日本の米国旅行記


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 おれ達、という言葉に、他に誰がいるのだろうと周囲を見回す日本は、ターミナルの中に入ったところで知った顔を見つけた。
「イギ…カークランドさんもご一緒でしたか」
「よ、よう、ホンダ。フライトは順調だったか?」
 人目を気にして、通称名で言い直した日本に、きっちりとした三つ揃いの背広姿のイギリスが、気難しい顔で握手の手を差し伸べてきた。にこりともしないイギリスの姿はいつものことである。
 気難しい表情をしていても、それは万事を斜に構えるイギリスの癖で、自分を嫌ってのことではないと日本は知っているので、微笑んで握手を交わす。
「ええ、おかげさまで無事に着きました。カークランドさんはいつこちらへ?」
「午前中に着いた」
 午前の便で到着したのだとすれば、この時間までに街中に出る暇はなく、恐らく空港で足止めさせてしまっていたのだろう。
「お待たせしていたのでしょうか。申し訳ありません」
「いや、構わない」
「挨拶が済んだなら行こうか。いい加減お腹が空いたんだぞ!」
 さっさと歩きだすアメリカを追ったイギリスが、小声で「おい、アルフレッド、おれがいることを言ってなかったのかよ」と怒った声を出すのが聞こえる。
「なんでそんなこといちいち言わないといけないんだい? 君が来る来ないなんて別に言う必要なんかないだろう」
 イギリスの小声を無視してそう言い放つのは、さすがアメリカだ。
 確かにホスト役はアメリカで、日本もそして恐らくイギリスも招かれてここにいる。気楽な立場の客人にいちいち伝える必要はないが、心の準備のためには教えておいて欲しかったとこっそり思う。
 アメリカの選択で選んだ昼食の店は空港内のレストランだった。日本とイギリスはピザを、アメリカはハンバーガーを頼んだ。
 待つというほどの時間も待たずして出てきたピザは予想通りの巨大さで、どう見ても一人で食べる量ではない。悪戦苦闘しながらどうにか三分の一ほど食べたところで、手を止める。
「なんだい、君もういらないのかい?」
「はぁ。なんだかお腹がいっぱいで。フライト後だからでしょうかね」
「いらないんだったらもらってあげるよ」
 そう言ってひょいと皿をとろうとしたアメリカに、イギリスが不機嫌な声を出した。
「おい、行儀の悪い真似をするな」
「だって半分以上残ってるんだぞ。これをそのまま残すなんて馬鹿みたいじゃないか」
 優雅な所作でカトラリーを置いたイギリスは、膝に広げていた小さな紙ナプキンで口を拭う。安っぽい使い捨て紙ナプキンでも、彼にかかれば高級麻のナプキンに見えるのは、その立ち居振る舞い故だろう。
 そして姿勢を正した彼は、弟に小言を落とした。
「おれが言いたかったいのは、自分から強請るような真似をするなってことだ。こういう場合はまず相手から勧められるのを待つべきだし、ましてや自分から手を伸ばすのはマナーに適ってない」
「いちいち煩いなぁ。たかがピザじゃないか」
 頬を膨らませたアメリカに、自分の気が利かなかったせいかと慌てて日本は皿を差し出した。
「そうですよね。申し訳ありません。ええと、アルフレッドさん、こんなにたくさん残ってしまったので、食べるのを助けていただけませんか?」
「OK! ヒーローに任せるんだぞ! 半分貰ってあげるよ」
「ありがとうございます」
 アメリカは両手を使って、器用にピザの半分を自分の皿へと移す。
「よろしければ――」
 とその流れで皿をイギリスにも向けた日本は、はたと固まった。彼が頼んだのも同じピザ。皿にはまだ半分近く残っている。それなのに更にと勧められても困るだろう。
 己の迂闊さに冷や汗をかき、無言で皿を眺めるイギリスに慌てて謝ろうとするが、
「一枚もらっていいか」
 とにこりともせずイギリスは訊ねた。
「え、あっ、はい!」
 本当にいいのだろうか、と思えど今更撤回はできない。残った二枚のうち一枚だけとってもらい、残りは自分で食べることにした。
「なんだい、君も欲しかっただけなんじゃないか」
「煩い。口に物を入れてしゃべるんじゃない」
 フライドポテトを食べながら、そう笑うアメリカをじろりと睨むと、イギリスは流れるようにナイフを使い、実に器用にフォークでピザを口に運んでいく。
 あっけらかんとしたアメリカの言葉に、日本は内心で嘆息をした。
 イギリスはピザが欲しかったのではない。
 差し出されたものを断ることができるほどの親密さが、自分達の間にはないのだった。
 イギリスと同盟を結んだのは七十年ほど前のことだ。
 欧州の端の島国であるイギリスと、アジアの端にある己は距離でこそ、地の果てと遠くはあれども、その結びつきは強固なものであったと思う。国としても、そして国の化身である個人間の交友も。
 だが次第にその距離は離れ、同盟は二十年程度で終焉を迎え、先の大戦では遂には敵同士となり互いに刃を向けあった。
 そして今、他人よりも遠い場所に自分達はいる。
 勿論、国としては戦後和解を果たし、同じ西側の自由主義陣営の一員として協調路線を歩んでいる。
 しかし公式の立場を離れ、個人として相対すれば、表面を取り繕った穏やかな会話に腐心するほど遠い存在だ。他人であれば軽く否定できることも、敵対した記憶がそれを躊躇わせる。
 相手に対する害意がないことを示しつつ、不快にさせない距離を暗黙のうちに推し量りながら相対しているのが今の自分達の関係だ。
 モリモリと擬音をつけたくなる勢いでハンバーガーを食べ終え、コーラを飲むと、アメリカはピザをたいらげていく。その食べっぷりの良さに比べ、イギリスはそのスピードを落としている。
 日本もアメリカも昔も今もさほど食事量が変わらないことを考えれば、イギリスもまた同じなのだろう。となれば、自分の皿を食べきるだけでもイギリスには精一杯で、更に一切れ追加は苦しいに違いない。
 平静を装うその表情は、恐らく自分を恐縮させないためだ。そういう細やかな気遣いを示す紳士だと、近くで彼を見ていたことがある日本は知っていた。
 
 



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