Snow White 3
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「忍君、皿洗いはいいから、ベッドメーキングを頼むよ。三時には新しいお客様がチェックインなさるからね」
「はい」
白雪姫が池谷忍という偽名で高槻さんのホテルで働き始めて一週間がたちました。
初めはスタッフの食事の用意や家事の手伝いしかさせてもらえなかった白雪姫ですが、今ではお客様が帰られた後のベッドメーキングや、部屋の清掃などもさせてもらっています。自分がナイトアウト国の王女だとばれるのではないのかと心配でしたが、髪の毛を短く切り軽く髪の色も変えたので、お客様はみな白雪姫を男の子だと思っているようです。
「あれー、君このホテルの従業員?君みたいな可愛い子、一度見たら忘れるはずないんだけどな」
「ターナーさま、おはようございます」
いきなりお客様に話しかけられるのも馴れました。
「君、名前を教えてくれるかな」
「池谷忍と申します」
「忍君か。あ、そうだ、この近くに本屋ないかな」
「少々お待ち下さい。支配人に聞いて後ほどお部屋のほうに地図をお届けいたしますので」
「頼んだよ」
プチホテルと称されるこのフジミホテルには三部屋しか客室がない小さなホテルです。
近くにはレース場があるので期間中はレース関係者も多く訪れます。また森の奥深くにあるので、俗世の喧騒から離れて心身ともに休みたいと思う人々が口コミで集まり、中には企業のトップや王室関係者も滞在されることもある、と先輩格の慎吾から教えてもらいました。もちろんお忍びでやってこられるので偽名を使うことが多く、スタッフも特別扱いをすることはないので気にしなくていいのだそうです。
今日のお客様はターナー様、それにランドル様御夫妻、いずれもレース関係の方々です。もうすぐ大きなレースが開催されるらしいので、午後からのお客様もきっとレース関係者の方なのでしょう。
「チーフ、ターナー様が本屋の場所を教えて欲しいといっておられました」
「そう、ではこの地図をお渡ししてくれるかな。あぁ、でも説明もあるんだったら慎吾君に頼んだほうがいいかもしれないね」
「じゃあ、俺行ってきます」
「頼んだよ」
「忍君は昼食用のパンを焼いてくれないかな。そろそろ江端君と向井君が来るころだと思うから」
「はい」
「正道も手伝いなさい」
みんなの食事のしたくも白雪姫の仕事。余所で買ったパンよりも美味しいと誉められてから、パンを焼くのは白雪姫の大切な仕事の一つとなりました。
「しかしほんっと料理上手いよな、お姫様って座って刺繍でもしてるようなイメージだったんだけど」
「お父様が家事だけはできるようにと仕込んでくださったんです」
「卓也王が?」
意外そうな顔をした正道に白雪姫は頷きました。
「何はできなくてもお料理や家事だけはできるように、というのがお父様の方針でしたから。料理はぜんぶお父様に教えていただいたんですよ」
「じゃあ卓也王は料理上手なんだ?」
「ええ…」
お父様は新しいお母様と仲良く暮らしているのでしょうか…。新しいホテルでの生活は忙しく、初めはこっそりベッドの中で泣いていたこともある白雪姫ですが、最近ではお城でもことを思い出す方が珍しくなりました。 でも時々思い出す時もあり、そんな時は懐かしくて哀しくなります。
「よし、あとは少し生地を寝かしておくか」
「じゃあ私…じゃなかった僕は部屋に飾る花を摘んできますね」
そんな気持ちを振り払おうと明るくそう言った白雪姫は、森の中へと出かけました。もちろんホテルから離れないようにという高槻さんの言葉は忘れませんが。なんといっても白雪姫はまだ継母に命をねらわれている可能性があるのです。もしかすると今この瞬間にも、白雪姫の命を狙う刺客が忍び寄っているかもしれません。
「おい…」
「きゃ―――っ!!」
