にぎやかな露店。
桶にはった水に、墨を抜かれた大ダコが浸っている。
火星産の養殖ダコは有名だ。
ソル連邦一の生産量を誇り、美味でもある。
独立戦争で荒廃した火星は、火星と木星の間の小惑星帯(アステロイド・ベルト)を中心に分布するスペース・コロニー群に、あらゆる生産面で遅れをとった。
そこで出た斬新な打開策というのが、これ。タコである。
火星といえばタコ。
幸運にも地球は干上がって海を失い、スペース・コロニーも魚や貝やイカには力を入れているが、タコにはほとんど目を向けていない。
そこで火星の運河でタコの養殖を始めたのである。
これが大ヒット。
今や、大タコ焼きは、火星の代表的な郷土料理と言っていい。
火星のご家庭には、一家に一台大タコ焼き器があるほどだ。
タコ焼き屋の集まったタコ焼き広場には、さきほど行ってきたが、相変わらずタコ養殖の発案者クレ・ククラの銅像が立っていた。
つるっぱげにねじり鉢巻きの、威勢のいい漁師の像である。
なんでもかんでも、銅像立てんなよな。
JDは人ごみにもまれながら、チラと目をあげた。
ここ、独立広場には、タコのヒットメーカーの像はない。
代わりに、独立運動家ラルフレッド・フロイの銅像が立っている。
彼は独立戦争の直前に殉死した、独立運動の志士、英雄である。
彼の詠んだ詩「赤き山のあなたに」は、戦時中同志の心の支えとなり、現在ではメロディがついて国歌になっている。
ゴミゴミした広場を抜け、一歩裏通りに入ると、雰囲気はガラリと変わる。
暗く、じめじめした汚いスラム。
観光客は間違っても足を踏み入れてはならない危険地帯である。
人通りはなく、建物の暗い影から、いくつかの白い眼と白い歯が浮きあがっている。
ぬっ。
影から、三人組が姿を現した。
男が二人、女が一人。
JDより二、三歳年上だろうか? 三人とも図体がデカく、目つきはもちろん悪い。
「ヘイ、坊や(キッド)。ママとはぐれたの?」
クチャクチャクチャ。
薬(ヤク)入りガムか?
口を動かし、汚い音を立てながら、三人はぐるりとJDをとり囲んだ。
あっという間に視界がさえぎられる。
「食いな」
男がパウンドケーキを一切れ取りだした。
おおかた、薬(ヤク)入りか睡眠薬入りだろう。
「いらねえよ!」
シュッ。
JDは右ストレートを繰り出した。
ケーキは粉々に散り、持っていた男の鼻を直撃した。
「やりやがっ……」
すかさず右足でもう一人の男の股間を蹴り飛ばした。
女のみぞおちに肘を入れ、股間を押さえている男の首に手刀。
ドウッ。
二人が続けざまに倒れた。
「情報屋のキンク爺さんは、どこだ」
最初の男の襟首をつかんで、JDはすごんだ。
「ふ、ふた、二つ先の角を右に曲がって……」
鼻血をしたたらせながら、男は道を説明した。
他愛もない。
暗く入り組んだ路地を進むと、
『安い! 早い! 正確! 真心サービスのキンク情報商会』
という看板を見つけた。
JDは古ぼけた扉を乱暴に蹴った。
「爺さん、いんだろう?」
「誰だ! 乱暴にしやがって! タダじゃおかねえぞ!」
不機嫌きわまりない声が、扉の横にしこまれた小さなスピーカーから聞こえる。
「あっ。もしや、サンドリヨン? ドリー?」
どこかにしかけられたカメラで見ているのだろう。
扉がバタンと開いた。
その向こうは暗く、人影はない。
「早くお入んなさい」
JDが足を踏み入れると、扉はひとりでに閉まった。
室内は暗く、人が一人通れる幅をのぞいて、ガラクタがうず高く積みあげられていた。
奥が明るく、そちらへ向かう。
「ドリー、会いたかったわ! いつ、こっちへ? お引っ越しのお知らせしてからぜんぜん来てくれないから、もう忘れられたのかと思った!」
