日本の米国旅行記


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「酷いです」
 先に休む、と部屋に引き上げたイギリスがいなくなったのを確認して、日本は口を開いた。
 非難されたアメリカは、不思議そうに眼を瞬く。
「何がだい?」
「ここの案内をイギリスさんにさせたのは嫌がらせだったのでしょう?」
「それは言いがかりなんだぞ」
「でも、嫌がるイギリスさんにうんと言わせるために、私を口実に使われましたよね?」
「口実もなにも、君を一人にしたら危ないじゃないか! イギリスも紳士だって主張するんだから、それくらい当然だよ」
 自分のどこが悪いのだ、と言わんばかりに胸を張り、堂々とそんな主張をするアメリカに、日本は深々と溜息を吐いた。
 自分も随分と侮られたものだ。
 確かに英語が喋れないのはハンデではあるが、ふらふらと観光をするくらいの英語程度なら喋れないまでも理解はできるはずだ。いざとなれば筆談もできる。
 なのに付添がいなければなにもできないと、己の十分の一も生きていない若者に真顔で主張されるとは。
 とはいえ、アメリカ相手に論議をしても無駄だと分かっている。彼はどうも自分のことを、何もできない子ども扱いしたいきらいがあるのだった。
「……イギリスさん、傷ついておられましたよ」
 堂々巡りにしかならない話題をずらした日本に、アメリカは顔を顰めた。
「イギリスは大げさなんだよ。だいたい、ここには仕事で何度も来てるんだよ。今更君に泣きついたのは、同情を引きたいだけだよ」
「別に泣きつきなどはなさいませんでしたけど……」
「だったら君の気のせいなんじゃないのかい。食事の時はぶちぶち煩かったけど、あんなのいつものことじゃないか」
 確かに植民地時代から続くという古いレストランで食事をした時や、観光の後にアメリカと合流した時も、口では細々と愚痴めいた小言を落としていたが、イギリスの機嫌自体は悪いものではなかった気がする。
 そういえば昔、独立記念日前後に鬱々と体調を崩していた頃も一人で塞ぎこんでいる時よりも当のアメリカに会う時の方が、体調や機嫌も良かったように記憶している。
 彼を傷つけるのがアメリカであれば、彼を癒すのもまたアメリカなのだろう。
 兄弟とはそんなものなのだろうか。
 概して西欧は家族という枠組みの中でも個人主義が発達していて、それに比べると東洋は家族の柵が強いという論説があるが、アメリカとイギリスよりも(不本意ながら兄弟と主張される)自分と中国の仲はよほどドライだ。勿論、中国とは兄弟ではないので、比較にはならないのだろうが。
「それに傷ついてるように見えたんだったら、君が慰めてあげればいいじゃないか」
「無理ですよ」
「ひょおふぃふぇ?」
「アメリカさん、行儀が悪いです」
 嗜めると、日本が半分も食べられずに残した夕食でも足りなかったのか。コックに作ってもらったチーズステーキを咀嚼して「どうして?」とアメリカは訊ねなおした。
「どうしてって……イギリスさんはそんなことお嫌に決まっていますよ。誇り高い方ですから」
 迷惑をかけたことに対して率直に謝罪をする潔さをイギリスは有しているが、さして親しくない相手に己の弱さを見透かされることも、ましてやそれに慰めの言葉をかけられることも、彼にとっては屈辱以外のなにものでもないだろう。ましてやそれが自分相手となれば、なおさらだ。
 もちろん彼はたとえ日本が慰めの言葉をかけたとしても、それを受け入れ、丁寧な言葉で応えてくれるはずだが、そこに至るまでの彼の内心の葛藤や負荷を推察するにそんな負担をかけたいとは思わない。
「とにかく、イギリスに関しておれを責めるのはお門違いなんだぞ。わざわざおれが呼んであげたんだからね」
 呼んであげた、というが、イギリスの本国ではつい数日前に総選挙が行われ、下馬評を覆しての政権交代に大わらわだという。きっとアメリカは、自分に対してのように、確定事項としてイギリスに無理を強いたのではないだろうか。それに応じたとすればイギリスは、大概弟に甘い。
「ところでアメリカさん、そろそろ休暇の予定を教えていただけませんか?」
 そこまでして休暇に誘われる理由が見当たらず、夕食の時も話題に上らせた疑問を日本は再度訊ねるが、アメリカは笑うばかりだった。
「さっきも言ったろ。それはまだ内緒なんだぞ。でもGorgeousでFantasticなバケーションになるはずだから、楽しみにしてるといいよ!」
 万事がスケールの大きいアメリカの言うゴージャスでファンタスティックな休暇とはどんなものか、むしろ恐ろしい心持もする。
「さて、おれはそろそろ寝るよ。明日は朝から教会へ行くつもりだけど、君はどうせ来ないんだろう?」
「ええ、部屋でゆっくりさせていただきたいと思います」
「構わないよ。お昼は一階の食堂でディナーの予定だからね。ゲストはいないけど一応正装で頼むよ」
 ランチにディナーと言われ一瞬惑うが、ディナーは正餐。こちらでは日曜日の正餐はなぜかお昼なのだと思い出した。
「イギリスさんには――」
「執事に伝言を頼むから心配ないんだぞ」
 アメリカの別邸だというこの広大な屋敷には、執事もいればメイドや従僕もいる。
 こんなところは兄弟ですよね、イギリスさんのおうちも別邸も使用人がたくさんいました、と大昔に招かれて行ったイギリスの別宅の記憶を甦らせた。そういえば彼のところでも、日曜日の昼食をディナーと呼んでいた。こんなところにも存在する彼らの相似に、つくづく兄弟なのだと思う。
「君も夜更かししてないで、早く寝なよ。明日はドライブだよ」
 おやすみ、と言って出ていくアメリカの言葉にどうやら明日から移動らしい、と日本は知った。
 
 
 
 
 



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