「アリアドネ嬢の身元、わかりましたよ」
あたしが落ち着くと、通信機を切り、メットをコツンとくっつけて、JDは言った。
もう元の人型を留めていないとはいえ、コピーの残骸を見れば胸が痛む。
そこで、こいつはあたしを離れたここまで抱き上げて運んだのだ。
う〜っ。思い出すだけでも恥ずかしいっ!!
「さっさと言わんかいっ!」
ケンカ腰で応える。
こんな時、他にど〜ゆ〜言い方がある!?
「はいはい。結城財閥の分家のご令嬢で、結城うめ。八人きょうだいの七番めですね」
「……ちょい待ち。結城うめ? うめって名前なの?」
「はい。上からさくら、マサキ、もも、あんず、ぼたん、なでしこ、うめ、あやめですね」
「……そっ、そりは……、偽名使いたくなるかも……」
「で、結城うめ嬢は遺伝子分野の研究者です。
兄が行方不明になっているのは事実です。実際、第四キャナルシティでそれらしい子どもを見たという証言もあります」
「よくそこまで調べられたね」
「証言収集に実際に当たったのは、情報屋だったそうですから。爺さんから聞きました」
「は〜ん。まんざらウソ語ってるわけでもないわけだ。
で? あの子はここでどうしたいわけ? 見るだけ? それともここを利用してなにかやりたいわけ?」
「そこまでは、ちょっと……」
「この役立たず。肝心のことがわかってないじゃない」
「……姐さん……。そりゃあんまりでは……?」
「あたしに意見する気?」
「……いえ、いーです……」
「さて、じゃ、あの子の様子見に行こうか」
立ち上がりかけると、JDが腕を伸ばしてきた。
「……なに? その手」
「え、立つんでしょ?」
「あんたの補助が要るほどよぼよぼじゃないよ! あたしゃ老人かっ!」
「すっ、すみません。でも、レディに手を貸すのは……」
「いっぱしに紳士のつもりかいっ。このローズさまの相手しようなんざ、一〇年早いんだよっ」
「すみません……」
すっくと立って、通信機のスイッチを入れた。
「ルー、アリアドネ、あんたたち今どこだい?」
「あ、おねーさん? 通じなかったから心配してたんだよ。さっきの叫び声、なに?」
ギクッ!
「実験体の叫び声ですよ。いやあ、こちらもびっくりしました」
JDがすかさずフォローする。
「おねーさん、なんか空耳聞こえたみたいだけど。実験体が叫んでたの?」
ぜんぜん相手にされてないJDくん。
いつものことだから、いっか。
「うん。で、アリアドネはどこ?」
「おねーさんと一緒じゃなかったの? そういえば、すごくうれしそうだったけど」
うれしそう?
「じゃ、あんたはどこにいんの?」
「よくわかんない。人魚みたいなのが泳いでる水槽が近くにあるけど」
「今カタログで調べて、そっち行く。JD、カタログは?」
それから通信機を切り、身をかがめてメットをJDにくっつける。
「あたしゃ実験体かい?」
「ごまかせたからいいじゃないですか」
「バラしたらひどいからね」
「バラしませんよ〜」
泣きそうな顔をしながら、JDはカタログをめくった。
「ありました。ここです」
室内の配置図の一点を指し示す。
「ルー、場所わかったから。動かないでよ」
通信機のスイッチを入れて、あたしは言った。
「うん」
「JD、行くよ」
「はい」
ルーの元へ向かった。
「これは、水中で生きられる人間の研究ですね」
ルーの目の前の水槽を見ながら、JDが言った。
「ただ、陸上にあがれないし、思考能力が二、三歳児程度なんだそうです。それで、労働力としては弱い、と」
「あんまし意味ない研究だね。ロボット使えばいいのに」
「そこが好奇心というものなんでしょう」
男の人魚。
水槽にはつねに波があり、はっきりしないが、筋肉もりもりだ。
両足の間には水かきのような膜がある。
「JD、その図見せて」
配置図を見る。
「この部屋、他の実験室とつながってんだね。そっち行ってみようか」
「うん、おねーさん」
三人でぞろぞろ歩いていく間も、ガラスの檻が立ち並び、奇妙なヒトたちがうごめいている。
「おねーさん、どうしてこんなところあるんだろうね」
「え?」
「普通さ、戦争中はこんなの作るけど、戦争終わると証拠隠滅って、壊しちゃうじゃない」
「なにか利用価値があると思ってんじゃない?」
「どんな価値?」
「さあね。マッドなヤツらの考えなんざ、あたしにゃわからんね」
隣につながるドアには、なんのしかけもなかった。
