Spare Doll
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12
青騎士団長室を出たゲオルグは蔵書室へ足を向けていた。
確信があったわけではないが、ロックアックス城内でクラウスが一人で行ったことのある場所は青赤両騎士団長室とあてがわれている迎賓室の客室、そして蔵書室だけだということを彼は知っていた。
外向的ではない青年の性格からすると、人があまりこないところでなおかつ自分のテリトリー内にいるだろう、というゲオルグの読みは当たっていたようだ。
入り口の立哨騎士に会釈しクラウスの姿を問うと「つい先程お見えになりました」との答えが返る。どこか心配そうな表情で告げる騎士に礼を言うと、男は天井の高さまである本棚の中央通路を進んだ。
小さな採光窓が唯一の光源である薄暗い部屋、その最深部までさしかかった所で気配を感じたゲオルグは足を右に向けた。
突き当たりの壁の採光窓から鈍い光が零れ、空中の塵を静かに踊らせている。その光に触れぬよう、青年は書見台の足に隠れるかのように膝を抱え、ひっそりと座り込んでいた。
「…クラウス」
名を呼ぶと、気配で感じていたのか、想像よりずっと素直な声が返る。
「………ゲオルグ殿」
「どうして…と聞いたほうがいいか?」
責める風でもなく静かに眼の前で膝をつく男に、長い沈黙の後クラウスは口を開いた。
「マイクロトフ殿とあの少女を見たくなかったんです…」
淡々とした声で、眼を伏せたクラウスは、懺悔を告白する咎人のように血の気の失せた顔色だった。
「…ナナミ殿が生きているということを聞かれましたよね。戦が終わった後シュウ殿が、本当はナナミ殿が生きておられるって発表して、みんな喜んでいました。…だけど私は喜べなかった。どうしてナナミ殿は生きているんだろうって…父上は死んでしまったのにナナミ殿はどうして生きているんだろうって。みんなが喜んでる陰で、私はそんなことを考えていた。…それでいて、私は笑って見せてたんです。よかったですねって心にもないことを言いながら、嬉しいですねって、笑いながらシュウ殿の仕事を手伝って…。でも本当は新しい国なんていらなかった! 父上を犠牲にしてできた国なんてみたくなかったのに、馬鹿みたいに私は笑って…笑って…っ」
激昂した気持ちを落ち着けるように沈黙する青年の、伏し目がちな睫が落とす陰を男は見つめる。細かく震える睫を二、三度上下させると、クラウスはまた口を開いた。
「…だから私は逃げ出したんです。いつか笑えなくなって自分が嘘つきだってばれて要らないって言われる前に、自分から逃げ出したんです。…でも駄目だった」
不意に顔を上げたクラウスは、泣いているような笑顔を無理に作る。
「…教えて下さいゲオルグ殿。どうして観用少女などというものがこの世に存在しているんでしょうか。何の苦労もない顔で、ただ笑うだけで幸せになれる存在が、どうして許されるんですか? …無邪気な顔でマイクロトフ殿に甘える少女がどうしても私は耐えられなかった。……だったら人形じゃなかったら辛くなくなるかもしれないって、…人間だったら許せるのかもしれないって。子供だったら駄目でも、大人だったら変わるかもしれないって…」
…そう思ったんです。
溜息のように最後の言葉を吐き出したクラウスは、ぼんやりと視線を宙へ向ける。
やがて我に返ったように表情を消し、俯いた。
「……ごめんなさい。何を言っているんでしょうね、私は」
「お前が今一人で苦しんでいるのは、父親の死をちゃんと受け止めてないからだ」
静かに口を開いた男の言葉に、何を言われたか解らないようにクラウスは顔を上げる。
「今まで一度でも父親の死で泣いたことがあったか?悲しみを自分のものとして受け止めるには、ちゃんと泣く必要があるんだ。…お前は今辛いんだ。哀しいんだ。でもそれは悪い事じゃない。父親を亡くしたんだから当然のことなんだ。キバ将軍は良い父親だっただろう?」
「えぇ…えぇ……」
「だったらお前は泣かなくちゃならない。周りが喜んでいても、他の誰が責めても、お前は泣く義務があるんだ。…分かるか」
子供に言い聞かすように、ゲオルグは静かに言葉を重ねる。
「……泣いてもいいんですか」
おずおずと尋ねた視線の先で、ゆっくりと男が頷くのを認め、見開いたクラウスの瞳の縁に、みるみる涙の雫が溜まる。
やがてその重さに耐えかね、一雫、二雫、涙が乾いた床の木目に落ちると、ゲオルグは震える肩をそっと引き寄せた。
嗚咽を噛み殺すように、静かに涙する青年はやがて耐えられぬといった風に、「父上、父上…」と小さく声を漏らす。
幼子のように身を震わせ、世界から身を守るかのように丸まった薄い背を何度も男は撫でた。
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