Moonshine <Pray and Wish.>
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 もう私は神様になんて祈らない。
 未来は人の手で掴むから。
 自分の力で何かを為そうとしない人に、神様は手を差し伸べないと思うから。
 それに、私は温もりのある人の手が好きだから。
 神様はいるのかもしれない。
 でも、居ても居なくてもいい。
 私たちの生きる姿を、空の上から見ていたければそうすればいい。
 おごり高ぶった顔で、私たちを見下ろしていたければそうすればいい。
 私は今、祈っている。
 神様に祈っているわけじゃない。
 どこかに居るあの人へ、私の想いが届くように。
 あの場所は楽園になれなかったから、また二人で探しに行きたい。
 そう願っているだけ。

 そう、願っているだけ。


Episode 05 瓦礫に埋もれた楽園


 足早に訪れる冬が、季節を塗り替えようとしていた。
 2023年11月。ここ数日は曇りがちの天気が続いているが、それでも時折、太陽は空から陽の光を降り注がせ、人々の生活に暖かさを与えてくれている。
 山から紅葉が失われていき、その代わりに吐く息は日に日に白くなってゆく。風はその冷たさを増し、一日に夜が占める割合も増えてきていた。
 だが、彼女は冬の夜が好きだった。
 空の黒と、大地の白とのモノトーン。
 それは怖いくらいに静かで、悲しいくらいに張りつめていて、それでいて儚い。
 そして何より、この地の冬は特別だった。
 月明かりに照らされて、モノクロの世界に仄かな色を与える夜桜。それは涙が出るほど、幻想的な光景だった。

 彼女が暮らす山間のこの街は、寒桜の名所として知られていた。
 寒桜。冬桜と呼ばれる事もある。寒桜とはある一つの品種を差すのではなく、晩秋〜初春に開花する桜の総称である。寒桜の多くは1〜3月頃に開花するのだが、早い品種では11月中旬に咲くものもある。そうした品種には、春にもう一度咲く、いわゆる二度咲きのものが多い。
 街から少し外れた所にある森林公園には、いくつかの品種の寒桜が植林されており、11月に一番最初の品種が咲き始めて以降は、約半年間にも渡ってなんらかの桜が咲き続ける事になる。
 この街の住民の間では、それら全部をまとめて「寒桜」と呼んでいる。正式な分類は無視だ。

 桜を見ていると何かが頭に浮かんできそうになる。でもそれは、意識の表面に姿を見せたとたん、霧のように消えてしまう。
 彼女は記憶のほとんどを失っていた。彼女が今の彼女として最初に得た記憶は、見たこともない森の中を歩きながら目が覚めている時だった。一人で森の中を歩き続け、歩きながらまどろんでいく意識。そして再び、歩きながら目覚める意識。
 そんなあやふやな状態を繰り返すうちに、彼女はこの街の近くで行き倒れていた所を住民に拾われた。彼女を発見したのはこの街で産まれ、この街で育った老婆だった。以来、彼女はその老婆の家で世話になっている。
 『光の夜』と呼ばれる大きな天変地異が起きたと言うことも、その老婆に聞いた。たぶん、その時のショックで記憶を失ったのだろうと、街の医者は言った。
 記憶と言うより、自分の半身を失っているようにさえ感じる。だから、何かを思い出そうという焦燥感よりも、かけがえのないものを失った喪失感の方が強い。

 断片的に覚えていたことはいくつかある。
 今の自分とうり二つの女性を、まだ幼い自分が見上げている様子。
 それとは違う女性を、炎に包まれる森の中で見ている様子。
 逢ったこともない父親を、救ってあげたいという使命感。
 だがそれらの記憶に対し、彼女はなぜだか違和感を感じていた。
 何かが、混じっている。自分の中に違うものが混じっている。いや、混じっているのは自分自身なのか。
 記憶がないせいか、鏡で自分の姿を見た時にも違和感を感じる。ここに立っているのは自分じゃない、とさえ思う。
 そして思い出したこと。その自分の姿を初めて見たときに、口をついて出たある名前。
「……瑠璃奈?」
 その日から、彼女は瑠璃奈という名で呼ばれるようになった。



