日本の米国旅行記


  5

 
 
 
 
 
 ――おれが独立を宣言したところ、本当の意味でおれが生まれたところだよ!
 
 アメリカの言葉が、こんな時になって甦る。
 あれはいつだったのか。
 開国後初めてアメリカを訪れた時だったか、それとも戦後の講和の時にアメリカに連れてこられた時だったか。
 曖昧な記憶で思い出せないが、自分は昔ここに訪れたことがあるのだろう。
 どうしてここに来るまでに思い出せなかったのか。なぜ建物を見て、気づけなかったのか。
「隣の旧郡裁判所は国会議事堂として使われていたところだ」
 狼狽する日本は、イギリスの言葉に我に返った。
 イギリスの声は、平静さを保ったいつもと変わらぬもので、そのことに日本は驚く。
 同盟時代、いつも泰然自若で帝王のように堂々とした彼が、唯一涙を流し、脆い素顔を見せるのが、彼の可愛い弟、アメリカが自らの元を離れていったことについてのことだった。
 百年以上も前の出来事を、つい昨日の出来事のように嘆き悲しみ、七月のアメリカ独立記念日前後ともなれば体調を崩して苦しそうにしていた姿は、あの頃何度も眼にしていた。
 アメリカの独立に関することに神経過敏で不安定になるのが、イギリスの持病のようなものだったはずだが、それは改善されたのだろうか。
「旧郡裁判所が国会議事堂として使われていた時、二階で上院の議会が、一階で下院の議会が開催されたことから、今の上院と下院という呼び名になったと言われている」 
 案内をしてくれるイギリスを、そっと不自然にならないようにこっそり盗み見る。
 彼の表情も先ほどまでと変わらない。――少なくとも日本の眼には変わらないように見える。
「この正面にある旧州議事堂は、今は独立記念館と呼ばれている。一七七五年からここで第二回大陸会議が開かれ……独立宣言が採択された場所だ――」
 建物に入ろうとするイギリスに、ドクッと心臓が強く跳ねる。
 引き留めるべきか? ――でもなんと言って?
 なまじっかの言葉では、彼はこちらの思惑など看過するだろうし、そうとなれば矜持の高い彼のことだ。逆に引っ込みがつかず、態度を硬化させる可能性がある。しかしこのまま行かせて良いものか。
 焦る日本を促すようにイギリスがちらりと視線を投げ、慌てて言葉など浮かばぬまま後に続く。
 閉館時間が迫っているせいか、入り口は見学が終わった客で混み合っていた。
「 Sorry(失礼) 」を繰り返しながら人の合間を抜けた玄関ホールで不意にイギリスが足を止めた。
 そこには遠目からも分かるほどの、大きな鐘が飾ってあった。
 
「――Liberty Bell……」
 
 隣で小さくイギリスが呟く。
 自由の鐘――独立の象徴になっているものだと聞いた覚えがある。
 不安を覚えながらイギリスの後に従うようにして、鐘に近づく。
 だが大きく亀裂が入った鐘を見るイギリスの表情は、思いのほか、いつもと変わらぬものだった。
「この鐘はうちで作ったものだ。……十年くらい前にアメリカから不良品だったって文句言われたから、無料で修理してやるって申し出たんだがな。断られた」
 苦笑すら浮かべる余裕があるなら大丈夫なのだろう。イギリスの口許の淡い笑みの陰にほっとする。
 鐘は罅も含めてこれ自体が歴史を語る品。
 それを承知で文句をつけたアメリカに応じ、今またそれを口にするイギリスは、トラウマを克服できたのかもしれない。
 時は人だけでなく国をも変え、あらゆる激しい感情もゆっくりと風化させていくものだ。
 一抹の寂しさとともに、ぼんやりと思う。
「うちで作ったものだったが……こんなに近くでちゃんと見たのは初めてだな……」
 だがそんな日本の微かな寂寥を砕いたのは、不意に湿りを帯びたイギリスの言葉だった。
 ――え? と驚く横で、イギリスが俯く。口許は黒手袋で覆われて見えないが、きつく閉じた長い睫毛の端に、うっすらと涙が滲んでいるように見えた。
 その姿に日本は激しく狼狽した。
 
 ――イギリスさん、やはり無理してたんですね!
 
 イギリスは、虚勢を張っていただけで、彼の中では悲しみはそのまま悲しみとして残り、恐らくは生傷のように今も癒えずに残っているのだろう。
 日本は己の当初の危惧が現実のものであったことを、遅まきながら理解した。
 ここの地理に詳しいからには、彼も以前観光に来たことがあったのかと思っていたが、よくよく考えれば、アメリカはイギリスの植民地だったところだ。ロンドンに次ぐ第二の都市だったというこの地に、イギリスが訪れなかったはずがない。
 そして『初めて』鐘を見た、ということは、きっとそれ以降訪問したことはないということなのだろう。
 恐らくは自分のために、彼は忌避していた地に足を踏み入れたに違いない。
 申し訳なさに居たたまれず、けれども謝りなどすれば更に彼に追い打ちをかける気がして。
 自分が彼の立場なら、と考えた日本は、説明板を読み、その涙に気づかないふりをした。
 英文での説明は所々分からないところもあるが、比較的平易な文章で書かれている。
 会話は不得手だが、文章を読むだけならどうにかこなせる日本は、イギリスの様子をこっそり伺いながらゆっくりと読み進める。
 この鐘は大陸会議の開催や、独立戦争の契機となったレキシントン・コートの戦いを知らせ、そして独立宣言の会議へと人々を集わせたのだという。
 イギリスがフィラデルフィアを占拠した時は隠されていたというから、イギリスも眼にしたことはなかったのだろう。
 その後、奴隷廃止運動のシンボルになり、さらに広義の自由を求める人々の心の拠り所になったのだと説明文は告げていた。
「アメリカさんといえば『自由』というイメージですが、イギリスさんが作られたこの鐘が、色んな自由の象徴なんですね」
「――皮肉だよな」
 返事は期待していなかったが、イギリスは涙に濡れた声で小さく応じる。
「……どうでしょうか。むしろ立場を別ったとしても、相手の存在意義そのものに影響を与えるというのはすごいことだと思います。そういうのは少し――羨ましいですね」
 慰めるつもりの言葉ではなかった。
 敵同士として相対した過去があっても、互いに影響を与え続ける二人の関係が羨ましくて、自然に零れた言葉だった。
 だがそれはイギリスの心の琴線に触れたのか。
 ひゅっと嗚咽を堪えるように息を呑む音と、涙の気配がする。
 ああ、そういえばあの頃も本当に涙脆く、些細な言葉にも揺れてしまう人だった。
 過ぎ去りし日の記憶を甦らせば、棘のような痛みが心を刺す。
「……そうか」
 溜め息のような小ささでイギリスが呟く。
 あの頃ならば落ちたその肩に手を置き、悲しみに寄り添うことができたのだ。
 
 ――友達として。
 
 けれども、今の自分は彼の悲しみに気づかぬ振りしかできない遠い存在ということを日本は痛みとともに理解していた。
 
 
 
 



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