【 四.火星の厭な知り合い(後編) 】

2002.4.3

 目隠しをされ、何度も体をまわされた後、車に乗せられた。
 こんなスラムにリニアシステムがあるわけはない。たとえレールが敷設されていたとしても、電源が切られ、使い物にならない。
 だから、てっきりホバーカーだと思ったのだが。
 なんと、人力車である。
「ほっ」
「はっ」
 複数の人のかけ声と、車輪の回るガラガラという音が聞こえ、おまけにこの振動。
 尻イテー。
 やがて車が停まり、降りると、建物の中に入ったのを肌で感じた。
「エレベーターに乗るよ」
 女が言った。
「まさか、これも人力じゃないだろうな?」
 JDが冗談のつもりで言うと、女は答えなかった。
 まさか、本当に人力なのか!?
 エレベーターが停まり、廊下に一歩踏みだすと、足が埋まった。
 毛足の長いじゅうたんだ。
 少し歩いて、ようやく目隠しがとられた。
「変わった恰好してるなあ、ドリーちゃん」
 目の前に、小柄な男がふんぞりかえっていた。
 歳の頃は二〇代半ば、黒く縮れた髪、浅黒い肌、人を小バカにしたような暗い茶色の眼と、まくれあがった厚い唇。
 用心棒くずれの…………。
「誰だっけ?」
「うっ」
 男がうめいた。
「名前ぐらい覚えとけ! ヘルカイトさまだっ!」
「ヘンな名前だな。そんな名前だったっけか?」
「るせえっ! この金持ちのマスコットがっ! テメェの名前こそ気色悪いわ! オメェら、よく聞け? こいつの名前は灰かぶり(サンドリヨン)ってんだ。笑っちまうよなあ」
 室内で哄笑が起こる。
 一、二、三……。
 JDは目の端で、人数を数えた。
 ヘルカイトを入れて、六人か。
 手にあまるな。
「どこでも雇ってもらえなくて、やっとここで王さま気分か。こんな人力に頼ってるような場所で」
 JDは笑ってみせる。
「バカヤロー。人力はクリーンで火星環境にやさしいエネルギーなんだぞ! ここのビルのエアコンもエレベーターも、みんな人力発電でまかなってんだ。すごいだろう!」
 やっぱり人力だったのか……。
「チャーリーの旦那は元気か?」
「知らん」
「知らんって。テメェの大事な旦那さまだろう?」
「足洗った」
「洗ったぁ? そうか、テメェもあの旦那にはとうとう我慢ならなくなったか」
 ヘルカイトはチャーリーの旦那とソリが合わなくて、出ていったのである。
 しかし、腕の方はすこぶる立つ用心棒だった。
 スラムのボスになるくらいだから、今でも衰えていないだろう。
「今は何やってる? ヤバいことでもやってんだろう? テメェの後ろをおかしなヤツらが追っかけてきたぜ」
 しつこい。まだ追ってきてたのか。
「そいつら、今どこに?」
「始末した。オレの街はよそ者が入るといっぺんにわかるからな」
 非常階段を降りた時の情景が脳裏に甦る。
 住民たちが、常に目を光らせて、よそ者を排除しているのか。
「テメェだって、オレのすばやい支持がなかったら、今頃オダブツだぜ。感謝しな。
 そうそう、旦那ンとこ失業して、行くとこないんだろ? オレンとこ来いよ。雇ってやるぜ」
 ずいぶんと気前がいい。
 こんな親切な人間じゃなかったはずだ。
「テメェ、機械に強かったよな」
「まあ、そこそこには」
「乗る方も、かなりな腕だったよな?」
「ごく普通じゃないかな」
「謙遜するじゃねぇか。旦那たちの道楽につきあって、よく乗ってたじゃねえか。飛行機のアクロバット飛行、忘れねぇぜ。
 そこを見こんでだな、テメェにやってもらいたいことがある。ちょっと来い」
 ヘルカイトと手下五人に連れられて屋上へ行く。
 果てしなく奥行きのある屋上。
 滑走路ができそうだ。
 片隅に、巨大な塊が、シートをかぶせられて鎮座していた。
 バサバサバサッ。
 手下四人がシートを外し始める。
 まだだ、逃げられない。
 JDは動かなかった。
 手下の二、三人ならなんとかできても、ヘルカイトには太刀打ちできない。力の差は歴然だ。
 万一、彼らの手を交わして逃げたとしても、外にはヘルカイトの息のかかった連中がゴマンといるのだ。
 そして、JDには、土地勘がない。
 どこへも逃げられない。
「どうよ」
 ヘルカイトが言った。
 JDは我に返り、シートをはがされた巨大なものを見た。
 セスナ機!
「ちょっとした偶然で手に入れたんだが、なかなか良さそうだろう。飛ばせるか?」
 こんなもの、ドーム都市の中で飛ばしたらどうなることか。
