「結局何が原因かわからないということなんやね」
いまいち要領を得ないアリスの説明と、それを補足するような火村のつっこみを聞き終えた小夜子はそう確認をした。 昼下がりの喫茶店。大きくとった窓からは秋特有の柔らかい光が射し込み、女性が約九割を占める店内は華やいだ明るさに満ちている。 間違ってもいつもの男二人連れでは、入れない雰囲気だ。 手持ち無沙汰げにコーヒーをあおっている火村の横で、アリスはこっくりうなずく。こちらの前にはオレンジジュース。外でオレンジジュースを頼むのなんて何年振りのことだか分からない。 「そら災難やったねぇ」 ぜんぜんそんな風に思ってない顔でそう言われてもうれしくない。 同情どころか面白がっているのがありありと分かる小夜子の顔を上目遣いににらみ、 「そんなことよりあさいさん、さっきの」 と、いいかけてアリスは、はっ、と口をつぐんだ。 もしかして火村と自分の関係を朝井は知っているのだろうか、なんか知ってるような口ぶりだったが、もし知らなかったらやぶへびになるし……。 どう続ければいいのか分からなくて口ごもった所を、 「あぁ、アリスのこと好きやろって、火村せんせに言ったことやね」 こともなげにそう尋ねられ、なんと言っていいのか分からないアリスは曖昧にうなずく。 そんなアリスの表情をじっと見ていた小夜子は、 「あれは言葉がたりんかっただけで、ほんとはアリスみたいな顔が好きやろって言いたかったんや」 その言葉を信じていいか分からず、困惑するアリスをしり目に、 「ま、なにはともあれそうと分かったら買い物や。どうせちっちゃい服なんて持って無いやろ」 とうれしそうにのたまった。 つっこまれたくない話題から離れてくれたのは嬉しい…が、どうして自分の周りには理不尽なまでに前向きな人が多いのだろうと、アリスは安堵と、脱力半々でため息をつく。未だに自分では納得できてないこの事実を、火村といい小夜子といい、抵抗も無く受け入れている。それは単に自分の身に起きたことではないので、面白がっている要素が多分にあるためなのだが、そんなことを露ほどにも知らないアリスは、もしかしたら自分は適応力に欠けているのだろうかと、遠い眼をした。 「せやけどもしいちにちでもとにもどったら、べつにいらんのとちゃいましゅか」 どうも長い文節をしゃべると、サ行では上手くまわらなくなる舌を駆使して反論するが、 「十月なのにいつまでもその格好はあんまりやで。それにずっとこのままやった時のことも考えといた方がええんやないの」 と、小夜子は容赦なく言い切った。 「でもですねぇ、…」 弱々しく反論しようとしたアリスだが、すっと眼を細めた小夜子の言葉に凍りつく。 「そういえばさっき私が何を知ってるって、あんた言いたかったんやっけ……」 すこーしだけ気になるんやけど気のせいやろか、と言う小夜子の言葉にこくこくとうなずく。 「やったらええんや。さ、いこか」 にこやかにそう言ってさっさと席を立つ小夜子に、一生頭が上がらないであろうことを、アリスは確信した。 ◇◆◇ ピンクハウスだの、KETTYだのと騒いでた小夜子が二人を引きずっていったのは、デパートの中に入っている子供服のブランドだった。 見事なまでに赤や、ピンクの暖色系の色が主流を占める女の子向けのブランド。嗜み程度にしかブランド名など覚えてないアリスには聞き覚えの無い名前だった。 しかしさすがブランド品だけあって、値段は眼を疑うほど高い。たかだか子供服に何万円もかける人の気が知れないと思うアリスだが、どうやらここに引っ張ってきた人物の考え方は違うらしい。 「じゃ、次はこれ着てみようか、ありすちゃん」 店員のおねぇさんに、にこやかに服を手渡され、アリスはげんなりとした顔になった。さっきから延々三十分以上着せ替えごっこをさせられている。 こうしている間にも小夜子は新しい服を店員に見せてもらっているし、唯一救いの手になるかと期待していた火村は興味深げに子供服を手にとっていた。持っているレースのついたピンクのドレスが凶悪なほど火村の雰囲気とミスマッチだ。一体奴は子供服評論の権威にでもなる気なのだろうか。もう三十分以上店中の子供服を鑑賞している火村を見ているとそう邪推したくもなる。 