髪とヒゲとで毛むくじゃらになった巨漢が、鉄砲玉のように飛びだしてきた。
ためらわず、ギュウウッとJDを抱きしめる。
もしゃもしゃのヒゲ面でズリズリ頬ずりする。
「すっかり大きくなったのねえ。あんまり大きくならないよう、薬を射ってあげようか? ドリーは小さい方がかわいいもんねえ」
「よけいなことすんなよ」
「あら、声も低くなっちゃって。あのかわいらしいボーイソプラノはどこへ行っちゃったのかしら。まっ、ノドボトケ? こんなもの出てきちゃったの? ショックだわー!」
キリリと背中にツメを立てる。
「離せよ!」
「あらやだ、恥ずかしいの? かわいいわねえ。ところで、チャーリーの旦那はどうしたの? 一緒じゃないの?」
「離せって言ってんだよ!」
ぐわっと、力づくでキンク爺さんの体をひっぺがした。
髪とヒゲに埋もれた目がまん丸になった。
「力持ちになったのねえ!」
昔は爺さんにされるがままだった。
でも、今はちがう。
「昔みたいに扱うんじゃねえ。とっくにアシは洗ったんだ」
「またまたぁ。ドリーみたいにかわいい子、周りが放っとくわけないでしょ。今のパトロンは誰なの?」
「やめたって言ってんだろ! 今はエルファーレンとこで働いてる」
「エルファーレン?」
「ローズ・エルファーレン。軍神の血塗られた薔薇(ラ・ローズ・ルージュ・ド・マルス)さ」
「ローズ・ルージュねえ」
軍神の血塗られた薔薇(ラ・ローズ・ルージュ・ド・マルス)は、姐(あね)さんの異(ふた)つ名だ。血の気が多くて、まさに軍神(マルス)の申し子だ。
「ドリー、似合わないわよ、そんなの。やめてウチにいらっしゃい。せっかくの美少年がもったいないわ」
「爺さん、あんたに調べてもらいたいもんがある」
JDはポケットからデータディスクを出した。
「ここに入ってるDNAの型、どこの家系のものか調べてもらいたい。名門一族のデータは、たいがいそろってんだろ?」
「キンク情報商会を見損なっちゃ困るわね。貸して」
爺さんはJDの手からディスクを取りあげ、部屋の奥へと進んだ。
とあるガラクタの前で立ち止まると、細いすきまにディスクを押しこんだ。
「あとはマシンが探してくれるわ」
「調査料は後でエルファーレン宛に請求してくれ」
「あら、いやだ。ドリー相手に、そんな野暮なことしないわよ」
「仕事は仕事だ」
爺さんはため息をついた。
「あーあ、すっかりオトナになっちゃって。なによ、ローズ・ルージュがオトナにしてくれちゃったってわけ?」
「バ、バカ、ちが……」
ブワッと頬が熱くなる。
「赤くなってる。かわいいわね」
笑いながら爺さんは壁かけディスプレイを指さした。
「あら、早い。もう結果が出たわよ」
「どこのだ?」
JDは身をのりだした。
「まったく同じサンプルはないけど、六五パーセントの確率で、結城財閥の血筋ね」
「結城財閥だって!」
子どもですら、その名を知っている。
火星独立戦争で成りあがった死の商人。
そして戦後、結城システムと呼ばれるコンピュータ・システムが、ソル星系を席巻する。
基本システムの一種で、画期的で斬新な設計思想(アーキテクチャ)と結城財閥の強力なバックアップとで、火星のドーム都市をはじめ、地球の地下都市やスペース・コロニー等、ソル星系全土にすっかり浸透した。
そして今や結城システムに対抗できるものはなく、開発者の結城博士がくしゃみをすればソル星系全土が風邪をひくとまで言われている。
「現総帥とは、そんなに型が近くないみたい。むしろ分家の、学者の家系じゃないかしらね。年頃と容姿から推測すると、四〇パーセントの確率で、この子のDNAだと思うわ」
ディスプレイに集合写真が映る。ぐん、とズームアップすると、金髪碧眼のかわいらしい乙女が映る。