 ここでは、ドームを壊す恐れのあるものは、ことごとく禁止なのである。
 リニアカーやリニアバイクならば、決まった場所しか走れないからいい。
 しかし、セスナ機は故障でもしたら、ドームに激突。レーザーで撃ち落とそうにも、この大きな質量を落とすのは容易ではない。
「ちょっと調べてみる」
 JDはさっそく点検にとりかかった。
 エンジンルームや計器類を調べてみる。
 イケそうだ。
「飛行コースを調べたい。地図をくれないか?」
 セスナ機に備えつけのナビゲーションシステムは、まるで役に立たない。どこか、別の場所から持ってきたようで、第四キャナルシティの地図がインプットされていないのだ。
 ……当然といえば、当然か。
 セスナ機が、ドーム都市で飛ぶことなど、想定されているわけがない。
 手下が地図データを持ってきた。
 セスナ機のコンピュータに取りこむ。
「近所をほんの何回かまわるだけでいいんだ」
 ヘルカイトが言った。
 JDが現在位置の確認のために、この辺の拡大図を表示させると、
「ここから出るなよ」
 ヘルカイトがディスプレイを指でまるくなぞった。
「縄張りから出ると、いろいろうるさいからな」
 縄張りの中なら軍すら追い返してみせるぜ、という自信がうかがえる。
「調子が見たいな。エンジンかけさせてくれ」
「ダメだ。勝手に飛んでトンズラこかれちゃかなわん」
「かけなきゃ、飛べるかどうかわからない。いいのか?」
 ヘルカイトが眉をひそめる。
 迷ってるな?
「それに、飛んでどこに逃げるっていうんだ? 縄張りの外で降りたりしたら、軍が待ちかまえてるだろう。オレだって、軍の世話になるほどバカじゃない」
「まあ、そうだな」
 しぶしぶヘルカイトは認めた。
「キーを渡してやれ」
 部下がJDにカードキーを渡した。
 JDはすぐにカードキーを差しこみ、エンジンを始動した。
 イケる!
 すばやくシートベルトを閉める。
「なにやってんだ? おわっ!」
 ヘルカイトが後ろによろめいた。
 JDもまた、体がシートに強く押しつけられる。
 胸が苦しい。
 急発進、急加速。
 みるみるうちに、ビルの断崖が迫ってくる。
 滑走路の長さは足りるんだろうか?
 上がれっ!
 操縦桿をいっぱいいっぱいに引く。
 機首が上を向き、滑走路が途切れた。
 ふわっ。
 浮揚感。
 よし、行った!
 ぐらり。
 機体が不安定に揺れた。
 JDはあわててバランスを取った。
 ドーム都市の上空には、奇妙な気流があるらしい。
「テメェ、ダマしたな!」
 ヘルカイトが後部座席の背もたれにしがみついている。
 手下たちも、それぞれどこかにしがみついている。
 ヤツらの動きを縛る方法。
 それはただ一つ!
 機首をぐいっと上に上げた。
 巨大な重力を背中に感じる。
 ルームミラーで見ると、ヘルカイトは背もたれにしがみついていたが、足は機体後方に向けて宙ぶらりんである。
 今度はキリモミ降下。
 急激な右旋回、左旋回。
 背面飛行。
 把握しきれていないこの気流のもと、アクロバット飛行は自殺行為にも等しい。
 機内の扉は開いているが、誰も外へは落ちていかない。
 さすが、ヘルカイトとその手下だ。簡単にはくたばらない。
 だから、こちらもムリをしなくては勝てない。
 さて、そろそろか。
 ドーム都市の壁が迫ってきた。
 宇宙港はもうすぐだ。
 手動操縦から自動操縦に切り替えると、機体は安定した。
「テメェ、タダじゃおかねえ!」
 ヘルカイトがようやく床に立って、JDに近づいてきた。
 手下たちも詰め寄ってくる。
 着陸態勢をとったら、その間にヘルカイトたちに囲まれてしまうだろう。
 だが。
 着陸態勢なんか、とるもんか。
 肘かけの横の非常用ボタンを押す。
 ブシュッ!
 尻に強力なGを感じた。
 セスナ機が、瞬く間に下方へ遠ざかる。
 緊急脱出装置を作動させたのだ。
 上昇の勢いは一瞬で、JDはたちまち座席ごと落下しはじめた。
 バッ。
 座席からパラシュートが開き、下降はゆるやかになった。
 グワァァーン!
 遠くで火柱があがった。
 ドームを傷つけたかもしれないが、多少の傷ならドームの修復機能でまかなえるだろう。
 地面に着くと、パラシュートも座席も放りだして、宇宙港へのゲートへ向かう。
 まだ事態は把握されていないらしい。ゲートは閉鎖されていなかった。
 JDは宇宙港へのシャトルトレインに飛びこんだ。