ちょうどそんなことを考えていた時に、背後から声をかけられた白雪姫は思わず大きな悲鳴を上げてしまいました。
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「そんな大声出すことないだろう」
いきなりかけられた声に驚いて逃げ出そうとした白雪姫の手をつかんだのは、若い男でした。秀麗な顔立ちに意思の強そうな瞳。少し長めの髪は綺麗な金色です。
「嫌です、放してくださいっ!」
「おい、落ち着けよ、お前…」
「どうした、忍!」
振り払おうと思っても逃れる事のできない強い力に、怖くて涙目になった白雪姫の耳に飛びこんだのは健さんの声でした。
「テメー何もんだ!?なに忍にちょっかいだしてんだよ!」
一瞬手首をつかむ手の力が弱まった隙に、健さんの後ろに逃げ込んで真っ白なシャツを掴んで息を潜めます。
「お前こそ何者だ?俺はただこの近くにあるフジミホテルに用があってきただけだぜ」
その言葉に白雪姫は、はっと顔を上げました。
「あ、もしかして午後からおみえになるというお客さまですか?」
「あぁ。お前、ホテル関係者だろ?」
「はい」
白雪姫が頷くと、若い男はきつい視線を少し緩めました。
「俺はデュオ・クローバー。チェックインは三時からと聞いていたんだが、少し早く着いたから時間潰せる所がないかって訊ねようとしたんだ」
「す、すみません。存じ上げなかったもので。もしよろしければ支配人にアーリーチェックインできるか確認してまいりますが」
「悪りぃ、いいか?」
「はい、少しお待ちください」
急いでフジミホテルまで駆け戻った白雪姫は、庭で薔薇の手入れをしている高槻さんを見つけました。
「チーフ、今日の午後チェックイン予定のクローバー様がお見えになっているのですが、アーリーチェックインをして頂くのは可能でしょうか」
「クローバー様?忍、その方は玄関で待っておられるの?」
両手に薔薇を抱え、首をかしげる高槻さん。
「いえ、すぐそこの木立の辺りで待っておられます」
白雪姫が簡単に経緯を説明すると、すぐに頷きました。
「準備自体は出来ているからね、来ていただいて構わないよ」「さっきは悪かったな」
チェックインをして頂いてお部屋まで案内する時に、そう謝られて白雪姫は慌てて首を振りました。
「いえ、私こそ大声を上げたりして申し訳ありませんでした」
そう頭を下げると
「ところで…さっきの男は誰なんだ?」
不機嫌そうになったクローバー様は訊ねました。
「健さんのことでしょうか?あの人ならガードマンなんです。このホテルは森の奥にあるので治安維持の為にホテルで依頼しているんです」
「ずいぶんと柄の悪いガードマンだな」
「すみません」
「お前が謝ることないんだぜ。さっきから謝ってばっかいるだろ、お前。ところで…いや、…そんなはずはないからな」
何か聞きたそうにしていたクローバー様は白雪姫の顔をまじまじと見つめると、溜息をつきました。
「あの…?」
「あぁ、悪りぃ。部屋ここか?」
「はい、どうぞ…きゃっ!」
部屋のドアを開いた白雪姫は、運んでいたクローバー様の荷物に足をとられよろけてしまいました。
倒れる、そう思った瞬間強い力に抱きとめられます。びっくりして見上げると至近距離にクローバー様の顔があります。慌てて顔を逸らせた白雪姫は、鏡に映っている彼の腕に抱きかかえられた自分の姿を見て真っ赤になってしまいました。
「申し訳ありません、クローバー様っ!」
「あぁ、デュオでいい。お前の名は?」
「池谷…忍です」
「忍…な。今度から足元に気をつけろよ」
そう軽く頭を叩いてくれる手は、眼差しと同じ位優しくて、思わず視線を逸らし俯いてしまった白雪姫でした。
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さて、その頃ナイトアウト国王宮では。
