日本の米国旅行記


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「イギリス、おれ達そろそろ出るから、君いい加減にしないと置いていくよ」
「おい、もうちょっとだけ待てよ。試合終了まであと十五分なんだ」
「どうせブラジルが勝つに決まってるよ。結果をラジオで聞けばいいじゃないか」
「馬鹿、結果だけ知ってどこが面白いんだよ」
 受け答えはしながらも、イギリスの視線はテレビに釘付けだ。
 いつもはゆっくりと優雅にディナーを楽しむ彼らしくもなく小一時間でそそくさと食事を終え、早々に居間の一番大きなカラーテレビの前に陣取ったイギリスが見ているのは、メキシコで開催中のFIFA大会決勝戦である。
 こちらに来る二日前ドイツとの対戦で死闘を制し決勝に進んだイタリアは、強豪ブラジル相手に前半は引き分けで折り返したものの、残念ながら二点差まで引き離されている。
「アメリカさん、もう少し待っていただけませんか? 私もイタリア君のチームの応援をしたいです」
「なんだい、君もサッカーに興味があるのかい」
「サッカーじゃねぇ、フットボールだ」
「サッカーはサッカーなんだぞ」
 今日だけでも何回目になるともしれぬイギリスの訂正を蹴り飛ばし、それでもソファーに腰を下ろしたアメリカに、日本は返事をした。
「うちではどちらかというと野球の方が人気ですね。この大会は今回も予選敗退でしたが、この間のオリンピックでは銅メダルをとったこともあり、少しずつ人気が出るのではないかと思います」
「でも野球の方がクールだよね」
「――うわ、また入れやがった!」
 とどめの四点目に興奮して叫ぶイギリスに、アメリカは冷めた顔で訊ねる。
「君、イタリアを応援してるのかい?」
「誰がパスタや…イタリアの応援をしてるように見えるんだ?」
 日本を見て、ハッと名前を言い直し、口調を改めたイギリスは、彼のいうところのフットボールの発祥の国ということもあり、他国の試合でも身を入れて見てしまうのだろう。
 その後も小さく声を上げながら熱中していたが、結局試合は下馬評通りブラジルの勝利で終わった。
「やっぱりブラジルが優勝かよ」
 イタリア君はさぞかし残念がっているでしょう、と日本は今頃メキシコの会場で応援をしているはずの友人たちに思いをはせる。昨日の三位決勝戦に勝ったドイツも一緒に見ているはずだから、きっと今夜は残念会で酒を飲み交わすのだろう。
「オーケー! 出発するよ!」
 やっと終わったばかりにさっさとテレビのスイッチを切ったアメリカの後を追うと、屋敷の前に車が準備されていて、荷物も従僕たちの手で既に車に載せられていた。
 一列に並んでお見送りをしてくれる使用人たちの姿は他のアメリカの別邸では見ないものでなんだか時代錯誤なものを感じる。もしかするとこれはイギリスも一緒だからということもあるのかもしれなかった。
「で、結局どこへ行くつもりなんだ?」
 勢いよく走り出すアメリカに、そろそろ行き先を教えろとイギリスが訊ねる。
 だがそれには返事をせずに、アメリカは日本に質問を投げかけた。
「日本、君がおれんちの名所って言ったらどこを思い浮かべるかい?」
「アメリカさんの名所……ですか?」
 日本の二十五倍の広さを誇るアメリカは、山のように名所があるはずだ。その中で日本が知っているのはほんの僅かしかない。
 アメリカの質問の意図はつかめないが、話の流れからして目的地と関係があるのだろう。
 昨日のようにイギリス関係で地雷を踏まないよう、日本は注意深く、知っているところから挙げていくことにした。
「月並みのところでは、まずはニューヨークの自由の女神、セントラルパーク、タイムズスクエア。メトロポリタン美術館、MOMA、ブロードウェイ、エンパイアステートビルですかね」
「マンハッタンは君もよく観光するからね。ニューヨーク以外ではどうだい?」
「はぁ……ニューヨーク以外でしたらホワイトハウス…五大湖、ミシシッピー川、サンフランシスコの黄金橋――」
「わお! いきなりサンフランシスコに飛んだね」
「そうですね、ええと……ロッキー山脈、ハリウッド、ラスベガス、グランドキャニオン、イエローストーン国立公園とかでしょうか?」
 ここならあまり歴史が関係ないだろうと自然や地理を中心に名前を挙げていく。地図に載っているような有名所ばかりだが、アメリカのお気に召したようだ。
「今の中で行ったことがある所はどこだい?」
「……行ったことがある所ですか?」
 そうさ、という言葉に考え込む。
「ニューヨークやワシントンDCは仕事の合間に連れて行っていただきましたよね。それからサンフランシスコとハリウッドも以前の会議の時に」
「そうだったね」
「おい、アメリカ、お前まさか――」
 なにやら予感をしたのか、慌てた声を上げるイギリスをアメリカは無視をする。
「じゃあ、今回は行ったことない所へ行こうか!」
「……はあ。ええと、行ったところがない所と言われますと、具体的にはどこへ……?」
「全部だよ!」
 からりと明るい、それでいてとんでもない宣言が車中に響いた。
「嘘だろ……」と唖然とした声を出すイギリスの呟きは耳に聞こえるものの、その前のアメリカの言葉の意味を理解することを脳が拒否する。
「そうと決まればさっそく五大湖からだね!」
「ちょっと待て! まさかと思うが、お前、まさか、車で全部回る気なのか?!」
「そうだよ」
「冗談抜かせ! お前んとこどんだけ無駄に広いと思ってんだ! そこは飛行機だろ! 飛行機じゃなくても、せめて電車を使え!」
「電車でグランドキャニオンやイエローストーンまでなんて、行けるわけないだろ」
「だとしても、近くまで電車で行って車借りればいいだろうが!」
「DDDDDDD! 折角の新しい車なんだぞ! 乗り心地を試すいいチャンスじゃないか!」
「おれ達はお前の車の乗り心地を確かめるために呼ばれたのかよ――」
 言い争う二人の声に、ようよう日本は口を挟んだ。
「ええと、アメリカさん、本当に全部回る予定なのですか?」
「そうだよ。まず五大湖でナイアガラの滝を見るだろ? それからシカゴに寄って、セントルイスに向かおう。ミシシッピー川というと源流近くのミネアポリス、間のセントルイス、ニューオーリンズ辺りが有名だけど、ミネアポリスまで行くと大回りだしね。セントルイスからカンザスシティへ向かってひたすら西へ行く!」
 ナイアガラの滝は五大湖の名所で、五大湖湖に面するシカゴは北米でも北に位置する。そこからメキシコ湾に面する河口の街ニューオーリンズまで下らず、中間で手を打つのはありがたいが、しかし――
「カンザスシティからデンバーとソルトレイクを経由して、イエローストーンとグランドキャニオンを見て、ラスベガスで遊んで、ああ、それから忘れちゃいけないのが世界に誇るうちの巨大遊園地さ! 近くのロングビーチではサーフィンも盛んだからやってみるかい?」
 自分が昨日降り立ったニューヨークが面しているのは大西洋、ロングビーチとやらがあるのは太平洋。
 提案されているのは二つの大洋を跨いだ移動、つまり大陸横断だ。
「ハリウッドでは映画の撮影の見学をしようか。それからサンフランシスコで折り返して戻ってくる。どうだい? 素晴らしい計画だろ!」
 
 



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