Snow White 4
*---------------------------------------*
□□□□ 10
「鏡よ鏡〜鏡よ鏡〜」
「……何か用?」
その日の夕刻。
今夜は卓也王の寝室へ夜這いをかけようと気合を入れた桔梗が、いつものように鏡の精を呼び出しました。
「あれ、今日機嫌いいじゃん」
間を置かず、すっと浮かび上がった悠の姿に、桔梗は不思議そうな顔をしました。いつもは10分くらい呼びつづけなければ出ないこともあるのです。
「いつものやつ言ってよ、世界で一番美しいのは?」
「……そうやって他人の評価で自信つけるのやめといた方が良いぜ」
夜這いをかける日には必ず悠の言葉を聞く為に呼び出していた桔梗は、図星をしっかり突いたその言葉にうっと詰まりました。
「う、うるさいっ!なんだよ突然!」
「俺は親切心から言ってるんだけど。…本当に答えて欲しいわけ?」
「当たり前じゃん、ほら早く答えろよ」
「……白雪姫」
「は?」
「森の奥のフジミホテルで暮らしているお前の継娘だよ」
何を言われたか分からないという風情の桔梗に、悠は重ねて告げました。
「な、なんで〜〜〜〜っ??!!!」
「うるさい」
鏡が割れんばかりの大絶叫に、悠は心底嫌そうな表情を浮かべ。けれども錯乱状態に陥った桔梗はパニックを起こしています。
「なっ…!!だっ…!!なんッ…!!!」
「言いたいことははっきり言えば?付き合ってられないね…」
「ちょっと待って、な、なんでっ?なんであいつがそんなとこにいるんだよっ?!」
「さぁね」
「悪運の強い奴!でも…森の奥だったら帰ってこれない…よな……」
自信なさげに不安そうな声を出す桔梗に悠は冷たく言い放ちます。
「よくそう楽天的でいられるよな。フジミホテルと言えば世界のVIPも泊まる宿だぜ、白雪姫がそいつらに素性を明かしたら大騒ぎになるだろうな…」
「どっ、どうしよう〜〜〜っっ!!」
「さあね。自業自得って言葉しってるか」
「あーもう!うるさいよっ!!」
親指の爪を噛んでぐるぐると部屋の中を歩き回る桔梗は、長いドレスの裾に足を取られてすっ転んでしまいました。
「ひ〜ん〜〜いった〜い〜〜」
「馬鹿…」
尻餅をついて泣き出した桔梗に、鏡の精悠はやってられないとばかりに溜息をつきました。
「とにかく…白雪姫をどうにかすればいいんだろう」
「……どうにかって?」
「自分で考えれば。」
しばらく息を詰めて真剣な表情で何事か考えていた桔梗妃は、
「……分かった!やる!」
硬い決意を秘めた顔でそう宣言して。
それを黙って見守っていた悠の無表情な顔は、心なしか喜色を浮かべているようにも見えました。
□□□□ 11
「…で、こんな所に、一国の王妃殿が、一体何の御用なんですか?」
不機嫌な表情を隠そうともせず、桂花は突然の闖入者に刺々しい言葉を投げかけました。
「薬作って欲しいなぁ〜って…」
猫なで声の見本のような可愛いらしい声を出して、ダメ?と首を傾げてみせる桔梗に、
「そんなくだらない用件でしたら、ご自分で何とかなさったらどうですか?」
不機嫌そうな顔をますます険しくした桂花はつれない返事を返します。
「えーだって俺、妖しげな薬作るのは専門外だし〜」
「ではご自分の師匠にでも頼めば良いでしょう、わざわざ吾の手を煩わさないで下さい」
すげなく断るその後姿に、だってだって!、と桔梗は追いすがりました。
「桂花よりも薬を上手に調合する薬師って俺知らないもん。うちの国の奴は全然使い物にならなくてさ〜」
それに師匠なんかにこんなこと頼んだら後が怖いし…、そう顔を顰めると、
「駄目なものは駄目ですっ!これ以上吾の邪魔をしないで下さい、それじゃなくても守天殿に頼まれている仕事が片付かなくてそれどころではないのですよ」
ますますきつい口調で桂花は出ていけとばかりに入り口を指差しました。
「そんなこと言わないでさ、桂花〜」
「あれ、桔梗じゃん。やっと念願の初恋の男誑しこんだって噂だけど、何しにきたんだ?」
縋りつく桔梗の後で、暢気そうな声がしました。
「ふぇ〜ん、柢王〜」
振り向きざまに抱きついてきた桔梗を難なく受け止めると、
「おい、どうしたってんだよ」
話の見えない柢王は首を傾げます。桔梗が我侭を言うのはいつものこと。でもこんな風に問答無用で泣きついてくるのは珍しいことなのです。だいたいは過保護な従兄弟達や、年上の幼馴染に泣きつくのが普通なのですが。
ぐすぐすと鼻を鳴らしながら泣きつく桔梗の話を聞き終わった柢王は、
「いいじゃん、わざわざ作ってやらなくてもある薬なんかやればいいじゃねーか」
お前なら持ってんだろ、いろんなやばい薬もさ、そう恋人に尋ねると、やれやれとばかりに桂花は肩をすくめました。
「そうですね…痺れ薬とか発狂させる薬くらいならいろいろありますが…あぁ、これなんかは自白と精神錯乱を合わせた効果を発揮して楽しいかもしれませんね」
「おいおい…」
「でも即効性の死に至らしめる薬と言えばこれくらいしかありませんよ」
「…お前そんなもの作ってたのか?」