一樹から行方不明の報告を受けた桔梗妃は内心舌打ちはしたものの、白雪姫がいなくなったのには変わりなく、すぐに上機嫌になりました。森の中で迷ったら、わざわざ手を下さずともきっとすぐに野垂れ死にするに決まっています。探しに行かなくてはとあせる一樹を宥めると、桔梗妃は悪知恵を働かし妖術で白雪姫そっくりの人形を作り、一樹を後見役に隣国へ遊学に行くという名目で姫の不在を誤魔化したのです。巧妙に作られたその人形は見た目は姫にそっくりで、新婚ボケしている卓也王はすっかりだまされ、まったく問題は起こっていませんでした。
でもつまらなさそうにしている人は約一名。
鏡の精悠が暇を持て余していました。
白雪姫を追い出した後、鏡の主桔梗妃は卓也王にべったりで鏡を覗くのは週に数回程度。
その度にからかって遊びはするものの、どんなにからかっても相手は新婚さん。最後には惚気られて聞く方はたまりません。
「なんか楽しいことないのか…」
「つまらなさそうだな、悠」
そう一人ぼやく悠の前に現れたのは毒蛇の妖怪、桜庭でした。
「なんだ、あんたかよ」
「そんな顔をしてたら別嬪さんがだいなしだぜ」
「…」
「お前がつまらないのは、執心の王子さまの姿が拝めないからだろ。大人しく桔梗の鏡の精に納まっていたのもあいつがいつもべったり傍にいたからだよな。だけど結婚なんかしてくれたから大いに予定が狂ったってところかな」
「うるさい」
図星を刺されて内心むかっときた悠です。けれども表情をぴくりとも変えず、うっとうしそうな顔をして見せました。
「そんなくだらない話をしにくるくらい暇なのか」
「つれないねぇ、折角興味があるだろうと思ってわざわざ寄ってやったっていうのになぁ」
毒蛇の妖怪はにやりと笑いました。
「お前の御執心の王子さま、お出かけだそうだぜ。場所を教えて欲しいかなと思ってね」
「そんな情報教えてくれるのはどんな下心があるんだ?」
用心深く悠は尋ねました。この妖怪桜庭、強い妖力を持っているだけではなく、その力に比例して性根の悪どさも並大抵ではありません。素直に話を聞くと痛い目にあうのは重々承知している悠でした。
「なぁに、前々からお前には世話になってるからな。今回の情報は今までの利子みたいなもんだと思ってくれていいぜ」
「……」
悠が気に入っている桔梗の従兄弟は一度こっそりと覗いているのがばれてからというもの、自室はおろか身の回りには鏡を置かないという徹底振りで悠を避けまくってくれています。おかげでたまにしか姿を見ることができないのですが、場所がわかっているのならこちらのもの。運がよければずっと観察することができるかもしれません。そしたら彼のあんな姿や、こんな姿も…。
「聞かせてもらおうか」
誘惑に負けてそうたずねた悠に、桜庭は性根の悪い笑みを浮かべ、告げました。
「国境の森の奥にあるフジミホテル。そこにお前の愛しの王子さまはお出かけさ、せいぜいばれないように気を付けな」
そう言うなり桜庭は姿を消しました。二葉の姿を見ることができるかもしれない。それを知った悠はすぐに行動を起こしました。
鏡から鏡へ。
一瞬のうちに移動した悠は、あっという間にフジミホテルの鏡へ移動しました。
客室は三つ。そのうち二部屋にはもう先客がいます。ということは空いてる部屋に泊まるのだなと、見当をつけた悠は、その客室の鏡に身を潜めました。
しばらくするとドアが開く音がして悠は戸口に注意を向け、そしてあっと驚きました。二葉を案内するように入ってきたのは死んだとばかり思っていた白雪姫。内心驚く悠の目の前でさらに衝撃的な情景が繰り広げられました。倒れそうになった白雪姫を二葉が抱きとめ、何事か語りかけたのです。
どうして自分には嫌そうな顔をして徹底的に避けまくる彼が、同じ顔をした白雪姫にはやさしい眼を向けているのか。
…許せない。
そう呟いた悠はしばらく楽しそうに話している二人の姿を無表情で見つめ、やがてすっと自分の鏡に戻って行きました。