Spare Doll
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8
城壁修繕の工事音は、城下のロックアックス市にも響いていた。もっとも広い城下町、城から離れると殆どその音は聞こえない。
耳をすませたマイクロトフは、微かに聞こえるその音に、工事の進み具合を図る。
「マイクロトフ殿?」
不意にかけられた声に気が付けば、傍にいたクラウスが不思議そうな顔で、彼の様子を伺っているところだった。
「失礼、クラウス殿。・・・今日は本当にありがとうございました。クラウス殿のおかげで、ハイランド領との交易の足がかりができた。これは騎士団領にとって大きな益になります」
「いえ、大した事はしていませんから」
穏やかに首を振る青年に、マイクロトフはふっと笑みを溢した。
クラウスを交易所の査察に連れて行くように推したのは、カミューだった。だが何時見ても穏やかで大人しい青年が、どこまで交易所という実践の場で働けるだろうか、という疑念をマイクロトフは抱いていた。
しかしその懸念は杞憂だった。
一度商人と会話し始めると、穏やかな物言いはそのままで、良家の坊に似合わぬ白熱した交渉をする。流石は交易で腕を鳴らしたシュウ正軍師の配下で、手足となっていただけの事はある、そう感心しながら眺めていたマイクロトフの目の前で、クラウスはさっさと必要書類をそろえて見せたのである。
「もしよければ少し街を見て帰りませんか、街並など殆ど見てないでしょう」
感謝の意もこめて、そう提案すると、クラウスはうれしそうに頷く。
書類を副長に渡し、部下を先に返すと、二人のんびり市場の立ち並ぶ目抜き通りに足を向けた。
「・・・落ち着いた街ですね」
まばらな人通りの街を眺めながらそう呟いたクラウスに、マイクロトフは苦笑した。
「先の戦いでやはり景気が少し落ちているようです。まぁ、これから冬にかけての時期には人も増える筈なのですが」
戦のために人が少なくなっているのは確かだが、もともと夏場の人口はあまり多くない。
夏を過ぎたこれから雪が降るまでの時期に、幾つか催される祭りや冬に向けての買出しで人が多くなるのである。
それでも頑張って店を開けている商店の主人達は、マイクロトフの姿を見るとお辞儀をする。マイクロトフのほうもそんな彼らに挨拶を返すのを、クラウスは興味深そうに眺める。
そんな店並の一軒で、マイクロトフはふと足を止めた。
「観用少女に、ですか」
隣に並び視線の先の硝子陳列棚にある、優美な髪飾りを見止め、クラウスは尋ねた。
「あぁ、似合うと思いませんか」
頷いて指差すマイクロトフに、笑みを浮かべたクラウスは、
「・・・本当に大事にされているんですね」
と呟いた。
「えぇまぁ・・・最近忙しくてあまり構ってやれないこともあるし、たまにはこんなものをかってやるのもいいかと・・・副長にも言われたんです」
「・・・まるで恋人の事を話されているようだ」
強健な青年騎士団長が見せる照れたような表情に、微笑む。
「クラウス殿までそんなことを言われるんですか。相手はまだ子供ですよ。親子と言われるなら納得できますが、恋人というのは無理があります」
困ったように早口になるマイクロトフの言葉に、一瞬クラウスは眼を閉じ、不可思議な表情を浮かべた。だがそれに気がつき、マイクロトフが尋ねる前に、青年はいつもの穏やかな表情を取り戻していた。
「そうですか。・・・そういえばそろそろ食事の方もそれなりの物を食べさせてあげた方が良いかもしれませんね」
穏やかな青年が瞬間見せた表情が心にかかったマイクロトフだが、唐突に替えられた話題に尋ねる切欠を失った。確信を抱くには短すぎるその表情に、機会を失った問いは宙に浮く。
「・・・食事ですか?」
「えぇ、もう固形の、人間が食べるような食事を与えても良いと思いますよ」
静かな口調で微笑を浮かべる青年には、先ほど見せた不安を誘う表情など微塵も見えない。
だが、その微笑みの陰に微かに違和感をマイクロトフは感じていた。
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