  明けない夜もある。
  だが、夜は不幸の象徴ではないのだ。
「赤い翼の天使」


 その平原は一面の雪で埋まっていた。
「今年はやけに早く積もりやがったな……」
 双眼鏡を構えた兵士の一人が、身震いしながら傍らに立つ相棒に愚痴る。
「ここ何年かはやけに寒い冬が続いてるからな。20世紀の蝦夷地区並だとよ」
 相棒はそう言ったが、それはちょっと大げさだろうと思う。彼は蝦夷地区出身で、あの土地の寒さは身に染みている。蝦夷地区の冬はこんなものではない。
 だが、これだけ一面の雪景色を目の当たりにすると、ついつい故郷を思い出すのも事実だ。
 彼ら二人は日本自治領正規軍の斥候である。
 先日、彼らが偵察任務を行っているこの場所の先にある集落に、反政府ゲリラが潜んでいるという情報を得て、自治領軍が派遣された。二個小隊をもって編成されたその部隊は、十日を経過しても誰一人として戻っては来なかった。
 第二陣として派遣されたのが、彼らが所属する中隊だった。基地から出撃して丸二日。未だに敵との遭遇はない。とは言え、相手は二個小隊を全滅させるほどのゲリラ部なのだから、簡単に発見できるわけがない。斥候の任務の重要さも、より一層増してくるというものだ。
「この辺りには居そうにないな」
 双眼鏡を懐にしまい込んだ彼の視界の片隅に、小さな黒い影が見えた。
「……ん?」
 慌てて双眼鏡を再度取り出し、影の見えた方へと向ける。何も見えない。
「気のせいだったのか……?」
 しかし、彼の直感はそうではないと告げている。
「あっ!」
 相棒が叫び声を上げた。その直後、双眼鏡の視界が闇に包まれる。
 すぐさま双眼鏡から目を離した彼が見たものは、黒
「魔じ……ぃっ!」
 そして彼らの意識はこの世から消えた。

 西暦2023年11月24日、金曜日。
 大阪地区の南端、和歌山地区との境界線近くの、海岸に面した小さな町――と言うよりは瓦礫の山を人が住めるように整頓した程度の集落。
 町の人口はおよそ1000人。そのうち、60歳以上の老人が二割強を占めている。女子供を加えると七割だ。残る三割のほとんどが、この町を守るための自警団要員として防衛の任に就いている。「光の夜」以後の食糧難は深刻であり、外部地域からの支援物資はこういった末端の町へはなかなか行き渡らない。結果としてそういう町の多くは、反政府勢力として政府と敵対していくケースが多い。
 しかし例外も少なくはない。以前から農業や漁業の盛んであった町のいくつかは、政府からの食料徴収を免れるために、反政府とまではいかなくとも独立勢力と化し、完全に自給自足の生活を営んでいる。三郷と呼ばれるこの町もその一つだ。
 三郷町はこのあたりにあった三つの町が、21世紀初頭に合併して出来た町だ。町名もそれに由来している。このあたりは古くから農業・漁業ともに盛んであり、いわゆる大都市からも離れたところに位置している。
 この町も「光の夜」により建造物の多くが被害を受けており、以前の町並みと比べれば廃墟に等しい。だが、近くに風力発電所があったこともあり、生活水準は日本自治領内でもかなり高いレベルにあると言えるだろう。

