Spare Doll
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9
日付が替わった夜半過ぎ。
虫の音が響く中庭を抜け、赤騎士団長は迎賓館へゆっくりと足を向けていた。
およそ他人の部屋に訪問するには適切ではない時刻である。だが、カミューには相手が自分を待っているという確信があった。
ノックの後、すぐにかかった応えの声に、カミューは遠慮無く部屋に入る。
「随分遅かったな」
「申し訳ありません。昨日中に片をつけたい急ぎの仕事がありましたので」
「今の時期が一番忙しいからな、気にすることは無い」
前白騎士団長の意向で、悪趣味すれすれの華美な装飾品に囲まれたこの部屋の雰囲気に飲まれることもなく、泰然と構えている男の姿に、彼が名だたる国々の重職に就いていたことをふとカミューは思い出した。
「まぁ、俺も貴重な時間を無駄に費やす気はないから心配するな」
だが、付け加えられた言葉に、結局これが言いたかったのかと苦笑する。
『無駄な時間を費やす気はない』そう言い放った男の本意、それは無駄なあがきはせず、大人しく胸の裡に息づく感情を認めろということなのだろう。
「で、見たところ青いのはあの人形に骨抜きのようじゃないか」
「あいつは昔から面食いなんです」
当然のように、核心をついた言葉を吐く男に、カミューも腹をくくって話題に乗ることにした。
「なるほどな」
だが面白そうな表情を隠そうともせず頷くゲオルグに、微笑が崩れそうになる。
「・・・・・・・・・・・・なんですか、その眼は」
「いや、それでお前はあいつのどこがよかったんだ?面食いだとか抜かしたら目を疑ってやるぞ」
「知りませんよ、そんなこと私が聞きたいです。石頭で、駆け引きの一つもできなくて剣を振りまわすくらいしか脳の無い、薄らでかい男ですよ。取り柄なんて馬鹿正直なところくらいなもんです」
自分自身でも何度問い掛けたのか解らない問い。何故彼が誰かと親しくしているのをみると腹が立つのか、何故彼が特別なのか。百歩譲ってそれが彼のことを愛しているからだと言うのであれば、では何故あの男を?と根本に戻ってしまうのである。
「おまけに人形フェチときた」
酒を注ぎながら、そう軽口を叩く剣士はカミューの視線をものともせず言葉を続けた。
「ホモかロリコンか、究極の選択だな」
「・・・・・・・・・誰が男色家ですか」
忍耐堪らず、凍りついた笑顔を見せたカミューに、動じたようもなくゲオルグはナイフ取り上げると、カミューの持ってきたケーキをおおきく切り分け始める。
「男が男に惚れるんだからホモだろうが」
「断じて私は男色家ではありません。大体私は女性の方が好きなんです。やわらかい胸、ふっくら抱き心地の良い体、たおやかな声・・・。ロックアックスのレディ達に聞いてみてください、私が男色家だと言うと鼻で笑われますよ」
「でもその女達を差し置いて、お前さんはあの男がいいわけだ。どんな女でも選り取りみどりなのに,難儀なことだな」
「・・・・・・・・・嫌な中年ですね、貴方も」
通算六杯目の空焼酒を空けたカミューは、ほど良く酔いがまわっているのか、いつもよりも素直に感情を出していた。
「ははは・・・。ケーキのお礼に一ついいことを教えてやろう。後十年もたたないうちに、お前さんも立派な嫌な中年だ」
「それでも貴方には負けますよ」
「その通り。その頃には俺は立派な頼りがいのある壮年になっているからな」
甘さを抑えているとはいえチーズケーキを酒のつまみとして口に放りこんでいる男の所業に対する呆れも交えてか、カミューは顔を顰める。
「それはさておき、どうする気だ?」
「さぁて・・・どうしましょうか」
手の中のグラスを弄びながら、カミューは殊更ゆっくりとした口調で答える。彼自身どうしたいのか、どうすればいいのか、はっきりとした考えは無かった。およそ二十八年の生涯で考えもしなかった、親友を好きになる、という変事をやっと自分自身受け止め始めたばかりなのだ。どうすればいいかなどと考える余裕など無い。
「なんにせよ、さっさと決着をつけることだな。こっちにも都合があるから、できれば短期決着してくれるとありがたい」
さらりと言い放つ男に、
「あなたは・・・」
その意を問いかけようとして言葉を止める。
男が単なる剣の相手などで、マチルダまでやってきたのではないことは、初めから分かっていた。必要ならばゲオルグは率直に目的を話して手助けを要請する筈だが、あえてそれを語らないのは、彼自身に腹積もりがあるからに相違ない。
初めから目的を告げる気のない相手に問い掛けるのは時間の無駄だ、とカミューは判断する。
「そんなに簡単に事は運びませんよ」
だからそう苦笑するだけで、話題を打ち切ったカミューだったが、その言葉を彼は後々思い出し、自嘲することとなる。
事態は思ってもみない方向へいきなり動いたのである。
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