 さて、値切ったデータを見てみるか。
 コンソールの前に腰をおろし、封筒に入っていたディスクをセットする。
 まず、ウィルスチェック。
 この船のコンピュータも、基本システムは結城システムである。
 このシステムは、やたらにガードが堅い。
 ウィルスどころか、少しでも異常の見られるプログラムは強制排除してしまう。
 コードは非公開の上、強制排除により、テストはできない。ということで、第三者(サードパーティー)がつけ入るスキはない。
 だから、結城システムに載るアプリケーションソフトは、ほぼすべて純正である。
 こんなバカな市場独占は、バックに結城財閥がなければ実現しなかっただろう。
『ふうーん、ぜーんぶチェックしても、これだけ早いんだねぇ』
 JDから説明を聞いた時、姐(あね)さんは妙に感心したものだ。
『へえー。知らないの? メカオンチもここまで来ると致命傷だ』
 JDがバカにすると、ゲンコが飛んできた。
『へらず口叩いる暇あったら、説明続けな!』
『……はい……』
 姐(あね)さんは飲みこみが早かった。瞬く間に使い方をマスターした。
 しかし、このソル星系の基本中の基本、コンピュータの一つも扱えなかったなんて!
 どんな暮らしをしていたんだろう?
 機械に指一本触れず、ひたすら肉体でも鍛えていたんだろうか?
 ウィルスチェックが終わり、ディスク内のファイルを開こうとすると、IDとパスワードを求められた。
「ふむ」
 間違ったIDやパスワードを三回入れたら、ファイルは開けない。
 慎重にいかなくては。
 チャーリーの旦那の前のパトロンは、ソル連邦の退役軍人だった。
 確か、寝物語で、こう言ってなかったか?
『火星はセキュリティがバカ甘でのう、ブラッドベリ・ポイントの機密は、IDがイルやイラ、パスワードは火星年代記でファイルが開けたし、バロウズにいたっては、ジョン・カーターやデジャー・ソリスをIDに、火星の王女(プリンセス)をパスワードに入れたもんだ』
 今は変わってしまったかも知れない。
 でも、もし変わっていないとしたら。
 オリンポス山はギリシア神話に出てくる、メインの一二神がいる山である。
 なら、IDはその神の名、パスワードはギリシア神話か?
「セイレーンに命令。IDはゼウス。パスワードはギリシア神話。命令終わり」
「IDを受けつけました。パスワードを受けつけました。ファイルを開きます」
 軍神の血塗られた薔薇(ラ・ローズ・ルージュ・ド・マルス)の愛機、宇宙船セイレーン号のメインコンピュータの音声が流れた。
 あっけない。
 さて、ファイルの中身は、と。
 ――………………。
 なんだ?
 このものものしい……。
 ヤバいっ!
 ガバッ。
 思わず席を立った。
 ただの地図なんかじゃない!
 オリンポス山には地下要塞があるんだ! 
 これは、その武装配置を、事細かに調査し、記したものだ。
 道理で、このディスクを情報屋が買わなかったわけだ。こんなもの持ってたら、火星政府につけ狙われる。
『これをスッてから、なんか運が悪くてよ』
 ウェルバはそう言っていた。
 狙われていたんだ!
 今度はオレが狙われる番か。
 でも、そんなこと、どうでもいい。
 姐(あね)さんは軽装でここに向かったんだ。姐(あね)さんが危ないっ!
「警告します」
 と、セイレーン号の音声。
「飛行物体、二機接近中」
 パネルが光る。
 軍用機が映っている。
 本来、宇宙港は治外法権が認められていて、火星軍といえども好き勝手にはできないはずだ。
 それをあえて犯すとは、よっぽどの事情があるとしか思えない。
 オレを追ってきたのか?
 セスナ機を墜落させた件で?
 それとも、このディスクの件で?
 どちらにしろ、厄介だ。
 宇宙港はドーム都市に隣接している。
 船はそれぞれの格納庫に入れられ、管制塔の指示がなければ外に出られない。
 軍が船を抑えるのは簡単だ。
 では、ここに残って船を死守するか?
 一人籠城し、ムリヤリ格納庫を破壊し、滑走路に突っこんで飛び立つぐらいのことはできるだろう。
 しかし、姐さんはどうなる? どうやって乗りこむんだ?
 それより、今こうしている間にも、姐さんはピンチに陥ってるかも知れないのだ。
 だったら、優先すべきは姐さんだ。
「セイレーンに命令。VTOL(ヴィートル)発進準備! 二分後に発進する。それまでに、このディスクの内容をVTOL(ヴィートル)にコピーしとけ! 命令終わり」
 このままVTOLを発進させたら、間違いなく格納庫を破壊し、VTOLも無傷ではいられない。
 正気の沙汰じゃない。
 だからこそ、効果があるんじゃないか。
 JDは船内のVTOL格納庫へ走った。