 三郷の中でも、比較的被害の軽微だったビルの入り口前。
 どんどんどん!と激しく勝手口のドアを叩く男が居る。
「先生! 先生! 急患だよ!!」
 何度も叫んでいると、ぎぃっと鈍い音をたてて扉が開いた。その向こうから、寝癖のついたショートヘアーをぼりぼりと掻きながら、一人の女性が姿を見せる。
「先生! 北川の爺さんが、瓦礫から足踏み外して、腕折っちまったんだよ!」
「まーたあのジジイ? ったく、しょうがないなぁ……」
 彼女の名は綾瀬香織。「光の夜」の二ヶ月後にふらっと現れて以来、ここで診療所を営んでいる。漢方治療を中心とした内科と、神霊術による外傷治療。いわゆる町医者だ。
 営むと言っても金を取るわけではない。集落の中でもかなりマシな部類に入る建物と、生きていくための水と食料を分けて貰う代償として、彼女はこの町の病人を一手に引き受けているのだ。
 知らせにきた男の案内で小走りすること三分。うずくまって腕を押さえている北川老人の姿がそこにあった。
「あーら爺さん。痛そうじゃない。でも押さえつけちゃダメよー、治療が難しくなるから」
「せ、先生……」
「うーん。すぱっと折れてるわね。んじゃ死ぬほど痛いけど我慢してよー」
 両手で折れた部所の左右をそれぞれ握る。
「ショックで心臓止めちゃやだから、ね!!」
 最後の『ね』に気合を入れ、骨のずれを直す。
「ぎやぁぁぁぁぁっ!!」
 叫び声を無視し、霊力を集中させる。老人の自然治癒能力を一時的に活性化させ、本来ならギブスで固定し、折れた骨が元通りになるまでのプロセスをごく短時間に進めてゆく。さらに痛覚を麻痺させることも忘れてはいない。本来ならショック死してもおかしくないほどの激痛が走っているはずだ。
 それでも北川老人に痛みが走るのは、霊力で抑えきれない分の痛みが残っているのもあるのだが、それよりも怪我しないように気を付けろ!という香織なりのお仕置きとしての意味合いが強い。
「はい、おしまい。年寄りの治療は疲れるんだから、無理しちゃダメよ」
「……ふぅぅぅ」
 もう痛みは残っていないが、ほんの数秒前の激痛を思い出し、北川老人はため息をついた。
「ありがとよ先生。昔通ってたでっかい病院の先生よりも、アンタの方が上だわな」
「当然でしょ。今度、うまい酒でも差し入れしてよね」

 昼食の時間が終わると、正面玄関のロビーに少しずつ人が集まり始める。ほとんどが定期的に治療を受けに来ている老人だ。とくに診療開始時間は決まっていない。適当に集まってきて、準備も整ったら診療開始。老人達も、とくに治療が必要である者は少なく、ほとんどが今日の体の調子はどうだのといった、健康状況の報告を兼ねた世間話という者がほとんどだ。だから診療の順番も先着順ではなく、その日その日で変動する。
 診療所兼住居となっているこの三階建てのビルは、フロア面積はさほど広くはない。元々はどこかの運送業者の事務所として使われていたらしいが、十年ほど前に閉鎖されて以来空きビルとなっていたのだ。
 一階は診療所。二階は香織の住居。そして三階は立ち入り禁止となっている。住民達の間では「開かずの間」という呼び名が着けられている。
「はい、あーんして」
「あ〜ぁ〜」
 言われるままに、診察室の椅子に座った少年は口を開く。
「ん。ただの風邪ね」
 持っていたペンライトを置き、カルテ代わりの大学ノートに診断結果を書き込む。
「風邪薬はまだ有ったかなぁ……?」
 薬品棚をゴソゴソと漁っていると、診察室の扉がノックされた。
「誰よー? まだ診察中だから順番待ってなさい!」
「薬が要るんじゃないんですか?」
 という男の声がした直後、がちゃりと扉が開かれた。
「飯村……」
 苦渋に満ちた表情で、香織はその男の名を呟く。
「今日持ってきた分の薬の中に、風邪薬も有りますが?」
 男の名は飯村平治。歳は三十五だが、いつもモデルのように綺麗な姿勢を保っているせいか、それよりはもう少し若く見える。2メートル近い長身のせいもあるだろうし、童顔のせいもあるかもしれない。二十代でも充分に通用するほどだ。
「いやいや。今回の仕入れは苦労しましたよ」
 人なつこそうな笑みを浮かべ、アタッシュケースを手に香織の元へと近づいてくる。
「すぐに出してよ」
「かしこまりました」
 てきぱきとした動作で、アタッシュケースの中から紙袋に入った薬を取り出す。
「ケリオンが500錠、どうぞ」
 香織は無言でそれを受け取る。1シートあたり20錠。そのうち4錠分を切り取って少年に手渡す。
「食後に1錠ずつ飲むのよ。あと、今日の診察は終わりだってみんなに言ってきて」
「うん、わかった。ありがとう!」
 少年が出ていったのを確認し、香織は大きくため息をついた。
「おや。せっかく薬を仕入れて差し上げたのに、不機嫌ですね?」
 この診療所で使われている薬の類は、全てこの飯村が仕入れている。三郷に来てまもなく、薬を求めて方々を回り、たどり着いたのがこの男だった。
「こちらが今回の明細です。請求書は自警団の方へ回しておきますので」
 無言で明細に目を通す。いつも使っている薬物・薬草の類だ。どこから仕入れてくるのかは判らないが、量・質ともに充分に満足できるものだ。
「さて……」
 それまでの温厚な笑みとは違う、陰湿な笑いを浮かべ、飯村は服を脱ぎ始めた。
 それを見た香織は窓のカーテンを閉め、自らも服を脱ぎ始める。
「いやいや。いつ見ても綺麗な身体ですね。もう二年以上になりますが、最近はますます色っぽい」
 香織は何も答えずに靴下を脱ぎ、診療台脇に備え付けてある患者用の脱衣かごに放り投げた。既にシャツもジーンズも脱ぎ終え、後は下着を残すのみである。
「その頑ななところも相変わらずですね」
 既に全裸になった飯村が、舐めるような視線を香織へと放つ。その股間では、既にペニスが隆々と屹立していた。
 ブラジャーとスキャンティも脱ぐと、衣類をまとめてかごへ入れる。そして飯村と真っ正面から向かい合い、その眼をきつく睨み付けた。
「さ、今日は何からすればいいの?」