静かに中に入ると、アリアドネが大きなプールの上にかがんでいた。
メットを外している。
だから、通信がつながらなかったのだ。
「あ」
たくさんの、内臓の、山。
「……内臓移植……」
ルーがつぶやき、よろめいた。
その物音に気がついたのか、アリアドネがこちらをふり向いた。
その口には……。
内臓を、食ってる……。
アリアドネは無邪気ににっこり笑った。
なにか言っている。
よく聞こえない。
アリアドネは気がついて、汚れた手を服で拭いてメットから通信機を外して口元に当てた。
「ご一緒にどうです? おいしいですよ」
うげっ。
「人の死体なんか食えるかっ!」
アリアドネはキョトンとした。
「……これ、フォアグラですよ? この上でガチョウが飼育されてるんです。さっき見てきました」
「ウソだっ!」
「ホントですってば。見に行きます?」
四人ゾロゾロ連れ立ってアリアドネの後に続くと、……確かにフォアグラ生産工場だった。
さっきのプールでは、ある程度の量が溜まると、自動的にさらに下の出荷工場へと流れていくらしい。
「だからって、空気にさらさんでも。だいたい、ここの構造はどうなってんじゃ……」
「狭い施設ですからね、いろいろ詰まってるんですよ。それに、あんなモノの隣にこんなモノがあるなんて誰も思わないから、誰も近づかないじゃないですか」
アリアドネがニコニコ笑っている。
「なんであんたがそんなこと知ってんの」
「ひいおばあさまの手紙に書いてありましたもの」
ぴきっ。
「それを最初に言わんかいっ!
……あんた、まさか単にフォアグラの買い付けかなんかに来たとか、そ〜ゆ〜オチじゃないだろうねえ〜」
「やぁですね。そんなわけないじゃないですか」
アリアドネは笑って手を振った。
「私も半信半疑だったから、期待させちゃマズいと思って言わなかっただけですよ。私の目的は、兄を探し出すこと。そう言ったじゃないですか」
「じゃあ、こんなとこで油売ってないで、とっとと探さんかいっ!」
「もう、おねえさまったら。そんなにピリピリすると老けますよ。それでなくても、もうお若くないのに」
――いい度胸じゃねーか……。
「わわわっ、姐さん、落ち着いてください」
「おねーさん、ここは大人になって」
「離さんかいっ! 性根叩き直してやるっ」
「おねーさん、お願いだから、冷静になって!」
「姐さんは、充分魅力的ですってば! 小娘には女の魅力なんてわかんないんですってば!」
「おねえさま、もお、ピリピリしないでって言ったのに。ダメですよ。さあ、兄を探しにいきましょ」
アリアドネはにこにこと先に立って歩き始めた。
「おねーさんはかっこいいし、すてきだってば!」
「そーですよ、姐さんは宇宙に名高い美女エルファーレンじゃないですかっ。こんな美女、宇宙広しといえどもなかなかいませんよ!」
「そーよ、おねーさん。エルファーレンはおねーさんの実力と艶気と美貌で成り立ってるようなもんなんだから!」
「……それもそーね」
あたしは力を抜いた。
「あんな小娘に天下のエルファーレンが刃を向けたとあっちゃ、名折れだわね」
「でしょ、でしょ、でしょ?」
「そうですよ。ここは料金をがっぽりもらって……」
「……あんたに言われなくたって、わかってるよ。ほら、なにぼやぼやしてんだい。行くよ」
あたしはアリアドネを追いかけた。
ルーとJDが後ろに従った。
「それにしても、人影ないわね」
ルーが言った。
「あんなに実験体が生きているんですから、誰かが世話をしてると思うんですけど」
アリアドネが小首を傾げる。
「案外、機械が自動的に世話してんのかもよ。ほんとはこの施設、無人だったりしてね」
「そんな。夢も希望もないこと言わないでくださいな、おねえさま」
「あ」
ばったり。
言ってるそばから、角を曲がってきた白衣の男にでくわした。
チャッ。
銃を構える。
「う、うわっ。お助けをっ」
男は頭に手をやった。
震えてる。
二〇代半ばの痩せ型の金髪の男。
「ちょっと訊きたいんだけどね」
コバルトブルーの眼の、甘い顔立ちのハンサムである。
少しくせっ毛の、やわらかそうなふわふわした髪。
「ここに結城マサキって名の男がいるはずなんだけど」
「えっ、おねえさま、どうして知って……」
「は、はいっ、ボクです」
アリアドネと男の声が重なった。
「えっ?」
アリアドネが男の顔をマジマジと見る。
「おにいちゃま?」