アリアドネだ。
「この子の一家は、そろいもそろって、スパット遺伝子研究所の研究者ね。もちろん、バックに結城財閥がついてる研究所よ。
父の名がヒノキ。母がツバキ。子どもは八人で、上からさくら、マサキ、もも、あんず、ぼたん、なでしこ、うめ、あやめ。この子は、下から二番目のうめ」
「結城うめ?」
「そう。結城うめ」
「………………」
偽名を使いたくなるかも知れない……。
「本家との関係は、あんまり濃くないわ。結城財閥の初代のいとこ筋ね。今の総帥が四代目だから、わかるでしょ? 結城財閥の末端の家系よ」
「当人は、どういう経歴なんだ? 評判とか、交友関係は?」
「そこまでは、さすがに情報ナシね。人物が特定できただけでも感謝して欲しいわ。結城一族の全員の名前や素性がわかってるわけじゃないんだから」
「経済状態は? 結城一族なんて名前だけで、実は貧乏なんてことは?」
タダ働きになっちゃ、姐(あね)さん怒り狂うぞ。
「さあ。わかんないけど、過去に息子の捜索した時には、生半可なお手当じゃなかったわよ」
「息子の捜索だって?」
「そうよ。上から二番めのマサキって跡取り息子が行方不明になって、内密に調査したのよ。情報屋同士で手を組んで、大がかりにね。目撃情報がいくつかあったんだけど、結局見つからなかったんじゃなかったかしら」
「目撃って、どこで?」
「えーと、確か……」
爺さんはキーを叩いた。
「ここよ。火星第四キャナルシティね」
ここか!
このドーム都市で。
「おやおや」
マシンをいじっていた爺さんがつぶやく。
「今度は何だ?」
ディスプレイが一瞬で消える。
「もう一つ、情報があるんだけど」
爺さんの目がうれしそうに細くなる。
「何だよ?」
「結城マサキの捜索費用のお話。火星政府が報酬額に不満を持って、トラブっているのよ。でも、結城ヒノキのバックには本家の結城財閥があるから、表だって強いこと言えなくて我慢してるの」
「じゃあ、裏からなら……」
「きっと、手ぐすねひいて、機会を待ってるでしょうね。結城ヒノキの方も、本家の手前、できるだけ表沙汰は避けたいでしょうから、裏取引なら金が搾り取れるって算段ね。実際、何度か家族の誘拐未遂事件が起きてるみたいよ。未確認情報だけど」
とすれば。
懐に飛びこんできたアリアドネを、火星が黙って見過ごすわけがない。
道理で。
火星外務局なんて、敵さんの懐ド真ン中だ、狙われるわけだ。
今日、姐(あね)さんは、この火星第四キャナルシティのドームを出て、オリンポス山に向かうと言っていた。
ドームを出る時一悶着ありそうだが、昨日の件で火星政府が敵さんだってのは知ってるから、特に心配する必要はないだろう。
なんたって、泣く子も黙る軍神の血塗られた薔薇(ラ・ローズ・ルージュ・ド・マルス)なんだから。
「わかった。用は済んだ。帰る」
JDは外へと歩きだした。
「待ってよ。お茶ぐらい飲んでいきなさいよ」
と、爺さん。
カチャン、といかにも高価そうなティーカップをガラクタの上に置く。
「あんたにつきあってる暇なんかねぇよ」
「せっかちねえ。お茶飲みながら話しましょうよぉ。一口飲んで、落ちついて」
「どうせ薬(ヤク)でも入ってんだろ」
「あら、ヤダ。サービスよ。お金なんかとんないわよ」
「ンなもん、飲めるか」
「遠慮しないで。どうせローズ・ルージュから離れられないのも、これのせいなんでしょ。うちの子になっちゃえば、いつでも好きだけやらせてあげるわよ」
「バカにすんなっ!」
薄暗い部屋。禁断症状の、息が詰まるような苦しみ。襲いかかる幻覚。
一瞬にして、まざまざと脳裏に甦る。
あんな思い、二度と真っ平だ!
