日本の米国旅行記


  6

 
 
 
 
 フィラデルフィア――
 古代ギリシャ語の『兄弟愛』という意味を冠するこの街は、自分にとって忌まわしい地でしかない。
 アメリカとの戦争の火蓋が落とされたレキシントン・コンコードの戦いの時点では、大陸会議は独立の意識を持っておらず、イギリスもまさかアメリカが、大事な弟として可愛がっていた彼が、自分の元から離れるなど、夢にも思っていなかった。
 しかし戦火は拡大の一途を辿り、国王による「反乱宣言」に傭兵派遣、アメリカ海域の海上封鎖というイギリスの締め付けに対し、戦局を有利に展開したアメリカは独立を宣言したのだった。
 それが、この地。まさにこの場所だった。
 
 
 日本がいざ入る段になってこの建物が何であるかに気づき、狼狽えていたのは分かっていた。
 二百年以上の長きにわたり、世界と距離をとっていた彼は、アメリカの独立時を知らない。
 そのせいか、『フィラデルフィア』と聞いても、頑強に同行を拒絶した自分の姿にも反応が鈍く、まさか気づかぬ振りをした嫌がらせなのかと思ったほどだった。
 日本とも思えぬあまり察しの悪さに、ならばせいぜい居心地悪く気づかなかった自分を責めるがいい、とそんな露悪的な気持ちでわざとここに連れて来たのが、この場所を訪れた理由の半分。
 残りは、アメリカの独立から二百年になるのを前に、一度は自分の眼でここを見て、気持ちの区切りをつけたいという思いからだ。
 だが、当時を思い出させるものを見ただけで、もう駄目だった。
 あっけなく虚勢は崩れ、涙が零れ、できることといえば隣の彼に聞こえないように嗚咽を噛み殺すだけだ。
 手の中から零れ落ち、喪ったものを悼み流す涙は虚しい。無力で盲目だった自分を責めても、過去はやり直すことはできない。
 そう分かっていても繰り返す波のように悲しみはあの時と変わらぬ強さで襲いきて、何度となくこの身を苛む。
 全ては過去。
 涙を流すことで変わるものはなく、むしろアメリカからは余計に疎まれ、周囲に憐みの眼を向けられるだけだと分かっている。
 分かっていても堪えきれない涙にくれるイギリスの耳に、日本の言葉が流れ込んだ。
 
「――むしろ立場を別ったとしても、相手の存在意義そのものに影響を与えるというのはすごいことだと思います。そういうのは少し――羨ましいですね」
 彼のその言葉の何かが心を打ったわけではない。
 言葉というよりも彼の天鵞絨のような柔らかい声や、温みのある口調、その全てが爽やかな清水の流れのようにやけに優しく心に滲み、新たな涙を呼んだ。
 涙にぼやけた視界の中、彼がまっすぐに前を向いているのが分かる。
 きっと前を向くことで、自分の涙になど気づいていない、と無言のうちに伝えようとしているのだろう。
 それはきっと彼なりの思いやりで、そんな日本の姿に、彼は変わっていないのだと気づく。
 二人だけで同盟を組んでいたあの時代、彼はまるで全知の神のごとき敏さで、イギリスの欲しい言葉、ずっと渇望していた自分だけに向けられる信頼や友愛を与えてくれていた。
 歩き出すと、困ったように逡巡しながらついてくる気配があった。
 みっともなく赤くなっているであろう眼を衆目から隠すために、俯き、視線を落としても、この小さい建物の中で目指す部屋に辿り着くことはイギリスにとって容易い。
「――ここは議場だった所、隣は最高裁判所として使っていた部屋だ」
 統治下に置いていた頃には、会議やレセプションでイギリス自身、何度も使った場所だ。
 会議に飽きたアメリカを叱り、文句をつける彼と言い争い、パーティの時には弟として遇し、どんな我が儘も聞いてやった。まだトーンの高い少年の声が甦り心がツキッと痛むが、涙は出なかった。
 恐らく独立宣言採択当時を模してテーブルが並べられたのであろう今の部屋の様子は、イギリスの記憶の中のものとは遠い。
 テーブルの上には見学客に見えるように、独立宣言の草稿や、署名に使ったというインク壺などが飾ってあった。
 
 ――こんな文書だっただろうか。
 あの時手元に届けられた写しは、一瞥してすぐに暖炉に投げ捨てた。
 反乱ではなく革命、主権国家としての戦いであるというその宣言に感じたのは、視界が真っ赤に染まるような激しい怒りで。あんなに可愛がっていたのに、なぜだという憤りは、すぐにあいつに何ができるのだという昏い侮りへと変わった。
 反乱軍の多くは貧しい農民や小商人、職人。
 それに対して本国に恭順を示す国王派は豊富な財産を持つ大商人や大地主だった。
 彼らの兵と本国から送った正規軍、傭兵、そして和議を結んだインディアンからなる軍は、力の上では圧倒的な有利を誇っていた。
 それに一部の大商人や地主が反乱軍の側に立っていたとしても、反乱の意を示していた十三からなる植民地はそれぞれに反目し競い合っており、協調した行動をとることなどできるはずもない。
 アメリカに、あの小さな弟に、なにができようか。
 あの時の自分は、そう思っていたのだ。
 けれども当初はイギリスの統治下にいることを望んでいた民衆達の意識は、開戦後に発表された「コモンセンス」という論説で一気に独立へと傾いた。
 血で血を洗うような激戦が続き、やがてアメリカがフランスと同盟を結ぶと、独立の承認や同盟条約こそは結ばなかったもののフランスと同盟を結んだスペインも宣戦布告をしてきて。さらにロシアやデンマーク、スウェーデン・オランダ・プロイセン・オーストリア・ポルトガルまでもが武装中立同盟を作り、イギリスは孤立することになった。
 アメリカの独立を助けるためにと各国から義勇軍が集まり、国王派に対する市民権はく奪や財産没収など情勢は次第にイギリスにとって不利に傾いた。
 その結果、一〇年にも渡る戦争はヨークタウンでの降伏で幕を下ろすことになったのだった。
 
 
 
 



back + Home + next