要塞の中は、不気味なほど静かだった。
外にはあれだけの兵隊がいたはずだが、中には猫の子一匹いない。
気味が悪いな。
要塞施設の中はかなり暗いが、宇宙服のヘルメットについた赤外線スコープを使えば通路がはっきり見える。
通路を折れると、赤外線の網が通路をふさいでいた。
この網に引っかかれば、たちまち蜂の巣になること請け合い。
JDは慎重に、赤外線の発生源をレーザー銃で撃った。
オレだって、もうこんなチャチなワナに引っかかるほどガキじゃねぇぜ。
意気揚々と通りすぎると、
ガッコン。
床がぱっくりと口を開けた。
「おわっ」
急いで前へ跳ぶ。
「あ〜ぶね〜」
『あんたは図に乗りすぎなんだよ。謙虚に行かないと、命取りになるよ。あたしは助けてやれないんだからね』
姐さんの声が甦る。
さっき別れ際に言われたっけ。
悔しいけど、当たってんなあ。
姐さんは、アリアドネやルリーズを連れて行動している。
二人に嫌われたJDは単独行動だ。
「しっかり、アリアドネの兄貴を探してくんのよ」
姐さんは言ったものだ。
「ちょっと待ってくださいよ。どうやって探すんですか? 顔もわからないのに」
「そりゃま、そうだ。アリアドネ、どうやって探すつもり?」
姐さんが訊くと、アリアドネはにっこり微笑んだ。
「だいじょうぶですわ。兄に会えば、きっとビビビッと来ます」
「……いいんですか? ああいうこと言ってますけど」
JDが姐さんの顔を見上げると、
「あんたもビビビッと来ればいいんだよ! ほらほら、さっさと行く!」
「ンなムチャな〜」
姐さんは、やることがムチャクチャだ。
けっきょく押しだされて、一人でこんなところをさまよっているけど……。
赤外線スコープが、天井に高温部分を示した。
レーザーで灼くと、
ゴトリ。
レーザーの発射装置が落ちてきた。
旧式だよなあ、この要塞。
今時こんなもんで不意打ちはできないぞ。
通路の突き当たりを折れると、赤外線スコープが真っ赤になった。
危険区域ってわけか。
この先に重要物があるって宣伝してるようなもんじゃないか。
サクサクッと片づけちゃおうか。
奥の装置を狙い撃つ。
ジュッ。
灼けたのは、JDの足下だった。
おわっ!
反射的に飛び退くと、次々にレーザーが追ってくる。
ヤバいヤバいヤバい。
本気で、死ぬかも。
一目散に駆けぬけ、通路を折れると、レーザーの攻撃がぴたりとやんだ。
まいったな。一つが攻撃されると、連鎖的に応戦してくる仕組みになってるのか。
これだけ厳重に保護されているものなら、なおさら見たい。
ピンッ。
手榴弾のピンを外し、投げこむ。
爆発が起こると思いきや、
シーン。
何も起こらない。
不発だったか?
もう一度手榴弾を投げこみ、影から様子をうかがう。
ガコン。
床が口を開け、手榴弾はたちまち飲みこまれた。
たぶん、床下に、対衝撃の堅牢な部屋が設けられているのだろう。
そこで爆発すれば、他に被害は及ばないというわけだ。
じゃあ、これでどうだ?
大きめの手榴弾を投げる。
シュッ。
ガコン。
再び床が口を開いたが、手榴弾は落ちず、ふわふわと上に上がっていく。
ドオーン!
爆発。
やれやれ。
この設備ができた頃には、こんな武器は予想できなかったんだろう。
なにせ、これを作るには最近開発された超軽量のカルーク火薬を使わなければならない。
そんなものが開発されると、どうして昔の人間にわかる?
年代物が相手で助かった。
通路の角から出て残骸を乗り越えると、爆発の影響か、扉らしきものにいびつな穴が開いていた。
のぞいてみると、中には上下に巨大な穴が続いている。
VTOL一台がすっぽり入ってしまいそうなほどの大きさだ。
方向感覚と距離感覚が間違ってなければ、この真上にはJDたちの乗ってきたVTOLがあるはずだった。
では、下は?
降りてみよう。
命綱の先のカギを扉に引っかけ、JDは穴を降り始めた。
命綱は自動で伸びる。
降りれども降りれども、穴は終わることがない。
命綱が足りなくなるたびに、穴の側面に突き出た梁に足をかけ、カギを器用に外して、命綱を巻き戻す。
そして、今度は梁にカギを引っかけて下降を繰り返すのだ。
何度かその作業を繰り返した末、気が遠くなるほど続いた穴は終わり、床が現れた。
少し揺れる床である。
一角に数字が点灯している。
B一九。
消えている文字を読むと、一F、二F、三F……。
エレベーターか。
床だけがせり上がる、荷物運搬用のエレベーターなのだろう。
人間を載せるにしては、周囲に安全用の柵も壁も、何も施されていない。
現在いる場所が最下層のようだ。
すると、縦は行き止まり。あとは横へ行くだけか。
扉の向こうには、また警備システムが待ちかまえてるんだろうなあ。
レーザーの出力をあげる。
足下に向けて発射する。
床が丸く溶ける。
その一メートルほど下に、エレベーターの床ではない本物の床が現れた。
まあ、こんなもんかな。
溶けた金属が冷えるのを待って、今度は扉に向かって発射する。
金属が溶け、小さな穴が開く。
そこへ向けて、例の手榴弾を投げこむ。
床下に開けた穴に飛びこむ。
まばゆい閃光。
グワーン!
扉が歪み、弾け飛んできた。
熱風とガラクタが次々とエレベーター内部を襲う。
嵐が過ぎると、破片をかきわけて、JDは穴から這いだした。
掃除完了、と。
扉がかつてあった場所を通って、中に入る。
巨大なタンク。
巨大なカム。
巨大な……なんだろう?
