Spare Doll
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薄く開いた窓の外から聞こえた親友の声に、カミューは訴状の文面を追う眼をあげた。
外を見やるとマイクロトフが観用少女(プランツ・ドール)を連れ、馬を検分しているところだった。引き出された黒馬は親友の愛馬だ。何かを話し掛けているその声は、四方を壁に囲まれている中庭と言うこともあってか窓を閉めたこの部屋にも微かに届く。涼しげな空色の外出着を纏った少女と、それを抱きかかえているマイクロトフの様子は、見守る者の笑みを誘うような睦まじさだった。
保管室で観用少女を見つけてから四日が経っていた。
観用少女がマイクロトフに懐いていることもあり、少女の身柄は青騎士団長預かりで、団長自らが少女の世話をしている。愛らしい姿と、華やかな美貌で青騎士団のみならず、騎士団員の多くを魅了した少女に、団長業務を妨害するものと非難できる強者はいないようである。青騎士団幹部が全員一致で、彼のサポートに当たっているところも大きいだろう。
渦中の青騎士団長はといえば、少女を扱うその手管はまだたどたどしいものだが、その存在自体には慣れてきているようだった。元より面倒見の良い男である。無条件で彼に懐いている少女の態度もあり、二人の生活は特に支障無く過ぎているようだ。
こうして離れて二人をみると仲の良い親子のようにもみえる。いや、親子というには、親友は若すぎるだろうか。歳の離れた兄妹、もしくは恋人―――――。
その瞬間胸を過った鈍い痛みに、カミューはつとめて表情をかえまいとした。
ここマチルダでは年齢に差のある許婚など珍しいものではない。本人の意よりも家の存続、繁栄に重視を置く貴族の間では、親子ほど歳の離れた者同士の結婚が今でも存在している。
現にカミューの幼馴染の大貴族頭領息子の婚約者など、彼とは二十も歳が離れている少女である。
それは考えると十歳前後の歳の差に見える少女と親友では、二人が恋人同士と説明されても何の違和感も無い。
カミュー自身は女性と過ごす時間は好きだが、結婚をしたいと思ったことは無かった。独身者の多い騎士団内では、あえて結婚を勧める者もいない。
だが時折このように自分達が十分結婚を意識する年齢だと気づかされると、酷く複雑な気分になる。女性と駆け引きめいた情事をこなすのは好きだが、花嫁衣裳を纏った誰かが隣に立つというのは想像できないのだ。
そしてそれはいつも傍にいる親友についても同様だった。団長位についてからは自重しているカミューとは違い、昔から硬派を絵に描いたような親友は女性関係に関してはからきしだったのだ。
平騎士だった頃には隊の上官などに娼館へ連れて行かれたこともあったらしいが、位が上がってからは忙しさもあってか清廉潔白の四文字で過ごしていたようである。時折その手の話題を振っても、苦笑と共に「自分には向いていない」という言葉を返す。貴族でこそないが、中流以上の家庭で育ったからには、家族からの結婚の勧めや縁談などもあっただろうに、そんなそぶりはおくびにもださない男だった。
それだけに少女と二人の姿は、周囲の目をひいていた。騎士団内でも事情を知らない下位騎士達の間では、少女の存在が噂になっているらしい。吹聴してまわることではないと、事情を説明しなかったせいもあるが、そのせいで噂は誇張され、先程小耳に挟んだ赤騎士達の話では、少女はマイクロトフがデュナン大戦時に恋に落ちたハイランド貴族の娘ということになっていた。
突拍子もない話に呆れると共に酷く苛立った気分になり、そんな自分の不可解な胸の裡に余計にむしゃくしゃして、気分が変わるかとデスクワークに打ち込んでみたのだが、それは無駄だったようだ。
窓から眺める二人の姿に形容しがたい苛立ちと刺すような痛みがよみがえる。
なぜ少女とマイクロトフが共にいる姿を見るだけで、そんなに心が騒ぐのかは、カミューには分からなかった。
しかしマイクロトフに微笑みかける少女の姿を見ると、それを意識させられて。
楽しそうに馬に話し掛けている二人の姿を見下ろすカミューは、知らずため息をつく。
「カミュー殿?」
背後からかけられたクラウスの声に、カミューは我に返った。
手持ち無沙汰と言ってわざわざ赤騎士団の業務を手伝ってくれている客人を置いて、一人休むのは失礼と言うものだった。
「あぁ・・・すみません」
振りかえったカミューの横に、クラウスが並ぶ。
「マイクロトフ殿と観用少女ですね」
「えぇ、・・・マイクロトフもすっかり馴染んでいるようですよ」
「そのようですね」
黙って見下ろす二人の視線に気がついたのか、ふと顔を挙げたマイクロトフに、カミューは木製の頑丈な窓を大きく開いた。
「カミュー!」
「やぁマイクロトフ、息抜きかい?」
「あぁ、この子の相手を少しな。・・・まだ乗馬の方がどうにかなるからな」
そう苦笑する男に、二人は笑みを浮かべた。
「なるほど、人形遊びよりはましというものだな」
カミューの言葉に、クラウスが笑いをかみ殺すのが分かる。
副官に強要され少女と遊ぼうとしたマイクロトフが、人形を片手に往生していた姿は記憶に新しかった。
「馬に乗せる気なら落とさないように気をつけろよ」
「大丈夫だ、皓瑠を怖がらないからな」
マイクロトフの愛馬皓瑠は、騎士団内でもとりわけ大柄な主を乗せて戦場を駈ける勇壮な馬だ。その体躯の大きさ、鼻息の荒さに大人でも威嚇されているように感じる。
そんな黒馬を怖がらない少女を見つめる視線の優しさに、知らず気分が苛立ち、
「そうしていると、父親みたいだぞ」
そう思わず揶揄が口についた。
「冗談を言うな、こんな大きな子供を持った覚えは無いぞ」
だがその言葉を一笑に附したマイクロトフは、大らかな笑顔で笑う。
「失礼、それでは恋人かい」
その瞬間少女に向けた親友の眼差し。
硬質で禁欲的にすら見える男が不意に見せた、甘さと優しさが交じった色に、カミューは息が詰まりそうになった。
自分が認めたくなくて故意に目を逸らし続けていた感情が、はっきりとした言葉となり、自身の喉元に突き付けられたような衝撃が胸の痛みと共に襲う。
だがそんなカミューに気づく筈も無いマイクロトフは、
「少女の恋人など、俺には役不足だろう。それより心配ならこっちにこないか?」
と誘った。
「いや、私は仕事が残っているからな。クラウス殿だけでも行かれたらどうですか?」
動揺を露にしないよう、必死の努力で笑顔を作ったカミューが、振り向き眼に入ったのは、そのクラウスの強張った表情だった。
「いえ、私も・・・」
「そうですか」
酷く辛そうな表情で、眼を伏せるクラウスになんと声をかけたら良いものか迷う。
さっきまで一緒に笑っていた彼に、そんな表情をさせるものが何かあったとでも言うのだろうか。
泣き出しそうな顔にも見えたその横顔に、微かな不安が過ぎる。
だが理由を尋ねる言葉を探すには、彼自身も自分が不意打ちのように気づかされた感情を処理するのに精一杯で、かける言葉に惑い、躊躇する。
不自然な沈黙を破ったのは、思いがけぬ客人を告げる従騎士のノックだった。
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