目隠しをされ、何度も体をまわされた後、車に乗せられた。
こんなスラムにリニアシステムがあるわけはない。たとえレールが敷設されていたとしても、電源が切られ、使い物にならない。
だから、てっきりホバーカーだと思ったのだが。
なんと、人力車である。
「ほっ」
「はっ」
複数の人のかけ声と、車輪の回るガラガラという音が聞こえ、おまけにこの振動。
尻イテー。
やがて車が停まり、降りると、建物の中に入ったのを肌で感じた。
「エレベーターに乗るよ」
女が言った。
「まさか、これも人力じゃないだろうな?」
JDが冗談のつもりで言うと、女は答えなかった。
まさか、本当に人力なのか!?
エレベーターが停まり、廊下に一歩踏みだすと、足が埋まった。
毛足の長いじゅうたんだ。
少し歩いて、ようやく目隠しがとられた。
「変わった恰好してるなあ、ドリーちゃん」
目の前に、小柄な男がふんぞりかえっていた。
歳の頃は二〇代半ば、黒く縮れた髪、浅黒い肌、人を小バカにしたような暗い茶色の眼と、まくれあがった厚い唇。
用心棒くずれの…………。
「誰だっけ?」
「うっ」
男がうめいた。
「名前ぐらい覚えとけ! ヘルカイトさまだっ!」
「ヘンな名前だな。そんな名前だったっけか?」
「るせえっ! この金持ちのマスコットがっ! テメェの名前こそ気色悪いわ! オメェら、よく聞け? こいつの名前は灰かぶり(サンドリヨン)ってんだ。笑っちまうよなあ」
室内で哄笑が起こる。
一、二、三……。
JDは目の端で、人数を数えた。
ヘルカイトを入れて、六人か。
手にあまるな。
「どこでも雇ってもらえなくて、やっとここで王さま気分か。こんな人力に頼ってるような場所で」
JDは笑ってみせる。
「バカヤロー。人力はクリーンで火星環境にやさしいエネルギーなんだぞ! ここのビルのエアコンもエレベーターも、みんな人力発電でまかなってんだ。すごいだろう!」
やっぱり人力だったのか……。
「チャーリーの旦那は元気か?」
「知らん」
「知らんって。テメェの大事な旦那さまだろう?」
「足洗った」
「洗ったぁ? そうか、テメェもあの旦那にはとうとう我慢ならなくなったか」
ヘルカイトはチャーリーの旦那とソリが合わなくて、出ていったのである。
しかし、腕の方はすこぶる立つ用心棒だった。
スラムのボスになるくらいだから、今でも衰えていないだろう。
「今は何やってる? ヤバいことでもやってんだろう? テメェの後ろをおかしなヤツらが追っかけてきたぜ」
しつこい。まだ追ってきてたのか。
「そいつら、今どこに?」
「始末した。オレの街はよそ者が入るといっぺんにわかるからな」
非常階段を降りた時の情景が脳裏に甦る。
住民たちが、常に目を光らせて、よそ者を排除しているのか。
「テメェだって、オレのすばやい支持がなかったら、今頃オダブツだぜ。感謝しな。
そうそう、旦那ンとこ失業して、行くとこないんだろ? オレンとこ来いよ。雇ってやるぜ」
ずいぶんと気前がいい。
こんな親切な人間じゃなかったはずだ。
「テメェ、機械に強かったよな」
「まあ、そこそこには」
「乗る方も、かなりな腕だったよな?」
「ごく普通じゃないかな」
「謙遜するじゃねぇか。旦那たちの道楽につきあって、よく乗ってたじゃねえか。飛行機のアクロバット飛行、忘れねぇぜ。
そこを見こんでだな、テメェにやってもらいたいことがある。ちょっと来い」
ヘルカイトと手下五人に連れられて屋上へ行く。
果てしなく奥行きのある屋上。
滑走路ができそうだ。
片隅に、巨大な塊が、シートをかぶせられて鎮座していた。
バサバサバサッ。
手下四人がシートを外し始める。
まだだ、逃げられない。
JDは動かなかった。
手下の二、三人ならなんとかできても、ヘルカイトには太刀打ちできない。力の差は歴然だ。
万一、彼らの手を交わして逃げたとしても、外にはヘルカイトの息のかかった連中がゴマンといるのだ。
そして、JDには、土地勘がない。
どこへも逃げられない。
「どうよ」
ヘルカイトが言った。
JDは我に返り、シートをはがされた巨大なものを見た。
セスナ機!