見たこともない装置がところ狭しと並んでいる。
装置に書かれている文字は、すっかり薄くなり、よく読めない。
……火気……厳禁?
だが、そのすぐ突き当たりにあった扉の文字ははっきり読めた。
水素原子炉。
……マジ?
火星独立戦争以来、火星では原子炉が撤廃された。
地球からの移民たちが、故郷を死の星に変えたそのエネルギーを拒否したのだ。
代わりに、もっともポピュラーとなったのは、水素と酸素が化合する際に発する熱エネルギーである。
いったん水になると、太陽エネルギーによって再び水素と酸素に分解される。
クリーンな、いかにも地球人たちが好みそうなエネルギーだ。
しかし、そのクリーン志向もここには適用されなかったらしい。
JDたちにとっては、都合がいい話である。
詳しくは知らないが、この原子炉というヤツは一基でも強いエネルギーを持ち、爆発すれば多大な被害を受けるはずだ。
もし、上層に停めてあるVTOLから攻撃すれば、あっというまに要塞はエネルギー源を絶たれ……いや、要塞そのものが崩壊してしまうだろう。
少なくとも、ここいらにある火気厳禁のタンクは大炎上すること請け合いだ。
ここの場所、覚えておこう。
JDは先へ進んだ。
通路に出て、向かい側の部屋に入る。
まぶしい!
目が眩(くらみ、思わず退いた。
が、何の攻撃もない。
警備システムの目眩(くらましじゃないのか?
きゃっ。きゃっ。
甲高い子どもの声が聞こえる。
遠くを走るリニアカーのかすかなうなり声。
人ごみのざわめき。
バシャバシャと水の落ちる音。
さわさわさわ。
時折混じるのは、何の音だろう?
目が馴れてくると、辺りの情景が見え始めた。
青い空。緑色の芝生。
風に揺れる木。
ああ、さわさわという音は、木の葉のすれる音か。
子どもたちが遊び、遠くに噴水が見える。
木陰には大人も涼み、のんびりと陽ざしを楽しんでいる。
その服装が、一様に奇妙だ。
いかにも安っぽく、重たそうなハリのない布地。
垢抜けない帽子。
だいたい、あのメイクはなんだ。
目鼻立ちをはっきり強調すればいいってもんじゃないぞ。
舞台メイクしてんじゃないんだから。
遠景には、海と山とが見える。
失われた地球の風景か?
それとも、来(きた)るべき火星の風景か?
スペース・コロニー育ちのJDには、どちらにしろ、違和感だらけだ。
火星に降り立った時から。
スペース・コロニーでは、軸方向の遠景は平面的だし、側面方向の遠景はせり上がってみえる。
だが、火星にも、この風景にも、せり上がって見えるものはない。
逆に、足下から沈んでいく。
おまけに、この映像は空が真っ青なのだ。
支えもなく危なげな空は、いかにも重たそうに見え、下を歩くのが怖い。
陽ざしはまぶしすぎる。肌がチリチリする。
「ママー」
子どもが叫んだ。
「#&*§※♯♭†‡¶」
子どもの言葉がよく聞き取れない。
母親らしき女が応える。
「○◇□△▽☆◎」
こちらの言葉もわからない。
ソル連邦で広く使われているソル標準語よりもゆったりとした、抑揚のはっきりした言葉。
「ママー」
子どもが再び叫び、母親らしき女に手をふった。
どうやら、『ママ』だけは、ソル標準語と同じ意味らしい。
空を見上げると、大きな白い月が一つ浮かんでいた。
火星の月は、もっと小さい。
とすると、ここは過去の地球か。
火星独立戦争前の、自然が残っている頃の地球。
誰かが郷愁の念にでもかられて造ったのかも知れない。
誰が?
地球から来た誰かが。
なぜ、いまさら?
そういえば、ここには、原子炉なんて化石みたいなものがあるんだった。
じゃあ、ここも古い時代に造られたんだろうか?
古い時代に、地球からここにやってきた誰かが、懐かしい故郷の風景を?
おかしな感じがした。
もう、これで癒される人間はいないのに、ホログラフは延々と同じことを繰り返し続けるのだ。
それとも、癒される人間が、まだどこかに残っているのだろうか?
そういえば、要塞内に入ってから、人影を見かけない。
無人のまま動き続ける要塞なのか?
哀愁よりも、むしろ薄気味悪さをおぼえる。
JDは踵(きびすを返し、室内から出ようとした。
が。
愕然とする。
入口がわからない。
ドアはホログラフの景色の中に埋もれてしまっていた。
子どもが笑い声をあげている。
いい気なもんだ。こっちの気も知らないで。
とにかく、壁を見つけなければならない。
来たと思われる方向へ、ずんずん歩いていく。
両手は前に突きだしたまま。
木を通り抜け、ベンチを通り抜け、木陰で語らう若い男女を通り抜け、川を通り抜けて……。
バチンッ。
両手に手応えがあった。
壁だ。
少しずつ左に移動しながら、手探りで扉を探す。
あった。
が、入った時と同じ扉だろうか?
いいや、開けちゃえっ!
重厚な扉を開くと、そこには……。
ヒト?
JDは立ち止まった。
ヒトでもあり、ヒトでもなく。
この情景を、なんと語ったらよいのか……。
ためらうJDの耳に、どこからか、あの聞き慣れない言葉が聞こえてきた。
男声と女声。
女声の方は……聞き覚えがあるような……。
まさか。
JDは急いで声のする方へ走った。
この檻の向こうか?
角を曲がる。
そこには、果たして、彼女がいた。
つづく