 この時代、薬品は貴重品であった。日本自治領内での生産は完全にストップしており、既に市場に出回っていたものや倉庫内に備蓄されていた在庫分が、闇ルートで出回っているだけである。三郷のような、財力に乏しい自警団程度がまとめ買い出来るものではないのだ。
 それを安価で提供する代償がこれだった。飯村とてどこからか仕入れてくる以上は原価が掛かっているはずであり、自警団から飯村へ支払われている金額程度では雀の涙に等しい。その差額として、飯村は香織の身体を求めた。
 飯村は言った。これはビジネスなのだと。代償に見合うだけのものを、香織達へ提供しているだけなのだと。

 そしてひとしきりの事が終わると飯村は、香織をベッドの上に残したまま診療室の扉をゆっくりと開いた。
 そこには飯村の部下の男達が約十名、にやにやしながら待ちかまえていた。
 月に一度、こうして香織は男達の慰み者にされていた。

「ではまたそのうち」
 男達を引き連れて飯村が去った後、香織はベッドのシーツをはがし、それで汗と精液にまみれた自分の身体を乱暴に拭った。外に射精する男もいれば、中に出す男もいる。そろそろ来る頃だと思っていたから、あらかじめ経口避妊薬で避妊対策はしてあるが、確実性には欠ける。もし奴らの子を孕まされたら……と思うと寒気がするが、拒むことは出来ない。
 とりあえず拭い終わると、シーツを丸めて小脇に抱え、裸のままで二階へと上がる。
 自室の扉をくぐってすぐに全自動洗濯機が置いてあり、そのすぐ側には浴室がある。シーツを洗濯機に突っ込み、スイッチを入れる。洗濯槽内に勢いよく水が注がれ始めるのを確認すると、香織は洗濯機の蓋を閉めて浴室へ入っていった。
 シャワーの蛇口をひねると、すぐに浴室内は湯気でいっぱいになった。まだあの男達の体液がへばりついてる気がして、念入りに全身にシャワーを浴びせる。それが済むと、シャワーを止めずに空っぽの浴槽に入った。
「ふう……」
 小さくため息をつく。あの男達に陵辱されている間は、人間であることを忘れようと心がけている。それをこの風呂で取り戻す。毎月の事だ。
 物想いにふけっている間にも、少しずつ浴槽に湯が溜まりはじめていく。まるで自分の心の容れ物が満たされていくかのように。
(最近、ため息をつく回数が増えた、な……)
 十数分後、風呂から出た香織は、まずは洗いたての服に着替えた。
 そして鏡に向かい、自分の姿をじっと見つめる。そのまま顔だけを、鏡すれすれにまで近づける。もう鏡には自分の瞳以外、何も映らない。
 まだ眼は濁っていない。身体がどんなに汚されようとも、心が汚されない限りは瞳が濁ることはない。
「まだこれなら、逢いに行けるよね……」
 そして香織は、三階への階段を登った。