「ちょっとした偶然で手に入れたんだが、なかなか良さそうだろう。飛ばせるか?」
こんなもの、ドーム都市の中で飛ばしたらどうなることか。
ここでは、ドームを壊す恐れのあるものは、ことごとく禁止なのである。
リニアカーやリニアバイクならば、決まった場所しか走れないからいい。
しかし、セスナ機は故障でもしたら、ドームに激突。レーザーで撃ち落とそうにも、この大きな質量を落とすのは容易ではない。
「ちょっと調べてみる」
JDはさっそく点検にとりかかった。
エンジンルームや計器類を調べてみる。
イケそうだ。
「飛行コースを調べたい。地図をくれないか?」
セスナ機に備えつけのナビゲーションシステムは、まるで役に立たない。どこか、別の場所から持ってきたようで、第四キャナルシティの地図がインプットされていないのだ。
……当然といえば、当然か。
セスナ機が、ドーム都市で飛ぶことなど、想定されているわけがない。
手下が地図データを持ってきた。
セスナ機のコンピュータに取りこむ。
「近所をほんの何回かまわるだけでいいんだ」
ヘルカイトが言った。
JDが現在位置の確認のために、この辺の拡大図を表示させると、
「ここから出るなよ」
ヘルカイトがディスプレイを指でまるくなぞった。
「縄張りから出ると、いろいろうるさいからな」
縄張りの中なら軍すら追い返してみせるぜ、という自信がうかがえる。
「調子が見たいな。エンジンかけさせてくれ」
「ダメだ。勝手に飛んでトンズラこかれちゃかなわん」
「かけなきゃ、飛べるかどうかわからない。いいのか?」
ヘルカイトが眉をひそめる。
迷ってるな?
「それに、飛んでどこに逃げるっていうんだ? 縄張りの外で降りたりしたら、軍が待ちかまえてるだろう。オレだって、軍の世話になるほどバカじゃない」
「まあ、そうだな」
しぶしぶヘルカイトは認めた。
「キーを渡してやれ」
部下がJDにカードキーを渡した。
JDはすぐにカードキーを差しこみ、エンジンを始動した。
イケる!
すばやくシートベルトを閉める。
「なにやってんだ? おわっ!」
ヘルカイトが後ろによろめいた。
JDもまた、体がシートに強く押しつけられる。
胸が苦しい。
急発進、急加速。
みるみるうちに、ビルの断崖が迫ってくる。
滑走路の長さは足りるんだろうか?
上がれっ!
操縦桿をいっぱいいっぱいに引く。
機首が上を向き、滑走路が途切れた。
ふわっ。
浮揚感。
よし、行った!
ぐらり。
機体が不安定に揺れた。
JDはあわててバランスを取った。
ドーム都市の上空には、奇妙な気流があるらしい。
「テメェ、ダマしたな!」
ヘルカイトが後部座席の背もたれにしがみついている。
手下たちも、それぞれどこかにしがみついている。
ヤツらの動きを縛る方法。
それはただ一つ!
機首をぐいっと上に上げた。
巨大な重力を背中に感じる。
ルームミラーで見ると、ヘルカイトは背もたれにしがみついていたが、足は機体後方に向けて宙ぶらりんである。
今度はキリモミ降下。
急激な右旋回、左旋回。
背面飛行。
把握しきれていないこの気流のもと、アクロバット飛行は自殺行為にも等しい。
機内の扉は開いているが、誰も外へは落ちていかない。
さすが、ヘルカイトとその手下だ。簡単にはくたばらない。
だから、こちらもムリをしなくては勝てない。
さて、そろそろか。
ドーム都市の壁が迫ってきた。
宇宙港はもうすぐだ。
手動操縦から自動操縦に切り替えると、機体は安定した。
「テメェ、タダじゃおかねえ!」
ヘルカイトがようやく床に立って、JDに近づいてきた。
手下たちも詰め寄ってくる。
着陸態勢をとったら、その間にヘルカイトたちに囲まれてしまうだろう。
だが。
着陸態勢なんか、とるもんか。
肘かけの横の非常用ボタンを押す。
ブシュッ!
