Spare Doll
....................................
6
「ゲオルグ殿!」
「あぁ、久しぶり・・・というほどでもないな」
マイクロトフの大きな声に、談笑していた男が振り向く。
従騎士の連絡を受け迎賓館へ向かったマイクロトフを迎えたのは、同盟軍でともに戦ったゲオルグ・プライムだった。騎士団上層部の騎士達とともに、先に連絡が届いていたのか、親友カミューとクラウスの姿も傍にある。
「どうしてこちらに?」
「旅の途中で、お前との約束を思い出してな。いつか手合わせを約束していたはずだが旅に出る前にそれを果たそうと思ってな。それよりも・・・随分可愛いお嬢さんだ。お前の子供か、マイクロトフ?」
飄々とした物言いは彼特有のものだが、そこに漂う貫禄は往年の名剣士ならではの自信に裏打ちされていることに相違ない。
腕を覗き込みそう尋ねてくるゲオルグに、マイクロトフは首を振った。
「違います」
「訳あって手元にある観用少女(プランツ・ドール)という人形なのですよ」
口を添えるカミューに、感心したように男は頷く。
「ほぅ、これが観用少女か」
「ご存知でしたか」
意外な言葉に驚く周囲に、ゲオルグは鷹揚に頷いた。
「あぁ、噂には聞いていたが実物を見るのは初めてだ。名前はなんと言うんだ」
「え・・・」
思いがけぬことを聞かれたという風に、マイクロトフは動きを止める。
「この観用少女の名前だ。あるんだろう」
「そういえば我々もまだ聞いていませんね」
頷きあう親友と客人に、マイクロトフは困った顔をした。しかし暫しの逡巡の後に、口を開く。
「・・・・・・カミューです」
その途端向けられた視線に、慌てて弁明をする。
「仕方がないだろう、他の名前で呼んでも反応しないんだ」
「成る程・・・。まぁ、私は構わないよ」
「カミュー!」
名前をもらった親友からのわざとらしいまでの笑顔と、冷たい視線を受けマイクロトフは悲鳴をあげた。だが、その声に反応したのは膝の上の少女、観用少女のカミューの方だった。
きらきらした瞳で見上げる少女とは逆に、視界の端で恐ろしいまでに凄みのある満面の笑みを浮かべる友人の姿を認め、マイクロトフはうろたえる。
「・・・・・・・・・いや、その・・・お前のことではないんだが」
「なんだか楽しそうな事情がありそうだが、つもる話は食事の後にしてもらってかまわないか。今日は朝から食べてなくてな」
微かに緊張感が漂う雰囲気を払拭したのは、そんなゲオルグの言葉だった。
ほっとしたように動き出した周囲に紛れ、客人に何か話し掛けているカミューの姿をマイクロトフは盗み見た。
笑みを浮かべた穏やかな表情は、いつもの彼の様子と異なる所がない。ふと、隣に立つクラウスと眼が合ったが、物問いたげなその表情に、踵を返そうとすると眼が伏せられる。
釈然とせぬ気分のまま、手配に追われたマイクロトフだったが、結局食事の間中、カミューの視線がマイクロトフのそれと交わることはなかった。
観用少女の食事は朝、昼、晩の三食。
暖めたミルクと砂糖菓子を上等な陶磁器で食す。
どんな我侭なのか、少女が他人の手からの食物は受け付けないせいもあるが、食事を準備する役目は青騎士団長のものだった。
小鍋にミルクを注ぐ手を止め、マイクロトフは大きく溜息をついた。
先日親友カミューに少女の名前をばらして以来、彼の機嫌がすこぶる悪い。
人形に親友と同じ名前を付けるのはそんなに悪いことだったのだろうか、とマイクロトフは困惑する。確かに人形に自分と同じ名前を付けられるのは、あまり気持ちのよいものではないかもしれない。しかし人形自身が、自分の名前をカミューと思いこんで、反応するのだ。不可抗力ということで納得してくれないものかと思う。
『カミュー』
そう初めて名を呼んだときに向けられた少女の笑み、それはすばらしい物だった。
想い人とそっくりな顔で、本人からはけして向けられたことのない満面のやわらかい笑みを、その人の名前を呼んだときに向けられる。それを経験してしまったら呼ばずにいられなかった。
マイクロトフは年上の親友カミューのことが好きだった。
まだ位のない騎士だった頃に親友に対する自分の気持ちに気がついてから、マイクロトフは彼だけを想い続けてきたのだ。
もっとも一見穏やかに見えるが、実はかなり気性が激しくプライドも高い親友に想いをうち明けたところで、得る物はないと分かっていた。女性関係が派手で、浮き名を流していた親友が男からの求愛を大人しく受け入れる筈は無かったからだ。
誰よりも近いところで、同じ志に向かう。例え恋人として抱き合うことができなくても、親友として彼と背中合わせでも並び立つ事さえできたら、それでマイクロトフは満足するつもりだった。否、満足しなければならないと自分に言い聞かせていた。
疾風のように日々が過ぎたデュナン大戦以前の騎士生活では、そう思い、自制を働かせることは容易だった。昇進や日々の務めに追われ、配属の違う団での交流は皆無に等しかったからだ。
しかし一度同盟軍でかってないほど近しい距離で時間を共にすると、マチルダ帰還後の互いの距離間は辛いものだった。このままでは早晩カミューを押し倒してしまうかもしれない。自分の理性と我慢の限界を感じていたマイクロトフの目の前に、そんな折降って沸いてきたような、カミューそっくりの観用少女の出現である。
人形はあくまでも人形、愛しい人の身代わりになるわけはない。
たが、それでも想い人そっくりのその笑みに安らぎを覚えるのはいけないことなのだろうか。
マイクロトフは一人、溜息をつく。
「やはり・・・俺が悪かったのか・・・」
ぽつりと独りごちたマイクロトフは、袖を引く感触に視線を移した。
「あぁ、心配するな。お前のせいではないんだ」
心配そうに見上げてくる少女の頭を撫でる。
その瞬間、ぱっと溢れる笑みに、マイクロトフもつられて笑みを浮かべた。
誰かの笑顔でこんなに気分が明るくなるのだ、と少女と出会って初めて知ったような気がする。
「もうすぐミルクができるからな」
食事代わりの琥珀糖や金平糖、薔薇砂糖を華奢な硝子器に並べると、ちりちりと鍋端が沸きだしたミルクの火を止める。
少女の食事は人肌に温めたミルクと砂糖菓子だけ。
そのクラウスの言葉を守り、暖めたミルクをゆっくりと冷まし、待ち構える少女の前に置く。
「熱いかもしれないから気をつけるんだぞ」
マイクロトフの言葉にこくんと頷いた少女は、恐る恐るカップに口をつけ、ふわっととろけるような笑顔をみせた。その顔につられるように、マイクロトフも微笑む。こうして嬉しそうにミルクを飲む姿を毎日見ていると、愛着が湧くというものだ。
もしかするとカミューも、こうして傍に観用少女がいると、気に入ってくれるのではないだろうか。あまり仲がいいとはいえない、少女と親友の間柄に思いを馳せ、マイクロトフは閃く。
お互いにどこかしら緊張したような顔を突き合わす二人に、内心どうにかならないだろうか、と気をもんでいたマイクロトフである。
さてどうすればカミューと少女を近づけさせることができるだろうか。
そう算段し始めたマイクロトフの傍で、少女は大人しくミルクを飲んでいた。
← →
|