 江藤理沙の朝は遅い。
 現在の日本自治領の統治者ではあるのだが、政治的な部分は月政府側の人間、つまりは橘家の人間と理沙のブレーン達がうまくやっているのでそちらに一任している。月政府の属領の長としての最高決定権は持っているが、今のところそれを用いてどうこうするような事態は起きていない。
 政治と軍事とは切り離しておくべきだということは理沙も承知しているので、彼女が日本自治領軍のトップでもある以上、あまり政治に干渉するつもりはない。
 そして軍関係の仕事はと言えば、これも少ない。月と地球の領土的統一により、外敵どころか仮想敵国さえもなくなった現在、自治領軍が総動員されるような事はそうそう起こるものではない。
 地球上のどこかで内乱でも起きれば話は別だが、日本自治領以外の人々はようやく訪れた平和を享受しようとしている。民はもはや争いを望んではいないのだ。仮に起きたとしても、それは月政府直轄の軍隊が処理することになっている。理沙の出る幕はおそらくないだろう。
 日本自治領軍の現在の仕事は、領内の復興作業の支援と、治安維持がその主たるものである。いわゆる咲夜家狩りは、この治安維持の一環として区分されている。しかし、そういう事でさえも、指揮系統をきちんと整備しておけば、トップの人間が直接指示を出すことは最低限で済む。
 理沙の上に立つ立場である、橘家からの指示はこうだ。
『咲夜家の残党の殲滅および、桜花・咲夜美咲・咲夜静香の三名の発見および確保。生死は不問だが、死亡している場合はその証拠を提出すること』
 祈りシステムの発動によって消滅した詩織はともかくとして、静香は咲夜家の当主であるし、美咲はその娘だ。桜花ともども、再び咲夜家が結集するための旗印となりかねない。橘家としては、それだけは防がねばならないだろう。
 だが、未だに三人の行方は杳として知れなかった。
「誰か居る……?」
 ベッドから起きあがり、眠い目をこすりながら理沙が声をあげる。
 すぐに一人の女性が理沙のベッドへと近づいていく。理沙の筆頭秘書の、北嶋志帆こと咲夜志帆だ。
「起こしに来なかったところをみると、何も事件は起きてないのね?」
「ええ」
 志帆の答えに小さくため息をつき、理沙はベッドから降りた。そのまままっすぐシャワールームへと向かう。服は元々着ていない。その後に志帆が無言で続く。
 『光の夜』によって意識を失った志帆と由香の二人は、偶然にも理沙の部隊が集結している地点のすぐ側で覚醒した。程なくして捕らえられた二人だったが、昔のよしみで理沙が自分の監視下に置くことにした。それ以来、志帆は咲夜家の人間であることを隠すために由香の姓である北嶋を名乗り、理沙の下で働いている。
 理沙は最初にこう言った。
「志帆、あたしについて来なさい」
 その言葉に、志帆は屈辱を感じなかった。むしろ安堵していたといえよう。結局のところ、強い力を持つ者にすがるしかないのだと、居直っていたのかもしれない。
 橘家によって開発された咲夜家の術者を検知するためのセンサーは、裁きシステムの発動時に日本自治領全土に張り巡らされた微弱な結界とセットで効果を発揮する。「咲夜検知フィールド」と呼ばれるこの結界は、それ自体にはとくに大きな効果はない。が、咲夜家の霊力とは反発しあうのが橘家の霊力である。橘家の霊力によって発動した結界内に居る限り、その霊力に逆らうようにして咲夜家の術者の霊力も微弱ながら常に発動する。センサーはそれを検知しているのだ。
 だが、ある一定以上の水準の術者であれば、その結界を無効化する事が可能である。本家筋に近い志帆の場合も、その水準をクリアするだけの霊力を持っていた。よって、センサーは志帆に対しては無効となり、理沙の周囲の人間にも、彼女が咲夜家の関係者だという事が知れずに済んでいる。美咲達が未だに発見されないのもそのせいだ。