尻に強力なGを感じた。
セスナ機が、瞬く間に下方へ遠ざかる。
緊急脱出装置を作動させたのだ。
上昇の勢いは一瞬で、JDはたちまち座席ごと落下しはじめた。
バッ。
座席からパラシュートが開き、下降はゆるやかになった。
グワァァーン!
遠くで火柱があがった。
ドームを傷つけたかもしれないが、多少の傷ならドームの修復機能でまかなえるだろう。
地面に着くと、パラシュートも座席も放りだして、宇宙港へのゲートへ向かう。
まだ事態は把握されていないらしい。ゲートは閉鎖されていなかった。
JDは宇宙港へのシャトルトレインに飛びこんだ。
さて、値切ったデータを見てみるか。
コンソールの前に腰をおろし、封筒に入っていたディスクをセットする。
まず、ウィルスチェック。
この船のコンピュータも、基本システムは結城システムである。
このシステムは、やたらにガードが堅い。
ウィルスどころか、少しでも異常の見られるプログラムは強制排除してしまう。
コードは非公開の上、強制排除により、テストはできない。ということで、第三者(サードパーティー)がつけ入るスキはない。
だから、結城システムに載るアプリケーションソフトは、ほぼすべて純正である。
こんなバカな市場独占は、バックに結城財閥がなければ実現しなかっただろう。
『ふうーん、ぜーんぶチェックしても、これだけ早いんだねぇ』
JDから説明を聞いた時、姐(あね)さんは妙に感心したものだ。
『へえー。知らないの? メカオンチもここまで来ると致命傷だ』
JDがバカにすると、ゲンコが飛んできた。
『へらず口叩いる暇あったら、説明続けな!』
『……はい……』
姐(あね)さんは飲みこみが早かった。瞬く間に使い方をマスターした。
しかし、このソル星系の基本中の基本、コンピュータの一つも扱えなかったなんて!
どんな暮らしをしていたんだろう?
機械に指一本触れず、ひたすら肉体でも鍛えていたんだろうか?
ウィルスチェックが終わり、ディスク内のファイルを開こうとすると、IDとパスワードを求められた。
「ふむ」
間違ったIDやパスワードを三回入れたら、ファイルは開けない。
慎重にいかなくては。
チャーリーの旦那の前のパトロンは、ソル連邦の退役軍人だった。
確か、寝物語で、こう言ってなかったか?
『火星はセキュリティがバカ甘でのう、ブラッドベリ・ポイントの機密は、IDがイルやイラ、パスワードは火星年代記でファイルが開けたし、バロウズにいたっては、ジョン・カーターやデジャー・ソリスをIDに、火星の王女(プリンセス)をパスワードに入れたもんだ』
今は変わってしまったかも知れない。
でも、もし変わっていないとしたら。
オリンポス山はギリシア神話に出てくる、メインの一二神がいる山である。
なら、IDはその神の名、パスワードはギリシア神話か?
「セイレーンに命令。IDはゼウス。パスワードはギリシア神話。命令終わり」
「IDを受けつけました。パスワードを受けつけました。ファイルを開きます」
軍神の血塗られた薔薇(ラ・ローズ・ルージュ・ド・マルス)の愛機、宇宙船セイレーン号のメインコンピュータの音声が流れた。
あっけない。
さて、ファイルの中身は、と。
――………………。
なんだ?
このものものしい……。
ヤバいっ!
ガバッ。
思わず席を立った。
ただの地図なんかじゃない!
オリンポス山には地下要塞があるんだ!
