日本の米国旅行記


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 日本がアメリカからの電話を受けたのは、六月半ばの日付も変わり深夜に近い時間だった。
 『 Gooooood morning 日本! 元気かい?』
「……はぁ、アメリカさんですか。おはようございます。こちらはもう夜ですが……」
 日本は眼を擦りながら時差など考慮したためしのないアメリカに返事をする。
 『ところでwonderful newsさ! 上司が二週間のバケーションをくれるって言うんだ! 二ヶ月じゃなくてたったの二週間だけど、まぁバケーションはバケーションだからね! Fantasticだと思わないかい!』
 寝入り端を叩き起こしたけたたましい電話の音と同じくらいアメリカはハイテンションで、海外からの通話とは思えないくらい声が大きい。黒電話の受話器を耳から離しながら、それが己と何の関わりがあろうか、と欠伸しておざなりに相槌を打とうとしていた日本であったが、続く言葉に眼が開いた。
 『だから明後日空港へ迎えに行くよ!』
「迎え……ですか? あの、空港とは一体……?」
 『うちのダレスだよ! あ、でも君んとこから直行便がなかったんだっけ? だったらニューヨークまで迎えに行くよ』
 とんでもない言葉に日本の眠気は吹っ飛んだ。
「ええと、それは仕事というわけでなく……?」
 『バケーションって言ったろ。もちろん仕事なんかじゃないに決まってるじゃないか。君、寝ぼけてるのかい日本?』
「……はぁ」
 バケーションとはすなわち休暇である。
 遊びに来いと言っているのだろうが、今は六月だ。夏休みにしても季節が早すぎる。
「折角ですが」と丁重に断りを続けようとした日本を制するように、アメリカは勝手に話を進めていく。
 『どうせ君のことだから、自分とこの航空会社を使うんだろう? ゲートを出たらそこで待っていればいいんだぞ! 勝手に動いたら迷子になるからね。なんだったら飛行機の中にいればいいよ!』
「あ、あの、アメリカさん! その、公式に、ではなく私人としてそちらに遊びに行くということなのでしょうか?」
 『そうさ。仕事じゃないからね』
「でしたら査証もありませんし、予防接種も受けていませんので、無理かと……」
 『君、何言ってるんだい? なんでそんなものが必要なんだよ?』
「なぜと言われましても、うちの国民の皆さんも国外に出る時はそう義務づけられておりますので。それに仕事ではないとなれば、そもそも私、旅券を持っていませんし、その手続きからとなりますと、とても三日後には――」
 『パスポートだって? おれと一緒ならいらないよ、そんなもの』
「しかし……」
 『いちいちそんな細かいことなんか気にしなくていいんだぞ。君がやるべきことは、着替えを持って飛行機に乗ることさ! 実にシンプルじゃないか! 今は別に選挙もないし、大丈夫だよね?』
 文型こそは疑問形をとっているものの、イントネーションは反論を許さないものだ。これは「このおれの相手よりも優先させる仕事などないだろう」と暗に言っている。
 訪日中の要人の表敬訪問や、各種会談への出席など、ここ数日の予定が頭をよぎる。
 しかしそんなことを言い出せる雰囲気ではなく、日本は溜め息を吐きながら諾と返した。
 
 
 
 
 それからはまるで嵐のような忙しさだった。
 上司への報告に、仕事の調整、留守の間の自宅の始末の手配。二週間もの長期間の旅行となれば、準備にも頭を痛める。私人としての旅では背広はもちろん、着物というわけにもいかない。
 上司は前触れなく日本に押しかけてくるいつものアメリカの行動パターンを知っているだけに、唐突にして強引な誘いもなんとなく納得してくれた。
 折しも十年と期限を区切った日米安全保障条約の終了日が迫っており、今回の誘いにはそれに絡んだ何かしらの思惑があるのではと思ったようで、くれぐれも粗相のないようにと旅券や査証、航空券を手配してくれたのはありがたかった。
 とはいえアメリカがプライベートで、と言ったからには仕事の話はでないはずだろうとは思いつつも、日本は黙っておくことにした。
 なにしろ航空券を自分で手配しろと言われたら、それだけで大金が吹っ飛ぶ。
 上司も公認ということで、殆どの仕事は免れたが、それでも抜けられないものもある。準備の合間を縫うというよりも、仕事の合間に準備という勢いでそれらをこなし、寝食を削ってぎりぎりの時間で飛行機に飛び乗ると、フライトの半分以上は寝て過ごすことになった。
 あまりにも寝過ぎていたのか眼にも鮮やかなスカイブルーの制服のスチュワーデスからは随分心配されたものの、しっかり睡眠をとったおかげでニューヨークに降り立った時はここ数日の寝不足も解消され、トイレの鏡で見た顔も、くまがとれてすっきりしたものだ。
 数年に一度は仕事で足を踏み入れるニューヨークは、初夏の陽射しに大陸特有のどこか乾いた空気で、今日もよく晴れていた。
「 Welcome to NY!(ニューヨークへようこそ) 」
「この度はお世話になります、アルフレッドさん」
 タラップを降りたところに、待ち構えていたアメリカはTシャツにジーパン姿の軽装だった。
「荷物はどこだい? ああ、預けてるのかい? だったら彼の分だけ早く頼むよ!」
 日本に物を言わせる間もなく、矢継ぎ早に地上係員にそう指示を出すと、さあ行こうと肩を抱かれる。
「君、ランチは食べたかい?」
「はぁ、ええと機内食は寝ておりましたので殆ど食べておりません。でもそこまでお腹は……」
 ここで下手にお腹が空いたといえば、どんな量の食事を用意されるか分からないことは学習済みだ。
 ちょっとした軽食でも、アメリカでの食事は日本の平均の二倍から三倍はあろうかという内容量で、しかもカロリーが高い。ほんの数口で食傷気味になる。
「それはよかった! おれ達もまだなんだ。じゃあ荷物が出てくるまでランチにしようじゃないか!」
「え?」



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