 筆頭秘書として、また側近としての志帆の仕事は多い。スケジュールの管理や軍内部の様々な事務処理だけでなく、身辺警護に加えて夜の相手の一人。由香の仕事も同様だ。彼女ら以外の男女が、ベッドで理沙の相手をしている時も、志帆と由香は常に側に付き従っている。事実、彼女を暗殺しに来た人間は一人や二人ではない。その方法も様々だ。
 確かに理沙に恨みを抱く人間は多い。橘家と結託したそのやり方は確かに強引だったし、咲夜家一族の置かれている現在の状況を考えると心苦しいものはある。だが現在の世界情勢を見る限り、少なくとも戦時中よりは良い方向へと向かっているように思えるのだ。数十年もすれば、戦争を終わらせた功労者の一人として、学校の教科書に名が載ったりもするかもしれない。
 だから最近の志帆にとっては、理沙の下で働くということが誇りに思えつつもある。問題の多い人間ではあるが、希代の英雄には違いない。それゆえに生まれる歪みを、志帆達が正す。そこには生き甲斐さえも感じられる。理沙に心酔していた、と言ってもいいだろう。
(……そうだ。あの頃から、私は惹かれていたんだ)
 理沙との出会いは12年前。志帆が14歳で昨夜近衛隊に入隊し、半年ほど過ぎた頃に入隊してきたのが理沙だった。
 その頃の理沙は15歳の誕生日を迎えた直後、つまりは志帆とほぼ同い年だった。そんな理沙の第一印象は、鮮烈という一言に尽きた。
 既に衰退の途を辿っていた咲夜近衛隊だったが、それでも数人は一流と呼んでもいいような使い手は居た。だが、理沙はもの十数分で、志帆や由香も含めた近衛隊の面々を一蹴したのである。
 理沙が近衛隊に在籍していたのはほんの一年ほどだったが、それ以後も志帆と理沙の間には、表裏に渡って交流があった。
 だが、未だに理沙の最終目標が判らない。今のように支配者として君臨することが、理沙の望みだとは思えないのだ。むしろ、支配側に回って以後の理沙からは、かつてのギラギラした覇気が感じられないようにさえ感じる。
 圧倒的な力は、それだけで見るものを魅了する。その力を発揮する機会というのが、今の理沙には欠けているのだろう。
 だが。理沙から「終わった」という雰囲気は感じられない。くすぶってはいるが、彼女の内の炎は消えてしまっているようには思えないのだ。
 理沙には王者の資質がある。そして、今の彼女はそれにふさわしい場所にいる。少なくとも志帆はそう信じている。理沙は王になった。
 ならば再び王が剣を取る日まで、それを支えるのが己の役目だ。未だに理沙には敵が多いし、自治領内には無数の反乱分子が存在している。その中でもやっかいなのが咲夜家の残党だ。
 咲夜家狩りの影響で散り散りになった咲夜家の術者や関係者が集まり、なんらかの方法で咲夜検知フィールドの影響を逃れ、いずこかに潜伏しているのだ。彼らは咲夜小十郎の指揮の下、自治領軍の輸送部隊や基地を襲撃しては、食料や物資を奪っている。彼らが咲夜家残党のみで活動をしているのか、バックに何らかの組織があるのかは未だに判明していない。
 その他、志帆が知る限りの風間一派の動きは以下のとおりだ。
 風間龍成は、自治領政府による「祈りシステム」の復旧に助力している。その実状はと言えば、妻の洋子を人質に捕られて身動きが取れないと言った方が正しい。
 春日琢己は死亡。咲夜詩織も死亡と見ていいだろう。
 片桐音々に関しては、何件もの目撃例が挙げられている。小十郎とともに咲夜家残党に助力していたり、各地で自治領軍と小競り合いをしていたという報告があったりした末、現在では指名手配中だ。もっとも、それらの多くが非は自治領軍にあり、民衆の間ではちょっとした英雄扱いでさえある。逮捕は難しそうだ。
 消息不明なのが、江藤晃司、神楽漣(桜)、咲夜美咲、樹華、鳳拓也。義体も数に入れるなら、それもだ。
 皆、ともに過ごした時間は短い。彼らが今の自分の立場を知ればどう思うだろうか。裏切り者とそしるか、同情混じりに理解をするか……。おそらくは前者だろう。それでも志帆の中では、彼らは今でも仲間なのだ。敵だとは思えないのだ。