これは、その武装配置を、事細かに調査し、記したものだ。
道理で、このディスクを情報屋が買わなかったわけだ。こんなもの持ってたら、火星政府につけ狙われる。
『これをスッてから、なんか運が悪くてよ』
ウェルバはそう言っていた。
狙われていたんだ!
今度はオレが狙われる番か。
でも、そんなこと、どうでもいい。
姐(あね)さんは軽装でここに向かったんだ。姐(あね)さんが危ないっ!
「警告します」
と、セイレーン号の音声。
「飛行物体、二機接近中」
パネルが光る。
軍用機が映っている。
本来、宇宙港は治外法権が認められていて、火星軍といえども好き勝手にはできないはずだ。
それをあえて犯すとは、よっぽどの事情があるとしか思えない。
オレを追ってきたのか?
セスナ機を墜落させた件で?
それとも、このディスクの件で?
どちらにしろ、厄介だ。
宇宙港はドーム都市に隣接している。
船はそれぞれの格納庫に入れられ、管制塔の指示がなければ外に出られない。
軍が船を抑えるのは簡単だ。
では、ここに残って船を死守するか?
一人籠城し、ムリヤリ格納庫を破壊し、滑走路に突っこんで飛び立つぐらいのことはできるだろう。
しかし、姐さんはどうなる? どうやって乗りこむんだ?
それより、今こうしている間にも、姐さんはピンチに陥ってるかも知れないのだ。
だったら、優先すべきは姐さんだ。
「セイレーンに命令。VTOL(ヴィートル)発進準備! 二分後に発進する。それまでに、このディスクの内容をVTOL(ヴィートル)にコピーしとけ! 命令終わり」
このままVTOLを発進させたら、間違いなく格納庫を破壊し、VTOLも無傷ではいられない。
正気の沙汰じゃない。
だからこそ、効果があるんじゃないか。
JDは船内のVTOL格納庫へ走った。
VTOLを発進させると同時に、格納庫の壁を撃ちぬく。
外に出ると、火星のうす青い空に二機の軍用機。
うす青い空は、稼いで地道に行われている大気圧計画を思い起こさせる。
地球から移住してきた人々は、意地でも青い空と広い海を手に入れたいようなのだ。
だったら、戦争なんかしなきゃよかったのに。
なくしたのは、自分たちのせいじゃないか。
軍用機に、まだ動きはない。
突然、壁をつき破って現れたVTOLに面くらってるんだろう。
JDはVTOLをドームに寄せた。
軍用機はようやく二手に分かれたが、もう遅い。
ドームにぴったりくっついて飛ぶVTOLを、ヤツらは撃ち落とせない。
ドームはいわば人質である。
JDは照準を合わせた。
ロックオン。
ファイヤー。
一機が宇宙港に墜落する。
まさか、セイレーン号の近くじゃないだろうなぁ?
あわてて位置を確認する。
セーフ。
方角は同じだが、ずいぶん離れている。
さて、もう一機は、と。
気づくと、そいつは至近距離にいた。
墜落機を確認しているスキに、間を詰められたらしい。
この距離で発射したら。
VTOLも無傷では済まない。
敵もなかなか考えたようである。
では、敬意を表して。
ファイヤー。
敵機が爆発した。
破片が激しく飛び散る。
JDはすでに上昇態勢に入っていた。
VTOLの表面に傷はついたが、動力は無事、航行に支障はない。
だって、こいつは特注のVTOLだ。
でなきゃ怖くて、あの姐さんと仕事なんかやってらんない。
姐さんときたら、平気でムリ難題を押しつけてくるんだから。
ぐわん!
船体が大きく揺れた。
JDは反射的に操縦桿を引いた。
なんだ? 今の衝撃は?
モニタを見ると、ドーム都市のドーム部分が大きくえぐられていた。
その破片場VTOLにぶつかってきたようだ。
うげっ。
このドーム、思ったよりモロいでやんの。
VTOLの被害状況を調べる。
船体に傷が増えただけだ。
OK。
オリンポス山に向かおう。
方向転換する。
姐さん、オレが着くまでに地雷なんか踏んづけないでくれよ!
つづく