「ありすちゃん疲れちゃったかな?おねぇさんが着せてあげよっか?」 黙りこんでしまったアリスを抱き上げようとする店員に慌てて首を振った。いくら外見が幼児でも、着替えに自分より若い(であろう)女性の手を借りるのはアリスのなけなしのプライドに関わる。 「うーんじゃあ、お母さんに手伝ってもらう?」 恐ろしい単語を吐く店員に、アリスの顔は引きつった。もしかするとこの店員、小夜子をお母さん、火村をお父さんと思っているのではないだろうか。 はたから見るともっともな推察だが、内情を知る当事者にとってはブラックジョークにもならない。 「なんやアリス、着替え手伝ってほしいん?」 話を聞いていたらしい小夜子はにやにやと笑みを浮かべる。恨めしげに上目遣いすると、小夜子は笑って、 「火村センセ、アリスのご指名やで」 と呼んだ。 「どうした、アリス」 「ひむらぁ〜、もういやや〜」 情けない声で泣きつくと、しょうがねぇなと苦笑した火村はアリスを抱き上げた。 「朝井さんそろそろアリスも疲れたようですから、これくらいにしといてください」 「そぉ、残念やわ。やったら、どの服にしようか。これなんかどう?」 そう言うと小夜子は手に持っていたピンクのワンピースを見せた。レースとリボンがふんだんに使ってあるそれは、ワンピースと言うよりドレスと言った方が近い。慌てて首を振ると、それならこれは?、と赤いワンピースを見せられる。 「……もうちょっとおとなしいのがええ」 そんなドレスを着て街を歩かされると思うとめまいがする。切実にズボンがよかったのだが、何の陰謀かこの店には半ズボンに至るまで一切のパンツ類が無い。 「だったらこれはどうだ」 そう言って火村が見せたのは今までの中で一番地味な青いオーバースカートだった。中に白いブラウスを着るようになっているそれは、ひらひらするレース類はついていない。 「なんか、地味な服やねぇ」 「これは上にこういう白いエプロンみたいなものを重ねるタイプなんですよ」 そういってハンガーから白いレースのついたエプロンをはずした店員は、服にあてて見せる。 「なんか雰囲気が不思議の国のアリスな服やない?」 「そう言われればそんな感じですね」 「アリスにアリスでちょうどええわ。それにし、アリス」 有無を言わさず仕切った小夜子に反論する勇気も無く、アリスはおとなしく服を受け取った。ここで下手に逆らえば、今までの苦行の繰り返しになる。それくらいは鋭いとは言えないアリスの頭でも想像できた。 「靴はおそろいの色の青いやつにすればええし…、あ、ついでに頭のリボンなんかも置いてないですか?」 しかしこうもうきうきと、自分をおもちゃにしてくれる小夜子を見ていると愚痴の一つも言いたくなる。 「あさいさん…どうせやったらじぶんのふくみればええんやないですか。おとなようのふくもおいてあるやないですか」 ペアルックか何か知らないが、この店には少しだが大人用の服も置いてある。着たくもない自分の服にこれほど時間をかけないで、その労力を心置きなく自分の服探しに費やして欲しい。それがアリスの切実な願いだった。 「何言ってんの。うちにこんな服似合うわけないやない。せやから、あんたみたいな可愛い服似合う子に、服探してあげるのが楽しいんよ」 そう胸を張った小夜子に、アリスは観念してフィッティングルームのカーテンを閉めた。 「まぁ、ちょうどいいじゃないですか」 溜息をつきながらも着替えるしかなかったアリスが、カーテンから顔を覗かせると、待ち構えていた店員が容赦無くカーテンを引ききってしまう。 「さすが火村センセの見立てやね、ぴったしやん」 感心したように頷く小夜子の横で、 「この上にこれ着ようね、アリスちゃん」 背中のファスナーを上げてくれた店員が、白いエプロンドレスを被せた。ついでとばかりにブラシで髪を梳かれ、青いリボンもつけられる。 「うん、かわいいかわいい」 満足げにうなずく小夜子の横で、何も言わずに火村はカードを店員に渡した。 ちらっと鏡越しに視線のあった火村が、口の端を上げたような気がして、広い背中にドロップキックかましたろか、と凶暴な気分におそわれる。 もちろん身長差と体格の都合でその思いつきは断念せざるを得なかったのだが。 |