日本の米国旅行記

※ 人名使用
※ 時事を含みます
※ 以上が地雷の方は廻れ右で。



序章



 カーラジオから流れるニュースをかき消す歌声が車内いっぱいに響き、全開にした窓から車外にまで流れ出る。
 六月の空は青く、高く、からりと乾いた空気だ。
 少しばかり調子が外れた朗らかな青年の歌声と力強い車のエンジン音は、前途どこまでも続く広大で真っ直ぐな道と、地平の彼方まで広がる雄大なトウモロコシ畑の風景に実に相応しい。
「おい、アメリカ。いい加減黙れ。馬鹿の一つ覚えみたいに延々同じ歌ばかり歌うな」
 そんな明るい空気に少しばかり凛々しすぎる眉を寄せて苦言を呈するのは、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国、通称イギリスだ。
 いささか大上段からの物言いに聞こえるのは、相手が彼の弟という意識が先に立つからだろうか。
「煩いなぁ。じゃあ『 The Star - Spangled Banner(星条旗) 』がいいかい?」
「ふざけてんじゃねぇ。お前がそれを歌うならこっちは『 God Save the Queen(女王陛下万歳) 』を歌うぞ」
 そう言ってイギリスは歌い出すが、面白そうに眼をきらめかしたアメリカはそれに和するように違う歌詞を被せ始めた。
「ちょ、お前、なんでおれの歌を邪魔するんだ!」
「だっておれの歌詞の方が格好良いじゃないか!」
「神よ、女王を守り賜え」という言葉で終るはずの英国国歌の代わりに、アメリカの歌は「自由の鐘を鳴り響かせよう」という言葉で終わっている。
「同じメロディに聞こえましたが、違う歌なんですか?」
 助手席に座った日本は首を傾げた。
「そうだよ。おれのは『 America 』っていうおれの歌さ。『 The Star - Spangled Banner 』の前に使ってた国歌なんだぞ」
「なぁにが『 America 』だ! もともとおれんとこの曲を真似しただけのくせに、勝手にお前の名前つけやがって!」
「それはおれのせいじゃないんだぞ! 君が使えってうるさかったからじゃないか。だいたい君は自己顕示欲が強すぎるよ。おれだけじゃなくて他の国にも押しつけてたよね」
「なッ……お、おれのどこが自己顕示欲が強いんだ! どう考えてもそりゃお前のことだろ! それにおれが押しつけたんじゃなくて、お前らが勝手に使っただけだろうが! おれはどうしてもって言うから、別に構わないって言っただけで……」
「ああ、もう! 君のそういうところがうざいんだよ!」
「う、うざいとか言うなバカぁ!」
 いくら広い車内でも、怒鳴り合いを始められたらたまったものではない。
 放っておいたらいつもの世界会議の時のように、違う話題に横滑りしながらヒートアップするのではないかと恐れ、日本は口を挟んだ。
「あの……そういえばイギリスさんのところの曲は、音楽隊の演奏などでよそのおうちでもよく耳にするような気がします。どうしてイギリスさんの曲が、と不思議に思ったのですが?」
 日本が訊ねると、イギリスは言い争いを止めて咳払いをした。
「それはだな、おれが『 God Save the Queen 』を国歌にした時に、他の欧州連中が真似して礼式曲に使ったからだ。ドイツやプロイセン、ロシアも一時期勝手に歌詞をつけて国歌として使ってたこともある。今でも使っているのはリヒテンシュタインくらいか。あとはニュージーランドがうちの歌詞をそのままで国歌として使っていて、英連邦は王室歌という位置づけにしているな」
「なるほど。確かにイギリスさんの曲は格調高く美しいので、皆さま気に入られたのは納得できます」
「……お、お前んとこの曲もその、わ、悪くないと思うぞ」
 返礼であろう言葉だが、褒められると悪い気がしない。特にイギリスからの言葉なら尚更だ。
