日本の米国旅行記


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「……念のために聞いておくが……お前、それだけの行程をどれだけの日数でまわるつもりだ?」
「今から出発して誕生日には戻ってくるつもりだよ。誕生日はいつものように、ワシントンDCで盛大なパーティをする予定だからね!」
「つまり、二週間……弱、ですか」
 主役がパーティの当日に帰り着くなどという綱渡りはゲストにも失礼だから、前日には帰っておきたいところ。帰りの日数に最低四日は要するとみて、となると残るところは……。
 計算するまでもなくひしひしと感じるハードスケジュールの予感に眩暈がする。
「馬鹿だろお前!!!」
「はぁあああ?! おれのどこがバカなんだよ!」
「普通に考えて、その日程おかしいだろ! しかも行ったら帰らないといけないんだぞ?! どう考えても無茶だろうが!」
 悲鳴のような声を上げるイギリスに、一言一句心の底から同意をする。
 何を考えてるんです、あなたの脳はチョコレートですか、と罵倒したいところであるが、ここは喧嘩をするよりも、快く計画の変更をしてもらう方が得策だ。拗ねるアメリカの相手は結構面倒なのだ。
「あの……アメリカさんが考えてくださったその旅行の案、とても楽しそうだと思います」
「そうだろう!」
 交渉はまず相手を持ち上げることから。
 アメリカの意見を損ねぬよう、プラス評価から入る。実際ルートだけを考慮するなら、各名所を拾い上げる良い案ではあるのだ。
 あくまでもルートだけで、日程を加味しなければ、という但し書きがつくが。
「なかなかこうやってゆっくり観光する機会はありませんし、しかもアメリカさんやイギリスさんに同行させていただけるのは光栄なんですが、……その日程では恐らく毎日ドライブということになるのではないでしょうか?」
「そうだろうね。でもこの車は広いし、座席も特注レザーシートだから乗り心地がいいだろう?」
「はぁ。確かになんだか応接室にいるような心持ちがするくらい立派な車ですよね。でも……すみません、お若いお二人ならなんの支障もないのだろうと思いますが、私はもういい年のお爺ちゃんなので、二週間毎日長距離ドライブとなると、恐らく腰を悪くして途中で寝込んでしまうことになるのではないかと思うのですが……」
 控えめに己の最大の懸念を伝えると、その危惧はアメリカも抱いたのだろう。
「Oh……だったら、どこまでなら大丈夫なのかい?」
「そ、そうですね……頑張って半分……?」
「半分って、……じゃあサンフランシスコからは飛行機で帰ることにするかい?」
「い、いえいえいえ、できれば横断の途中地点の半分でお願いできましたら本当にありがたいのですが!」
 帰りが楽なのはありがたいが、でも大陸横断となるとどうあっても十日以上毎日車に揺られていることになる。間違いなく腰が死ぬる。
「えええーそれだと目的の半分もいけないんだぞ! グランドキャニオンもイエローストーンも、君見たことないんだろう? どうせならネバダの砂漠越えもしようと思ってたのにさ〜」
 ブーブーとブーイングをするが、砂漠という言葉に日本は蒼褪めた。この車で、燃費が悪そうなこの車で砂漠横断だなんて、それに万が一故障が起きたらと思うと怖ろしすぎる。イギリスも「砂漠…殺す気か……」と怯んだ声で呟いている。
「そ、それは申し訳ありません……お気持ちは嬉しいのですが、なにぶん腰が……」
「でもグランドキャニオンもイエローストーンも、絶対に見るべきだってば!」
「おい、アメリカ。お前ホストなら自分の意向を押し付けるんじゃなくて、ゲストに合わせろって教えただろうが。しかも相手が体調の問題で無理だって言ってるのにごねるってどういうことだ? 子供じゃないんだから我儘ばっかり言うんじゃねぇ。お前がゴリ押しするならおれ達は降りるからな」
 イギリスにしては珍しく、穏やかながらもきっぱりとした声に本気を見たのか。
 アメリカは渋々譲歩した。
「別に我儘じゃなくて、残念だって言っただけだろう! ――オーライ、じゃあ今回はセントルイスかカンザスシティくらいまでにして、残りは次回にしよう」
「ありがとうございます」
「それでも遠いけどな」
 やれやれといいたげなイギリスに、日本は内心深く感謝する。
「だったら時間もあるし、ウィリアムズバーグにでも寄るかい?」
「ウィリアムズバーグですか?」
「昔、バージニア植民地の総督府があったところで、うちの大富豪が元の街並みを再現して、独立戦争の時の展示物なんかも飾った街全体が博物館みたいなところなんだぞ」
 イギリスには懐かしいかなと思ってね。
 アメリカがそんなことを言い出すのは、言い負かされた腹いせなのだろう。
「……嫌がらせのつもりか」
 顔を蹙めるイギリスは、不機嫌そうな声を出す。
 昨日といい、今日といい、どうしてこうアメリカはイギリスを刺激するようなことばかり言い出すのか。
 兄弟喧嘩をするなとは言わないが、自分を巻き込まないで欲しい。
 内心溜め息をついた日本は、ふとあることに気づき、訊ねた。
「イギリスさんが懐かしいと思われるということは、植民地時代の建物を再現されたんですか?」
「そうさ! 本当にあの当時の建物しか作っていないし、飼ってる動物も当時のもので徹底してるんだぞ!」
「なるほど……。ご兄弟仲良く過ごされた懐かしい思い出の地を、アメリカさんも大事にしておられるのですね。お時間があるのならば拝見して、昔のアメリカさんのお話をたっぷり伺いたいです。――昔のアメリカさん、さぞ可愛らしかったのでしょう?」
 植民地時代の建物を忠実に再現した、ということは、アメリカにもその時代を懐かしむ気持ちがあるということだろう。
 いささか厭みをきかせて、それでいて邪気を感じさせないおっとりした口調で訊ねれば、イギリスはパアァッと顔を輝かせた。
「そりゃもう信じられないくらい可愛かったぞ。おれが来ると飛び上がって喜んで、絶対離れようとしなかったし、帰る時は帰らないでって泣いてな。夜も一緒に寝てくれってせがまれたけど、たまにお漏らししたってべそかいて――」
「イギリス! なに大嘘を言い出すんだい、君は!」
「嘘じゃないだろ。シーツ洗ってやったのおれじゃないか。それに昔のことだろ? そんなにムキになるなよ。それとも今もしてんのか?」
「するわけないだろ!!!」
 絶叫するアメリカは、興奮のあまりハンドルを揺らし、車が左右にぶれる。
「イギリスさん、夜尿症は幼児期には珍しくないことですから、そのようなことでからかわれるのもいかがなものかと……」
「ちょっと、日本! 君窘めるふりして、さりげなくおれがおねしょしたって確定事実のように扱ってないかい?!」
 顔を赤くして怒るアメリカに、「そんなことないですよ」と応じるが、へそを曲げたアメリカはポコポコと頭から湯気を出す勢いで抗議を続ける。
 にやにやと笑みを浮かべながら相手をするイギリスは、生意気を言うアメリカをやりこめたことより、彼が自分との思い出を大事にしてくれていたという解釈に満ち足りた気分になったらしい。
 そんな態度にアメリカの抗議は更にヒートアップするが、イギリスの幼子に接するような対応は悪循環を呼び。いささかやりすぎましたかね、と喧しい車内の口論と、荒い運転に日本は辟易とした。
 
 
 



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