「帰るっ!」
踵を返すJDの腕を、大きな手がつかんだ。
「どうしたの? 他に弱みでも握られてるの?」
「離せっ!」
「……実力行使しかないようね」
爺さんはJDの腕をねじりあげた。
「イツツツツ……」
JDは抗おうとするが、ビクともしない。
力の差がありすぎる。
「生身の腕であたしにたてつこうなんて思っちゃイヤよ。そりゃあ、最初はびっくりしてやられちゃったけど、あたしだって長年こんな商売してるんだから、そうそうヤワにはできてないのよ」
「くそっ」
痛む腕を押さえながら、JDは爺さんを睨んだ。
「その眼! その眼よ。ゾクゾクするわ。もうどこにも行かないで、うちの子になっちゃいなさい。三食昼寝つきでどう?」
「っるせぇ!」
「あら、聞きわけのない子ね」
こんなことなら、義手や義足にしておくんだった。パワーさえあれば、爺さんなんかねじ伏せられるのに。
なのに、姐(あね)さんは反対するんだ。
成長期に造り物を身につけると、パーツの接続部分が合わなくなって、突然動かなくなることがある。この稼業でそれは命取りだからやめろって。
そして、使える物をムダに捨てるな、生身の筋肉でも鍛えれば強力な武器になる、と。
そういう姐(あね)さんは、全身ほとんど造り物のクセに。
なんでも、昔、ドジって手も足も失ったんだとか。
「そうねえ、うちの子になりたくないって言うんなら、代わりに情報くれないかしら? ローズ・ルージュの過去とか」
ギクッ。
「姐(あね)さんを裏切れって言うのか?」
「うちも情報屋だからねぇ、今をときめくエルファーレン姉妹の素性がわかっちゃったら大助かりなんだわ。あの子たち、どこのコロニーの出身?」
「知らねぇよ!」
姐(あね)さんは突然現れた。
チャーリーの旦那の元から連れだして、行くアテのないオレを面倒見てくれてる。薬(ヤク)をやめさせてくれたのも、姐(あね)さんだ。
素性なんか知らない。
でも、それで充分だ。
「あら、知らないの? 残念」
意外にも爺さんはあっさり引きさがった。
「何にも話してくれないってことは、よっぽどドリーは信用されてないのね」
「あんたに何がわかる」
「わかるわよぉ。あたしはドリーの何倍も生きてるのよ。人間なんて、過去が積もり積もってできた塊みたいなもんよ。過去って、人の体にしみついて、決して消えないものよ。ねえ、ドリーちゃん?」
にんまり。
オレの過去!
「オレになにかしてみろ! エルファーレンが黙っちゃいねぇぞ!」
爺さんは戒めを解いた。
「脅しもかわいいわね。情報が欲しかったら、いつでもいらっしゃい。売りたい時もね、ドリーちゃん」
「るせぇっ! こんなとこ、二度と来るかっ!」
一目散に、家を飛びだした。
独立広場は、依然としてひどい人ごみだった。
かきわけて進むと、誰かの腕がのびてきた。
スリだ。
軽く身をかわし、逆にそちらに腕をのばし……。
子どもだ。
七つか八つの、重そうなコートを羽織った女の子。
気候の管理されたドーム都市で、厚ぼったいコートは珍しい。
そのコートの中で、JDの指が動いた。
懐かしい感覚。
腕はニブってないらしい。
分厚いサイフがいくつか懐に転がりこんできた。
子どものスリが、単独行動とは考えにくい。この人ごみの中に、仲間が何人か紛れているのだろう。
そして、一日の収穫を元締めに納めるのだ。
広場をようやく抜け、ふり返ると、独立の志士ラルフレッド・フロイの立像が空に向かって拳をふりあげていた。
「よお、ドリー」
バシッ。
いきなり背中を叩かれた。
ぐあっ。
JDは前に二、三歩よろめいた。
「男みたいな恰好しちゃって、どういう風の吹きまわしだよ」
「なんだ、ウェルバか」
厭なヤツに遭った。
「フリフリドレス着ないと、チャーリーの旦那にどやされるぞ」
ニヤニヤニヤ。
「るせえな、もう切れてんだよ!」
「ははあーん。ついに飽きられて捨てられたか。あんなにご執心だったのに、人の心ってのは移ろいやすいものよのう。で、今度のパトロンは男装が趣味なのか?」
キョロキョロと周囲を見まわす。
「パトロンかボディーガードはどこにいるんだ? こんな細腕のドリーちゃんを一人にしとくなんて、危ねえよなあ。どっかのオヤジに連れ去られちゃうぜ」
「バァーカ」
JDは軽蔑のまなざしを向けた。
「聞いて驚くなよ。オレは今、エルファーレンのメンバーなんだ」
「エルファーレン?」
「軍神の血塗られた薔薇(ラ・ローズ・ルージュ・ド・マルス)の仲間さ! オレがいなきゃ、さしもの軍神の血塗られた薔薇(ラ・ローズ・ルージュ・ド・マルス)も身動きがとれないんだぜ!」
「ふふーん。色じかけでおとしたのか。さすがだな、ドリー」
小バカにした笑い。
JDもバカにした笑みを返してやる。
「おまえみたいなタダのスリと一緒にすんな。オレは選ばれたんだぜ。この才能を眠らしとくのはもったいないって、メカニックに大抜擢だ」
「昔っから、おまえはそっちの方面が器用だったもんな」
少し、信じ始めたようだ。
ようし。押して押して押しまくれ。
「オレに万一のことがあってみろ! 軍神の血塗られた薔薇(ラ・ローズ・ルージュ・ド・マルス)はすぐに飛んでくるぞ。なんせ、このオレが欲しくて欲しくて、並み居る護衛をなぎ倒して、チャーリーの旦那ンとこから奪取したんだからな」
「でもさぁ、そこまですんなら、おまえみたいなシロウトじゃなくて、プロをスカウトすんじゃねぇか、フツー」
懐疑の眼。
イカン!