「恐れ入ります。地味で暗いとあまり評判が芳しくないのですが――」
「そんなことない! 荘厳で重厚で聖歌みたいで歴史のあるお前に…ぴったり…かと……」
 彼らしくもなく、言葉を被せるようにして否定する勢いに眼を瞠っていると、途中で我に返ったイギリスは、さっと頬を赤らめて狼狽える表情を見せた。
 控えめな表現方法を常とする彼は、己に対するものであれ他者へのそれであれ、褒め言葉それ自体に慣れがないようだ。
「そ、それよりもアメリカ、歌いたいならもっとこう、他のヤツも楽しめる歌にしろ」
「やれやれ、本当に君はわがままだな。君が気に入るようにビートルズでも歌えっていうのかい?」
 そう肩を竦めてアメリカが鼻歌で歌い出したのは、今月日本でも発売された彼らのアルバムのタイトル曲だった。
 数ヶ月前にメンバーの一人が突如脱退を表明したことから、恐らくは最後になるであろうとの噂を呼んだそのアルバムは、ビルボードで四週連続一位を獲得し、オリコンでも二位を記録している。アメリカが歌う曲は日本も何度も耳にした印象的な旋律だ。
「『 Lets it be 』って、本当に君んとこらしい曲だよな。なんのためにその頭も手も足もついてるんだって言いたくなるよ」
 不意に歌を止めたアメリカが、そうぼやく。
「お前と違ってこっちは気に入らないことがあるからといっても、力でごり押ししたりしない大人の文化なんだ」
「やる気も力もない者の詭弁にしか聞こえないね」
 険悪になりかけた二人に日本ははらはらするが、折れたのはイギリスだった。
「もういい、好きなもの歌ってろ」
「ビートルズじゃなくていいのかい?」
 好きにしろというように手を振ったイギリスは、眼を閉じて無視を決め込むようだ。
 確かにアルバムの発売と時を同じくして公開されたドキュメンタリー映画の内容はメンバーの脱退宣言と相俟ってメンバー内の人間関係に関する不穏な憶測を呼んでおり、そんな彼らの曲はこのメンツでの旅の幸先にあまり良いものとは思えなかった。
 それではとばかりに、ハンドルを握るアメリカは高らかに声を張り上げる。
「……あの、アメリカさん、その曲はなんの曲なのですか?」
「『 God Bless America 』さ!」
 アップテンポで歌っているものの、平易な歌詞はリスニングが苦手な日本でも聴き取れる。歌詞そのままのタイトルであった。
「はぁ……では先に歌われていた曲は…?」
「ああ、あれかい? あれは『 This Land Is Your Land 』って曲だよ」
「……ええと、アメリカさんの国歌は『星条旗』ですよね?」
「そうさ。この二曲は愛国歌で、まぁ第二の国歌と言われる曲なのさ。元はフォークソングなんだけどね」
 なぜか得意げなアメリカは、先ほど何度も繰り返し歌い、イギリスに嫌がられていた曲をまた歌い始める。
 こちらも明るい曲調で、アメリカという固有名詞こそは出てこないものの、カリフォルニアやニューヨーク、メキシコ湾という地名は、彼のことを歌っているもの他ならない。
「……だから言ったろ。こいつはおれなんかよりよっぽど自己顕示欲が強いって。普通自分のことを延々歌わないだろ」
 眠っているふりをしていたイギリスが皮肉る。
「おれの歌をおれが歌って何が悪いんだい!」
「自分を讃える曲を自分で歌うなんて阿呆にしか聞こえないからやめろ」
 またぞろ喧嘩を始める二人に苦笑した日本は、アメリカの歌っていた歌詞を心の中でなぞる。
 ここは己の国で、君たちの国でもあるという言葉は確かにアメリカにこそ相応しいものだ。
 そう言い切る自信が眩しくて、眼を眇めた日本は、どこまでも続く青い空に視線を転じた。



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