先ほどとは打って変わり、いろいろと瓶を机に並べながら詳しく説明する恋人の姿に、柢王は顔を引き攣らせながら思わず乾いた笑いを漏らしました。
「で、結局どれだったらいいわけ?」
「…そうですね、ではこの瓶を。これには一粒で相手を死に至らしめる猛毒が入っています。水に解いて使うもよし、固形のまま使うもよし、初心者向けですね」
こんな猛毒のどこが初心者向けなんだ?そんな柢王の心の叫びも知らず、桔梗はぱっと顔を輝かせました。
「うん、これがいいや!わ〜い!じゃあさっそくもらってくね!じゃ!」
挨拶もそこそこに飛び出していった桔梗の姿に、柢王ははっとあることに気がつきました。
今桔梗が掴んで飛び出していったあの青い瓶。
あの瓶には確か馴染みの花街の姐さんから貰ってきた、とある薬を入れていた筈。
隠す場所に悩み、木を隠すのは森の中とばかりに、中身を捨てて薬棚に並べていたのですが…アレをあのまま使うとちょっと困った状態になるのです。
「あちゃ〜」
小声で呟いたその声が聞こえたのか、
「どうかしましたか?」
と、桂花が首を傾げます。
ばれたらまた煩いんだろうな…と怒らせたら怖い上、なかなか恐ろしい薬まで調合していることが判明した恋人に、柢王は慌てて、
「いや、なんでもない」
手を振りました。
自白剤でいろいろな悪事ことを聞き出されるくらいなら、黙っていた方がどう考えても得策のようでした。
□□□□ 12
今日も良いお天気です。
『ちょっと街へお買い物へ行くから、忍君留守を頼んで良いかな?』
『あ、俺もついていく』
芹沢さんと正道が街へ行き、慎吾は向井さんのところへお使いへ行っています。お客様も皆さまお出かけ中、忍は一人留守番で庭の水やりをしていました。
「ちょっといいかい、君」
掛けられた声に慌てて忍は振り向きました。もしかすると新しいお客様でしょうか。
「はい、なんでしょうか」
にっこり向けた笑顔は、しかし、佇む人の姿を見留め、驚きの表情へ替わってしまいます。
「ここらへんに素敵なホテルがあると聞いたが、どこか教えてもらえるかい?」
笑顔を浮かべ、そう尋ねる男性は忍が知っている人だったからです。
鷲尾カイ、端整でどこか野生的な面構えをした眼の前の彼は、宮殿のパーティーで度々見かけたことがあります。毎回異なる美しい女性をエスコートしていた彼を、極上のホストだと侍女達が噂していました。忍のお父様、卓也王の通訳をしている穐谷さんと一緒にいたところも見た事があります。
「どうしたんだい」
鷲尾さんの不思議そうな表情に、忍は我に返りました。
「あ、はい!フジミホテルのことでしょうか。でしたらこちらになります。ご宿泊ですか?」
「ありがとう、今日は下見だけなんだ。機会があれば使わせていただくよ」
「は、はい!お待ち申し上げております!」
精一杯笑顔を浮かべて、頭を下げると、鷲尾さんは面白そうな表情で忍の手を取りました。
「ああ、そうだ。可愛い君にこれをあげよう。仕事中はまずいかもしれないが、後でこっそり食べてくれ」
驚いて見つめる手のひらには小さなキャンデーがあります。
「あ、ありがとうごいます」
ウィンクして、「じゃあな、お嬢ちゃん」と手去って行く鷲尾さんを、手を振って見送った忍は彼の姿が見えなくなった後で、とあることに気がつきました。
お嬢ちゃん、と彼は自分の事を言っていたのです。
今の自分の姿は男なのです。なのに『お嬢ちゃん』と呼ぶということは、もしかしたら鷲尾さんには、自分の正体がばれているということでしょうか。もしそうならば、大変なことです。もし卓也王の新しい桔梗妃さまに自分の事が伝わると、刺客がやってくるかもしれないのです。
どうすればいいのだろう。
「……い、…おい、って言ってんだろ!」
「きゃっ!」
真っ青になってうろたえていた忍は、突然掛けられた怒鳴り声と、肩に置かれた手に飛び上がってしまいました。
「デュオ・クローバーさま…申し訳ありません、ぼんやりしておりまして」
「おい、今の奴知り合いか?」
慌てて頭を下げると、なぜか不機嫌そうなデュオは、忍に尋ねました。
「いえ、当ホテルについて尋ねられた方です」
「ふーん…で、何をもらってたんだ?」
「え…っと、キャンディーです」
腕を組んで見下ろす視線に、おずおずと差し出すと、
「馬―鹿!知り合いでもない奴からほいほい物をもらうんじゃないって、子供ん時、教わらなかったか?ラベルもついてないキャンディーなんて十中八九ヤバイもんに決まってんだろーが!」
「すみません!」
「いいけどな、別に」
没収な、そうキャンディーを取り上げたデュオは、じっと見上げる忍の視線に、眉を寄せました。
「なんだよ?」
「あ、あの…わし、じゃなかった、さっきの人から僕『お嬢さん』って言われたんです。女の子にみえますか」
どうしても気になり、つい尋ねてしまった忍に、一瞬驚いた顔をしたデュオは次の瞬間大笑いをしていました。
「クローバーさま!」
「いや、お前って可愛いからな。ついそう言っちまったんじゃねーか。そんなに気にすんな」
確かに、あの人だったら言いかねません。
くしゃりと頭をかき回され、忍は内心ほっとしました。