「プロのメカニックはこういう稼業に向かないからな。トロトロしてると、あっという間に屠られちまう。それに軍神の血塗られた薔薇(ラ・ローズ・ルージュ・ド・マルス)は気が短いから、オレぐらい機転がきかないと、命がいくつあっても足りねーぜ」
「マジかよ」
羨望と懐疑の入り混じった眼。
よし、もう一押し。
「じゃあ、情報屋のキンク爺さんに聞いて、軍神の血塗られた薔薇(ラ・ローズ・ルージュ・ド・マルス)に連絡とってみな。オレがメカニックの主任だって言うから」
「主任かよぉ。人使ってんのか?」
「あったり前よ。軍神の血塗られた薔薇(ラ・ローズ・ルージュ・ド・マルス)の仲間がいったい何百人いると思ってんだ」
――ホントは三人だが。
「すげぇなぁ。稼ぎもいいのか?」
「左うちわだぜ。アゴで人を使ってりゃ、ガバガバ金が入ってくる寸法よ」
――タダ働きで、小遣いすらスズメの涙なんて、死んでも言えない。
「オレも紹介してくれよ。雑用でもなんでもするからさ」
ウェルバが拳を胸に当てた。
頼みごとをする時の、火星式の仕草だ。
「うーん、口をきいてやってもいいが、軍神の血塗られた薔薇(ラ・ローズ・ルージュ・ド・マルス)が気に入らなきゃ、その場でコレだぜ」
JDは右手で首を切る仕草をした。
「そんなに厳しいのか?」
「週に二、三人は首が飛んでるな。そうそう、こないだお客の女の子の前でシャツを脱いだヤツが、その場で首を切られたっけ。床が血の海になって、掃除すんのがたいへんだったぜ」
「そ、そのくらいでか?」
ビビるウェルバ。
「気分次第だな。気に入らなきゃ、即、コレよ」
また、首を切る仕草。
「まあ、おまえンとこも紹介してやるけどよ」
「いいよ」
ウェルバは尻ごみした。
「そんなじゃ、命がいくつあっても足んねぇや」
「だろーな。おまえにはチンケなスリ稼業が似合ってるぜ」
JDはニヤニヤした。
「おまえほどじゃねぇけど、オレも少しは出世したんだぜ」
ウェルバは気を取り直すように、胸を張った。
「今、子どものまとめ頭(がしら)やってんだ。オレの縄ばりは、この独立広場よ。子どもを放して、収穫を元締めに持ってくんだ。オレもアゴで人を使うご身分ってわけさ」
笑う。
「ここには行商人や観光客や、軍人まで来るからな。ほら、あの像を拝みに」
独立の志士ラルフレッド・フロイの全身立像を指す。
「稼ぐには絶好の場所よ。たまに、ヘンなもんもスッちまうけどな」
「へんなもん?」
「マル秘ファイルみたいなもん。売れそうなもんは情報屋に持ってって売りさばく。けっこういい値がつくんだぜ。だが、時々クズみたいなファイルもあってな。たとえば、これ」
ウェルバは懐から封筒を取りだした。
「オリンポス山周辺の地図みたいなんだけど、誰も買ってくんねぇのよ。それに、これをスッてから、なんか運が悪くてよ」
「じゃあ、捨てちまえよ」
「やだね。そんなもったいねぇことできるか。なあ、買わねぇか? はぶりいいんだろう? 安く譲るからさ」
チリでもホコリでも売ろうって根性がなければ、こんな世界では生きていけない。
昔は同業者だったJDにも、気持ちはわかる。
それに。
オリンポス山の地図か。