 綾瀬香織の朝は遅い。
 患者たちの騒ぐ声や、扉を叩く音で目が覚めない限りは、気が済むまで眠っている。
 とりわけ今日は遅かった。飯村たちに陵辱されたその翌日は、物音を無視して気の済むまで眠ることにしている。
 その分、診療が終了する時間も遅くなる。最後の一人に薬を渡し終えた時、既に太陽は沈んでいた。
「陽は沈むし、気分も沈むわ。ったく……」
 気怠そうに呟き、胸ポケットから煙草を取り出す。が、空っぽだった。
「…………」
 箱を握りつぶしてゴミ箱に捨て、机の引き出しから取り出した新品の封を切る。
 口にくわえて、オイルライターで火を点ける。油の臭いの混じった煙が口腔から肺へと染み渡っていく。
 ギシギシとうるさい椅子に腰掛け、今では貴重品となった煙草の二本目をちょうど吸いきろうとしたとき、扉がノックされた。
「だぁれー? 開いてるけどぉ?」
 扉が開くと、そこに飯村と数人の男が居た。
「ちょっと来月は忙しそうでしてね。品はきちんと届けるようにしますので、その変わりに先払いをと思いまして」


 彼の朝は早い。いつもきっかり7時半に目を覚ます。
 だが、妻の目覚めはそれよりもっと早い。彼が起きる時間に合わせ、毎朝の朝食を用意できる程度の時間には目を覚ましている。
 するべきことは今日もたくさんある。仕入れた品の分類、仕分け先への手配、仲間たちへの分配、弾薬などの調達……きりがない。
 彼の仕事の九割以上が、そうした裏方作業だ。実戦に参加しない訳ではないのだが、それ以外の仕事が多すぎるのだ。そして、そう言った裏方作業において、彼が頼れるブレインは妻くらいだった。
「……さて、始めるかな」
 朝食を食べると、すぐに仕事に取りかかる。先週、入手してきた物品の仕分けがまだ終わりきっていない。一部はつい先日、部下に命じて出荷したばかりだが、まだ半数以上が残っている。
 作業を初めて数時間後。在庫チェックをしていた妻が、小さい箱を持って彼の許へとやって来た。
「これ。送り忘れじゃないかな?」
 箱に貼ってある伝票を見ると、確かに出荷日は一昨日になっている。本来なら昨日には届いているはずの荷物だ。
「中身は……医薬品か」
 これを待っている病人の事を考えると、重要度は極めて高い。だが、流通全般を任せている部下は出払っている。
「しょうがない。直接持っていこうか」
「うん」
 荷物を車に積み込み、二人は彼らの拠点を後にした。
 目的となる集落までは、車を飛ばして三時間ほどで到着した。既に陽は暮れている。
「今晩はここで泊めて貰わないとな……」
 自警団の若者に事情を説明し、診療所まで案内をして貰うと、建物の前にはすでに車が停まっていた。見覚えがある車だ。
「あの人達も来てるみたいだね」
 医薬品の詰まった箱を持ち、建物のドアをくぐる。ロビーには誰も居なかったが、奥の部屋に明かりが点いている。
「あの部屋にお医者さんがいるのかな?」
「たぶん」
 扉を軽くノックすると、中で物音がした。が、返事はない。
 再度ノックする。何か中でざわめいている。
 開けていいものかどうか悩んだが、中にいるのは彼の部下達と医者のはずだ。何かの打ち合わせ中だとしても、彼がそこに居てまずい理由はない。
「開けますよー。じゃ、開けて」
 箱を両手に持っている彼に代わり、妻が扉を開いた。

 そして彼は絶句した。持っていた箱を床に落とし、部屋の中で行われている光景に目を奪われた。
 次の瞬間には、懐から拳銃を抜いていた。左右の手に一挺ずつ。
「うわああああああああっ!!!」
 女性の上にまたがっていた男の後頭部に一発、自らのペニスを女性の口に突っ込んでいた男の眉間に一発。全裸で椅子に座ってくつろいでいた男の眉間と心臓に一発ずつ。床に座り込んで酒を呑んでいた男の眉間に一発、酔いつぶれて眠っていた全裸の男の眉間と心臓に一発ずつ。
「こ、これくらいは役得じゃないですか!!」
「黙れ! クズが!!」
 彼が、流通全般を任せていた男の眉間に一発、心臓に二発。

 香織は呆然と、その光景を眺めていた。
 そして、その惨状を引き起こした人間が、自分の知っている人間であることに気づくと、急に自分が惨めな存在に思えてきた。
「どうして、どうして君がここにいるんだよ……美咲ちゃん!!」
 彼、江藤晃司は号泣しながらそう叫んだ。


To be continued.
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