 VTOLを発進させると同時に、格納庫の壁を撃ちぬく。
 外に出ると、火星のうす青い空に二機の軍用機。
 うす青い空は、稼いで地道に行われている大気圧計画を思い起こさせる。
 地球から移住してきた人々は、意地でも青い空と広い海を手に入れたいようなのだ。
 だったら、戦争なんかしなきゃよかったのに。
 なくしたのは、自分たちのせいじゃないか。
 軍用機に、まだ動きはない。
 突然、壁をつき破って現れたVTOLに面くらってるんだろう。
 JDはVTOLをドームに寄せた。
 軍用機はようやく二手に分かれたが、もう遅い。
 ドームにぴったりくっついて飛ぶVTOLを、ヤツらは撃ち落とせない。
 ドームはいわば人質である。
 JDは照準を合わせた。
 ロックオン。
 ファイヤー。
 一機が宇宙港に墜落する。
 まさか、セイレーン号の近くじゃないだろうなぁ?
 あわてて位置を確認する。
 セーフ。
 方角は同じだが、ずいぶん離れている。
 さて、もう一機は、と。
 気づくと、そいつは至近距離にいた。
 墜落機を確認しているスキに、間を詰められたらしい。
 この距離で発射したら。
 VTOLも無傷では済まない。
 敵もなかなか考えたようである。
 では、敬意を表して。
 ファイヤー。
 敵機が爆発した。
 破片が激しく飛び散る。
 JDはすでに上昇態勢に入っていた。
 VTOLの表面に傷はついたが、動力は無事、航行に支障はない。
 だって、こいつは特注のVTOLだ。
 でなきゃ怖くて、あの姐さんと仕事なんかやってらんない。
 姐さんときたら、平気でムリ難題を押しつけてくるんだから。
 ぐわん!
 船体が大きく揺れた。
 JDは反射的に操縦桿を引いた。
 なんだ? 今の衝撃は?
 モニタを見ると、ドーム都市のドーム部分が大きくえぐられていた。
 その破片場VTOLにぶつかってきたようだ。
 うげっ。
 このドーム、思ったよりモロいでやんの。
 VTOLの被害状況を調べる。
 船体に傷が増えただけだ。
 OK。
 オリンポス山に向かおう。
 方向転換する。
 姐さん、オレが着くまでに地雷なんか踏んづけないでくれよ!

つづく

 

   

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