姐(あね)さんは、今日そこに向かったのだ。何か役に立つかも知れない。
懐にはちょうど、スリの子どもからスッった金もある。
そのまとめ頭(がしら)のウェルバに金が戻ったと思えば、損はない。
「昔のよしみだ。買ってやるか」
「いよっ、太っ腹。さすがは軍神の血塗られた薔薇(ラ・ローズ・ルージュ・ド・マルス)のメカニック主任。じゃ、二〇〇マルスで」
「高い。五〇マルスだ」
「そんな殺生な。それが人の上に立つ人間の言う値段か? せめて一八〇マルス」
値段の交渉を始めた。
長い値段交渉の末、やっとディスクが手に入った。
ちっ。昔馴染みだってのに、ちっともマケやがらねぇ。
封筒を大事にシャツの内ポケットに入れ、きちんとファスナーを閉め、さらにファスナーを覆うようにポケットカバーのボタンをハメる。
こういう稼業をやっていると、いつ激しい動きを強いられるかわからない。
ゆえに、簡単に中身が出てしまわないよう、ポケットの口が二重になっている。
さて、とっとと宇宙船(ふね)に帰って、ディスクの中身を見るか。
ドンッ。
巨体がわざとらしくぶつかってきた。
ヌッ。
伸びてくる手。
サッ。
JDは身をかわした。
ウェルバのヤロー!
カッと頭に血がのぼる。
身をひるがえして、広場に戻る。
人ごみの中にウェルバを見つけた。
「このイカサマヤロー!」
「な、なんだよ」
襟首をつかむ。
「売った先からスッて、また別のヤツに売ろうってか? いい根性してんじゃねえかっ!」
「し、してねぇよ。く、苦しい。手を離せよ」
「とぼけんじゃねぇ、今そこで……」
「ど、どのガキだよ」
「ガキじゃねえよ、デカい図体した……」
「オレはガキしか預かってねぇ」
ウェルバの顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。
パッ。
JDは手を離した。
が、それはウェルバの言葉を信用したからではない。
何かが至近距離で光ったのだ。
身を伏せる。
ジュッ。
肉の焼ける匂いがした。
「ひえっ」
ウェルバが尻もちをつきながら、情けない声をあげた。
JDの手からいきなり放されたウェルバは、バランスを失ってそのまま尻もちをついたのだ。
それが、彼を救った。
焼かれたのは、彼のすぐ後ろの通行人だったのだから。
「助けてくれー」
JDにしがみついてきた。
「おまえ、こんなの馴れてんだろ? 助けてくれー」
「自分の力でなんとかしな」
乱暴にふりほどいた。
「幸運を祈る(グッドラック)」
周囲の人々は、まだ状況がわかっていない。
焼かれた被害者はその場に倒れていたが、誰も面倒を恐れて近寄らない。
しかし、二、三発銃撃が続けば、群衆は気づきパニックになる。
パニックになれば、逃げまどう群衆に行く手を阻まれる。
それからでは遅いのだ。
一刻も早く、トンズラしなくては。
JDは宇宙港の方向へ走りだした。
人ごみがジャマで、思うように走れない。
ゆらり。
人影が前方左から出てきた。
あっぶねぇ。
あわてて右へ折れると、何かが空を切った。
シュッ。
黒っぽい棒。
いったいどうしたんだ?
狙われてんのは……オレか?
