し出し、それを樹華が握る。
「全力を尽くすよ」
 20年ぶりの握手だった。

To be continued.
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