想善寺本堂にある
第十六番ご詠歌の額

  その始まりは詳しく伝わっておりませんが、観音霊場が全国的な広がりを見せていた頃、この北河内(現在の枚方市、交野市、寝屋川市、四条畷市を中心とした地域)に於いても、観音菩薩をお祀りしている三十八ヶ所の寺院に西国三十三所観音霊場のご詠歌をあてはめて定められたようです。

そもそも三十三という札所の数は、「観音経」(「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」)に「観音様は三十三種類の姿に身を変えて、私達を救済して下さる」と説かれていることに因んだものです。

河内三十三所には三十三所以外に五つの別格寺院があり、全部で三十八所となります。

河内三十三所観音霊場の巡礼は江戸年間にはかなり盛んであったようですが、その後、明治20年、大坂高麗橋壱丁目の呉服・足袋商「津田元治郎」氏が発起人となって、各寺院にケヤキ造りのご詠歌の額を配り、観音霊場を再興され、現在に至っています。


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