敵はいくらでも考えられる。
たとえば火星政府。アリアドネとの交換目当てにオレを人質にとろうとしている。
たとえば姐(あね)さんの同業者。オレを再起不能にして、チームの力をそぐ。
たとえばキンク爺さんやチャーリーの旦那。オレを自分のものにしようとしている。
くそっ。
多すぎてわかんねえや。
広場を抜け、階段を上る。
これは上空の車専用道路につながる非常階段だ。
階段を上りつめ、重たい非常扉を開き、道のわきの非常帯から本線へ出る。
ビイイーン。
振動音とともに、リニアバイクが停まった。
「バカヤロー! 死にてぇのか!」
フルフェイスのカウルを上げて怒鳴る男に体当たりする。
ガシャンとバイクが倒れる。
二人は路上に転がった。
起きたのは、JDが先だった。
迷わずバイクを引き起こし、飛び乗る。
「待て〜!」
後ろからオーナーの声が追いかけてきた。
が、すでに距離は離れていた。
髪が後方になびく。
せっかくセットしてきたのに。
今日はもう、メチャクチャだっ!
それもこれも、みんな姐(あね)さんが悪いんだ。筋力アップの義手義足をつけていれば、逃げずとも太刀打ちできるのに!
……それにしても、宇宙港には、どうやって行けばいんだろう?
火星には何度かチャーリーの旦那に連れられてきたことがある。
しかし、車を運転したのは運転手だ。それだってお飾りのようなもので、ナビゲーションシステムに目的地をインプットしただけだ。
ハッ。
車にナビゲーションシステムがあるなら、バイクにだって……。
スピードメーターの横を見ると、小さなディスプレイが赤い点を点滅させていた。
行く先はインプットされているらしい。
その目的地は?
わからない。
火星の地理は、姐(あね)さんと違い、明るくない。
後ろから一台の車が猛スピードで追いついてきた。
ヤバい。
あわててブレーキ。
ブレかける車体。
力で押さえこむ。
バンク。
ターン。
逆走。
スロットルをガバッと気前よく全開にし、前輪を上げた。
ダンッ!
車のボンネットに乗りあげる。
そのまま車の天井へ。
ダイブ!
ダダンッ。
着地して、逆走を続ける。
バックミラーの中で、車はぐんぐん小さくなった。
ふうーっ。
車じゃ簡単にUターンはできないだろう。
たとえUターンしても、逆走になるから、他の車と接触してしまう。
バイクなら路肩を走り続けられるが。
元の地点まで戻ると、バイクの本物のオーナーは、路肩に立って、非常用の電話をかけていた。
JDの姿を見つけると、ハッとして電話を離し、二、三歩かけよって……。
そこで通りすぎた。
「返せーっ」
背中に声が追ってきた。
むろん、返すつもりなんかない。
ただ、電話をしていたから、盗難車として手配されるかも……。
いや、逆送しているんだから、どっちみち、交通機動隊が出てくるだろう。
マズいな。
次の非常口でバイクを乗り捨てる。
非常扉を開けて車道を出ると、すえたような匂いが鼻をついた。
スラムか?
汚い街並み。
階段を早足で降りると、その足音で気づいたのか、ビルの窓から次々に人の顔がのぞいた。
行くも地獄、戻るも地獄か?
肩を張ってイキがって見せる。弱いと見られたら終わりだ。
「へい、坊や(キッド)」
背の高い女が話しかけてきた。
黄色い髪はパーマをかけているのか、もしゃもしゃにふくらんでいる。黒いサングラスに、派手なピンクのチビTシャツ、デニムのホットパンツ、茶色い革のブーツ。
服地はどれもくたびれ、色落ちしている。
「ちょいとツラ貸しな」
「ゴメンだね」
JDはその前を通りすぎた。
「待ちな。あんたに用があるんだ」
「そっちにあっても、オレにはないね」
「じゃあ、力づくだ」
「どっちにしろ、そのつもりのクセに」
女は肩をすくめた。
「そりゃま、普通なら。でも、あんたは別。おとなしくついてくんなら、手は出さないよ」
「ついて来いって、どこに?」
「ボスンとこさ。さっき窓からあんたのこと見かけて気に入ったらしいよ」
どうする?
遠巻きに取り囲んでいる屈強な輩(やから)を突破できる自信はない。
バイクや車や宇宙船でもあれば別だが。
生身ってのは、なんて無力なんだ!
帰ったら、姐(あね)さんが何と言おうと、人造パーツをつけてやる!
無事帰れたらの話だが。
「わかった。あんたのボスに会おう」
屈辱感を押し殺しながら、JDは言った。
つづく