Spare Doll
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7
晴れ渡った秋の空に男達の掛け声や、それに交じり工事の音が高く低く響き渡る。
資金繰りの目処がついた騎士団上層部が最初に断行したのが、先の大戦で破壊された城壁とそれに付随する回廊の修復工事だった。
だが防音の効いたこの赤騎士団長室には、工事の音は殆ど届かない。羽筆の滑る音と、紙片を捲る紙擦れの音しか存在しない、静かな空間だ。
「随分煮詰まっているようだな」
不意に掛けられた声に、カミューは書類に落としていた視線を上げた。
長椅子で本を読んでいた少女が、すべり落ちるようにして控え室から続く入り口で戸に背を預けている男のもとに寄っていく。その頭を楽しそうにかきまわすゲオルグに、カミューはまた視線を戻した。
「溜息が出るほど仕事は山積みですが、幸い中央に提出する出資金の方めどはつきましたよ。クラウス殿のおかげです」
暗に、少しは手伝えという要請を男は笑い飛ばした。
何が楽しいのか、時折この執務室に顔を出して暇を潰すように茶を飲んだり少女やクラウスを構っていくゲオルグの姿は、ここ数日見慣れたものだった。音も無く無断で部屋に入ってくるのもいつものことだ。
騎士団再建の激務に追われている団内の仕事を手伝うでもなく、のんびりと城下街などを見てまわっている男が何の目的でロックアックスに留まっているのかは分からない。しかし、カミューは詮索する気などなかった。人一倍忙しくしているマイクロトフの休日を待つというのなら、それはそれで構わない。なにより彼は不意に現れた珍客のことなどに興味を向けるような余裕などなかったのだ。
「それで・・・何のご用ですか」
「特には用事などないんだがな。お邪魔だったか」
「いいえ、とんでもありません、心から歓迎いたしますよ。丁度良い、その少女をしばらく見ててもらえますか?」
渡りに船とばかりに少女の守を押し付けると、ゲオルグは嫌がる風もなく少女を抱き上げた。
ここの所観用少女は、日中ずっとカミューの執務室にいるようになっていた。城外にでて現場レベルの騎士団再建事業を指揮するマイクロトフの傍に、少女を置いておくわけにはいかない、と言うのがその理由である。
人形の世話くらい従騎士にでも任せれば良いのではないかと思い断ったのだが、だったら連れて行くという男に、青騎士団副長以下から頼み込まれ、渋々引き受けてはや三日経つ。
どんなに忙しいのか、頼んだ男とは少女を受取りに来る時に二言三言話す程度だ。
皮肉なものだと思う、マイクロトフとは疎遠で自分の名を冠した人形と顔を付き合わせていなければならないとは。そしてその男は自分とは最低限の会話を交わす程度で、個人的な時間をすべて自分そっくりの人形に費やしているのだ。ここまで露骨に接触時間の差をつけられると、なまじ比べる相手が自分に似ているだけに内心面白くないものを感じる。
初めてお互いに顔を合わせたときから、カミューはこの人形に対して奇妙な既視感を抱いていた。それが、人形が自分と顔だけでなく性格も酷似している故のものだと気がついたのは、預かった初日のことだ。
だが互いの思考回路が同じで、その上お互いに対して好意をもっていないというのは最悪な関係である。どうすれば相手が嫌がるのか、不快な思いを与えることができるかを熟知しているということだからだ。
初日の午前中でそのことを見抜いたカミューは、努めて互いの距離を保つように相手にしないようにしていた。だが人形を見るたびにいらいらする気持ちは、不可抗力といっても過言ではないはずだ。そしてそんな彼の気持ちを察してなのか、少女のカミューに対する態度は他の誰に対してないほどに冷淡なものだった。
「クラウスはどうした」
物思いにふけるカミューを現実に戻したのは、剣士の問いだった。
「今日はマイクロトフと一緒ですよ」
思考の先を読まれたような偶然性に苦笑しながら、カミューはさらりと答える。
「珍しいな」
「交易に関して、ハイランドの事情に明るいクラウス殿の助言があればと思いまして」
その言葉に嘘は無い。
だが、理由は他にもあった。ここの所、クラウスの少女に対する態度に、カミューは懸念を抱いていたのである。表面的には穏やかに少女に接するクラウスだったが、ふとした折に見せる青年の表情、言葉の感触。交渉を有利に進めるため、意識して他人の感情を読み取る訓練をしてきたカミューだからこそ気がつけた些細な感情の発露だったが、しかしそこから感じとった感情はあまり喜べるものではなかった。
苦手というには強すぎる感情、だがその理由はわからない。
クラウスと言う青年はどちらかといえば自分の感情を表に出すようなタイプには見えない。
そして、えてしてそういうタイプほど、内に溜めた感情が爆発しやすいのだ。
しかしそのクラウスに対しては、少女の態度に特に変わったところは無かった。
クラウスの一方的な感情であれば、彼を人形から離しておけば少しは感情が煮詰まるのを回避できるのではないかと思い、カミューは交易所への同行を薦めたのである。
「なるほど。・・・だから赤騎士団長自ら人形のお守りか。マイクロトフといちゃいちゃできないからといって、人形に当たるんじゃないぞ」
「・・・何のことですか」
思いがけない言葉に、カミューは一瞬表情を作り損ねた。
「なんだ、まだくっついてなかったのか」
それに気が付いたゲオルグは、面白そうに眼を見開いてみせる。
「・・・・・・・・・そう言う風に見えますか?」
「見えるな」
躊躇無く断定する男に、カミューは自分のマイクロトフに対する感情が、この男にばれているのだと確信する。だが、みすみすそれを認めるつもりは無かった。
「失礼ながら、私の認識ではゲオルグ殿はそんなに詮索好きな方とは記憶していなかったのですが・・・」
「俺の認識では百戦錬磨の赤騎士団長殿は片思いで悶々とするような晩熟ではなかったんだがな」
「・・・根本的な認識違いが生じているようですね」
にこやかな微笑を絶やさずそう斬り返すカミューに、男は苦笑する。その表情が、無駄な努力だと笑っているような気がして、カミューは忸怩たる思いに襲われた。
黙り込むカミューに、何を感じたのか、
「この話の続きは夜にでもするとしよう。つまみはチーズケーキでいいからな」
そう声をかけると、ゲオルグは少女を抱いて部屋から出て行った。
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