男もアリアドネの顔を見る。
「あ、目許の泣きぼくろは。もしかしてうめ?」
「そうよ、おにいちゃま」
だきっ。
感動の再会を絵に描いたようだった。
ふわふわ金髪が舞い、瞳うるうるの兄妹。
「おにいちゃま、会いたかったわ」
「妹よ〜」
抱きしめる腕を放し、兄は妹の顔をのぞきこむ。
「元気だったかい?」
「うん。探しにきたの」
「まだあんなにちっちゃかったのに。苦労かけたね」
「うん。でも、おにいちゃまに会うためなら、どこへだって、私……」
「うめ」
だきっ。
「おにいちゃま、会いたかったわ」
「妹よ〜」
瞳うるうる。金髪ふわふわ。
再び。
「元気だったかい?」
「うん。探しにきたの」
「まだあんなにちっちゃかったのに。苦労かけたね」
「うん。でも、おにいちゃまと会うためなら……」
「いいかげんにさらせ〜っ!」
あたしは怒鳴った。
二人が注目する。
「うめ、この人は?」
「一緒におにいちゃまを探してくれた、頼りがいのあるおねえさまよ。うふっ♪
エルファーレン姉妹っていって、最近では宇宙に名前の知れた海賊なんだからぁ♪」
「……誰が海賊じゃ! 誰が!」
「どうも、妹が世話になりまして。兄の結城マサキです」
ペコペコとあたしに頭を下げる。
そういや、昔、東洋のある国の人がこんな仕草してたっけ。
挨拶かなんかだって聞いたような……。
「ローズです。で、こっちが妹のルー。で、こっちが居候のJD」
「どうもどうも」
ペコペコペコ。
「あのね、おにいちゃま、研究ばっかりでお嫁さんももらってないんでしょ」
「どうしてわかるんだい?」
「私だって、今じゃ遺伝子研究の立派な研究者なのよ。研究者がオクテだってことぐらいわかるわ」
「そりゃあ、すごいね。うめはもう研究者か」
「だからね、おにいちゃまにお嫁さん決めてきたのよ」
「えっ? このルーさんかい?」
ルーがびくっと退く。
「ちがうわよ。このおねえさまよ」
アリアドネ=うめが、ぴっとあたしを指差した。
あ゛? あ゛あ゛!?
聞いてねーぞっ!?
「そりゃどうも」
ペコペコペコ。
「ねっ、いいアイディアでしょ。
おねえさまは玉の輿だし、おにいちゃまも結婚できるし、私もずうーっとおねえさまと一緒にいられるもん♪」
「さては、最後のが本音なんだろう。こいつぅ〜」
「きゃ〜ん。わかるぅ〜? 私、おねえさまともっともっと仲良しになりたいの」
「っていうことは、まだ行くとこまで行ってないんだなぁ?」
「きゃ〜ん。恥ずかし〜い。まだ私たち、そんなんじゃないのに〜」
――をーい。なんの話だ、なんの。
だいたい、あんたら、ほんとに何年も会ってなかったのか? ノリが一緒だぞ……。
「ということで、ローズさん、妹のこと、お願いします」
「おにいちゃま、私たちと一緒に逃げるのよ」
「えっ。聞いてないよ。それに、まだここを離れるわけにはいかないんだ」
「……おにいちゃま……」
唇を噛み、うつむく二人。
「なんで離れられないんですか?」
ルーがおそるおそる訊く。
「研究が、まだ途中なんです」
「おにいちゃま、研究なんて、ここじゃなくてもできるじゃないっ!」
「ここじゃなくちゃ、ダメなんだっ!」
「どうしてっ!」
「ボクはもう、昔のボクじゃあないんだよ……」
さみしげな笑み。
ふっと、実験場の情景が浮かぶ。
あんな恐ろしい研究は、他の場所では許されないだろう。
「おにいちゃま! 帰ろう! 研究所なんて、おかあさまたちが喜んで作ってくれるわ」
「そんなわけにはいかないよ。せっかく、途中まで改良が進んでるんだ。投げ出したくないっ」
「研究だけが人間の幸せじゃないわ!」
「でもっ! せっかくここまでやってきたのに! こんなに大規模なフォアグラ生産工場を任されているのに!」
……をい……。
「おにいちゃま、フォアグラ工場なんて、イチから作り直せばいいのよ。うちの財力とおにいちゃまの知力を持ってすれば、もっと大規模な工場ができるわ」
「……それもそうだな。うめ。一緒に出よう」
「おにいちゃま」
だきっ。
金髪ふわふわ。瞳うるうる。
「ということで、お願いします」
二人にっこり。
……え〜かげんにせいっ!
血管切れかかってるあたしの後ろで、いつでも抑えに入れるように構えてるJD。
あたしゃ、狂暴なケダモノか?
「じゃ、まあ、とにかく行きましょうか」
あたしはJDをひとつぶん殴って、歩き始めた。
つづく